第489回 オーロラチャンス!! だったのですが……
「ANIMATOR TALK」はアニメーターの方達に話をうかがうトークイベントシリーズです。今回は『新世紀エヴァンゲリオン』『フリクリ』『ユーリ!!! on ICE』『アリスとテレスのまぼろし工場』等で活躍している平松禎史さんがメインのゲストです。聞き手として沓名健一さん、今村亮さんも出演。沓名さん、今村さんが、平松さんに質問をするというかたちでトークを進めます。トークを進めていくうちに、平松さんの作画についての考えや、アニメーションについての考えをうかがうことができるはずです。
当日は平松禎史さんがプライベートで描いたイラストをまとめた書籍「平松禎史 PRIVATE ILLUSTRATION」を先行発売する予定。「平松禎史 PRIVATE ILLUSTRATION」は2017年に刊行した「平松禎史 SketchBook」を再構成したものです。「平松禎史 SketchBook」はアニメ関連のイラストラフ、デザインも収録していましたが、「平松禎史 PRIVATE ILLUSTRATION」はオリジナルイラストのみを収録しています。
イベントは2024年6月2日(日)昼に開催。会場は阿佐ヶ谷ロフトAです。チケットは5月20日(月)20時から発売。購入方法については阿佐ヶ谷ロフトAのサイトをご覧になってください。
今回のイベントも配信があります。配信はリアルタイムでLOFT CHANNELでツイキャス配信を行い、ツイキャスのアーカイブ配信の後、アニメスタイルチャンネルで配信します。なお、ツイキャス配信には「投げ銭」と呼ばれるシステムがあります。「投げ銭」による収益は出演者、アニメスタイル編集部にも配分されます。アニメスタイルチャンネルの配信はチャンネルの会員の方が視聴できます。
■関連リンク
LOFT https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/284656
LivePocket(会場) https://t.livepocket.jp/e/v57nm
ツイキャス(配信) https://twitcasting.tv/asagayalofta/shopcart/310386
アニメスタイルチャンネル https://ch.nicovideo.jp/animestyle
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第223回アニメスタイルイベント | |
開催日 |
2024年6月2日(日) |
会場 |
阿佐ヶ谷ロフトA | 出演 |
平松禎史(演出、アニメーター)、沓名健一(演出、アニメーター)、今村亮(アニメーター)、小黒祐一郎(アニメスタイル編集長) |
チケット |
会場での観覧+ツイキャス配信/前売 1,500円、当日 1,800円(税込・飲食代別) |
■アニメスタイルのトークイベントについて
アニメスタイル編集部が開催する一連のトークイベントは、イベンターによるショーアップされたものとは異なり、クリエイターのお話、あるいはファントークをメインとする、非常にシンプルなものです。出演者のほとんどは人前で喋ることに慣れていませんし、進行や構成についても至らないところがあるかもしれません。その点は、あらかじめお断りしておきます。
先日買った、ぴあCOMPLETE DVD BOOKシリーズの『劇場版あしたのジョー2』のレビュー続き。
0:05:56~実は、マンモス西は岸部シロー版の方が個人的に好き!
0:06:25~ここも前回同様、
0:06:35~ここのジョー、TVシリーズ版・1話では「へへ、へへへ……!」と笑ってるだけ。劇場版では「へへ……、一年振りだな」とTV版の“笑いのブレ”に無理矢理台詞を入れており、80年代アニメの大らかさと出﨑監督の豪快さが伺えます。「顔全体動いてれば台詞なんて何でも入るよ~」と。“一年振り”の辻褄は前の劇場版『あしたのジョー』(旧作の劇場用再編集)の公開から数えて、かと。だとすると、正確には1年と4ヶ月ですね。もしかすると、本当は『(劇)ジョー2』も春に公開したかったのかも? と邪推してしまいます。
0:06:47~ここ、テレビシリーズでは1話と2話の境目。段平が右から左へ(#1)、次のキノコが左から右へ(#2)——と真逆の繋ぎは多分意図的な編集かと。ここだけに限らず、この『(劇)ジョー2』は何しろ編集が気持ち良いです。
0:07:07~「ジョー!」と子供が駆けて行っても、それを受けず、ジョーは力石の墓参り! この飛躍(?)が素晴らしい! こうすることでジョーの勝手気ままな性格が浮き立つでしょう。
0:07:40~ジョー、本当に良い顔!! こんな表情、当時(1980年)のアニメ業界、杉野(昭夫)さん以外で誰が描けたでしょう?
0:07:47~ジョーと葉子の立ち位置も、テンポ良く切っています。
0:08:14~前シーンの「ただ、もう一度リングへ——って気持ちだけが残った……」を受けての復帰第1戦への繋ぎ。アオリの葉子から試合会場俯瞰の葉子へ。この繋ぎも見事!
0:08:19~めり込む様なボディーブロー! 重さのあるアクション作画の冴え! 心地良いっ!
0:08:28~ここでまた別の試合。今、ここまで大胆な繋ぎ(編集)をする監督っています?
0:09:04~真ん中の髭の人は小林七郎(美術)さん? 画面上下カットで紀ちゃんの顔が切れてる。
0:09:11~ここも前シーンのリング上でマンモス西の肩車~自転車に乗ったジョーへの“回転”繋ぎ。間違いなく意図的。
ここまでで、まだ10分足らず。驚異的な構成力! とにかく、『(劇)ジョー2』は
次、どこに飛ぶのか分からない理屈を超えた“映画を見る楽しみ”に満ちている!
から、何度でも観れるんだと思います。
0:10:59~パチンコに興じるジョー。80年俺自身が子供の頃(5~6歳?)、このガキ連中同様に親父のパチンコのお供をさせられてたのを思い出すシーンで、板垣の原体験的風景。
0:12:32~もう、タイガー尾崎戦のゴング! しかも1分半程(~0:13:57)で終わり!
0:12:38~そのたった1分半に「へっへ……俺がこの試合に勝てば、次はタイトルを懸けていいだとよ。悪いが軽く貰うぜ——この試合!」のモノローグを被せた上、力石のインサートを入れるだけで、どれだけ“濃い1分半”に仕上がってることか! これ以降もモノローグを効果的に使って、情報量の凝縮に成功しています。
例えば、多めな情報量をモノローグと編集そして音楽、あらゆる手練手管を使って決められた尺に“面白く収める”ことができる演出家・脚本家さんには、残念ながらなかなかお目にかかれません。巧くできたかはともかく、去年作った『異世界でチート能力(スキル)を手にした俺は、現実世界をも無双する』#10の原作物量圧縮は、出﨑監督の影響がデカいと我ながら思っています。脚本&演出家から「(この物量)入んない、入んない!」と泣きが入ったので、引き上げて全面的に俺の方で脚本もコンテも描き直したものでした(無理させてしまい、ごめんなさい)。
0:14:12~次カットと“尾崎の上がっている腕”が繋がっていない! とか、全然気にしない出﨑監督大好きです!!
あっ、そろそろまた時間です~(汗)。
第55話「煤煙の中の太陽」(脚本/市川久、美術/浦田又治、作画監督/我妻宏、演出/勝間田具治)は四日市の公害をモチーフにしたエピソードである。1960年代から70年代の東映動画はTVアニメの各エピソードで、社会派の意欲作を何本も残しており、第55話はその一連の作品を代表するものだ。
前話についた予告からして強烈だ。以下に予告ナレーションを引用する。
「汚される空、汚される海。何故汚してしまうのか。何故、何故……。タイガーよ、この少女の苦しみが分かるか。タイガーよ、一体、お前には何ができるのか。次回『煤煙の中の太陽』。お楽しみに」
予告の映像は第55話から抜粋された公害に覆われた四日市のカット、苦しむ子供等で構成されている。本編に負けないくらいに強い印象を与えるフィルムだ。
本編の内容に触れよう。第55話のファーストカットは歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の四日市宿だ。次のカットから現在(放映当時の現在)の四日市の描写が始まる。陰鬱なBGMと共に薄暗い空、工場の煙突から輩出される煤煙、海に流される廃液が描かれる。そして、工場のシルエットの向こうに夕陽が見える映像に「煤煙の中の太陽」のサブタイトルが乗る。このサブタイトルカットはかなりのインパクトだ。最初に「東海道五十三次」の四日市宿を見せたのは、綺麗だった景観から現在の状況への変化を見せるためだろう。
そんな四日市を遠征試合のためにジャイアント馬場、アントニオ猪木、坂口征二、タイガーマスクが訪れる。四日市の駅前で坂口が「うえ~、酷い空気だ。先輩、こんな酷いところじゃ、立派なファイトはできないですよ」と愚痴を言い、それを馬場と猪木が窘める。
その後も四日市の公害の描写は続く。中でも凄まじいのが、公害のために息子を亡くし、その息子の遺体が入った棺桶を背負って街を練り歩いている老婆の存在である。これは演出の勝間田具治がロケハンの成果を取り入れたものだそうだ。四日市公害裁判が行われたのが1967年から1972年。第55話「煤煙の中の太陽」が放映されたのが1970年10月15日。現在進行形の問題を取り入れたエピソードなのだ。
あすなろ院は四日市にある孤児院だ。そこで暮らす孤児の陽子は喘息で苦しんでいた。院長は空気のいいところに孤児院を建て直したいと考えているが、それを実現するのは難しいようだ。陽子と共にあすなろ院で暮らしている郎太は、彼女の喘息の原因が工場が出す煤煙だと考えて、コンビナートの煙突に登る。そして、コンビナートの煙を止めなければ自分は煙突から降りないと言うのだ。煙突に登ったのが孤児院のみなしごだと知ったタイガーは現地に急ぐ。
一人の大人が郎太を宥めるために、今日はもう煙を出さないと言う。それを聞いた郎太は叫ぶ。「今日だけじゃ、嫌だよ。ずっと煙を出さないと約束してくれなきゃ。それにこの煙突だけじゃなく、あの火を吐く煙突も! あの白い煙突も! みんな、みんな、無くなってしまえばいいんだよ!」
郎太を見つめる街の人々のカットが重ねられる。彼等からは生気が感じられない。タイガーは街の人々が声を上げないのは、公害に苦しむうちに抵抗することを諦めてしまったためだろうかと考え、そのことに怒りすら感じるが、すぐに街の人々が声なき叫びを抱えて生きているのだと思い直す。
タイガーは自分が郎太を連れ戻すと言って煙突を登る。郎太はタイガーのファンであったが、その説得を聞こうとはしない。それだけ郎太の決意は固いのだ。そして、煙突の上から煤煙に包まれた街を見たタイガーは、改めて公害の悲惨さを感じ、悲惨であればあるほど、郎太の想い、声なき人々の想いが強くなるのだろうと悟る。そして、リングの上ではレスラーを投げ飛ばしている自分が、一人の少年の決意に対しては何もできないことに気づくのだった。
タイガーは街から離れたところにある丘に気づく。その丘は煤煙に冒されていないようだ。彼は「あの丘に郎太君達の学園を……」と呟いてしまう。それを聞いた郎太は、タイガーが丘に孤児院を建て直してくれると思い込んでしまう。郎太は地上に降りてくれたが、タイガーは実現できないことを約束してしまった。彼のファイトマネーを以てしても、孤児院を建て直すことはできないのだ。
その後、タイガーの試合を挟んで、郎太達の描写があり、嘘をついてしまった直人の後悔が描かれる(ここで彼は直人の姿だ)。直人は悪夢を見る。夢の中では街の人々が、棺桶を背負った老婆が、そして、郎太が、直人を非難する。「たかがプロレスラーにそんな施設など、建てられるわけがない」「タイガーさん、約束は嘘なんですか」「タイガーの馬鹿野郎、嘘つき野郎、お前にはこの陽子ちゃんの悲しみが分からないのか、お前なんか死んじまえ!」。その悪夢が第55話のクライマックスだ。
翌日になり、事態は急転直下。郎太とタイガーの事件が新聞に報じられ、それをきっかけにあすなろ院の移転が市議会で満場一致で可決される。事件を知った日本プロレス協会も四日市での興行の収益の一部を寄付してくれることになった。あすなろ院は丘の上に移転できることになり、タイガーは郎太の一途な願いが神に通じたのだと思うのだった。あすなろ園は移転できることになったが、四日市ではまだ多くの人達が苦しんでいる。この公害の街に青い空と澄んだ水を取り戻すために、自分達は立ち上がらなくてはならない。そのタイガーの想いと共に第55話「煤煙の中の太陽」は幕を下ろす。
