第142回アニメスタイルイベント
アニメの作画を語ろう 2018年春

 2018年3月4日(日)に開催するイベントは「アニメの作画を語ろう 2018年春」だ。第一線で活躍するアニメーターの方達に、様々な角度からアニメの作画について語っていただく企画である。

 ゲストとして予定しているのが、井上俊之、平松禎史、coosun。イベントは3部構成で、第1部は「磯光雄の作画を語る! PART2」だ。このパートでは井上俊之、coosunに、磯光雄の作画について大いに語ってもらう。昨年9月に開催した「第135回アニメスタイルイベント 磯光雄の作画を語る!」からさらに踏み込んだディープなトークに期待してほしい。
 第2部は井上俊之、平松禎史の最近の仕事についてトークを展開。第3部はフリーテーマとなる予定だ。盛り沢山な内容でお届けしたい。

 今までのイベントと同様に、トークの一部を「アニメスタイルチャンネル」で配信する。会場は阿佐ヶ谷ロフトA。また、会場では「磯光雄 ANIMATION WORKS vol.2」をはじめ、「平松禎史 アニメーション画集」 「平松禎史 SketchBook」など、アニメスタイルの書籍を販売する予定だ。前売りについては決まり次第お伝えする。

■関連リンク
アニメスタイルチャンネル
http://ch.nicovideo.jp/animestyle

第142回アニメスタイルイベント
アニメの作画を語ろう 2018年春

開催日

2018年3月4日(日)
開場18時 開演19時 終演22時予定

会場

阿佐ヶ谷ロフトA

出演

井上俊之、平松禎史、coosun、小黒祐一郎

チケット

前売1500円 当日1800円(共に飲食別・要1オーダー)

■アニメスタイルのトークイベントについて

 会場となる阿佐ヶ谷ロフトAはトークライブができる居酒屋。入場料(今回は前売1500円、当日1800円)とは別に飲食(最低でもドリンク1杯)をお願いしている。ソフトドリンクもあるので、未成年の方でも大丈夫。 アニメスタイル編集部が開催する一連のトークイベントは、イベンターによるショーアップされたものとは異なり、クリエイターのお話、あるいはファントークをメインとする、非常にシンプルなものだ。出演者のほとんどは人前で喋ることに慣れていないし、進行や構成についても至らないところがあるかもしれない。その点は、あらかじめお断りしておく。

【ARCHIVE】 「この人に話を聞きたい」
第127回 片渕須直


●「この人に話を聞きたい」は「アニメージュ」(徳間書店)に連載されているインタビュー企画です。
このページで再録したのは、2010年1月号掲載の第百二十七回のテキストです。




公開中の『マイマイ新子と千年の魔法』は、昭和30年代の山口県防府市を舞台に、少女たちの生活や想いを瑞々しく描いた劇場アニメーション。『アリーテ姫』や『名犬ラッシー』を手がけた片渕須直監督の作品らしく、細部に至るまで作り込まれており、表現力は非常に高い。昭和30年代と千年前の世界がアイデアを始め、トリッキーな構成になっているのも印象的だ。今回はこの映画を入り口にして、片渕監督の作家性に迫る取材となった(映画を観てから読むのお勧めします!)。




PROFILE

片渕須直(Katabuchi Sunao)

 1960年(昭和35年)8月10日生まれ。血液型A型。大阪府出身。日本大学芸術学部映画学科でアニメーションを専攻。在学中に『名探偵ホームズ』に脚本、演出助手として参加し、卒業後、テレコム・アニメーションフィルムに入社。『LITTLE NEMO』の監督補佐等を経て、フリーに。初監督は名作劇場『名犬ラッシー』。他の監督作品に、現代性を帯びたファンタジー『アリーテ姫』、過激なアクション物『BLACK LAGOON』がある。最新作は、現在公開中の劇場アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』。2010年には、OVA『BLACK LAGOON 3rd season』のリリースが予定されている。

取材日/2009年11月4日 | 取材場所/東京・マッドハウス | 取材・構成/小黒祐一郎





―― 僕の方から話を始めていいですか。

片渕 はい。

ーー 『マイマイ新子と千年の魔法』を試写で拝見しました。『名犬ラッシー』で片渕さんを意識して以来、僕が片渕さんが作ってほしいと思っていた作品に、かなり近いと思いました。瑞々しくて、丁寧に作られている。そして、表現が豊か。だけど、観る分にはいいけれど、これを売るのは大変だろうなと思いました。

片渕 ま、それはみんな一度は言いますよね(苦笑)。

ーー 今回はどうして『マイマイ新子』がああいった内容になったのかと、片渕さんの作品に対する考え方についてうかがえればと思います。

片渕 最近、宣伝絡みでメイキングの記事とかをやり始めて、昔、自分でメモしたものとかをひっぱり出して見てるんですけど、STUDIO4℃で仕事している僕のところに、マッドハウスの丸山(正雄)さんからメールが来たのが(注1)、2004年の10月だったんです。それが『マイマイ新子』という小説の映像化の企画が上がっているというものでした。原作が刊行されたのが2004年の9月で、刊行と同時に、マッドハウスの丸田(順悟)さんが目をつけて(注2)、企画にしたわけなんです。当時のマッドハウスには変わった企画があって、多分、僕はマッドハウスで初のアートアニメの短編をやっているはずだった。

ーー アートアニメですか?

片渕 うん。ある絵本の映像化をマッドハウスが買っていたんですよ。ただ、不況の影響でスポンサーに乗ってもらえない現状になっているんですけどね。そんな風にマッドハウスが、新しいジャンルに手を広げようとしている頃で、そのひとつとして『マイマイ新子』も出てきたんです。

ーー 丸田さんが、子供向けの作品を狙って企画を立てた?

片渕 「子ども時代の瑞々しさ」を描く映画を作りたくなったんだ、と。原作の中に、自分が子どもの頃に見た情景に似たものがあったらしいんです。でも、こちらとしては……なんだろうなあ、子どもがただ遊んで、何かを体験して、そういう事でいいのか、そう思い始めたんですよ。最近「奇跡」って言葉を使うのが、自分の中で流行りなんですけど、奇跡が起こらなくていいの? と思ったんです。自分は、いい意味でのファンタジーである事を求めてアニメーションをやっているつもりなんだけど、起こる事が全部現実的なことで終始しちゃっていいのかな。自分が観客の立場になった時に、そういう映画で納得できるのかな……と考えたわけなんですね。それで、どんなアプローチができるかで、自分がこの作品をやれるかやれないかが決まるなと思ったわけです。
 それで、別の仕事をしながら地方でアニメーションのシナリオの勉強をしている若い友人がいて、ネット経由で、どういう事ができるかについて、意見を聞いたりしていたんですよ。『BLACK LAGOON』をやりながら、ずっと考えていて、おおむね筋道が立ってきたかなと思ったところで「やります」と言ったんです。原作をもらってから、何ヶ月かは経っていたはずです。その間、丸山さんも色々決断がつかないでいたようでした。

ーー 片渕さんがやれるかもしれないと思ったきっかけが、千年前の部分になるんですか(注3)。

片渕 ひとつは、原作の一部でしかない新子と貴伊子の2人の関係をクローズアップする事で、もうひとつは、そういう感じです。さらにもう1個あるとすれば、原作の中で、ひとつだけ不思議な出来事が起こっていて、それは死んだはずの金魚が生きていたっていうエピソードなんです。原作の高樹のぶ子さんに聞いたら「本当にそういう事があった」と言うわけなんですけどね。彼女が本当に経験した事だったとしても、それをきっかけにして「起こってほしい奇跡」みたいなものを作り上げられるんではないかという気がしたんですよ。そうでないと、ただ単に、お爺ちゃんが死んで悲しかったです、で終わるという筋立てになっていたんじゃないかという気がしますね。
 こういったタイプの映画が売れるか売れないかというと、どうだかよく分かんない。だけど、それでも作らなくちゃいけないと感じているんですよ。そうしないと、こういうジャンルが、アニメーションから忘れ去られて消滅してしまうかもしれない。こういうものがかたちになっていくのは、意味がある事だと思いました。でも、かたちにしておく意義があるだろうなと思いつつ作っているのは『アリーテ姫』も同じだったんですけどね。本音で言うと『アリーテ姫』の次には、大向こうを正面から攻撃するような企画をやりたかった。それは間違いないです。

ーー 仕上がった映画を観て、かなりトリッキーだと思ったんですよ。だって、映画の最初と最後で一人称も変わっているわけじゃないですか。新子の主観で始まって、貴伊子の主観で終わる。それから、クライマックスで千年前の出来事と、新子達が家出する話が同時進行で進むのは、気持ち的にはリンクしているかもしれないけれど、ストーリー的にリンクしているかというと、実はそんな事はない。色々と難しい構成になっていますよね。

片渕 なってますね。

ーー これはトリッキーである事を狙ったんでしょうか。

片渕 主人公が貴伊子に移っていく事に関しては、かなり狙っていますね。『BLACK LAGOON』でもロックという男の子をナレーターとして使っていて、どっかからもう1人のレヴィに切り替えるという事をやろうとしてたんですよ。全く対等であってよい2人の組み合わせを、主人公として考えているところがあるのかもしれない。
 『マイマイ新子』を作っている途中で、プロデューサーの松尾(亮一郎)君に、『ドラえもん』の主人公はのび太なのか、ドラえもんなのかと言ったんです。『ドラえもん』もドラえもんの出現への注目で始まって、のび太の視線で終わるという事なんです。影響を受けて変わるのは貴伊子の方なんだから、貴伊子の目線にならないとこの映画は終われないんじゃないの? そういう話をしたんです。もっと言うと、貴伊子の目線でないと語れない新子っていうのが絶対にいるはずで、そこまでいかないと、新子を丸ごと語った事にならないんだろうという気もしていました。ドラえもんの一人称だけでは『ドラえもん』が成立しないのと同じにね。いざとなったら『マイマイ新子と貴伊子』というタイトルでもいいじゃないと言っていたくらいです。
 それから、新子が千年前に行って何かになるというのは、かなり早い時期に、自分の中でやめちゃったんですね。他人になりきって何かを経験するというのは、要するに他の人に自分を仮託しているわけじゃないですか。新子というのが、自分が望んでいるような主人公だとしたら、そういう自我の危うさからは脱しているんじゃないか。

ーー 映画が始まった瞬間に、新子にはそういった危うさがない?

片渕 危うさをもっていない新子が望ましくて、大事なものだと考えたんです。それに対して、貴伊子というのは自分が育ちきっておらず、自分というものを見つけられずにいる。そんな貴伊子が、新子という抜きん出た存在が何なのかを理解する過程で、いったんは自分を何かに仮託するというのは、腑に落ちると思ったんです。それでかなり早い段階に、貴伊子が平安時代に行く話になった。
 まあ、ぶっちゃけた話で言うとね。何度か観ても、自分で異質感が去らない映画なんですね。長編の映画はこれくらいのシークエンス数が入っていて、その上で成り立つものだろうと考えている数よりも、シークエンスが多いんですよね。もっと省きたかったんだけど、省いていくと原作からの逸脱が大きくなってしまう。原作のエピソードのいくつかを取り上げて、1本に並ぶように工夫して、なおかつ尺の余裕の部分で、平安時代の事をやっていかなくちゃいけない。平安時代を全部外すのは、自分の中では考えられなくなっていたので、原作から逸脱せず、なおかつ平安時代の部分を活かすために、一番犠牲になったのが、昭和30年代と平安時代がパラレルになっているという体験的表現の部分なんです。そこは象徴的になってしまった。そういう意味では、自分でも異質感のある映画としてでき上がっている。『アリーテ姫』も自分でよく分からない部分があったんだけど、アフレコが終わって、音楽を発注する前だったかな。夜中に自分の家で、ビデオを観ながら音楽発注について考えている時に「意外と納得できる話だなあ」と感じたんだけど、今回はその「納得」がなかなかこない。

ーー なるほど。

片渕 そこのあたり、もうひとつぶっちゃけて言うと、もっと原作からの場面を増やしてほしいというオーダーを受けてたんです。それが、かなり作業が進んでからの事だったので、その段階で、物語世界の階層構造を、子どもの観客にも味わえる体験的表現として盛り込むのは不可能だと思ったんですね。構成について足掻くのはそこであきらめたんです。
 その事で、昭和30年代と平安時代が断絶しているように見えたら見えたで構わない。自分ではそこはもっとやりたいと思ったけど、作っている自分だからそう思うのであって、他人が作った映画だったら、俺は納得できるかもしれない。そこはこのまま描いておいて、そのかわり、そこで起こっている出来事や登場人物の行いは、できるだけ切実に見えるようにしてやろうと。そっちをどんどん深める事で、今現在、構成によって生じかけている破綻が解消されるんじゃないかという期待をしたんです。
 「アニメージュオリジナル」の福田麻由子へのインタビュー記事を読むと、僕が「とにかく自然に」と言った事しか話してないみたいだけど(笑)、おそらく僕は「息遣いなんかまで含めてリアルな子どもとして存在してちょうだい」という事を伝えたかったんだと思います。そういう意味でいうと、新子の福田麻由子は14歳だったし、貴伊子の水沢奈子は15歳だった。そんな年齢の中にまだ残っている「子ども」を引き出して、とにかく新子達に実在感を与えたかった。そういうアプローチをしました。画面的にもそうですね。作画とか、背景の見せ方も全部含めて、観た人が納得するしかないところに、表現をもっていってしまおうと思ったわけなんですよね。で、苦労した(笑)。

ーー なるほど。文字どおり、演出の力技で……。

片渕 ねじ伏せるしかない。

ーー 試写で観た人には、そこに反応している人もいるみたいですけれど、少女のエロスもたっぷり表現されていますよね。キャラクターの肉感みたいなものがかなり出ている。

片渕 それはねえ。はっきりと意識的にやってるんだと思いますね。小川の上で、2人が藤蔓のハンモックで揺れてるところで、2人は裸足なんですよ。あそこの原画をお願いしたのが、柳沼和良だったんです。ヤギちゃんにやってもらえると分かった瞬間に、あのシーンを振りたいと思ったわけです。だって、ヤギちゃんは『月夜の晩に』という短編を作った人で。(注4)

ーー 少女の素足の第一人者ですね。

片渕 でしょ。だから、あそこをやってもらわないと、ヤギちゃんにお願いする甲斐がない。それで言うと、キャラクターデザインの辻(繁人)さんは、貴伊子をリアルな子どもとして、ぶちゃむくれ的に描きたかったみたいなんです。それに対して「映画なんだから、綺麗な女優さんが出てきてくんないと、嫌だ」って言った覚えがある。それもリアリティと同じく、ねじ伏せるための感性の武器として使う。それが気になって、この映画を終わりまで観るひとが出るくらいにはしたかった。幸い、1955年って女の子が素足になって走り回って許される舞台だったし、スカートが短いのも自分としては別段OKだった。

ーー 物語構成の話に戻ると、タツヨシのお父さんが首を吊ってしまうとか、主人公が呑み屋に殴り込みかけるような事が起きる世界だという事を、映画前半で振ってないですよね。

片渕 振ってないですね。

ーー 降って湧いたように、そんな事件が起きる。観ていて「え、そうなっちゃうの!?」と思ったわけですよ。

片渕 うん、うん。

ーー クライマックスの千年前の扱いも意外で、そういう意味では、先が読めない映画ではあった(笑)。

片渕 あ、悪い意味で?(苦笑)

ーー いやいや。話の転がり方としては面白かったです。

片渕 実は、自分にとっての原作の読後感が、それに近かったんです。要するに、友達のお父さんが首吊りして、殴り込みに行くのは原作にあって、読んでいて「あ、これはアリなのか」と思いながら読んでたんでね。
 自分の中で、高樹のぶ子さんて、書くものに必ずエロスのイメージがちらつくんだけど、この原作ではそれを切り捨てている。エロスを捨てた途端に、タナトスが出てきていて、各エピソードのどこかに、必ず死のイメージが散りばめられている。お爺ちゃんがバタバタかなんかにぶつかって、新子も病院にとんでくんだけど、いきなり踏み込んじゃったのが霊安室でドギマギするわけなんです。他にも友達の兄ちゃんが死んだり、そういうものがいっぱいあった挙げ句、クライマックスに、お爺ちゃんが死ぬ話がある。そういう部分を観客に突きつけていくべきなのか、緩和していくべきなのか。自分と同年齢の浦谷(千恵)(注5)がスタッフにいたので、どう思うか訊いてみたんですよ。そうしたら、死が自分の身近にあるのが、自分にとっての昭和30年代の印象に近いっていうんですよ。それも、その死は突然やってくるものだったというんです。確かにそうだった。自分の身の回りでも、一昨日までうちの弟と遊んでいた近所の子が、腸閉塞かなんかで、葬式が出ているみたいな事が、実際にあった。彼女は元々「過去に夢見る昭和30年代もの」だったらやりたくない、と言ってましたし。
 それから、あくまで子どもの目線でやりたかったわけなんですよ。大人になって、何が便利かというと、見晴らしがいいんですよ。次に何が起きるのかが分かるんですよ。子どもの頃は全く分かんなかった。次の授業で先生が何を喋るか予想もつかなかったし、自分の親が何を言い出すかも分からなかった。子どもの頃には、大人の世界の事情というのが唐突に押し寄せてくるんだという事が、感覚として蘇ってきて、その感覚自体は、作品中でリアルに描き得るかなと思ったんです。昭和30年代について自分で感じて、描けたのがそこですね。

ーー エピローグ部分で、唐突にお爺ちゃんの死が語られるのも、その流れなんですね。

片渕 そういう事だったりするんじゃないかなあ……。お爺ちゃんの死をことさらクローズアップするのはやめようと思ったわけですね。お爺ちゃんが死ぬ日って、あまりに生々しすぎる。原作では小太郎(新子の祖父)という人は、片目が義眼なんですが、死んだ後にその義眼が残っているという描写がある。象徴的であるともいえなくはないんだけど、あまりに生々し過ぎて、それを語るのは我々の使命ではないという気がしたんですね。タツヨシの父親の死についてはどうかというと、自分の中でせめぎ合いがあった感じです。本来はタツヨシの父の死も、小太郎の死と同じくらい避けて通るべきものだとは思ったはずです。どちらを採るかで、たまたまの病気で死んだ人ではなくて、より不条理な死に方をした人を採ったんでしょうね。その部分は伏線を張らないようにしようとは思っていました。今よりももっと張らなくていいと思っていた。要するにタツヨシの父なんて、顔出さなくていいんじゃないかとか。

ーー なるほど。顔見せの場面もなしで、いきなり「父親が死んだ」とする手もあった?

片渕 そうそう。そのぐらい子どもから見るとわけの分かんない出来事にしてもよかった。光子が途中で迷子になっちゃったんで、タツヨシの父が出てこざるを得なくなってしまったんですね。
 そんな風に、昭和30年代への実感を取り込もうとした。それを以前から自分の中に存在していた新子とか貴伊子にまとわせてるんじゃないかな、という気がします。要するに、原作をもらう前から、自分の中に新子と貴伊子の原型があったんだろうなあ。

ーー 原型というのは、キャラクターの人格的な部分についての?

片渕 だと思います。要するに、別の原作がきたとしても、あの子達は登場したんだろうという気がしてますね。あいつらは、多分『アリーテ姫』が終わったあたりから、自分の中にいますから(笑)。

ーー なるほど。

片渕 『アリーテ姫』っていうのは、主人公のアリーテが、たった1人で徒手空拳、今までいたところと違うステージに進んでいく話だったんですけどね。4℃の田中達之君に「1人っていうのは引きこもりを肯定する映画に見えますよ」といわれて(注6)、「ああ、なるほど」と思ったんです。世の中で生きていくレールに乗っかる事に必死になっている自分がいて、それをそのままアリーテに仮託して描いていたりするんだけど、確かにそれだけでは孤独だと感じたんです。例えば、心の中にファンタジーみたいなものがあるなら、それを誰かと共有した方がいい。それができる2人の人間を描きたいと思うようになって、そういう事ができる企画に一度は出逢ったんだけど、結局ダメになってしまったんです。その企画がなくなった直後に来たのが『マイマイ新子』だったんだと思います。原作では2番目の主人公になるほどではない貴伊子が、もの凄くクローズアップされているののは、そういう理由があるんです。

ーー 片渕さんのこの映画を作る動機は、むしろ、そっちにあった?