第50話「此の子等へも愛を」と第54話「新しい仲間」では、社会的な問題をモチーフにしつつも直人の行い、あるいはルリ子の行いに重きが置かれていた。それに対して第55話「煤煙の中の太陽」は直人のドラマよりも、むしろ、公害の問題を描くことに力を注いでいるように思える。第50話と第54話が日常的な描写を積み重ねて、テーマに迫っているのに対して、第55話はプロットがシンプル。ダイナミックな演出で視聴者に伝えるべきことをグイグイと伝えていく。画作りや選曲も凝っており、ドラマチックな仕上がりだ。あすなろ院についての問題が解決した後で、さらに四日市の公害そのものに対して取り組まなくてはいけないことを提示するところに関しても、それを訴える力の強さに関しても、まさしく社会派。社会派の力作だ。映像作品としての歯切れのよさが心地よい。
勝間田具治は東映動画を代表する演出家であり、『タイガーマスク』でも凝ったエピソードを、あるいは熱いエピソードを数多く残している。第55話もその1本だ。DVD BOX第2巻の解説書の斉藤侑プロデューサーのインタビューによれば、この話で脚本を担当した市川久は、斉藤プロデューサーがやっていたシナリオ講座の生徒だったのだそうだ。東映動画ではプロデューサーや演出家がペンネームで脚本を書くことがあるが、この話はそうではなかった。そして、同じインタビューで、斉藤プロデューサーは第55話に関して、勝間田が物語に手を加えて作り上げたのだろうと語っている。
伊達直人の物語としては、第55話は彼が自分一人の力では解決できない問題に直面したことが重要だ。郎太とタイガーの事件が報じられたことによって、直人は助けられるかたちとなった。第64話「幸せの鐘が鳴るまで」で、そのことの意味が分かることになる。
●『タイガーマスク』を語る 第8回 第64話「幸せの鐘が鳴るまで」 に続く
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腹巻猫です。5月4日に仙台銀行ホール イズミティ21大ホールで開催された仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサート「シンフォニック コードギアス リベリオン」を聴きました。アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』『コードギアス 反逆のルルーシュR2』の音楽をオーケストラ組曲に編曲して演奏するコンサートです。大変な力演で、仙台まで足を運んだ価値がありました。同時に『コードギアス 反逆のルルーシュ』の音楽の魅力を再認識するきっかけにもなりました。
今回は、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の音楽を紹介するとともに、コンサートの感想もお話ししたいと思います。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』は2006年10月から2007年7月にかけて放映されたTVアニメ(2007年3月にいったん終了し、7月に未放映だった2話を放映)。続編『コードギアス 反逆のルルーシュR2』が2008年4月から2008年9月にかけて放映された。その後も、同じ世界観を背景にしたOVA『コードギアス 亡国のアキト』、TVシリーズを再編集し、新規カットを追加した劇場版『コードギアス 反逆のルルーシュ』3部作、その続編となる劇場版『コードギアス 復活のルルーシュ』などが制作され、現在も新作『コードギアス 奪還のロゼ』が公開中という、人気シリーズである。
日本が神聖ブリタニア帝国に占領された近未来。日本人はイレブンと呼ばれ、ブリタニアの支配に屈していたが、一部の日本人はブリタニアを相手にレジスタンス活動を展開していた。ブリタニアの貴族出身でありながら、その地位を追われ、日本(エリア11)で育った少年ルルーシュは、ある日、謎の少女C.C.(シーツ—)と出会ったことで、不思議な力「ギアス」を発現する。それは、目を合わせた相手に、一度だけ、どんな命令でも従わせることができる力だった。ルルーシュはこの力を使って、自分と家族を虐げた者たちに復讐しようと、ブリタニアへの反逆を開始する。レジスタンス組織「黒の騎士団」を指揮して活動するルルーシュの前に立ちふさがったのは、ルルーシュの旧友であり、今はブリタニア軍に所属するイレブンの少年・スザクだった。
復讐を動機に、手段を選ばず、冷静沈着にことを進めていくルルーシュのキャラクターが新鮮。ピカレスクロマンであり、SFメカアクションであり、青春ものの一面も持つ、多様な魅力を持った作品である。
音楽は中川幸太郎と黒石ひとみが共同で担当。中川幸太郎は本作の監督・谷口悟朗とTVアニメ『スクライド』『ΠΛΑΝΗΤΕΣ』『ガン×ソード』などですでに仕事をした経験があった。黒石ひとみは、『ΠΛΑΝΗΤΕΣ』『ガン×ソード』に楽曲を提供をしており、TVアニメ『LAST EXILE』の劇伴を担当した実績がある。『コードギアス 反逆のルルーシュ』における2人の音楽の役割分担について、谷口監督は「男性主観の部分を中川さん、女性主観の部分を黒石さんメインでお願いしました」と語っている。
中川幸太郎は東映スーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズの音楽でも知られる作曲家。ブラスサウンドを駆使したダイナミックな音楽が持ち味だ。いっぽうで東京藝術大学音楽学部で作曲を学んだ経歴から、精巧なスコアによる現代音楽的な曲も得意としている。『ΠΛΑΝΗΤΕΣ』や『GOSICK』といった作品にその方面の個性が生かされていると思う。『コードギアス 反逆のルルーシュ』は主人公がダークヒーローで、物語も暗くシリアスな展開が多い。そこで音楽もダイナミックなサウンドと現代音楽的なサウンドが融合した歯ごたえのある曲調になっているのが特徴だ。中川幸太郎サウンドのエンターテインメント志向の側面と現代音楽志向の側面が合体したおいしい作品なのである。
黒石ひとみはシンガーソングライターとしても活動する音楽家。『コードギアス 反逆のルルーシュ』では自ら歌う挿入歌のほかに、女声コーラスを使った柔かいトーンの曲や神秘的な曲を劇伴として提供している。黒石ひとみの曲は、劇中ではC.C.やユーフェミア、シャーリーといった、戦闘に参加しない女性キャラクターのシーンによく使われていた。
本作のサウンドトラック・アルバムは「コードギアス 反逆のルルーシュ O.S.T.」「同2」のタイトルで、2006年12月20日と2007年3月24日にビクターエンタテインメントから発売された。
収録曲は下記ページを参照(いずれも再発盤)。
https://www.jvcmusic.co.jp/flyingdog/-/Discography/A012120/VTCL-60485.html
https://www.jvcmusic.co.jp/flyingdog/-/Discography/A012120/VTCL-60486.html
コンサートでも演奏された印象深い曲を紹介していきたい。
1枚目の「O.S.T.」では、なんといっても1曲目「0」。ルルーシュが黒の騎士団のリーダーとして活動するときの姿「ゼロ」のテーマであり、本作のメインテーマでもある。勢いのあるイントロからピアノと打楽器によるスリリングなリズムに転じ、ストリングスとギターによるスパニッシュなメロディが現れる。トランペットがメロディを引き継いだあとギターのアドリブが入り、キレのあるフレーズのコーダへ。本作のダークなイメージを象徴する楽曲だ。スピード感と緊張感たっぷりのパワフルな演奏に魅惑される。このメロディはアレンジを変えて劇中のさまざまな場面に使われている。
トラック3「Prologue」はタイトルどおり、第1話のアバンタイトルに流れたプロローグの曲。もの憂いストリングスのメロディを中心に奏でられる。ブリタニアに支配されたイレブン(日本人)の現況を表現する重苦しい曲になっている。
トラック4「Stream of Consciousness」は第1話の本編冒頭に流れた曲。ミステリアスな女声コーラスがこれから始まる物語が神秘的な要素を秘めていることを伝える。
トラック6「The First Signature」は第1話のルルーシュとC.C.との出会いの場面に流れた。ここでも女声コーラスが使われて、C.C.の不思議なキャラクターを印象づける。「Stream of Consciousness」と「The First Signature」の2曲は映像の展開に合わせて作られたような雰囲気がある。どちらも黒石ひとみ作曲である。
黒石ひとみの曲では、トラック16「Stray Cat」も耳に残る。弦と木管楽器によるユーモラスな曲で、本編ではルルーシュの学校生活など日常シーンによく使われている。使用頻度の高い曲だったが、仙台フィルのコンサートでは演奏されなかった。
中川幸太郎らしさが出たのが、バトルシーンに流れる曲だ。トラック8「Outside Road」は「タンタン タタタン」というリズムにブラスや男声コーラスが重なるサスペンス曲。同じリズムが続くボレロ的な展開で緊迫感を盛り上げる。ゼロたちがブリタニア軍に向かっていく場面や逆にブリタニア軍が進撃する場面など、敵味方に限定せず使われている。『コードギアス 反逆のルルーシュ』では、この曲のように、同じ曲がルルーシュ側にもブリタニア側にも使われる演出がたびたび見られる。本作が単純な善悪対立の物語でないことの表れだろう。
トラック9「In Justice」はスザクが愛機ランスロットで出撃する場面によく流れていたサスペンス曲。緊迫したイントロに続いてミリタリー的なリズムと悲壮感のあるメロディが展開する。
次の「Nightmare」も戦闘シーンに多用された曲で、スパニッシュなメロディとギターやカスタネットによるリズムが特徴的。人型機動兵器ナイトメアフレームの活躍を熱く彩った。
バトル曲では、ブリタニア軍侵攻の場面によく流れたトラック18「Shin Troop」、ランスロットのテーマ的に使われているトラック20「Elegant Force」も印象深い。
ほかには、ルルーシュの苦悩や思考を描写するメインテーマアレンジの曲「Occupied Thinking」(トラック17)、ルルーシュがギアスを発動する場面に流れる、やはりメインテーマの変奏である「Devil Created」(トラック21)が重要な曲として挙げられる。
サントラ2枚目「O.S.T.2」も1曲目の「Previous Notice」が聴きどころ。ショッキングなイントロから激しいリズムをバックにしたスパニッシュなギターの演奏に続く曲で、毎回の次回予告に使われて強烈な印象を残した。もともとは次回予告用に別の曲が用意されていたが、谷口監督の考えでこの曲が使われたとのこと。劇中でもルルーシュ(ゼロ)やスザクの活躍場面にしばしば使用されている。
ブリタニア軍の空中戦艦アヴァロンのテーマとして使われた「Avalon」(トラック20)は弦合奏と低音のブラスを中心にした重厚な曲。アヴァロンの登場シーンだけでなく、ドラマティックな曲想を生かして、事態が大きく動くシーンなどに使われた。
ほかには、第22話、23話の皇女ユーフェミアの悲劇を彩った「Bad Illusion」(トラック15)、「State of Emergency」(トラック18)、「Final Catastrophe」(トラック21)がファンには忘れられない曲だろう。悲劇を連想させるワーグナー的な「Bad Illusion」、スザクの怒りの突撃に重なる「State of Emergency」、ルルーシュの憤りが爆発する「Final Catastrophe」と、曲を聴いているだけで、トラウマになるような暗い展開が思い出される。
「O.S.T.2」の劇伴パートのラストを飾る「Innocent Days」(トラック22)は黒石ひとみの詞・曲とボーカルによる讃美歌風の美しい曲である。劇中ではユーフェミアの束の間の幸せを象徴する曲として使われていて、全編を観てから聴くとかえって涙を誘う。アルバムの構成としては、ありえたかもしれないハッピーエンドを思わせる、秀逸な終わり方だと思う。『コードギアス 反逆のルルーシュ』の最終回は、明快な決着も救いもないまま終わってしまう(そして『R2』に続く)のだから。
さて、冒頭に紹介した仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサート「シンフォニック コードギアス リベリオン」の話。
実は2019年にも『コードギアス 反逆のルルーシュ』のオーケストラコンサートが開催されたことがある。編曲を中川幸太郎とピアニート公爵(森下唯)、タカノユウヤの3人が手がけ、オーケストラにドラム、ギター、ベースのリズムセクションを加えた約70人編成で演奏された。スクリーンにアニメの映像を投影し、ルルーシュ(福山潤)によるモノローグも流れる、コードギアスファンのためのイベントである。
今回の「シンフォニック コードギアス リベリオン」は、それとはだいぶ趣が違う。まず。アニメの映像や音声を使った演出は一切なし。完全に演奏だけを楽しむコンサートだ。演奏されたスコアは今回のための新アレンジ。ポップスのリズムセクションを入れない、クラシカルなオーケストラ曲として編曲されている。
オーケストラ編成は、2019年のコンサートのほうがサウンドトラックに近く、サントラの演奏を担当したミュージシャンも何人か参加していた。「シンフォニック コードギアス リベリオン」の演奏は仙台に拠点を置く仙台フィルハーモニー管弦楽団が主体で、客演奏者が加わる編成。総勢100名近い大編成である。
2019年のコンサートはサウンドトラックの再現をねらったスタイルだったのに対し、「シンフォニック コードギアス リベリオン」は純然たるクラシックコンサートのスタイルだった。会場を訪れたコードギアスファンの中にはとまどった人もいたかもしれない。
しかし、結論から言えば、すごくよかった。これはありだと思った。
映画音楽のジャンルでは昔から、本編用に書かれたサウンドトラックのスコアをオーケストラコンサート用の管弦楽曲に編曲する試みが行われている。日本のアニメでいえば、『ジャングル大帝』の音楽が「子どものための交響詩 ジャングル大帝」に編曲され、さらに「交響詩 ジャングル大帝」に改訂されて現在もたびたび演奏されている例がある。『コードギアス 反逆のルルーシュ』の音楽は、もともと現代音楽的な要素の強い、歯ごたえのある音楽だった。だから管弦楽曲に編曲しても違和感がなく、聴きごたえがある。
仙台フィルハーモニー管弦楽団の公式サイトにコンサートのセットリストが公開されている。
https://www.sendaiphil.jp/e1/
1曲目はサウンドトラック盤でも1曲目に置かれている「0」(「序曲」とされている)。すさまじい熱演で心をつかまれた。ほぼ原曲どおりのテンポでリズムを刻むパーカッション群の上でストリングスと管楽器が演奏する旋律がうねる。思わず息をつめて聴いてしまい、演奏が終わるとため息がこぼれた。
続いて、第1幕の第1場「Prologue」〜「Stream of Consciousness」〜「The First Signature」〜「In Justice」という流れ。コーラスは女声2人(ソプラノ、メゾソプラノ)と男声1人(バス)が担当していて、コーラス入りの曲も再現されている。
うっかり再現と書いてしまったが、これは原曲の「再現」ではない。管弦楽曲に生まれ変わったコンサート用の音楽作品である。全体に原曲より重厚になり、マイクとスピーカーを通さないオーケストラの生音で勝負する編曲になっている(編曲はクラシック系の佐野秀典が担当)。随所にソロを聴かせるパートが設けられているのは、演奏者へのリスペクトだろう。演奏会を意識したアレンジなのだ。
アニメの映像を使う演出がなかったことも好印象だった。演奏に集中することができるし、演奏者の手元や表情や息を合わせるようすなどを見ることができる。これが生でコンサートを鑑賞する楽しみのひとつなのである。
「シンフォニック コードギアス リベリオン」は仙台フィルハーモニー管弦楽団の「エンターテインメント定期 第1回」と位置づけられている。「エンターテインメント定期」とは、「日本のアニメーションを中心としたジャンルの『音楽』にスポットを当て、オーケストラによる生演奏で仙台から世界へと発信」するプロジェクトなのだそうだ。そして、エンターテインメントパートナーとして、バンダイナムコフィルムワークス、バンダイナムコミュージックライブ、バンダイナムコピクチャーズの3社の名が挙げられている。
近年、クラシックのオーケストラが演奏会でアニメ音楽をとりあげるケースがちらほら見られるようになった。筆者も「組曲 銀河鉄道999」や「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の演奏会を聴いたことがある。しかし、プロオケによるアニメ音楽の定期演奏会の試みはたぶん日本初だろう。
その第1回が『コードギアス 反逆のルルーシュ』というのは、なかなか攻めたプログラムだと思う。仙台フィルの「本気」を感じさせる熱気あふれるコンサートだった。オーケストラサウンドの迫力を存分に味わい、原曲の魅力を再認識するきっかけにもなった。ついでに仙台名物の牛タンを食べることもできたので言うことない。
8月10日には、「エンターテインメント定期 第2回」として『機動戦士Ζガンダム』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のコンサートが決まっている。この試み、これからどう展開していくか、楽しみに応援していきたいと思う。
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前回、前々回で取り上げた第50話「此の子等へも愛を」と同じく、第54話「新しい仲間」も柴田夏余が脚本を書いている。第54話も柴田の力が大きいのだろう。第50話はあまりにも難しいところを狙っていたが、第54話では脚本家としてのよさが、分かりやすいかたちで発揮されている。
第54話「新しい仲間」(脚本/柴田夏余、美術/浦田又治、作画監督/村田四郎、演出/設楽博)のモチーフは「過保護」である。過保護は今となっては普通に使われている言葉だが、多用されるようになったのは1970年前後であるらしい。そして、このエピソードが放映されたのが1970年10月8日。第54話は放映当時においては最新の話題を取り入れたエピソードであるわけだ。
ちびっこハウスに新しい仲間がやってきた。母子家庭で育った少女であり、母親が亡くなったのでハウスで暮らすことになったのだ。健太によって、小柄な彼女にミクロというニックネームがつけられる(現在の感覚だと、つけられた側が可哀想に思えるニックネームである)。ミクロはハウスの子供達と馴染むことができず、学校にも行こうとしない。
この話で物語を進めるのは直人ではなく、ルリ子である。ルリ子は兄である若月先生の許可を得て、ミクロについて調べ始める。まずはミクロが仲間と馴染むことができない様子が、幼い頃の直人に似ていると感じたルリ子は電話で彼に相談する。ただ、ルリ子は直人の連絡先を知らないようで、日本プロレス協会を通じてタイガーが泊まっているホテルを教えてもらい、以前、健太が家出した際(第6話、第7話)に言葉を交わしたタイガーに相談するという体で電話を入れる。ルリ子はタイガーの正体が直人であることに気づいているのだ。直人にアドバイスをしてもらったルリ子はミクロが母親と暮らしていたアパートを訪れて、管理人と住人に、かつての母子の生活についての話を聞く、次に以前に通っていた小学校に行って、当時の担任の先生に学校でのミクロの様子を話してもらう。このあたりの展開はまるで刑事ドラマのようだ。ルリ子はミクロが人付き合いが苦手なのは母親譲りであり、学校を休みがちなのは過保護に育てられたからであることを突き止め、さらにミクロの様子から、ハウスの子供達の仲間に入れない理由に気づき、そのことで涙を流す。
ミクロが立ち直るきっかけになったのはタイガーのファイトだった。テレビで中継されていたタイガーの試合を健太達と一緒に観戦し、彼の勇姿に感動したのだ。ルリ子がタイガーと親しいことを知っているミクロは、彼女にタイガーについて話をしてほしいとせがむ。ルリ子は彼女の想像も交えて、タイガーのことをミクロに語る。タイガーはミクロと同じ孤児であり、以前は人に嫌われる反則レスラーだった。だが、自分の意志で自分を変えたのだと。それをきっかけにしてミクロは考えを改め、学校へ通うようになった。
ミクロが学校へ行くことになったことを知って直人は喜ぶ。彼はそれまで、自分は金を使うことでしか子供達に何かをしてやることができないと思っていたが、今回のことで、それ以外の何かができるのかもしれない、そう考えることができるようなった。直人のドラマとしては、この気づきこそが重要であり、それが第64話「幸せの鐘が鳴るまで」で結実することになる。
このエピソードの序盤で、ハウスに来たばかりのミクロに対して、ルリ子が自分の荷物を押し入れに入れるように言うが、ミクロはそう言われたことが意外だった。「お姉さん(ルリ子)が荷物を押し入れに入れてくれないのは忙しいから?」という意味の質問をする。今までそういったことは母親がやってくれたのだ。ここでのミクロを世間知らずで手がかかる子供として描くこともできたはずだが、そうはしていない。あどけない女の子として描写しているのだ。このあたりの匙加減が巧い。
少し後の場面でルリ子はミクロの荷物を確認する。彼女の服はどれも綺麗に洗濯され、アイロンがかけられていた。ルリ子はそのことから、亡くなった母親が愛情を込めてミクロを育てていたことを感じ取り、さぞやミクロのことが心残りだっただろうと、ミクロの亡母に想いを馳せる。
ルリ子がアパートや学校に赴いて、かつての母親とミクロについて話してもらう部分も、少ないセリフで二人の生活をくっきりと描き出している。そして、ここでも母親がミクロを大事にし過ぎていたことを提示しつつ、それだけ娘のことを愛していたという描写にしている。
第54話で感心するのは問題となっている過保護について、必ずしも否定的に扱っていないことだ。過保護をネガティブに描写し、親が悪いのだとするエピソードにしたほうが、センセーショナルであり、話題になっただろう。だが、この話の脚本はそうはしなかった。過保護であったことは問題であるが、そうなったのは亡母の愛ゆえであり、可愛がられて育ったからミクロは無垢で愛らしい少女に育った。そういったバランスで物語を紡いでいる。そのバランスが好ましい。
第54話「新しい仲間」について、別の角度からもう少し語りたい。このエピソードは過保護に育てられた少女が立ち直るまでの物語だが、それと同時にルリ子という一人の女性を、ひとつの切り口で描ききったものである。むしろ、このエピソードの価値はそこにある。ルリ子はミクロの問題について、どうしてそうなったのかを調べ、現在のミクロを否定せずに受け止めて、その上でミクロが前に進んでいくことを応援する。その子供に対する誠実さは、フィクションの中の登場人物ではあるが、尊敬に値すると思えるほどだ。そして、この話のエピローグ部分で、ルリ子の価値感や人生観が浮き彫りになる。
ミクロは立ち直り、学校に通うようになった。ルリ子はそのことを巡業中のタイガーに電報で伝える。学校に行くミクロを見送った際のルリ子のモノローグの一部を引用しよう(なお、ルリ子はミクロのことを、そのニックネームで呼ばず、本名に近い「ミッちゃん」で呼んでいる)。
「………ミッちゃんは軌道に乗って歩き始めた。まだまだ失敗はするでしょうけど、前向きに歩き出した子には、失敗さえも前進する力になるわ」
歩き出した途端に「まだまだ失敗するだろう」と決めつけているのも凄いが、それだけ、ルリ子は人生を厳しいものだと考えているということだ。注目したいのは「前向きに歩き出した子には、失敗さえも前進する力になる」の部分である。とんでもないセリフだ。彼女は前向きに生きていくことの価値を、前向きに生きる者の力を信じているのだ。
さらにモノローグは続く。ミクロはハウスに来る前からタオルケットを大事にしていた。どうやら彼女が赤ん坊の頃から使っているもののようで、母親の存命中にも、ミクロはそのタオルケットを洗うことを許さなかった。彼女はそのタオルケットに包まれると安心できるらしい。いわゆる「ライナスの毛布」だ。ミクロを見送った後、ルリ子はタオルケットを洗ってしまう。以下がそれについてのモノローグだ。
「ミッちゃんが洗うなって言うから、亡くなったお母さんは洗ったことのないこのタオルケット。でも、もう洗っても泣かないって、あたし、信じるわ。過保護の垢を洗い落とすのよ」
「過保護の垢を洗い落とす」というセリフが抜群にいい。タオルケットを洗うということは、ミクロの甘えを断ち切ることを意味しているということだ。この一連のモノローグは本当に素晴らしい。
ルリ子はミクロに対して、学校に行くことを強要をせず、無理をさせず、自分の力で立ち上がるのを見守ってきた。しかし、ミクロが前に進み出したところで、タオルケットを洗うことで背中を一押ししたのだ。今の目で観るとその一押しは乱暴に思える。しかし、ルリ子にとっても、その一押しをするには勇気が必要だったはずだ。それがモノローグの「あたし、信じるわ」の部分に込められている。彼女が真摯にミクロに向き合っているからこそ、その一押しができたのだと、視聴者の一人として受け止めたい。繊細でありつつも大胆。練りに錬った脚本だ。
●『タイガーマスク』を語る 第7回 第55話「煤煙の中の太陽」 に続く
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TV版『あしたのジョー2』のオープニング「傷だらけの栄光」と「Midnight Blues」、どちらがお好みですか?