片渕 そうです。そのためにも、2人のファンタジーが語られなくてはいけないし、それが千年前の出来事なんだろうなあと思っていました。
 昭和30年代に悪漢退治をするために暗黒街みたいなところに乗り込んでいくのと、千年前がストーリー運び的にパラレルになっていないのは、それをやっちゃうと、千年前も、新子達のありようも、ただの空想、嘘になっちゃうと思ったからです。誰かのお父さんが死んでしまうのをリアルにとらえたいのと同じように、千年前もリアリティから外れていってほしくなかった。タツヨシの木刀が千年前に跳んで、なんかの活躍をして戻ってくるっていう、そういう奇跡のあり方を考えた事もあったんです。だとしたら、千年前で誰かが何かを退治するの? とかって考えていくと、それは御伽噺みたいでリアルでなくなってしまう。現実からも、原作からも乖離していく。千年前に出てくる諾子って女の子は、清少納言なんですけどね。「清少納言は8歳の時に山口県防府市に来ていた」という事と「それは新子と同じ小学校3年生ぐらいです」という事だけを頼りにやってるんです。で、清少納言について調べていくうちに、あまり高貴ではない家の女の子が、家で何をやっていたかがわりと見えてきたんです。ならば、千年前の出来事は、古典的文書の原典がある事だけでやってしまおうと思った。手応えがある感じにしたいというか、絵空事でないんだよという事にして、納得しようとしていたんだと思います。

ーー 今回、表現面に関しては、やりきった感じですか。

片渕 その前にやっていた『BLACK LAGOON』の最終局面が、本当にしんどかったんですよ。あんなに働く事になるとは思わなかったわけですよ。自分でパソコン1台占領して、フォトショップで、なんか加工する事ばっかり延々やってたような気がします。早く終わらせてそこから脱出したかったんだけど、脱出する先を、休養とかに求めなかった自分は偉いと思うんです(苦笑)。2006年の12月のことですけれど、片付けなくてはいけないのが、残り1話くらいになったところで、ここで気が緩むのはよくないと思って、『マイマイ新子』を引っ張り出して、いじりはじめたんですよ。だから『BLACK LAGOON』の最終局面と『マイマイ』のスタートがオーバーラップしてるんです。
 だから、『マイマイ』って疲労困憊した状態で入ってるわけで。準備期間は10ヶ月くらいあったから、その間には回復してるんだけど、一度は、もう立ち直れないと思うぐらいのところまでいってるんですね。なので、今回を絵コンテを、自分では1カットも描いてないです。

ーー あ、そうなんですか。

片渕 ある程度ラフみたいなものは切ってるんだけど、コンテは浦谷(千恵)、香月(邦夫)、室井(ふみえ)という3人に描いてもらっています(注7)。そういう意味では、いつもと脳味噌の使い方が違う。シナリオを書く時は左側の脳を使って、絵コンテを描き始めると右側の脳が動き出して、違う事を言い出す。いつも、そうやって自分は作品をまとめているみたいなんだけど、今回は左脳だけしか使っていないのに、絵コンテができ上がってしまった。それに対して働き場所をもらえなかった運動が文句を言うわけです。なので絵コンテができ上がってから先、右脳が表現の部分で頑張ったんだと思うんですね。「この色でなきゃ嫌だ」とか「ここで光が差してなきゃダメだ」とか。それはさっき言った「リアルにしたい」というのと同じ事について、言っているんですけどね。

ーー ご自身の作品史の中で『BLACK LAGOON』というのは、どういう位置付けになるんですか。今までの片渕さんの仕事を追いかけて来た人は、驚いたと思うんですけど。

片渕 さっきも言ったように『アリーテ姫』の後に、2人の人間を描く話をやりたいと思ったんだけど、それと別に、もっと悲惨な境遇の人間を描くべきではないかと思ったわけです。4℃では『ファースト・スクワット』をやってたんですよ(注8)。それと並行して『BLACK LAGOON』をやっていた。「どちらかの仕事が生き残ればいいや」という感じで、マッドと4℃両方で、血みどろの鉄砲ドンパチの準備作業をやっていた時期があったんですよ。だけど、「主人公達をさらに追い詰めるために、味方のはずのソ連軍も悪くしよう」とロシア側に言ったら外されちゃったんです。それ以外の企画でも、オリジナルに近い企画で「子ども達がAK-47をもつしかない村の話みたいなのをやらせてくれ」4℃に言っていて、そういう事は自分として1回踏まなきゃいけないところだったみたいなんですよ。だから『BLACK LAGOON』をやれてよかった。『アリーテ姫』の後に血まみれのものをやって、次に新子と貴伊子のようなものをやるのが、自分の中でレールとしてできていたのかもしれない。一度、そういう悲惨なものを踏まないと、子どもたちにとっての自己実現どうこうっていうのが、浮つくような気がしちゃったんですよ。

ーー 『アリーテ姫』と『マイマイ新子』は、両方とも自己実現の話であるわけですね。

片渕 あるわけです。だけど、自己実現って、ゆとりがないと成立しないんですよ。生存ギリギリで、そこを生き抜いていく、ゆとりなんて言ってられない状況を描く事を、積極的に通り抜けたいと思ったんです。

ーー 自己実現というのは、ご自身にとって大事なテーマなんですね。

片渕 テーマだと思います。自己実現と同時に、自分が何かが見えてくる、何者なのかが解かるっていう事が大事だと思うんですね。

ーー ここまで話を聞いて分かったのは、片渕監督は「何を描くか」というところから、作品をスタートさせるという事ですね。

片渕 そうです。

ーー そういう意味では、正統的な監督であって、「こうすれば売れるよ」というところからは発想しないわけですね。

片渕 だけど、できれば「こうすれば売れるよ」というニュアンスはちゃんと漂わせたいという事ですね(笑)。だから、今回の場合は、この方向だったら売れ線かなと思う要素を、自分の中にある選択肢の中からもってきて、つけ加えたりとか強調したりしてるわけですね。という事で、最初から「この映画のテーマは何ですか?」と聞かれると、「ガーリー」と応えていたんですよ。昭和30年代の時代感を描くことよりも、まずはガーリー。

ーー それは片渕さん自身の意識として?

片渕 いや、スタッフにそういう風に説明してるわけです。最初にそう言って徹底してからスタートしました。

ーー それで言うと、着地してかたちになってるものは、最初に狙ったものと、そんなに違ってはないわけですね。

片渕 違う違う。イメージの中では、今よりもっとガーリーな映画を狙っていたんです(笑)。先に野原を素足で走る女の子という発想があって、後から防府にあんな広大な麦畑があったのを知って、喜んだんですよ。ただ、その方向をあまり突きつめると、『マイマイ新子』でなくなってしまうかもしれないから、ちょうどいいところで着地したのかもしれない。

ーー まだ公開前ですが、観客に投げかけたかったものは届いていそうですか。試写の反応とか、いかがですか。

片渕 多少の違和感を抱いている自分よりも、予断をもたないで観てくれている観客の方が、ストレートに受け止めてくれているみたいです。それがありがたいですね。

ーー なるほど。

片渕 ただ「泣けました」とか言われて、できるだけ泣けないように作ろうとしていたのに、と思ったり(笑)。

ーー 泣けないように作ろうとしたのは、どうしてなんですか。

片渕 それはスタイリッシュなガーリー映画じゃないでしょう。

ーー ああ、なるほど。

片渕 だから、泣けそうなところで、新子が変な事をやってたり、色々やっていると思いますよ。いや、それもガーリーじゃないか(苦笑)。

ーー 単に泣かせる事が目的だったら、全然違ったストーリー構成で作ったわけですね。

片渕 多分、自分は、泣かせようと思って映画を作れないんじゃないのかなあ。ただ、自分が涙が滲んできてしまった部分はあるんですよ。それは福田麻由子が、バー・カリフォルニアの階段で絶叫してるところなんです。だって、あの声を録るために、俺達自身が本当に泣いたんだから。

ーー それは収録の時ですか。

片渕 うん。その健気さがストレートに画面に反映されていて、そういう意味で、僕はジンときてしまうんですよね。…………酷いよね。だって、前の日に、あの大変なシーンを収録し終えて、徹底して入れ込んで芝居した彼女が相当な状態になってんのにさ。翌日「調子を取り戻してきました」と言っている本人を前にして、「同じシーンを、もう1回やってみようか。あそこにもう1回いってもらわないと、今日のあの続きは始まらないんだ」と言っている酷い俺がいるわけです。お互いプロだから仕方ないんだけど、自分の娘くらいの年頃の子に辛い事言ってるなあと、心の中ではしょんぼりしてるんだよね(笑)。
 『マイマイ新子』のアフレコは面白かったんですよ。円谷一さんの「煙の王様」ってドラマがあるじゃないですか(注9)。あれを撮っていた時、プランを説明しようとする円谷さんが周りに子ども達を集めて、円陣を組んでやってた、というんです。俺もそういうのやってみたいと思って(苦笑)臨んだわけです。アフレコをしたスタジオが面白くて、普通は自分達がいる調整室の前にガラスがあって、その前に役者さんの背中が見えるんだけど、そうじゃなくて、マイクに向かっている彼女達の横顔が見えるかたちだった。水沢奈子が、時々こっちを振り向くんですけど、注文がシビアになってくると、はっきりと目元に涙が溜まってるのが分かるんです。なのに口元で一所懸命に笑って応えようとしているのは健気でね。で、水沢奈子をそういう状況に落とし込んだ途端に、福田麻由子が「奈子ちゃんだけ、いじめてずるい。私には注文出してくれないのか」と言い出して。なんかえらい事になってきてですね。

ーー (笑)。

片渕 「分かった。全部とりあえず終わらせよう。終わらせたら、君の演技にリテイク出すところを一緒に見つけよう」という話になって(笑)。実際にそれをやったんですよ。たまたまアフレコの最終日に、半日くらい余裕がとってあったのね。そこで、出てきた子ども達全員が、スクリーンの前に膝抱えて座ったんですよ。自分も一緒に座りました。それで、収録した音声が入った全編の画を、皆で観たんです。で、福田もだけど、ほかの子達も「監督、ここは直させてください」「俺はもっと大声で泣いてたつもりだったけど、全然泣けてませんでした」みたいな事を、みんなが手を挙げて言うという状況になって。あれは、じんわりきましたよね。

ーー なるほど、それはきますよ。

片渕 そしたら、後ろで見てた大人の役者さん達も手を挙げ始めて。そうやって作ったものって、大事だと思うんです。まあ、作り手だから仕方ないんだけど、色んなところに違和感を残して作ってしまった。でも、彼らの演技に関してはまるで違和感がない。凄くいい思い出、いい結果として心に残っています。

ーー 次の作品で、こんな事を描きたいというビジョンはあるんですか。

片渕 そうですね。次にやる企画は、ある程度決まっているので、それを度外視して言うと、やりたい気分は、ある程度は見えているかもしれない。『マイマイ新子』と近い方向で何かをやったとしても、次は自己実現に対する疑いを、前ほど深刻に抱えなくてもいいような気がするんですよ。

ーー 自己実現というテーマは、相当前からあったんですか。

片渕 自己実現というか、自己確認かもしれない。多分、『名探偵ホームズ』からずっとあるんじゃないかな。「青い紅玉」もはっきりそう思って作ってるよね(注10)。ポリィとアリーテ姫の距離感って、自分の中では、あまりなかったような気がしてますよね。

ーー ポリィの自己確認ですか?

片渕 だって、あれは自分を偽って生きている女の子が、自分の正体を見つけるという話じゃないですか。ポリィが女の子の服を着るのって、貴伊子ちゃんが最後にセーラー服を着て、山口弁を喋っているのとあんまり変わらない気がする。
 自己実現というか、子ども時代の話だから、実現までいかないわけですよ。自分を見つけるみたいな話だと思うんです。何故そういった事をやっているかというと、自分自身がアイデンティティに問題を抱えてた子どもだったからかもしれないですよね。

ーー 片渕さん自身が?

片渕 そうなんです。自分って誰なんだろうなと考え始めると、答えが出なくていつまでも考えているような事が、往々にしてある子どもだったわけなんですよ。「こういう名前をもっていて、こういう親のところで生まれた、こういう人間なんだよな」って納得するまでに少し時間がかかる。自分で何者なのかを、納得させないとダメだった子どもだったんです。

ーー だけど、次回作は、自己実現に関する疑いで作らなくてもいいかもしれない?

片渕 そういう事で悩んでいる人に「いや、もうちょっといい生き方あるぜ」って言ってもいいかもしれない(笑)。ただ、自己確認への懐疑がなくなっている自分を発見したばかりなんです。次に何をやるかは、しばらく考えながら進む感じになるのかな。



(注1)
丸山正雄は、数多くの傑作を手がけたマッドハウス(当時)の名プロデューサー。

(注2)
丸田順悟は、マッドハウスの取締役社長(当時)。『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台となっている山口県の出身だ。

(注3)
『マイマイ新子と千年の魔法』は昭和30年と、1000年前の世界が交錯する構成となっている。1000年前の世界は、アニメで膨らませた部分だ。

(注4)
『月夜の晩に』は、アニメーターの柳沼和良が監督したオリジナル短編アニメ。オムニバスDVD「デジタルジュース」に収録された。

(注5)
浦谷千恵はアニメーターであり、『マイマイ新子と千年の魔法』には画面構成・作画監督(共同)として参加。片渕須直の奥さまでもある。

(注6)
田中達之はSTUDIO4℃の主要クリエイター。アニメーターであり、演出家。イラストレーターとしても活躍。

(注7)
浦谷千恵は前述のように、『マイマイ新子と千年の魔法』の画面構成・作画監督(共同)、室井ふみえ、香月邦夫は演出。

(注8)
『ファースト・スクワット』はSTUDIO4℃が制作した長編アニメーション。日本、ロシア、カナダの合作で、第31回モスクワ映画祭「コメルサント賞」を受賞した。国内での公開については、まだ告知されていない。

(注9)
「煙の王様」は1962年に放映されたテレビドラマ。

(注10)
宮崎駿監督の『名探偵ホームズ』は、片渕須直がアニメ界に入るきっかけとなった作品。大学在学中に、話題になっている「青い紅玉」等で脚本を執筆。演出補も務めた。

第549回 原画から演出

 昔、テレコムにいた頃、大塚康生さんが大胆に

アニメーターは誰でも演出できますから!

と仰ったのを憶えてます。それを聞いた時は、我々アニメーターに夢を持たせてやろうと考えた上での、いつもの気さくで多少大雑把な大塚さん発言かと思ったものです。元々「出崎統監督みたいな演出家になりたい!」が自分の夢だったので、そのお言葉には確かに勇気をいただきました。この連載でも初期に書いたとおり、テレコム・アニメーションフィルムに入社しておいて

アニメーターはあくまで通過点〜

と考えてた板垣です。先輩方からも「大塚さんと友永(和秀)さんから原画教わって、目指すのは出崎さん!?」とすっかり異端扱い。とにかく、その頃よく周りの先輩に言ってました

好きなアニメは『あしたのジョー2』『宝島』『未来少年コナン』!
宮崎アニメは好きだけど、出崎さんのはフィルムとして大好きなんです!

と。たいていの先輩方から「出崎さんと宮崎さんじゃ正反対でしょ」と呆れ(?)られたものですが、両監督ともアニメーター出身という意味でも似てると俺は勝手に思っています。だって画づくりはまるで違いつつも、演出スタイルはとても主観的でしょう? 昔、友永さんに聞いたことがありますが「高畑(勲)さんは主人公をあくまで客観的に描く方で、宮さんは主人公になりきる方」だと仰ってました。それは単純な話で

アニメーターは究極、
自分自身をモデルにして芝居を組み上げるから!

です。俺も若い頃、友永さんから

と実際にやらされたりしたものです。やはり主観こそがアニメーター演出家最大の武器なのだと思うし

物語(ドラマ)をコンテ上で、
自らが主人公になって楽しんで描く!

姿勢が出崎監督も宮崎監督も非常に似ているように思うのです。で、ケレン味てんこ盛りなのが出崎監督で、純正アニメーションなのが宮崎監督だと。俺的にはどっちもあり!
 ま、そんなわけで通過点になるはずの作画をやっても、コンテをやっても楽しくて仕方がない板垣ができあがったのです。そう、大塚さんが仰ってた言葉は本当だった! と今更ながら感じてるし、作画と平行して演出業をやってたおかげで「どんな企画でも面白がれる」と分かった気がするのです。こないだふと、友永さんと大塚さんの作画を観て、筆を走らせました。

140 アニメ様日記 2018年1月28日(日)~

2018年1月28日(日)
日本映画専門チャンネルの一挙放送で『新世紀エヴァンゲリオン』の第拾六話「死に至る病、そして」を視聴。久しぶりに観たけど、どうしようかと思うくらい面白かった。その後、第弐拾弐話「せめて、人間らしく」から最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」まで。さらに『DEATH』、第25話「Air」、第26話「まごころを、君に」までを勢いで観てしまう。久しぶりだったので、新鮮な気持ちで視聴できた。ドラマもいいんだけれど、緊張感、それから、編集がいい。『新世紀エヴァンゲリオン』という作品が「事件」だったことを再確認した。  

2018年1月29日(月)
『ベルサイユのばら』をBlu-ray BOXで視聴中。今回は原作と見比べながら進めている。キャラクターのアップで、セルの塗りが薄くて背景が透けているカットがあるのに気づく。DVDでは気づかなかった。  

2018年1月30日(火)
新宿まで歩いて、新宿ピカデリーで『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第四章 天命篇』を観て、また歩いて戻る。『第四章 天命篇』は驚く展開があった。それをどう受けとめるかは完結まで保留にしたい。
 『ベルサイユのばら』再視聴が続く。ロザリーの母親探しが始まってから、オスカルの素敵度数が一気にあがる。
長浜忠夫さんが総監督としてクレジットされているのが13話までで、出崎統さんがチーフディレクターとしてクレジットされるのが19話から。その間の17話で、ロザリーの目の描き方がちょっと出崎CD時代風になっている。  

2018年1月31日(水)
西武池袋線方面のあるスタジオで打ち合わせ。版権ラフ、作監修正等を見せてもらった。楽しかった。  

2018年2月1日(木)
『ベルサイユのばら』最終回まで観た。前回の視聴とは違うところで泣けた。僕にとって、観る度に泣くアニメは『ベルサイユのばら』と『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』だ。Blu-ray BOXの特典で設定資料が静止画で入っているのだけど、現存するものが全て入っているのではないか。これは嬉しい。
 ワイフと外出。シネマイクスピアリで『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を吹き替えで観る。試写が字幕だったので、吹き替えでも観ておきたかったのだ。その後、上野の「生賴範義展」に。こちらも二度目。なんとなく休日っぽい日になった。夕方に事務所へ戻ってデスクワーク。  

2018年2月2日(金)
「WEBアニメスタイル」で【ARCHIVE】「この人に話を聞きたい」 第34回 片渕須直 を更新する。『アリーテ姫』公開時期の取材記事だ。片渕さんの過去の仕事には興味深いエピソードが多いので、記事をまとめる際の取捨選択で苦労したのを覚えている。『名犬ラッシー』についての話が少ないのは、以前に「アニメージュ」で取り上げているため。最後を漫画映画の話で終わらせていいのかも、ちょっと悩んだ。この頃、取材以外でも片渕さんと漫画映画についての話をした。  

2018年2月3日(土)
イベント準備。夜は自宅で、ワイフと『ベルサイユのばら』19話「さよなら、妹よ!」、20話「フェルゼン 名残りの輪舞」、28話「アンドレ 青いレモン」、37話から最終話までの4本をまとめて観る。  

第548回 昔の原画

わっ! 今週は時間がとれなくて、短いのを!