と訊かれたとしたら、ズルいようですが、自分は「どちらもそれぞれ好き!」と答えます。
どちらも荒木一郎作詞・作曲であるにもかかわらず方向性が全然違う! シリーズ前半OP「傷だらけの栄光」はやたらスポーティーで、後半OP「Midnight Blues」はやたらとムーディー。映像面でも同様で、前半OPは本編キャラが一切登場しないボクサーのシルエットのみで展開される非常にクールでスタイリッシュな逸品。後半OPはコートに帽子のレギュラー姿のジョーが超望遠の夕陽をバックに延々と歩き続けるメチャクチャ大人なアニメ。まだ未見の方は、是非観て下さい。板垣が「どちらも~」と言う意味が分かっていただけるかと。
さて、先日買った、
ぴあCOMPLETE DVD BOOKシリーズの『劇場版あしたのジョー2』!
を観ました。観ましたと言っても、俺はこの『ジョー2』——手塚治虫先生が『バンビ』を観た回数の10倍回は観ています! それくらい、板垣にとってのマスターピースで、例えば、もう『ジョー2』以外のアニメがなくなったとしても正直、俺は困りません。それほど、板垣の人生に影響を与えた1981年の出﨑統監督作品!
ご存じない方に軽く説明すると、『あしたのジョー2』はTVシリーズがバリバリ放送中なところに、ラスト“ホセ・メンドーサ戦”を先行して作画し、
前半TVシリーズの総集編+後半(公開時点では)新作+別班で音響(アフレコ・ダビング・選曲が新録)!
で構成されているのが“劇場版”になります。TVシリーズが1980年10月13日~1981年8月31日放送で、劇場版公開が1981年7月4日。つまり、2ヶ月早く“真っ白に燃え尽きるジョー”が観れたわけ。当時のリアタイ勢は7月4日公開初日に『(劇)ジョー2』を観て感動した2日後、TVでは“ハリマオ戦”の放送を観たことになります。それから最終回までの2ヶ月間は劇場版用先行作画分の間を逆に新作で埋めてレギュラー放送を全うした——それが、アニメ『あしたのジョー2』です。
が、そんなややこしい、云わば前代未聞の“最終回先行上映スタイル”に翻弄されつつ必死に作り上げられた出﨑・杉野アニメ大作も、結局時代が過ぎて現在改めてTV・劇場の両方を見返すと、
全47話のTVシリーズと、普通にその総集編映画がある!
というだけな気が……。
ただ!! 前回その断片だけ紹介したように“ただの総集編”にしないのが出﨑統監督の手腕!
「『ジョー2』と言ったら、TVシリーズの方でしょ!」と仰る人の方が多いかと思うのですが、こちらも、俺的には「どちらも良い!」と。
先ずド頭0:00:06で“三協映画”のクレジットで「あ『地上最強のカラテ』!!」と俺。
0:00:10~“制作協力 東京ムービー新社”が“トムス~”になっていなくて、ホッ……。
0:00:16~対力石戦~“ダブル・クロス外れてアッパーカット炸裂!”の名シーン。『(旧)ジョー』で2回描かれた(#50吉川惣司演出回と#51崎枕(出﨑統)演出回)名場面を出﨑監督自身で3度目のアニメ化。何度観ても興奮します!
0:00:43~あ、セルバレ(画面左下)!
0:02:09~力石徹追悼テンカウントゴング。テレビシリーズではちゃんと10回フルで聴かせてカット割りのタイミングもそれに合わせてあるのに対し、劇場版の新録ではカット跨いで5回目でF.O。途中で切ることによって、“力石の死を背負ったジョーが返って来る”という直後のオープニングと相まって深みが増します。“画(カット)とタイミングをズラす”ことで、こんなに印象が変わる! 音響演出というモノの奥深さを感じるシーンです。
0:02:50~劇場版OP。前述のテレビ後半OPをベースに、テレビ#01ラスト近辺の夜の街を軽やかに舞うジョーをコラージュ・インサート。主題歌もジョー山中(「~明日への叫び」)で男臭く、やはりこれもTVとは全く違うイメージでとても良い!! 有りモノカットの編集OPとは思えない構成力で、元々劇場版でこう使うのを最初から(テレビ用OP2の)想定してコンテ切ったのかと思うほど。
0:05:36~“脚本 監督・出崎統”のクレジット。どれだけ他人の脚本を使わず“ぶっつけコンテ”で監督して来たか~を表している表記で好き! 俺の記憶ではこれ以前の出﨑監督の“脚本”クレジットは『元祖天才バカボン』#67の“脚本さきまくら”のみ(ですよね?)。
——て、とこでそろそろまた時間です(汗)。
第50話「此の子等へも愛を」についてもう少しだけ書いておく。
細部について触れることにしよう。直人が夫婦の家に辿り着くまでが興味深い。直人が原爆ドームの模型について知ったのは、同じホテルに泊まってるアントニオ猪木が土産物屋で購入して、他のレスラーに見せたことがきっかけだった。直人は猪木が模型を買った産物屋に行く。猪木が買った模型が最後のひとつであり、土産物屋には模型の在庫が無かったので、直人は土産物屋の主人に模型の製造元を教えてほしいと言うのだが、模型は問屋を通してくるので製造元は知らないと主人は答える。問屋の場所を教えてもらった直人はそこに赴き、模型の製造元を訊くが、問屋の男は教えることを渋る。なんとか教えてもらった直人は、ようやく夫婦が暮らす長屋に辿り着く。すんなりと夫婦のところに行かず、土産物屋から問屋、問屋から長屋という段取りを踏んでいるわけだ。『タイガーマスク』の他のエピソードなら、土産物屋の場面で事情をよく知っている人物が偶々現れて、夫婦が住んでいる場所を教えてくれるといったかたちで、物語をショートカットするはずだ。
また、エピソード後半で、三郎達が宿題をする場所がないことが問題になった時に、直人は地元の民生委員の家を訪ねる。そこで詳しい事情を聞いて一肌脱ぐことになるのだが、民生委員の家を訪ねるという展開が『タイガーマスク』の世界では異様に感じるくらいにリアルだ。いや、『タイガーマスク』以外の他のアニメでも、主人公が民生委員を訪ねるなんて展開は滅多にないはずだ。
夫婦の許に辿り着くまでの段取りをしっかりと踏んでいるのも、民生委員を登場させたのも、物語をより現実味のあるものにするためだろう。作品に現実感を与えて、視聴者に劇中で起きていることを、自分の身近で起きていることのように感じてもらいたかったのだろう。
以下はまた別の話だ。プロデュースサイドや演出サイドでは第50話「此の子等へも愛を」をもっと分かりやすく、被爆者家族の悲劇を描いた話にしたかったのではないか。
『タイガーマスク』DVD BOX第2巻の解説書(僕が構成・編集を担当している)に収録された斉藤侑プロデューサーのインタビューによれば『タイガーマスク』では各話のプロット(斉藤プロデューサーはそれを「設定書」と呼んでいた)を渡して、脚本家はそれを元にして脚本を書いていたのだそうだ。各話のプロットは短いもので、1話につき200文字詰め原稿用紙一枚程度のボリュームだった。
斉藤プロデューサーが、直人が原爆ドームの模型を作る被爆者家族と出会うプロットを書いた。その段階では被爆者家族の悲劇を描いたエピソードがイメージされていたのではないか。この回の脚本は柴田夏余。柴田夏余は『タイガーマスク』で濃密な仕事を多数残している。柴田が脚本を執筆するにあたってプロットを捻り、さらに捻り、前回紹介したような話に仕上げたのではないか。
第50話本編を観た後に、第49話についた予告を観てもらいたい。本編の映像を使ったものでありながら、予告では第50話が子供達の悲劇的な境遇を描いたものになっている。本編とはかけ離れたものとなっているのだ。プロデュースサイドが望んだのは、予告で示されたような内容だったのではないか。
僕は第50話を「他人の不幸を娯楽として消費すること」を皮肉を込めて描いたものだと受け止めているが、メタ的には作り手が不幸な境遇にいる人達をモチーフにして悲劇的なエピソードを作ろうとすることや、視聴者がフィクションを通じて他人の不幸を消費しようとする行為に対する皮肉にもなっているのではないか。
●『タイガーマスク』を語る 第6回 第54話「新しい仲間」 に続く
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『タイガーマスク』のドラマについて考える上で、第50話「此の子等へも愛を」、第54話「新しい仲間」、第55話「煤煙の中の太陽」、第64話「幸せの鐘が鳴るまで」が特に重要だ。前回も触れたが、第50話は被爆者家族を、第54話は過保護を、第55話は四日市の公害を、第64話は交通遺児をモチーフにしている。ではあるが、これらのエピソードに注目したいのは社会的な問題を扱った話だから、だけではない。
伊達直人はここまで、不幸な子供達のために自分のファイトマネーを使ってきた。第64話の直人自身の言葉を借りれば、彼は不幸な境遇にいる子供達を幸せにするためにリングの上で戦ってきたのである。だが、その行為にどれほどの価値があるのだろうか。直人がやってきたことは本当に子供達のためになることだったのだろうか。この4本のエピソードは直人の行いに対する疑問を提示する。「伊達直人がいかに無力であるか」を描き、最終的に彼がやるべきことは何なのかに辿り着く。『タイガーマスク』のドラマの中核をなすエピソード群なのである。
ひとつひとつ観ていこう。第50話「此の子等へも愛を」(脚本/柴田夏余、美術/遠藤重義、作画監督/我妻宏、演出/白根徳重)はタイガーがワールドリーグ戦に参戦している時期のエピソードである。舞台となるのは広島だ。ファーストシーンは広島平和記念資料館である。キノコ雲、焼けただれた身体、焼け野原になった街、平和の願いを捧げる母と娘。タイガーは広島平和記念資料館に展示されたそれらの写真を目の当たりにして息を吞む。精巧な原爆ドームの模型が土産物屋で売られていることを知った直人(ここからは伊達直人の姿だ)は模型を手に入れてそれでちびっこハウスの子供達に戦争の悲惨さを伝えたいと考える。だが、土産物屋に模型は残っておらず、それでも模型を手に入れようとする直人は製造元を調べてそこに赴く。模型を作っていたのは玩具会社でもなければ町工場でもなく、長屋暮らしの夫婦だった。
直人は模型を売ってほしいと夫婦に頼み込むが、買い手が決まっているので売ることはできないと断られる。この場合の買い手とは、模型を土産物屋に卸している問屋のことだ。夫婦が作業をしている部屋の中に、赤ん坊が入った籠がぶら下げられている。赤ん坊が泣き出す。どうやら腹を空かせており、オムツも汚れているらしい。しかし、夫婦は赤ん坊の相手をせず、模型を作り続けるのだった。
その後、直人は平和記念公園で幼い兄妹と知り合う。名前は三郎とめぐみだ。直人は兄妹を食堂に連れて行く。彼等は原爆ドームの模型を作っている夫婦の子供だった。模型を作る邪魔になるので、三郎達は昼間は家に帰ることができないのだ。三郎達の母親は被爆者であり、いつ原爆症が発症するか分からない。そのために父親は意地になって模型を作っているのだ。父親は自分達が作っている模型を「平和への祈りの千羽鶴だ」と言っているのだという。ここまでが第50話の前半である。後半ではタイガーの試合があり、更に直人と三郎達、夫婦との関わりが描かれる。
このエピソードには注目したいポイントがふたつある。ひとつは「最後まで伊達直人と被爆者家族夫婦の気持ちが通うことがなかった」という点である。もうひとつが「直人が子供達に嘘をついた」という点だ。
まずは「最後まで伊達直人と夫婦の心が通うことがなかった」ことについて触れよう。他のエピソードなら、直人は旅先で知り合った人々の境遇や悩みを理解し、その上で行動を起こすのだが、この話では最後まで模型を作り続ける夫婦の心中について思い至ることはない。夫婦が赤ん坊が泣いても模型を作る手を止めないのは、そして、自分達の子供の面倒を見る時間を惜しんでいるのは模型作りに対して真剣に取り組んでいるからだ。直人は最後までその必死さに気づかない。戦争をあってはいけないものだと考え、「平和への祈りの千羽鶴」という言葉に胸を打たれはするけれど、それを言った夫の想い、目の前にいる被爆者である妻の気持ちを考えようとはしないのだ。夫婦にとって直人は、最後まで「問屋を通さずに模型を売ってほしいと言う迷惑な観光客」でしかない。
終盤において、直人は夫婦に対して、土産物屋で売っているのと同じ金額で買うから直接売ってほしいと言う。金の力でどうにかしようとしたのだ。どう考えても、その言動は俗物のものだ。このエピソードで、作り手が直人をネガティブに描いているのは間違いないだろう。