 こないだ、たまたま某動画配信サイトにて、昔自分がテレコムで原画を描いた合作アニメを見つけました! 『ANIMANIACS Wakko’s Wish』という80分ほどのスペシャル版で、懐かしかったんです。ミンディーのスキップ〜吊り橋にぶら下がるカメラの回り込みも、ピンキー&ブレインの飛行機(?)のカメラ回り込みも、まぎれもなく自分が20代半ばの頃描いたシーンでした。昔描いた作画は、海外アニメになると当時白箱ももらえなかったため、ネットで配信されている作品を探すしかないのです。スタッフロールにも名前を発見、「SHIN ITAGAKI」!! 他にも懐かしい先輩・後輩の名前がズラリ! この頃をふと思い出すと

俺、夢中で描いてたな〜
ホント楽しかったよ!

と。他にも『CYBERSIX』とかも半分の話数で原画をやってて、これも某動画配信サイトで見つけてホッコリ(?)。昼飯時のひそかな楽しみのお話でした。

 で、すみません。いろいろ頑張ります(汗)! また来週。

第125回 抗う人 〜るろうに剣心 追憶編〜

 腹巻猫です。1977年放送のTVアニメ『超合体魔術ロボ ギンガイザー』のサウンドトラックが2月14日に発売されます。音楽は『宇宙海賊キャプテンハーロック』『聖闘士星矢』等で知られる横山菁児。横山先生初のSFアクションアニメ作品でした。2枚組で主題歌とカラオケ、BGMを完全収録。BGMは全曲初商品化! 構成・解説を腹巻猫が担当しています。横山菁児ファン、ロボットアニメファンの方、ぜひお聴きください!

超合体魔術ロボ ギンガイザー オリジナル・サウンドトラック
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 今回取り上げるのは『るろうに剣心 —明治剣客浪漫譚— 追憶編』。タイトルが長いので、以下、『るろうに剣心 追憶編』もしくは『追憶編』と表記する。
 原作は和月伸宏が1994年から1999年まで週刊少年ジャンプに連載したマンガ「るろうに剣心 —明治剣客浪漫譚—」。1996年にTVアニメ化され、1998年まで全94話が放映された。放映中に劇場アニメ1本が、放映終了後にOVA3タイトルが制作されている。2012年と2014年には佐藤健主演の実写劇場作品が公開された。映像だけでなくミュージカル、ゲーム、小説等、幅広くメディア展開される人気作品である。
 『るろうに剣心 追憶編』はTVアニメ版の放送が終了したあと、1999年に全4巻(第一幕〜第四幕)が発売されたOVA作品。アニメーション制作はTVアニメ版後期と同じスタジオディーンが担当し、監督の古橋一浩以下、脚本、作画監督、美術監督、撮影監督ら主なスタッフと剣心役の涼風真世がTVアニメ版から引き続き参加している。しかし、キャラクターデザインと音楽が変わり、作品の雰囲気は大きく変化した。
 『追憶編』はTVアニメ版の前日譚。剣心が人斬りとして生きていた時代を描いた作品である。原作では「人誅編」の中で回想として語られる物語を独立したエピソードとして描いている。
 幕末。幕府の要人暗殺を請け負って暗躍する「人斬り抜刀斎」こと緋村剣心の前に巴と名乗る女が現れる。彼女は剣心に斬られた武士・清里の許嫁だった。素性を隠して剣心に近づいた巴と剣心の間に、いつしか情愛が芽生え始める。
 TVアニメでは「不殺」を誓い、人を斬ることのできない逆刃の刀を持って現れる剣心が、なぜ人斬りの過去を封印したのかが全4幕の中で語られる。
 少年マンガの趣を残していたTVアニメ版と異なり、キャラクターは大人びて、演出もシリアスになった。それを象徴しているのが、たびたび登場する斬り合いのシーン。刀が肉を裂き、血が飛び散る映像が登場する。その容赦ない描写が、剣心と巴の物語の切なさを際立たせている。

 音楽はTV版には参加していない岩崎琢が担当した。
 アニメ音楽、映像音楽という枠を超えて心をゆさぶる、凄みのある音楽を提供している。
 高校生時代から作曲の勉強を始めた岩崎琢は、東京藝術大学作曲科に進学。在学中に日本現代音楽協会作曲新人賞を受賞し、卒業後、本格的に作・編曲家として活動を始めた。
 プロフィールには「幼少時より作曲の手ほどきを受け、高校生のときに神奈川芸術祭合唱曲作曲コンクール第1位に入賞したことがきっかけで作曲家を志す」とよく書かれているが、これは昔所属していた事務所が宣伝用に書いたことで、正確ではないそうだ(1位入賞したのは事実)。作曲科には進んだが職業作曲家をめざしていたわけではない。クセナキスやジョージ・クラム、ジャック・ルノなど現代の作曲家と作品に関心があり、現代音楽の作曲がしたかった。映像音楽の作家になるとはまったく考えていなかったという。
 しかし、仕事を続けていくうちに映像音楽の面白さに目覚めていく。こういう世界が意外と好きな自分を認めざるをえなくなってしまった。
 最初期のアニメ音楽の仕事は、1995年放送のTVアニメ『ロミオの青い空』のオープニング&エンディングテーマの作曲。劇中音楽を手がけるようになったのは今回取り上げた『るろうに剣心 追憶編』(1999)の頃から。以降、『今、そこにいる僕』(1999)、『R.O.D -READ OR DIE-』(2001)、『Witch Hunter ROBIN』(2001)、『焼きたて!! ジャぱん』(2004)、『天元突破グレンラガン』(2007)、『黒執事』(2008)、『刀語』(2010)、『ベン・トー』(2011)、『ヨルムンガンド』(2012)、『ジョジョの奇妙な冒険(第2部)』(2012)、『ガッチャマン クラウズ』(2013)、『魔法科高校の劣等生』(2014)、『文豪ストレイドッグス』(2016)などのアニメ作品の音楽を担当している。
 ありきたりなアニメ音楽に挑戦状をたたきつけるような先鋭的なサウンド。現代音楽はもとより、ラップ、ヒップホップ、EDMなど、幅広い音楽ジャンルを取り入れ、ミックスする斬新なスタイル。これまで聴いたことのないカッコよさを持つアニメ音楽を作り続けて、目が(耳が)離せない。『天元突破グレンラガン』や『ガッチャマン クラウズ』の音楽を鮮烈に記憶するアニメファンも多いだろう。
 岩崎琢は抗う作曲家である。アニメ音楽とはこういうもの、映像音楽とはこういうものという常識や枠組みに抗い、無神経な音楽の使われ方に抗い、大衆性やパターンに流されがちな音楽作りに抗う。
 かといって、独自の芸術性を追求することにこだわっているわけでもない。アニメ音楽が商業音楽であることを意識しつつ、その枠を壊すこと、枠からはみ出すことに挑戦しているのだ。
 そんなせめぎあいの中で作られる音楽は、どう展開するのか、どんな音が聴こえてくるのか、先が読めない緊張感に富んでいる。
 『るろうに剣心 追憶編』の音楽には、すでに岩崎琢の作風が色濃く表れている。サウンドトラック盤のライナーノーツで岩崎はこう書いている。

 「画とストーリーが要求するであろう力学的な一点を強力に意識しながら、表面の心地よさに回帰することを拒み続け、映像と物語の間に想像力の糸を紡いでいった。それは、同心円状に弧を描く、と言うようなものではなく、むしろ抗いの記録とも言うべき乱雑さ、いい加減さを呈している」

 「乱雑さ、いい加減さ」というのは岩崎らしい韜晦もしくは照れだろう。本作の音楽は美しく、激しく、剣心や巴らの心の襞を描き出す。まぎれもなく『るろうに剣心』の世界でありながら、映像に隷属する音楽ではなく自立している。本作に続いて制作されたOVA『るろうに剣心 —明治剣客浪漫譚— 星霜編』(2001-2002)で岩崎が作り出した音楽も同様だ。
 サウンドトラック・アルバムは1999年3月にSPEビジュアルワークス(現・アニプレックス)から発売された。OVAの発売は第一幕が1999年2月、第二幕が4月、第三幕が6月、第四幕が8月。サントラは第一幕と第二幕の間に発売されたわけだ。  収録曲は以下のとおり。

  1. In Memories “A Boy Meets The Man”
  2. One of These Nights
  3. Alone Again
  4. Blood
  5. Day After Day
  6. In The Rain
  7. Quiet Life -pf solo version-
  8. The Will -pf solo version-
  9. The Wars of The Last Wolves
  10. The Will
  11. Testament
  12. Talk to The Moon
  13. Sound of Snow Falling
  14. Shades of Revolution
  15. In Memories “KO・TO・WA・RI”
  16. Quiet Life