「直人が子供達に嘘をついた」について述べる。直人が三郎とめぐみを食堂に連れて行ったのは、母が食事を用意してくれないため、兄妹は外で毎日同じようなものを食べており、めぐみが不満を募らせていたからだ。直人は食事を奢ろうとしたが、三郎は貧しくても他人の世話にはならないという。そこで直人は「100円で食べられる店に行こう」と言って、二人を町の食堂に連れて行った。勿論、100円で食べられるというのは嘘であり、直人は三郎達には分からないようにして、足りない分を支払うのだった。翌日、三郎は数人の友達を連れてその店に行く。彼等は100円で食べられると信じているのだ。彼等がまた食堂に行くのではないかと気づいた直人も店を訪れて、食堂の店員に現金を渡す。これからも彼等に100円で食べさせてほしいというわけだ。以下は劇中で描かれていないことだ。食堂が100円で食事を提供するのは直人が渡した金が尽きるまでだろう。これからも子供達が食堂を訪れ続けるならば、店員はいつか「100円で食事ができるのは嘘だったのだ」と子供達に告げることになるはずだ。自分が騙されていたことを知れば三郎は傷つくだろう。しかし、この話の直人はそこまでは考えが及ばないのだ。
第50話は序盤の平和記念資料館のシーンこそセンセーショナルだが、それ以外は淡々とした語り口で進んでいく。直人が夫婦の心中について思い至らないことについて、劇中で誰かが指摘しているわけではない。三郎達にいつかはバレる嘘をついたことについても、劇中で問題視されてはいない(厳密に言うと、食堂の店員が直人の嘘に対して納得していないことが少しだけ描写されている)。後半で宿題をする場所のない三郎達のために、直人がファイトマネーを使う展開があり、エピソード全体としては直人が活躍したかたちになっている。だから、直人の言動がネガティブなものとして描かれていることに気がつかなかった視聴者は多いはずだ。ではあるが、すっきりとしない読後感を残すエピソードであるのは間違いない。
このエピソードは必ずしも反戦を訴えるものではない。被爆者を登場させて、平和への祈りを込めて原爆ドームの模型を作っていることを描いているのだから、戦争の悲惨さや被爆者の想いを視聴者に提示しているのは間違いないのだが、作劇の力点はそこには置かれていない。三郎の言動が悲観的でないのも重要だ。彼は両親が作る原爆ドームの模型を誇りこそすれ、直人の前で自分達の境遇を嘆いたりはしない。自分の人生や生活を、当たり前のものとして受け止めてるようだ。だから、反戦をテーマにし、戦争の悲惨さを伝える話だと思って観ると面食らうかもしれない。
直人が模型についてどのようなかたちで決着を付けたのかについては、作品を観て確認してもらいたいが、呆れるくらいにあっさりしたものだ。そんなことで済むなら、模型の製造元を訪れる必要はなかったのではないかと思うくらいだ。そして、模型について決着を付けた後、タイガーが(ここでは直人ではなく、タイガーの姿だ)これからのワールドリーグ戦について想いを巡らしたところで、このエピソードは幕を下ろす。ラストシーンにおいて、彼の心中には被爆者家族の不幸も「平和への祈りの千羽鶴」もすでに存在しない。意地悪な言い方をすれば、原爆ドームの模型に決着が付いたところで、彼の反戦に対する想いは一段落してしまったのだ。反戦を訴えるための話だったら、こんな終わらせ方にはしないはずだ。例えば直人が戦争の悲惨さについての想いや反戦についての考えをモノローグで語り、それを視聴者にアピールする。そんなかたちで終わらせるはずだ。
第50話はアニメ『タイガーマスク』全話の中で、最も受け止めるが難しい話であるはずだ。作り手はこのエピソードに込めた全てを理解してもらいたいとは思っていなかったのかもしれない。むしろ、このエピソードを観て、何かひっかかるものを感じてくれればそれでよい。そんなつもりで作ったのかもしれない。ではあるが、何かの狙いがあってこのエピソードを作ったのも間違いないはずだ。以下で、このエピソードについて「解釈」してみたい。
第50話については、色々なかたちで解釈することができる。僕はこれを「他人の不幸を娯楽として消費すること」を描いたものであると受け止めている。そして「不幸な出来事の当事者と第三者の距離感」を描いたものであると考えている。『タイガーマスク』が放映された頃に「娯楽として消費」というような言い回しはなかったはずだ。ではあるが、その概念によって、この話が理解しやすくなる。
直人が戦争についてあってはならないものだと考えて、戦争の悲惨さを子供達に伝えたいと考えたのは間違ったことではないが、それ以降の直人の言動は「安易に他人の不幸を娯楽として消費しようとしている」ものとして描かれている。つまり、浅薄なもの、愚かなものとして扱われている。
しかし、その浅薄さや愚かさは我々が日々実践していることではないか。例えばテレビやネットで世間の不幸を知れば心が動く。それについて何かを言ったり、SNSに書いたりするかもしれない。ではあるが、しばらくすればそのことは忘れてしまう。我々はそれを当たり前のこととしてやっているのではないか。それを「他人の不幸を娯楽として消費している」とは言えないだろうか。報道で知った他人の不幸には心を痛めるが、目の前にいる人の不幸については親身になって考えようとはしない。それもよくあることではないのか。
第50話「此の子等へも愛を」は直人の言動を通じて、我々の「他人の不幸を娯楽として消費すること」や「不幸な出来事の当事者との距離感」を皮肉を込めて描いたものではないのか。
『タイガーマスク』の物語として考えると、第50話は他のエピソードと少し違った視点で伊達直人を描き、彼がそれまでやってきたことに対して疑問を投げかけるエピードであると考えることができる。ハウスの子供達のために原爆ドームの模型を手に入れようとしたのも、三郎達に100円で食事ができると嘘をついたのも、直人がよかれと思ってやったことだ。彼自身は普段と同じように行動しているつもりなのだろう。しかし、第三者の目で見ればそれらは自己満足のための行為でしかない。原爆ドームの模型を手に入れようとしたのが自己満足のためでしかないのなら、これまでのエピソードで彼がファイトマネーを子供達のために使ってきたのも自己満足に過ぎないのではないか。自分の正体を偽ってハウスの子供達に接しているのも、三郎達にいつかはバレる嘘をついたと同様に、つかなくていい嘘をついているだけなのではないか。
つまり、『タイガーマスク』という作品の根本となっている部分について疑問を投げかけたのではないか。そういった意味で第50話「此の子等へも愛を」は問題作であり、異色作である。『タイガーマスク』の全話の中で、最も尖ったエピソードであると僕は考えている。
直人の行動についての結論は、このエピソードでは出ない。ただ、視聴者にモヤモヤとしたものを残すだけだ。
●『タイガーマスク』を語る 第5回「此の子等へも愛を」についてもう少し に続く
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第5クール(第53話~第65話)
第56話から第58話がブラックV関連のエピソードで、この3本はアレンジを加えているが、原作に沿ったものだ(原作ではタイガーの弟分として大谷鉄平が登場するが、アニメではその存在はない)。第5クールで原作を使ったのはこの3話だけで、他は全てオリジナルのエピソードである。
第53話でオリジナルキャラのザ・ミラクルズが登場。彼等は虎の穴の一員であり、第6クール途中までサブレギュラーキャラとして登場する。第61話がオリジナルの敵であるブラックパンサー登場の布石となるエピソードで、第62話でタイガーがブラックパンサーの存在を知り、第65話でブラックパンサーと戦う。
強敵との戦いのエピソードの合間に第55話「煤煙の中の太陽」、第60話「虎とへんくつ医者」、第61話「王将の道」、第63話「めりけんジョー」、第64話「幸せの鐘が鳴るまで」といった「直人と市井の人々とのドラマ」を描いた大人びたタッチの傑作が連続して生み出される。強敵との戦いと「直人と市井の人々とのドラマ」が組み合わされているのが、第5クールのカラーだ。
前回も触れたように第4クールの第52話「此の子等へも愛を」は被爆者家族が登場するエピソードであり、第55話「煤煙の中の太陽」では四日市の公害を、第64話「幸せの鐘が鳴るまで」では交通遺児をモチーフにしている。直人と市井の人々の関係を描いたエピソードではないが、第54話「新しい仲間」は過保護がモチーフだ。この第52話、第54話、第55話、第64話に関しては社会的な問題を取り入れていることが興味深いが、むしろ、この4本のエピソードを通じて「伊達直人の無力」を描き、さらに「一人の人間が恵まれない人達に対してできることは何なのか」というテーマに辿り着いていることが『タイガーマスク』という作品にとって重要だ。第64話が「人間・伊達直人」のドラマのクライマックスである。それについては、このコラムの次回以降で語る予定だ。
第6クール(第66話~第78話)
第6クールは、ここまでのアニメ『タイガーマスク』の集大成として作られたと思われるシリーズだ。全てのエピソードがアニメオリジナルで、原作を使った話は1本も無い。
第6クールでは第14話で登場し、その後、直人を陰で支え続けてきた大門が覆面レスラーのミスター不動としてリングに立ち、第28話で登場してタイガーに対して敵意を抱いてきた高岡拳太郎がイエローデビルとしてタイガーに挑む。虎の穴の三人の支配者がブラックタイガー、ビッグタイガー、キングタイガーのビッグ3であることが判明し、タイガー&ミスター不動はビッグ3と死闘を繰り広げる。ミスター不動も、イエローデビルも、ビッグ3もアニメオリジナルのキャラクターだ。
話数毎に振り返ってみよう。第66話は総集編的な内容で、直人の回想の中でビッグ3の存在が明らかになる。第67話で高岡拳太郎がイエローデビルとしてアメリカで活動を始め、その一方で、タイガーは虎の穴の若きレスラーであるナチス・ユンケル、キングジャガーと、それぞれ第69話、第71話で戦う。第71話ではセコンドに付いていたザ・ミラクルズが試合に乱入し、止めに入った馬場、猪木、他のレスラー達をなぎ倒すという大乱戦の中、観客として試合を見ていた大門が(何と背広姿で)リングに上がり、タイガーと共にザ・ミラクルズを倒す(第71話はシリーズ屈指の痛快エピソードだ)。それをきっかけに第72話から大門はミスター不動として活躍するようになる。
第73話でイエローデビルがタイガーによって倒され、第74話で拳太郎は自分が虎の穴に騙されていたことを知る。そして、拳太郎も虎の穴を裏切り、正統派レスラーのケン・高岡としてリングに立つことになる。孤独な戦いを続けてきた直人だが、ここで大門、拳太郎という仲間を得たのだ。
第75話終盤でビッグ3がタイガーに挑戦状を叩きつける。第77話がタイガー&ミスター不動と、ビッグタイガー&ブラックタイガーのタッグマッチだ。この試合でミスター不動は自らの命を投げ出して、ビッグタイガーとブラックタイガーを葬る。第78話はタイガーマスクとキングタイガーのシングルマッチで、タイガーは激闘の末にキングタイガーを倒すが、その頃、大門は病院で息を引き取っていた。
第75話でビッグ3が物語の全面に出てから第77話までの緊張感、ドラマの盛り上がりは素晴らしいものだ。この数話のために、ここまで物語を積み上げてきたのだろう。第5クールにあれほどあった「直人と市井の人々とのドラマ」が、第6クールでは一切無くなっている点にも注目したい。
第7・8クール(第79話~第105話)
新たに「虎の穴のボス=ミラクル3=タイガー・ザ・グレート」という強敵が設定され、彼との対決に向けて改めて物語が積み上げられていく。虎の穴のボスも、タイガー・ザ・グレートもアニメオリジナルの存在だ。第6クールでは原作を使ったエピソードが一切無かったが、第7・8クールでは原作に登場する敵レスラーや試合をアレンジして使っている。第1クールにあった「虎の穴が差し向けた殺し屋がリングの外で直人を狙うエピソード」が復活するのも第7・8クールの特徴だ。話数としては第85話、第88話、第103話である(3本とも辻真先が脚本を担当)。
それまで謎めいた存在であった虎の穴のボスが、第79話で初めてミスターX達に顔を見せ、タイガーマスク打倒のために直接指揮を取るようになる(なお、それまでにボスが登場したのは第28話、第75話、第78話だ)。ボスは第91話で来日し、覆面レスラーのミラクル3として人々の前に姿を現し、第92話から自分の強さを直人と観客にアピールしていく。そして、第101話で名と姿を変え、タイガー・ザ・グレートとしてリングに立つ。そして、タイガーの弟分として活躍していたケン・高岡を倒すのだった。
ミラクル3は原作に登場する同名レスラーをアレンジしたキャラクターだ。原作のミラクル3も、力と技と反則を兼ね備えたレスラーとしてタイガーの前に立ち塞がるが、実は技に優れたレスラー、怪力のレスラー、反則魔のレスラーが、三人で一人のレスラーを演じていたことが判明。とんだインチキレスラーであった。それに対して、アニメのミラクル3は本当に力と技と反則を兼ね備えたレスラーなのである(ただし、反則の使い手としての実力を見せるのは、タイガー・ザ・グレートとなってからだ)。
第102話で直人は自分がタイガーマスクであることをルリ子に明かし、第103話で直人の宿敵であったミスターXが命を落とす。第104話と第105話(最終回)がタイガーマスクとタイガー・ザ・グレートの決戦だ。流血に次ぐ流血の激闘の中、タイガーはその素顔を人々に曝すことになり、テレビで中継を観ていた健太達も、直人がタイガーであったことを知ってしまう。タイガーは反則の限りを尽くし、タイガー・ザ・グレートを倒す。遂に伊達直人の長い戦いに決着が着いたのだ。しかし、反則を犯してリングを血に染めたのは許されることではない。直人はルリ子や健太達に別れを告げることもせず、日本を去るのだった。
最終回でタイガーマスクの正体が明らかになることの布石が、かなり前から打たれている点にも触れておこう。健太がタイガーの正体を知りたがるのが第80話。第81話と第82話では敵レスラーが、リングでタイガーのマスクを剥がそうとする。再び健太がタイガーの素顔を知りたがるのが第96話で、その時は直人がタイガーと同じ場所に包帯を巻いていることに気づいてしまう。以上を踏まえて第102話、第105話の展開となるわけだ。
ボスがタイガーのウルトラ・タイガー・ブリーカー攻略は容易いと断言したのが第79話、実際に彼がウルトラ・タイガー・ブリーカーを破るのが第104話だ。これも布石を打ってから、実現までに時間をかけた『タイガーマスク』ならではのシリーズ構成だ(余談だが、すでに第73話でイエローデビルがウルトラ・タイガー・ブリーカーを破っている。キングタイガーもその直後に自滅しているとはいえ、第78話でウルトラ・タイガー・ブリーカーを破っており、ボスが初めて破ったわけではない)。
虎の穴のボスの登場からタイガー・ザ・グレートと決戦までが、ヒーローである「伊達直人=タイガーマスク」の活躍を描いた第7・8クールの本筋である。そして、それと並行して、ちびっ子ハウスの個々の子供にスポットが当てられて「みなしごがいかに生きるべきか」が語られる。これが第7・8クールの重要なポイントだ。具体的にはミクロの親戚が見つかり、彼女がハウスを去る第83話。ヨシ坊が裕福な夫婦に引き取られる第89話。クラスメートにみなしごは勉強ができても出世はできないと言われた健太が、そのことを直人に問う第93話。第89話でヨシ坊はハウスに戻っているのだが、第100話では彼の本当の両親が現れる(第20話でも、ヨシ坊の母親が現れているが、その時は人違いであることが分かった。ヨシ坊がハウスを去るかどうかが描かれた話が三度もあるのだ)。第100話のラストにおける直人のモノローグで語られたことが「みなしごがいかに生きるべきか」についての結論であり、それはアニメ『タイガーマスク』における「人間はどのように生きるべきか」についての結論にもなっているはずだ。
『タイガーマスク』は第6クールで完結する予定で制作が進められており、しかし、更なる放映延長が決まって第7、第8クールが作られたのだろう。スタッフ達が第6クールで完結寸前まで進んだ物語を、第7クールで再スタートさせ、次のクライマックスである第8クール終盤に向けて物語を積んでゆき、傑作と評される最終回に辿り着いたことは賞賛に値する。しかし、アニメ『タイガーマスク』の物語が本当の意味で充実しているのは第5クールから第6クールにかけてである。そのことは強く、主張しておきたい。
●『タイガーマスク』を語る 第4回 第50話「此の子等へも愛を」 に続く
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『タイガーマスク』は1969年10月から1971年9月まで放映された。全105話の長大なシリーズだ。
本作はアニメオリジナルのエピソードが非常に多い。序盤は原作に沿ったエピソードをメインとし、間にオリジナルのエピソードを挟むかたちであったが、やがて、オリジナルが中心となり、第6クールでは1本も原作が使われていない。そうなったのは原作のストックが少なく、あっという間にアニメが原作に追いついたためだ。アニメの制作スタッフは、原作のストックが無い状況で長期のシリーズを展開するためにオリジナルキャラクターを生み出し、半年後、1年後を見越して物語を構成している。
クール毎の節目の話数(13の倍数の話数)にクライマックスがくるように構成されている点にも注目してほしい。『タイガーマスク』は何度も放映が延長されており、どこで放映が終わるか分からなかった。そのために1クール毎に(つまり、13話毎に)物語を構成し、各クールの最後が最終回になってもいいようにしていたのだ。
以下で『タイガーマスク』の物語の流れをクール単位で解説する。
第1・2クール(第1話~第26話)
第1・2クールは原作を主軸として、アニメのオリジナルエピソード、オリジナルの描写を加えるかたちで展開する。
第1話のタイガーの帰国から第7話でブラック・パイソンを倒すまでは多少のアレンジはあるが、基本的に原作に沿った展開だ。第6話でタイガーとブラック・パイソンの試合を見るために健太がちびっこハウスを抜け出す。それを追ってリングサイドに姿を現したルリ子は、試合中のタイガーに対して、悪役に憧れる健太を正しい道に導いてほしいと訴える。ルリ子の懇願を受け入れて、タイガーは第7話で反則を使わずにブラック・パイソンに勝利する。これをきっかけにして、彼はフェアプレーの正統派レスラーに転向する。タイガーは虎の穴の裏切り者になった上に、得意の反則を使わないという枷を自分に与えることになったのだ。
オリジナルエピソードの第8話を挟んで、ゴリラマンが登場する第9話と第10話も原作を使用した話。第11話から第22話が「ワールド大リーグ戦」(ただし、途中で「ワールド大リーグ戦」でない試合が挿入される)で、この時期はオリジナルエピソードが多い。
第23話から第26話までが第1・2クールのクライマックスとなる「覆面ワールドリーグ戦」であり、ここは原作に沿った内容(ただし、原作で「覆面ワールドリーグ戦」の試合として行われたスカルスター戦が前倒しになり、第13話で単独の試合として描かれている)。「覆面ワールドリーグ戦」にはミスター・ノー、ゴールデンマスク、ザ・ライオンマンといった個性が際立った覆面レスラーが登場。それ以外にも、ジャイアント馬場が覆面レスラーのザ・グレート・ゼブラとして参戦する等、「覆面ワールドリーグ戦」は見どころが多い。
第1・2クールにおける、アニメのオリジナルエピソードを紹介しよう。直人が恵まれない人達と関わるエピソードが第12話、第19話、第22話だ。第12話では大阪の孤児院の子供達のために傷ついた身体で試合に挑み、第19話では母親の面倒を見るために廃品回収の仕事をしている少年とその周囲の人々と触れ合い、第22話では祖父を捨てて東京に行こうとする漁師町の若者に希望を与える。
同じくオリジナルで「虎の穴が差し向けた殺し屋が、リングの外で直人を狙うエピソード」が第8話、第15話、第20話。その中の第8話は奇抜な展開が多い異色編だ。刑事ドラマ風の第17話では、ひき逃げ犯人を探し出すために直人と健太が活躍する(脚本は後にミステリ作家となる辻真先だ)。
オリジナルキャラクターで、後にサブレギュラーとなる嵐老人が初めて登場するのが第11話。同様に重要な存在となるオリジナルキャラの大門大吾の初登場が第14話。原作にもいるキャラクターだが、第14話では虎の穴の3人の支配者も登場。大門大吾とタイガーが試合をするのが第18話だ(大門はこの話数で第72話以降と同じ不動明王のマスクを付けてリングに上がっているが、ミスター不動の名前は使っていない)。
第3クール(第27話~第39話)
第27話は「覆面ワールドリーグ戦」の後日談だ。第28話、第29話、第30話がアニメオリジナルで、第31話、第32話、第33話は原作に戻って、アポロン兄弟との対戦と必殺技ウルトラ・タイガー・ドロップの完成を描く。第34話と第35話はアニメオリジナルで、第36話から第39話は原作に戻り、インドを舞台に「全アジアプロレス王座決定戦」を描く。第39話がタイガーとミスター?(クエスチョン)の対決で、これが第3クールのクライマックスとなる。
後にイエローデビルとなる高岡拳太郎の初登場が第28話で、彼にスポットが当たるのが第34話。拳太郎はミスターXに騙され、母親がタイガーのために死んだと思い込む(タイガーとイエローデビルの戦いが描かれるのは、10ヶ月後に放映される第73話である。『タイガーマスク』のシリーズ構成のスケールは凄まじいほどに大きい)。
第3クールには実在のレスラーの半生を描いたドキュメンタリータッチのエピソードが二本ある。第30話「不滅の闘魂『力道山物語』」、第35話「チャンピオンへの道 -G・馬場の苦闘-」である。
第4クール(第40話~第52話)
第40話から第43話はインドから凱旋したタイガーが強敵・赤き死の仮面と戦うまで。オリジナルエピソードを挟んでいるが、この部分は原作の映像化だ。赤き死の仮面との死闘で反則を使ってしまったタイガーは、原作でもアニメでも再び海外に旅立つ。原作ではパリの地下プロレスでミスター・カミカゼやマップマンと戦うのだが、アニメでは第44話においてロサンゼルスでミスター・カミカゼと出会い、第45話ではドイツのハンブルグ、第46話ではモナコ、第47話でフランスのパリと、ヨーロッパを転戦。そして、第49話でロサンゼルスに戻ってミスター・カミカゼと対戦する。原作でもアニメでもミスター・カミカゼとの対戦で第2の必殺技ウルトラ・タイガー・ブリーカー(原作では技の名称がフジヤマ・タイガー・ブリーカーである)を完成させることになる。ミスター・カミカゼと対決に至るこの部分は地下プロレス界を舞台にした暗い雰囲気の原作と、各国で現地の人々と交流していくアニメのギャップが激しい。
帰国後第一戦の第49話は原作をアレンジしたエピソード。第50話、第51話、第52話はオリジナルだ。第49話から第52話では「第13回ワールドリーグ」の模様が描かれており、タイガーは第52話で第4クールの掉尾をワールドリーグ優勝で飾る。
第50話が被爆者家族が登場する「此の子等へも愛を」だ。このエピソードから「直人と市井の人々とのドラマ」を描いたアニメオリジナルの傑作エピソードが続出することになる。
●『タイガーマスク』を語る 第3回 第5クール~第8クール に続く
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このコラムでは『タイガーマスク』について書く。1969年から1971年に放映されたTVアニメ『タイガーマスク』についてだ。
僕が「『タイガーマスク』について書きたい」と思うようになったのは10年くらい前のことだ。DVD BOXの解説書等でこの作品について何度か文章を書いているが、自分の原稿として、まとまったかたちで書きたいと思ったのだ。時間に余裕がある時に色々と調べてから書くつもりだったが、そんな「いつか」はこないかもしれない。それに気がついたので、今、書き始める。充分な調査をして執筆するわけではないので、少し粗い原稿になるかもしれない。
『タイガーマスク』を「虎のマスクをかぶったヒーローが、怪人的な覆面レスラー達と戦いを繰り広げる荒唐無稽なプロレスアニメ」だと思っている人は多いと思う。それは決して間違っていないし、それも本作の魅力ではあるのだが、それだけではないのである。『タイガーマスク』にはハードボイルドタッチの「大人のためのドラマ」という一面がある。そして、「人間はどのように生きるべきか」といったテーマに対して真摯に向き合って作られた作品でもある。巧みに計算されたシリーズ構成の妙についても、多くの人に知ってほしい。
本作には作画や演出、音楽等、様々な見どころがあるが、今回からのコラムではその中の、主に物語について語ることになる。決して、アニメ『タイガーマスク』の全てを語るものではない。それについても先にお断りしておく。
この作品は放映当時に大変な人気であったにも関わらず、その後、あまりにも語られる機会が少ない。同時期に放映された同じ梶原一騎原作の『巨人の星』(1968年~1971年)と『あしたのジョー』(1970年~1971年)に比べても語られることが少ない。それが「『タイガーマスク』について書きたい」と思ったきっかけのひとつだ。
『タイガーマスク』について触れられる時に、ポイントになることが多いのが「最終回が凄い」である。確かに最終回は素晴らしい出来だ。しかし、最終回以外にも素晴らしいところは沢山ある。最終回だけで『タイガーマスク』を語ったことにされるのを、僕は非常に残念に思ってきた。
「被爆者や公害といった社会的なテーマを描いたエピソードがある」と言われることもある。確かにそれらのエピソードは『タイガーマスク』の中でも重要なものであるのだが、重要なのは被爆者や公害を扱っているからではない。これも是非とも書いておきたいポイントだ。