 トラック1から5までは第一幕のコンテに合わせて作曲された曲。トラック6以降は第二幕から第四幕のために用意された楽曲だ。
 1曲目「In Memories “A Boy Meets The Man”」は第一幕の導入部に流れる音楽。6分を超える長い曲である。野盗に襲われた少年・心太が通りすがりの剣客・比古清十郎に命を助けられる一連のシークエンスに使われている。
 静かな序奏部分は野盗が旅人を斬り殺す凄絶なシーンに流れている。画に合わせるなら緊迫感をあおる曲や悲しい曲をつけるところだが、あえて静かな曲をつけることで悲劇性が際立つ。伊福部昭が「効用音楽四原則」で語ったカウンタープンクトの手法だ。曲と映像との間になれあいを拒む緊張感がただよう。いや、むしろここでは、清十郎の「病んでいる、時代も人の心も——」という冒頭のモノローグを受けての、物語の背景となる時代全体を表す音楽ととらえるべきかもしれない。
 中間部に登場するのは2曲目「One of These Nights」や6曲目「In The Rain」にも含まれるフルートによるやさしいモチーフ。旅の女が心太を助けようと犠牲になる場面に流れている。本作における愛のテーマとも呼ぶべきモチーフで、心太の心に刻まれる人の想いを象徴している。
 清十郎が野盗を斬り捨て心太を救う場面では15曲目「In Memories “KO・TO・WA・RI”」のモチーフが現れる。清十郎のテーマであると同時に、本作のメインテーマとなっているメロディだ。清十郎は心太を剣客として育て上げようと決意し、心太に「剣心」の名を与える。心太は剣心の少年時代の姿だったのだ。そう観客が気づいたところでメインタイトルとなり、曲は終わる。
 状況説明の音楽ではなく、『るろうに剣心 追憶編』の世界とドラマを象徴するみごとな序曲になっている。大きなうねりを持ち、静かに心をゆさぶる曲想は本作全体の印象と呼応している。
 2曲目「One of These Nights」は巴の物語の発端となる暗殺シーンに流れる曲。武士・清里が巴と会話する場面に短く愛のモチーフが流れる。すぐに不穏な曲調になり、剣心が京都所司代・重倉十兵衛を暗殺しようとする場面の緊迫した曲に展開。護衛役の清里が斬られ、巴の面影を胸にこと切れる場面でふたたび愛のモチーフが聴こえてくる。
 フィルムスコアリング的な作り方だが、曲は清里にフォーカスし、幕末に生きた男の愛と死を描き出す。これも状況説明にとどまらない深みのある曲である。  3曲目「Alone Again」は剣心の回想シーンの曲。清十郎のもとで剣の修行をしていた剣心が清十郎とたもとを分かって山を下りる決心をする場面に流れる。メインとなるのは清十郎のテーマ。若き剣心の激情よりも、すべてを見通したような清十郎のやりきれない想いが伝わる曲調だ。
 頬の刀傷が消えないことに心を乱す剣心の場面につけられた4曲目「Blood」、暗殺者「人斬り抜刀斎」となり心荒んでいく剣心を描く5曲目「Day After Day」。情感に流れない突き放したような曲調が剣心の心に広がる空虚な闇をイメージさせる。
 9曲目「The Wars of The Last Wolves」は本作のバトルテーマである。これも6分を超える長い曲だが、第二幕の池田屋事件のエピソードにほぼフルサイズ選曲されている。
 剣心が巴と人を斬ることについて会話する場面から流れ始め、新選組の池田屋襲撃場面を経て、剣心と巴が京を去るラストシーンまで流れ続ける。曲は不穏な序奏から剣戟を想起させる激しい曲想の中間部に展開。最後はホルンとトランペットが奏でるレクイエム的なテーマとなって終結する。
 長い曲をバックに騒乱の京から剣心と巴が脱出するまでが描かれる。映像の情感と曲の展開が並走し、音楽が画に合わせたのか、画を音楽に合わせたのか、もはや判別しがたいし、判別するのも意味がない。バトルテーマでありながら、戦いの虚しさと悲哀も内包した、本作のテーマを象徴する楽曲である。
 10曲目「The Will」は桂小五郎を中心にした維新志士のテーマ。弦合奏とオーボエによる静かな決意をたたえた曲想だ。彼らを待つ運命はけして安楽なものではない。曲は哀切の想いがにじむ旋律で終わる。
 本編では第三幕で剣心が幸せの意味をようやく知ったと巴に語る場面、第四幕での巴の最期の場面など、重要なシーンで選曲された。時代に翻弄されながらも想いを貫こうとした人間の心情を象徴する曲として使われている。
 13曲目「Sound of Snow Falling」は巴のテーマである。弦と木管が奏でる穏やかな曲だ。曲の途中に愛のテーマが顔を出す。5分を超えるこの曲も、第三幕のクライマックス、剣心が巴への想いを口にし、二人が愛を確認する場面でフルサイズ使われている。音響演出・はたしょうじ(はたしょう二)の長い曲を生かしきる演出が光る。
 14曲目「Shades of Revolution」は人斬り抜刀斎のテーマ。明確なメロディを持たない現代音楽的な導入部は心に虚無を抱えた人斬りとしての剣心を表現しているようだ。曲はリズムをともなったバトルテーマに展開するが、30秒ほどで静かになり、ホルンと弦合奏による夜明けの情景を思わせる希望を宿したテーマが現れる。やがて躍動的なリズムをバックにしたトランペット、トロンボーンによる雄々しいモチーフへと展開していく。
 演奏時間7分以上。アルバムの中でも一番の長さを持つこの曲は、1曲の中で剣心が人斬り抜刀斎から不殺の誓いを立てた新しい剣心へと生まれ変わっていくさまを表現していると筆者は考えた。劇中では通して使われることはなかったが、『追憶編』の世界を構成する重要なピースとなる曲である。
 15曲目「In Memories “KO・TO・WA・RI”」は剣心の師匠となる剣客・比古清十郎のテーマ。すでに書いたように、本作のメインテーマでもある。
 本作の音楽で重要な役割を果たしている楽器がホルンだ。この曲ではホルンが中心になって主題が奏される。核となるメロディは、強さを秘めた諦観とでも言おうか、勇壮さともやさしさとも悲しみともつかぬ複雑な情感を感じさせる。清十郎個人のテーマというよりも、清十郎に仮託された歴史の目撃者の視点から本作を見渡す音楽に聴こえる。叙事詩的な趣を感じさせる名曲である。
 第四幕では、終盤、巴を失った剣心が京へと向かい剣をふるう場面から、動乱の時代を経た登場人物たちのその後が示唆されるエピローグまで、6分近い曲をまるごと使って物語の締めくくりとしている。
 アルバムのラストに置かれた「Quiet Life」は第一幕、第二幕のエンドクレジットに流れた曲。弦合奏による穏やかな曲調は、「静かな人生(生活)」というタイトルどおり、剣心と巴が過ごした束の間のやすらぎの日々を思い出させる。

 『るろうに剣心 追憶編』は、映像作品における音楽の役割、音楽の力を考えずにはいられなくなる作品である。
 岩崎琢の音楽は物語と映像に従属することなく、しかし、遊離することもなく、作品のテーマを軸に『るろうに剣心』の世界をときに包みこみ、ときにその世界に深く切り込んでいく。いくつかのモチーフが重層的に組み合わされた楽曲は、安易な解釈を拒む多面的な顔を持っている。
 岩崎琢は抗う作曲家である。剣心も巴も志士たちも、時代と運命に抗って自らの生き方を貫いた。岩崎琢の音楽がそんな物語と人物への共感から生まれたと言ってはありきたりすぎて無粋になるだろうが、共振して生まれたと言ってもよいのではないか。そんな解釈は不要と作曲者は言うかもしれないが、音楽を聴く者の自由として赦していただきたい。

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139 アニメ様日記 2018年1月21日(日) ~

2018年1月21日(日)
アクアシティお台場で「キングスマン:ゴールデン・サークル」を鑑賞。ScreenX 2Dで字幕での上映だった。娯楽性が高く、映画としては満足。ScreenXというのはアクションシーンなどの見せ場になると、客席の右側の壁、左側の壁も使って上映するという特殊な方式で、それも面白かった。ただ、終盤のアクションシーンで、画面が左右の壁に広がらないので「あ、これはクライマックスではなくて、この後に本当のクライマックスがあるのね」と分かってしまった。  

2018年1月22日(月)
タテアニメで『孤独のグルメ』1話を観る。黄瀬和哉さんが監督だけでなく、全カットの作画も担当。キャラクターの外見が原作通りなので、ドラマ版のBGMを使っているのがちょっと意外だった。ネットのオークションで購入した「アニメディア」300冊が届く。段ボール箱で10個分。ラックに収めるのは3月になるので、とりあえず段ボール箱のまま事務所内に積んでおくことになった。この日は大雪。温かいものを食べようと思って入った近所の居酒屋が、店内も猛烈に寒かった。暖房を入れていても追い付かないんだろうなあ。早々に退却。  

2018年1月23日(火)
取材の予習で『ボールルームへようこそ』を原作と比較しながら観る。『ふるさとめぐり 日本の昔話』で杉野昭夫さんが絵コンテ、演出、作画の「やまんば堂」を観た。  

2018年1月24日(水)
「アニメスタイル013」取材。 自分で言うのもなんだけど、アニメスタイルらしい取材となった。  

2018年1月25日(木)
午前中に上野の森美術館で開催されていた「生賴範義展」へ。生賴範義のイラストについては子どもの頃から「とても人間が手で描いているとは思えない」と感じているところがあって、今回の展示で一部のイラストについては「それが1枚の画として描かれていることの理解」を自分の脳が拒否しようとしている感覚すらあった。昼は事務所で打ち合わせ。夕方から『さよならの朝に約束の花をかざろう』の試写。岡田麿里さんらしい内容だし、画作りが素晴らしいし。井上俊之さん、平松禎史さんの代表作になるのではないか。美術やレイアウトもいい。帰りの渋谷駅で、構内アナウンスで、ザクレロについて解説をしていた。「JR東日本 機動戦士ガンダムスタンプラリー」絡みのことなんだけれど、大変な世界線に来てしまったと思った。  

2018年1月26日(金)
試写会で『劇場版ときめきレストラン☆☆☆ MIRACLE6』を観る。観客参加を前提としてアイドル映画だ。なるほど、こういう作りになるのか。試写よりも映画館でファンと一緒に観た方が楽しいに違いない。  

2018年1月27日(土)
新文芸坐で、ワイフと「新感染 ファイナル・エクスプレス」「ダンケルク」の2本立てを観る。「新感染」は大変によくてできていて、素晴らしく面白かった。脚本を練りに錬っている作品だ。「ダンケルク」は二度目の鑑賞で、ワイフの付き合いで観た。二度目の鑑賞だと、驚くくらいに体感時間が短い。あっという間に終わった。新文芸坐のスクリーンと音響での「ダンケルク」もかなりの迫力だった。  

【ARCHIVE】 「この人に話を聞きたい」
第34回 片渕須直


●「この人に話を聞きたい」は「アニメージュ」(徳間書店)に連載されているインタビュー企画です。
このページで再録したのは、2001年8月号掲載の第三十四回のテキストです。