作品の概略について説明する。『タイガーマスク』は同名マンガを映像化したTVアニメである。マンガ「タイガーマスク」の原作は梶原一騎、作画が辻なおきだ。当初は雑誌「ぼくら」に連載され、後に「週刊ぼくらマガジン」「週刊少年マガジン」で連載されている。アニメを制作したのは東映動画(現・東映アニメーション)だ。これは他の当時の東映動画作品も同様ではあるのだが、監督に相当する演出家は存在しない。これはシリーズ全体を統括する監督がいないという意味であり、各話の演出家がそれぞれ自分の担当話数を監督していると考えてほしい。シリーズ構成にあたる仕事は、プロデューサーの斉藤侑が担っていたようだ。番組開始時のキャラクターデザインは木村圭市郎が担当。『タイガーマスク』の作画は斬新なものであり、後のクリエイターや作品に多大な影響を残している。各話の作画スタッフの仕事も素晴らしい。
物語の導入部分についても触れよう。主人公の伊達直人は孤児であり、ちびっこハウスという孤児院で育てられていた。しかし、ちびっこハウスは借金を抱えており、解散することになる。孤児達が他の施設に引き取られる前の日に彼等は上野動物園に行き、そこで虎を見た直人は「虎のように強くなりたい」と願う。虎のように強くなって、悪い大人達をやっつけたいと考えたのだ(アニメの第1話のこのシーンで、直人は孤児院のことを誉めていた大人達の偽善についても言及している)。動物園で皆の前から姿を消した直人は「虎の穴」に拾われる。虎の穴とは悪役レスラーを世界中のプロレス界に送り込んでいる世界規模の秘密組織だ(なお、アニメの第1話では悪役レスラーを育てているのは虎の穴の活動のひとつであると、ジャイアント馬場が語っている)。
10年の月日が流れた。虎の穴で特訓の日々を乗り越えた直人は、反則を得意とする覆面レスラーのタイガーマスクとして、アメリカのプロレス界で悪名を馳せていた。直人は久しぶりに帰国し、懐かしのちびっこハウスを訪れる。ちびっこハウスは前院長の子供であり、直人の幼馴染みでもある若月先生とルリ子の兄妹によって再建されていた。しかし、直人が訪れた時、ちびっこハウスは借金のために立ち退きを迫られていた。10年前と同じ状況になっていたのだ。虎の穴には所属するレスラーがファイトマネーの50%を虎の穴に納めなくてはいけないというルールがあった。そのルールを破った者には死の制裁が待っている。だが、直人はちびっこハウスを救うために今まで貯めたファイトマネーを使ってしまい、さらに次の試合のファイトマネーもちびっこハウスのために使わざるを得ない状況となる。ファイトマネーを納めることができなかった直人は、裏切り者として虎の穴に命を狙われることになってしまった。直人はタイガーマスクとして、虎の穴が送り込んでくる怪人的な覆面レスラーと戦い続けることになる。
ちびっこハウスの子供達はタイガーマスクのファンであり、中でも元気で生意気な健太は熱烈なファンだ。直人は自分がタイガーマスクであることが知られれば、彼等に危険が及ぶかもしれないと考えたのだろう。ルリ子やちびっこハウスの子供達に対して、自分がタイガーマスクであることを隠している。直人は裕福ではあるが頼りない青年を演じており、ちびっこハウスの子供達は彼を「キザにいちゃん」と呼んでいる。なお、ちびっこハウスの健太以外の子供はガボテン、ヨシ坊、チャッピー。他にも何人もの子供がいる。シリーズ中にちびっこハウスに加わるのがミクロと洋子だ。
他のレギュラーのキャラクターは虎の穴のマネージャーであり、直人にとっての宿敵となるミスターX。実在のプロレスラーであり、タイガーマスクのよき先輩であるジャイアント馬場。そして、アントニオ猪木である。
次回はシリーズ全体の物語の流れについて触れることにする。なお、この一連のコラムではキャラクター名の「タイガーマスク」を「タイガー」と、「ちびっこハウス」を「ハウス」と省略することがある。本編でもそのように省略されることが多いのだ。主人公の名前を直人と表記する場合は伊達直人として行動している場面、タイガーマスク(タイガー)として表記されている場合はタイガーマスクとして行動している場面だと思っていただきたい。また、固有名詞の表記は同作DVD BOX、単体DVDソフト(DVD‐COLLECTION)の解説書に準ずることとする。
また、ここまで読まれて作品を興味を持たれた方は、次回以降のコラムを読む前に『タイガーマスク』本編をご覧になってもいいかもしれない。『タイガーマスク』は2024年5月現在、Amazon prime videoのアニメタイムチャンネルで全話を視聴することができる。
●『タイガーマスク』を語る 第2回 第1クール~第4クール に続く
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いや、決して仕事を受け過ぎたつもりはありません(汗)!
いつも、いただいた仕事に対していろんな可能性が見えてしまうんです。だから「お受けできません」ではなく、「こうすればできると思います」と、“やる”前提で話します。すると、現状の板垣が仕上がるという訳。
この歳になると集中力が益々散漫になって、一つのことを何時間も集中してやり続けることが難しく、そんな時別の仕事(作品)に頭を切り替えるのです。例えば原画修正などの画を描き行き詰まると、脚本やプロットなどのテキスト作業を1~2時間やったり、その後オープニングのコンテ切る、で合計一日とか。
子供の頃から現在まで、大概のモノに飽きっぽい俺。今までで一番辛かったのは、仕事が監督一本しかなく、キャリアが浅くヒット作がないという政治的理由から、自分の監督作品なのに脚本にも参加させてもらえなかった頃の脚本上り待ち時間の暇。当時のプロデューサーから「まあ、監督には“待ち時間”てのがあるもんで」と窘められた、というか俺の主義として義理を欠きたくないので、さらなる仕事を重ねる場合、現在受けてる仕事のほうのプロデューサーに必ず断りを入れるのですが、入れたのが仇になり了解が得られず、ユル~い暇ができてしまったという訳。
本来「これに一本集中させてくれよ! それでいて拘束料くれよ!」という監督の方が多いかと思いますが、俺の場合は「拘束料は要らないから、仕事の隙間を埋めてくれよ!」なんです。ま、ミルパンセができてからは、自分にくる仕事が基本“会社の仕事”になってるため、シリーズ構成・脚本や音響監督、はたまた背景の直しまで、隙間を空けるどころか、今度は溢れんばかりの仕事量をやらせてもらってます。
そんな訳で、制作中2本、脚本・シリーズ構成中2本、その他準備中1本、の今。
と、そこへまた届きました!
ぴあの『劇場版あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK』が!
1981年の出﨑統監督作品! 板垣をアニメの世界に誘(いざな)った大傑作です! この映画で「アニメって凄い!!」と思い、“出﨑統”という名前を覚え、“監督”と言う職業があることを知りました。ビデオレンタルで何度も借り、レーザーディスクからDVD、そしてノーマルのBlu-rayから4K ULTRA HD Blu-ray、さらに今回ぴあDVDと、出る度買ってしまう俺がいます。
“ぴあ”シリーズ、毎回楽しみのブックレット。唯一劇場版のみの“砂浜〜足跡シーン”のコンテや原画+作監修正、杉野昭夫インタビューと今回も見所満載でした!
次巻は『劇場版ガンバの冒険』!! “東京ムービー新社(現:トムスエンタテインメント)版・劇場出﨑アニメ”編、まだまだ続きますように!
5月4日(土・祝)と5日(日・祝)の2日連続で、新文芸坐とアニメスタイルの共同企画で上映プログラムを組みました。
新文芸坐とアニメスタイルの共同企画による上映プログラムは今年で15周年、アニメスタイル編集部は今年で25年目。それを記念しての特別企画です。
5日(日・祝)は「【新文芸坐×アニメスタイル vol. 176】破格の超大作OVA ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日」。コンセプト、映像、音楽、キャスト、全ての点において破格であり、今川泰宏のケレン味と趣味性が遺憾なく発揮されたOVAシリーズです。新文芸坐×アニメスタイルの企画では、今までも何度かオールナイトでこの作品の全話上映を行っていますが、今回は昼間の上映。勿論、全7話を一挙上映します。
今回はスタッフのトークはありません。アニメスタイルの小黒編集長と、新文芸坐の花俟良王さんが、上映前にご挨拶として少しお話をさせていただきます。
チケットは4月28日(日)から発売します。チケットの発売方法については新文芸坐のサイトで確認してください。
●関連リンク
新文芸坐オフィシャルサイト
http://www.shin-bungeiza.com/
【新文芸坐×アニメスタイル vol. 175】今 敏が描いた華麗なる騙し絵 『千年女優』
http://animestyle.jp/2024/04/24/26934/
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【新文芸坐×アニメスタイル vol. 176】 |
開催日 |
2024年5月5日(日・祝)13時35分~20時20分 |
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会場 |
新文芸坐 |
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料金 |
3000円均一 |
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上映タイトル |
『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』全7話(1992-1998/339分/BD) |
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備考 |
※トークショーの撮影・録音は禁止 |
●関連サイト
新文芸坐オフィシャルサイト
http://www.shin-bungeiza.com/
5月4日(土・祝)と5日(日・祝)の2日連続で、新文芸坐とアニメスタイルの共同企画で上映プログラムを組みました。
新文芸坐とアニメスタイルの共同企画による上映プログラムは今年で15周年、アニメスタイル編集部は今年で25年目。それを記念しての特別企画です。
4日(土・祝)は「【新文芸坐×アニメスタイル vol. 175】今 敏が描いた華麗なる騙し絵 『千年女優』」です。『千年女優』は今 敏監督の手がけた傑作長編アニメーション。今回は4Kデジタルリマスター版での上映となります。
このプログラムではスタッフのトークはありません。アニメスタイルの小黒編集長と、新文芸坐の花俟良王さんが、上映前にご挨拶として少しお話をさせていただきます。
当日はアニメスタイルの新刊「千年女優 アーカイブス」を、本田雄さんの描き下ろしによる複製ミニ色紙付きで販売します。
チケットは4月27日(土)から発売します。チケットの発売方法については新文芸坐のサイトで確認してください。
●関連リンク
新文芸坐オフィシャルサイト
http://www.shin-bungeiza.com/
【アニメスタイルの新刊】「千年女優 アーカイブス」を刊行します!
http://animestyle.jp/news/2024/04/13/26861/
【新文芸坐×アニメスタイル vol. 176】破格の超大作OVA ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日
http://animestyle.jp/2024/04/24/26938/
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【新文芸坐×アニメスタイル vol. 175】 |
開催日 |
2024年5月4日(土・祝)16時35分~ |
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会場 |
新文芸坐 |
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料金 |
一般 1700円、各種割引き 1300円 |
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上映タイトル |
『千年女優』4Kデジタルリマスター版【4K上映】(2001/87分) |
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備考 |
※トークショーの撮影・録音は禁止 |
●関連サイト
新文芸坐オフィシャルサイト
http://www.shin-bungeiza.com/
なんか、仕事を受け過ぎたみたいです(汗)!
でも、信じられない方がいらっしゃるかと思いますが、やりたくない仕事はやっていません。
と言うか、これも同じく信じていただけないかも知れませんが、
どんな仕事でも真剣に取り組むと“やりたくてやってる仕事”になる!