学生時代に『名探偵ホームズ』で脚本デビューして以来、『名犬ラッシー』監督、『MEMORIES』の「大砲の街」技術設計、『魔女の宅急便』演出補、等々。様々な作品で素晴らしい仕事を残してきたものの、自分自身の作品をまとまったかたちで発表する機会が無かった彼が、初めて企画段階から中心になって作り上げた作品が、今月公開される『アリーテ姫』だ。たっぷり時間をかけ、物語やテーマに関して考えに考え抜いて作られた、清々しくも明瞭で、若い観客の心に直接訴えかける内容のアニメーション映画である。1960年代の東映動画長編を思わせる、漫画映画的なテイストを巧みに取り入れている事にも注目したい。




PROFILE

片渕須直(Katabuchi Sunao)

 1960年(昭和35年)8月10日生まれ。血液型A型。大阪府出身。日本大学芸術学部映画学科へ入学、アニメーションを専攻。在学中に『名探偵ホームズ』に脚本、演出助手として参加し、卒業後、テレコム・アニメーションフィルムに入社。『LITTLE NEMO』の準備段階で、高畑勲監督の演出助手、近藤喜文監督の演出補佐、大塚康生監督と共同監督を務める。その後、『魔女の宅急便』に演出補として、『MEMORIES』の「大砲の街」に演出・技術設計として参加、初監督は名作劇場『名犬ラッシー』。他の代表作に『若草物語 ナンとジョー先生』(絵コンテ)、『あずきちゃん』『ちびまる子ちゃん』(演出・絵コンテ)等がある。最新作は、初の劇場監督作品『アリーテ姫』が公開される。

取材日/2001年5月31日 | 取材場所/東京・吉祥寺 | 取材・構成/小黒祐一郎





―― 最近、片渕さんは「ポスト宮崎駿」みたいに扱われる事が多いじゃないですか。でも、僕は単純に「宮崎さんと一緒に仕事をしてきたホープ」として扱うのには抵抗があるんですよ。そうすると、それだけの人見たいになってしまうから(笑)。

片渕 確かに『アリーテ姫』関係の記事では、そういう風に扱われる事が多いんだけど。そういう注目のされ方は仕方ないです。今、日本のアニメーションが「スタジオジブリの作るものか、そうじゃないアニメーションか」という感じになっちゃってるわけだから。

―― 観客の意識として?

片渕 そう、意識として。ただ、「他の制作会社からも『アリーテ姫』みたいな作品が出てくるんだ」と観客に思ってもらう事が、日本のアニメーションのためにも必要な事だと思っているんですけれどね。大げさに言えばね。

―― それじゃあ、片渕さんがどういった人か分かってもらうためにも、今までの歩みを振り返ってみる事にしましょう。そもそも、アニメの仕事を志されたきっかけというのは?

片渕 そこで、すでに宮崎さんが関係しているんですけどね(苦笑)。自分が将来なんになるのか、そろそろ考えなきゃいけない時期に、宮崎さんが監督として出てこられたんです。それで、作られた作品を観て「子供の時に観ていた昔の東映動画の長編のテイストを、非常に良いかたちで受け継いだ人が出てきたな」と、そういう印象だったんです。

―― 『未来少年コナン』の時ですね。

片渕 そうです。それが高校生の時。それで、どうしてそういう気分の作品が出てきたのかという事を調べながら大学生をやっていた。
 大学では映画学科に入って、とりあえず東映動画の昔の長編からの歴史的な経過みたいなものについて、資料を漁ったりとか。

―― 学校の授業でもそういった事を学んでいるんですよね。

片渕 ええ。僕が大学で教わった先生の1人が月岡(貞夫)さんで、もう1人が池田宏さんだったんですよ。(注1)

―― 東映長編時代の大立者ですね。

片渕 池田さんの提案で、現場にいた人を特別講師として呼んで話をしてもらう事になって。その第1回として宮崎さんが大学に来たんですよ。第2回目以降の企画もあったんだけど、何となくうやむやになっちゃって。結局、宮崎さんしかお招きできなかったんだけど。

―― それが、81年ぐらい?

片渕 ちょうど、『新ルパン』の最終回が終わって、宮崎さんが休みをもらって山陰に旅行に行って帰ってきたところだったから。

―― じゃあ80年ですね。

片渕 しばらくして、池田さんから電話がかかってきたんです。宮崎さんがテレビシリーズを始めるにあたって若いシナリオライターを使う事にした。それで、特別講師で行った大学の映画学科を思い出して、何人かシナリオの勉強してる人間をよこしてもらえないか、と池田さんに言われたという事だったんです。それで、池田さんに「興味あるなら、行ってみるか」と言われて。それで、僕が「シナリオなんて書いた事ないんですが、いいんですか?」と訊くと「書いた事がある、そう言い張れ」と言われて(笑)。それで、行ったんですね。
 その時、5、6人が集められていたと思うんだけど、他は皆、実写のシナリオを勉強してる人で、自分が書いたシナリオを持ってきていたんですよ。だけど、これから書かなきゃいけないのは『名探偵ホームズ』なんですね。そういう漫画映画的なもの(注2)を書けるかどうかというのは、持ってきたシナリオからは判断できないので、とりあえず『名探偵ホームズ』のシノプシスを書いてくれと。それを読んで選抜しよう、という事になったんです。その時に、僕が書いて持っていったのが「青い紅玉」なんですよ。「青い紅玉」というタイトルは、後に宮崎さんが付けたものなんですけど。もう1人、後に「ソベリン金貨の行方」というタイトルになる話を書いた者がいまして。その2人が残ったんです。それでとりあえず、「もうちょっと、書いて持ってこい」と言われて、それで僕が書いたのが「海底の財宝」。
 当時、宮崎さんが所属していたテレコム・アニメーションフィルムで、新人を集めて文芸部を作るという話だったんです。でも、結局、僕1人しか残らなかったためなのか、文芸部を作る計画はなくなってしまったんです。そして、「どうする?」と宮崎さんに訊かれて、「僕は元々、アニメーションの演出をやるつもりだったんです。」と言ったら、「じゃあ、演出助手でくるか」という話になって、テレコムに居着く事になったんですね。それが大学の3年生の時で、僕のこの業界での出発点。

―― 学校は卒業しなかったんですか?

片渕 ちょうど佐藤順一さんが、同じ学校で1年上で、やっぱり池田さんのクラスだったんです。佐藤さんも同じような経緯で、在学中に東映動画の研修生に受かっちゃって。池田さんが引き留めたそうですけど、大学を辞めていったんです。それがあったので、池田さんに「後進のためにも、君には大学に行きながら仕事をする道を選んでほしい」という事を盛んに言われて。それで、二足の草鞋を履くかたちになったんです。
 だけど、しばらくして『名探偵ホームズ』が制作中断になっちゃうんですね。「ドーバーの白い崖」の後に「バスカーヴィル家の犬」と「白銀号事件」の絵コンテを、宮崎さんが同時に切っていて、そのAパートが終わったぐらいのところで、中断になったんです。

―― え、そんなコンテがあったんですか。その時、フィルムが完成したのは4本ですよね。

片渕 フィルムは、5本か6本じゃないかな?

―― いや、4本ですよ。「小さな依頼人」「青い紅玉」「海底の財宝」「ソベリン金貨の行方」までフィルムが完成していて、「ミセス・ハドソン人質事件」と「ドーヴァーの白い崖」は動画まで終了したんでしょ。

片渕 あ、そうだった。それで当然、その次のエピソードも進められていたんです。「青い紅玉」が3話になる予定で。それから「四つの署名」も半分ぐらいできあがったコンテがあって、それが1話になるはずだった。

―― コンテが進行中のエピソードが、いくつかあったんですね。

片渕 そもそもテレコムは、東京ムービーの社長の藤岡豊さんが、『LITTLE NEMO』という作品を企画して、それを世界に通用する劇場長編として制作する事と、そのためのスタッフ養成を目的にして作った会社だったんです。『ルパン三世』や『名探偵ホームズ』をやっていたけれど、本来は『NEMO』を作る事が目的だったんですよ。それでテレコムは次第にその準備に入っていった。ご存知の通り、『NEMO』の制作過程は複雑で……。(注3)

―― 長期間に渡って制作されて、その間にスタッフの編成が何度も変わっているわけですよね。

片渕 編成はどんどん変わっていきましたね。僕か入った最初の段階では、高畑さんが監督で準備を進めていて、僕はその時に演出助手を3週間ぐらいやっているんですよ。

―― 3週間ですか(笑)

片渕 その時は準備段階だから、テレコムの全員が『NEMO』に参加してるわけじゃないんですね。実働部隊は他の仕事をやっていて、現場の経験を積め、という事で、僕もそっちをやる事になって。高畑さんの準備から離れて、現場の仕事の方に回されたんです。
 しばらくして、もう一回『NEMO』の方に戻されて。その時は、監督か近藤喜文さんに変わっていました。その時は、演出そのものじゃなくて、カメラワークや撮影処理みたいなところを主に担当してくれと言われたんです。それで、一部で有名な『NEMO』のパイロットフィルムの制作に関わる事になったんです。(注4)

―― その時の片渕さんの具体的な仕事は、撮影の設計なんですか。

片渕 それもしてるし、近藤さんがストーリー作りでアメリカに行った時に、アシスタントみたいな事もして。その後、またスタッフの入れ替わりがあって。今度は大塚康生さんが監督になって。大塚康生さんからの誘われ方も違うんですよ。「あんたはレイアウトをとるのが巧いから、演出のレイアウト関係の仕事をやってほしい」と。今度は大塚さんと共同監督みたいなかたちで、準備を始めて。大塚さんと相談しながら、僕がストーリーをまとめて作っていってたんですけども。その当時の僕は、まだ……。

―― 年齢的にも20代前半か、中盤ですよね。

片渕 うん。そういう全くキャリアがない者が作ったためか、その案も通らなかった。でも、僕らとしては「通らなかった」じゃ済まないわけですよね。それで、仕方がないので、僕らは『NEMO』から離れる事になった。それからしばらくして、僕はテレコムを辞める事になるんです。

―― 『NEMO』のパイロットフィルムを観た時の衝撃、かなりのものでしたよ。僕は当時、東京ムービーで観せてもらったんですが、「こんな凄いフィルムがあるのか」と思いました。

片渕 ムービーが『NEMO』を釣るために、非常に巨大な撮影台を設計して据え付けたんです。それは1階の床を掘り下げて、半地下にして、上は1階の天井を抜いて、2階の天井まで届くものでした。

―― 半地下から2階まで?それは凄い。

片渕 他のものよりも、カメラの上下動のストロークが遥かに長くて。また、非常に大きいサイズの背景が撮影できる線画台があったり、マルチプレーンの台が付いてたり。それから、当時はまたそんなに普及していなかったコンピュータで動きを制御する、モーションコントロールの機能がついていた。これを最大限に活用して作ったのが『NEMO』のパイロットと『スター・ウォーズ』のパイロットだったんですよ。『スター・ウォーズ』は全部、密着マルチで撮ったフィルムでした。

―― 『スター・ウォーズ』の制作は、どこだったんですか?