のです。
とにかく、そんな訳で決められた労働時間いっぱいいっぱい仕事三昧。なんだかんだ言って30年アニメやってこられただけで幸せ者なのでしょう。
願わくば、将来寿命が尽きる瞬間まで「アニメ作り続けてよかった!」と思っていられることを……。
腹巻猫です。4月13日にめぐろパーシモンホールで開催された「カレイドスター音楽祭 〈20周年の すごい究極 オーケストラコンサート〉」に参加してきました。クラウドファンディングで支援者を集めて実現した、ファンによるファンのための音楽祭です。窪田ミナさん作曲のBGM50曲以上をオーケストラが演奏。ホールに響く音に出演者とファンのカレイドスター愛を感じたイベントでした。いつか第2回を期待します。
2024年1月期のTVアニメの中で筆者が気に入って観ていた1本が『道産子ギャルはなまらめんこい』。伊科田海の同名マンガをアニメ化した作品である。
東京から北海道北見市に引っ越してきた男子高校生・四季翼は、引っ越し初日に金髪ギャル風の少女・冬木美波と出会う。美波は翼が転校した高校の同級生だった。慣れない土地の生活に不安を覚えていた翼だが、開放的で人懐っこい性格の美波のおかげで北海道のよさを知るようになり、しだいに友だちを増やしていく。
美波以外にも、一見クールなゲーム好き美少女・秋野沙友理、美波が憧れる学年トップの先輩・夏川怜奈など、個性的な少女が翼に接近してくる。ラブコメといえばラブコメなのだけど、コミカルなエピソードを重ねる中で、翼と周囲の少女たちが成長していく姿が描かれているのがとてもさわやかで気持ちよかった。
実在するスポットや食べものなども登場し、「北海道に行きたい!」と思わせてくれるのもいい。筆者が北海道に行ったのは3回くらいで、北見は未体験。機会があれば聖地巡礼してみたい。
音楽はピアニスト、作・編曲家の高尾奏之助が担当。アニメを観ながら、透明感のある素敵な音楽だなあと思っていた。サウンドトラックであらためて聴いて、知的に組み立てられた音楽でもあると感じた。
サウンドトラック・アルバムのライナーノーツに、高尾奏之助がコメントを寄せている。それによれば、打ち合わせで「ギャルであることを前面に押し出すというよりも、高校生の青春と優しい雰囲気を大切にしたい」と方向性が決まり、そのイメージを求めて、弦、木管、ピアノ、パーカッション、アコースティックギターなどの生楽器を中心に音楽を作っていったという。「北海道の寒さと、それとは対照的に、そこに生きるキャラクター達の青春の温かさがそれぞれの温度感で伝わればいいな」という想いで作曲を進めたそうだ。
こだわったポイントとして、「日常曲のにぎやかさとポジティブ感を演出するためにブルーズ・ジャズ感のある音使いを忍ばせたこと」「弦楽器メインの曲では雰囲気をライトなクラシックにおさめ、メロディーだけでなく内声の動きでもキャラの心情の繊細さを表現したこと」「木管系では気温の寒さ、儚さ、温かさをフレーズによって使い分けたこと」などを挙げている。理論的な裏づけのある曲作りはクラシックを学んだピアニストらしい。
といっても曲が難しいわけではない。とてもわかりやすく、親しみやすく、どの曲もイメージがくっきりしている。曲に託された雰囲気や感情がしっかり伝わる曲ばかりだ。なまら知的でエモい。そんな音楽である。
本作の放送中に、エフエム北海道で「道産子ギャルはなまらめんこい 〜どさこいラジオ〜」なる番組が毎週オンエアされた。アニメの声優やスタッフが毎回交代でパーソナリティを務める番組で、その第4回に高尾奏之介が出演している。そこで高尾が語った内容も興味深いので紹介しよう。
高尾が劇伴作りで大事に考えていることは「その物語がどういう世界にあって、どんなキャラクターがそこで生きていて、それぞれが何を考えているのか」。それをしっかり理解して全体の楽器編成や音楽スタイル、ジャンルなどを決めていく。本作の場合は、原作を読み、「翼のにぎやかな日常とヒロインたちの抱えている心模様を魅力的に演出するには、どういう音楽をつけたらいいのか」を考えて曲を作っていったという。「音楽で作品の世界観が決まってくると思う」とまで高尾は言っている。
本作のサウンドトラック・アルバムは「TVアニメ『道産子ギャルはなまらめんこい』オリジナルサウンドトラック」のタイトルで2024年3月6日にポニーキャニオンから発売された。収録曲は以下のとおり。
収録時間はたっぷり74分。劇中で流れたBGMは、ほぼすべて収録されている。
アルバムの序盤は本編の第1話、第2話の流れを踏襲している。翼が美波と出会い、学校と北見の街になじんでいくまでが、音楽で綴られる。中盤にはさゆりや怜奈のエピソードで印象深い曲が現れ、終盤はエモーショナルな展開になって終わる。全12話の物語をふまえた内容になっているのがいい。
トラック1〜10は第1話を思わせる構成。1曲目の「冬の寒い地へ」は冬の北海道をイメージさせる曲。キラキラした音色のピアノやパーカッションと木管のアンサンブルが雪の舞う情景を思わせる。この曲は第1話では使われていないが、物語の導入にはぴったりだ。
トラック2「道産子ギャルはなまらめんこい メインテーマ」はタイトルどおり本作のメインテーマ。ピアノと木管のイントロから軽やかに舞い踊るようなメロディに展開する。高尾奏之助は本曲について「メロディーの音の跳躍が激しいのは、キャラクターの心の弾み具合を表現したいと思ったから」と語っている。またバックにはボディパーカッション(手・足・体などを叩いて出す音)が使われている。これはにぎやかさを演出するねらいで入れたのだそうだ。第1話のアバンタイトル、翼が雪の積もった道で美波と出会う場面から使用されている。
トラック3「なんて攻撃力してるんだ!!」は翼から見た美波の印象を伝える曲。ジャズ風のブルージーな曲調がおかしみをかもしだす。第1話の使用順だとトラック8「平穏であったかい時間」のあと、翼が学校の教室で美波と再会する場面に流れるのだが、「美波登場!」のイメージでここに配置されているのだろう。アルバムの流れとしてはこのほうがいい。
トラック4〜10までは第1話の翼と美波の出会いから教室で再会した2人が一緒に帰るまでの一連のシーンに使用されている。コミカルな「トホホに帰して」「なんだこの状況は!?」「寒い!寒すぎる!!」は翼が動揺するシーンによく使われた曲。「その言葉に胸がジーンと」「トキメキと、ありがと……」「平穏であったかい時間」はほのぼのしたシーンや心がほっこり温かくなるシーンによく流れた曲だ。どれもシンプルな楽器編成と構成ながら、タイトルどおりのイメージがストレートに伝わってくる。
トラック10の「はずむ会話と足取り」は毎回のように使用された軽快な曲。翼と美波たちの会話シーンによく選曲されていた。
トラック11〜13は第2話の終盤に連続して使われた曲。美波と一緒にかまくらに入っているところを厳しい祖母に見られた翼(「うきうきな北見的日常」)。美波との仲もこれまでかと落胆するが(「ごめん、じゃあね……」)、気を取り直して美波に素直な気持ちを伝える(「大切な友達だと思ってるから」)。翼の心情の変化が伝わる巧みな音楽演出だ。ハンドクラップを取り入れた「うきうきな北見的日常」は翼が同級生と遊ぶシーンなどによく使われた。
本作の音楽は、大きく分けるとコミカル系、にぎやか系、ほのぼの系の3タイプがある(もちろん、このいずれにも当てはまらない曲もある)。コミカル系では、ほかに「翼の赤面」(トラック19)、「ふ、冬木さん!?」(トラック20)、「やばいやばいやばい!」(トラック24)、「思春期的葛藤」(トラック26)、「心拍数、上昇」(トラック37)などがあり、微妙なニュアンスの違いを書き分けているのがうまい。実際に使用されたシーンも曲タイトルと合致している。選曲家にとって、曲のねらいと曲の印象のあいだにずれのない、使いやすい曲なのだろう。
にぎやか系の曲には「今日もみんなで元気よく」(トラック14)、「陽気な気分で」(トラック15)、「楽しみは一緒に」(トラック17)、「愉快軽快ダイジョブかい?」(トラック31)などがある。どれもバンドセッション的な躍動感が気持ちよく、本作らしいなあと思う曲だ。中でも「陽気な気分で」と「愉快軽快ダイジョブかい?」は使用頻度が高かった。
ほのぼの系では、「その気持ちが嬉しくて」(トラック23)、「ちゃんといい街なんだなーって」(トラック25)、「あの頃の思い出」(トラック30)、「安心、その先で」(トラック33)などが翼と美波たちの友情のシーンによく使われていた。しみじみといい曲である。
アルバムの後半になると、切なさやためらいなどを表現する心情曲が多くなる。本作の青春ものの側面を象徴する楽曲たちだ。
「ぽつりぽつりと、新たな一面」(トラック22)は、木管、ピアノ、パーカッションなどが思春期の複雑な心情を描写するドビュッシー風の曲。第3話のリフトの上で語らう翼とさゆりの場面や第12話の美波が眠っている翼の顔を見つめる場面などに使われ、絵やセリフだけでは表現しきれない想いを描写していた。
「自分と向き合い憧れて」(トラック35)は第8話で怜奈が翼に「私はいつも人の評価を気にしている」と意外な弱さを見せる場面に流れた曲。ピアノとアコースティックギターとストリングスが繊細な心情を演出する。第11話で美波が翼に「海外留学するんだ」と打ち明ける場面にも使われた。
「あふれる想いと涙」(トラック36)は数少ない悲しみの曲のひとつ。第11話で美波との距離が遠くなったように感じる翼の心情を彩った。第12話では翼が美波と会いに行くことをためらう場面に流れている。ピアノとアコースティックギターをバックに奏でられるクラリネットの旋律が切なく響く。オーボエやフルートだと悲しくなりすぎるところだが、ぬくもりのあるクラリネットの音色が選ばれているところが絶妙である。
「はやる想いはめんこい君へ」(トラック40)はメインテーマの変奏で、もどかしや切なさを感じさせるアレンジ。曲後半のクラリネットのアドリブが乱れる心を表しているようだ。第12話で翼が美波のヘアピンを握りしめて会いに行くことを決意する場面に一度だけ使われた。
第12話の美波が空港で翼が来るのを期待して待つ場面には「ほんとの気持ちは、どっち……?」(トラック38)が流れている。これもメインテーマのモチーフを使った曲で、たゆたうような木管の旋律がゆれ動く気持ちを表現している。第5話で美波がさゆりから「翼にガチのチョコをあげないのか?」と聞かれる場面にも使われたのが音楽的伏線になっていた。
アコースティックギターとストリングスによる「くもり後、笑顔」(トラック21)は第12話で翼が美波に自分の想いを伝える場面に流れた曲。それに続く、翼が旅立つ美波を見送るシーンでは、ドラマティックな構成の「やっと本音を、言えたから」(トラック29)が流れて2人の感情が交錯するクライマックスを盛り上げた。
最終話のラストシーンに流れたのは「道産子ギャルはなまらめんこい メインテーマ」だったが、アルバムの締めくくりの曲はメインテーマアレンジの「やっぱり道産子ギャルはなまらめんこい」(トラック41)。テンポのゆったりした演奏が大団円を思わせる。この曲は第7話の翼と怜奈の和服デートのシーンや第11話アバンタイトルの美波がメイクするシーンなどに使われていた。
トラック42「真夜中のひまわり -Inst ver.-」は第5話で美波がカラオケルームで歌っていた曲のカラオケ。ボーナストラック的な収録だ。そのピアノアレンジ版がトラック28の「真夜中のひまわり -Piano ver.-」。こちらは第5話で翼がピアノを弾いて美波を励まそうとする場面に現実音楽として使われた。こういう曲はサントラ盤ではオミットされてしまいがちなのだが、ちゃんと収録されているのがうれしい。
高尾奏之助は30分枠のTVアニメの音楽を手がけるのは本作が初めてだったそうだ。そうとは思えないほど完成度の高い充実した内容の音楽である。高尾は何話分かのダビング作業にも参加したという。筆者は常々、作曲家もダビングに参加したほうがよいと思っているので、それを知って感心した。これからどんな音楽を聴かせてくれるか、楽しみな作曲家だ。
TVアニメ『道産子ギャルはなまらめんこい』オリジナルサウンドトラック
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