片渕 それは、あんなぷる。

―― ああ,なるほど。当時の東京ムービー作品といえば、テレコムとあんなぷるが競い合って凄い作品を作っていましたものね。ちょっと話は変わりますが、現在、フィルムによるアニメーションが、ほぼ無くなりかけているわけですが、ゴージャスさとか、SFX的な効果で言えば、テレコム版の『NEMO』のパイロットは、日本のアニメーションにおける撮影の頂点のひとつじゃないですかね。

片渕 僕は、なぜか撮影設計みたいな仕事をする事ができたんです。僕にとっては『NEMO』のパイロットの尺を長くしたのが「大砲の街」なんです。

―― そのせいか僕には、片渕さんは「技術の人」という印象があるんです。後に『名犬ラッシー』や『アリーテ姫』で、「ああ、ドラマやテーマの人でもあるんだ」と思ったという(笑)。

片渕 『NEMO』の頃にもそう思われているところはありましたね。非常に大きな企画で、ゴージャスにスタッフを使うという話だったので、僕に演出の鉢が回ってくる可能性は少なかったんだけれど。カメラワークに関しては、僕が一番の適任だったみたいです。

―― 元々、撮影がお好きだったんですか?そんなに経験はないはずですが。

片渕 経験はほとんど無かったんです。大学生の頃に、アニメーションの撮影台というのは、どういうふうに動くのかというのを、想像していたんですね。カメラの何をどうすればどう映るのかという基本的な事は、仕事を始める前から割と詳しかったんですよ。

―― 興味もあったわけですね。

片渕 うん。その興味というのは何かというと、宮崎さんとか高畑さんの作品……特に高畑さんの『太陽の王子ホルスの大冒険』では、複雑なクレーンを使ったカメラワークがあるんですね。

―― ヒルダが登場するところとか、凄いですよね。

片渕 大カマスが最初に見えるカットとかもね。学生時代にそういうものを観て、凄い魅力を感じていたんです。で、ああいうものを撮影するには、どういう機材が必要で、どういう手だてをして、どういう素材を揃えれば撮れるのか、と考えていた。学生時代には必要な機材が手に入らなかったので、想像するしかなかった。

―― 『NEMO』のパイロットでは、思う存分それができたわけですね。

片渕 『NEMO』の時は、撮影台も同じ建物の中にあって、撮影のスタッフもそこにいたので、撮影の現場を見ながら相談しながら進める事ができた。その事が大きかったと思う。カメラワークの設計自体は、実はそれほど大変だったとは思ってないです。それまでの自分が想像していた範囲内の事をやっているにすぎなかった。

―― 『NEMO』のプロジェクト自体は、片渕さんにとっても大きなものなんですよね。

片渕 大きいです。

―― 20代のかなりの日々を占めてるわけですし。一言では……。

片渕 いや、僕なんかよりも、もっと『NEMO』の影響が大きかった人はいますしね。自分自身のダメージになったかというと、そうでもない。ただ、参加していたスタッフの考えが上の方で上手く酌み取られないで否定されてしまって、腹が立ったとかね。そういう事を沢山、味わったのは確かだけども。自分が責任を取るべき立場じゃなかったので、本当は気が楽だったのではないかと思う。

―― かなり大変な現場だったわけですよね?

片渕 大変でしたねえ。出てくる名前が、例えば脚本がレイ・ブラッドベリだったり、美術設定がメビウスだったり。藤岡さんが、突然「音楽はジェリー・ゴールドスミスがいいか」って言い出すような、そういうところでしたからね。

―― 藤岡さんの夢そのもの、みたいな企画ですからね。

片渕 その時間の中だけを取ってみると、徒労なんだろうけども、僕にしてみればパイロットを作る事を経験する事ができたし、自分が大塚さんとやった時に考えたストーリーのタネはいまだに持ってるし。他に関わった人達も、その時に考えたものを、それぞれ自分の作品にうまく反映して使っているように見受けられるし。そういう意味でいうと、『NEMO』の準備の日々が徒労だったとは思わない。その事が、日本のアニメーションに何かの熟成をもたらしたのも、ひとつの事実だと。

―― 『天空の城ラピュタ』にも反映されているんでしょうね。そういう意味では『NEMO』はムダではなかった?

片渕 ムダではなかったと思った方がいい。

―― 片渕さん自身は『NEMO』から離れた後、アニメ界で演出家としてやっていく事になるわけですね。

片渕 とりあえずは、フリーの立場なんですよね。まず、『愛少女ポリアンナ物語』の絵コンテの仕事を紹介してもらったんです。それで、始めたんですが、絵コンテのローテーションに上手く乗れたとしても、それだけでは、なかなか食べていけない。それから、現場を持たない演出家というものに疑問を抱いたんですね。フリーで絵コンテをやるという事は、将来的に自分が作品を作る事につながらないだろう。それで、どこかのスタジオに潜りこもうと思って、虫プロに行ったんです。
 それで、『ワンダービートS』のシリーズ途中から、僕は演出チーフにしてもらって……。虫プロは、そういうテレビシリーズもやっていたけども、親子映画の長編を作る事に意欲を燃やしていました。それは必ずしも制作予算が多いとはいえないけども、映画ではあるんですよね。僕はそこで映画の企画やシナリオとかをやっていた時間が、かなり長いんです。そうやって、自分の作品を作れる地盤を固めようと思っていたんです。だけど、どうも現実的な壁の方が大きくて、なかなかかたちにならなかったので、とりあえず一時撤退しようという事で、虫プロから離れてSTUDIO4℃へ行くんです。

―― ええ? そこで4℃になっちゃうんですか。

片渕 『魔女の宅急便』は、虫プロにいる間に出向で参加しているんです。

―― ああ、そうなんですか。

片渕 たまたま『魔女の宅急便』の時に、ジブリの鈴木敏夫さんからお誘いを受けて。それで、出向で行って。帰ってきて、また虫プロで映画のシナリオ書いてたりするんですよ。

―― 『うしろの正面だあれ』は虫プロ時代の作品なんですね。

片渕 そうです。それは『ワンダービート』の有原(誠治)さんが監督をされた作品で。初めは、レイアウトのチェックをやるはずだったんだけど、結局、レイアウトの9割ぐらいを描く事になっちゃったんですよ。で、それはそれなりに高評をいただける仕上がりになった。ちょっと余談になると、それを観て僕を気に入ってくれたのが、マッドハウスの丸山(正雄)さんなんです。丸山さんは、そういうあまり人が観ないような作品をきちんと観てる。

―― そうですよね。本当に凄い。

片渕 プロデュースというのが、自分の気に入った人間を集めてくる事だとしたら、それに長けている。そういうアンテナの広げ方が凄いなあ、と思う。

―― 多分、丸山さんが、この業界で一番でしょうね。田中栄子さんも凄いけど。

片渕 『魔女の宅急便』の時に、制作担当だったのが田中栄子さんなんです。その当時のジブリは1本の制作が終わったら、チームが解散していたんですよ。それで『宅急便』のスタッフが集まって作ったのがSTUDIO4℃なんです。僕が虫プロを離れて、4℃へ行った時に「これをやりましょう」と田中さんが持ってきたのが『アリーテ姫』の企画なんです。

―― それは時期的には。

片渕 1992年です。勿論、その間に生活していかないといけないというのもあるし、自分としても面白いものを作るために腕を磨きたいと思っていましたから、武者修行みたいに『チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ』や、『ナンとジョー先生』、『七つの海のティコ』に参加しまして。アニメーションの世界って、武道の世界に似ているように思うんです。鍛えて技を覚えておかないと、いざという時、使い物にならない(笑)。
 そういった作品をやりつつ、『アリーテ姫』の準備を進めていた。その頃、4℃で大友さんが『MEMORIES』の「大砲の街」を始めていたんです(注5)カメラワークが非常に複雑な作品になるのは分かっていて、「それに興味はあるか?」と訊かれたんですよ。その時に、大友さんが廊下のような縦に長い空間をカメラがグーッと移動していくカットを作りたいんだけど、どうやっていいか分からないと言ってた。自分としても『NEMO』のパイロットで、盛んに色んなカメラワーク使ったけども、そういう事はできなかったので、それに関しては興味があったんです。それから、たまたま僕は大砲に関する資料をいくつか持っていたので、それを貸したりしているうちに「大砲の街」に軸足を移していったんですね。「大砲の街」では大きなドームの中に巨大な大砲があるんですが、その大きな空間を実感するために、羽田の全日空の整備格納庫にロケハンに一緒に行ったところから完全にスタッフになった。大友さんと、田中栄子さんと、小原秀一さんと、僕と4人で行って。その4人から始めて「大砲の街」を作った。
 「大砲の街」が終わったら、もう一度、『アリーテ姫』の準備に戻るんですけど。これがまた、現実的な問題が色々あって、なかなか上手くいかない。それで、ちょっとブレイクを入れましょう、という事になった。『アリーテ姫』はその当時、企画として成立していなかったんですね。どういう事かと言うと、予算が発生しない事には映画は作れないし、準備もできないんですよ。僕らだって準備だけに全時間を費やしてると、自分の生活ができなくなってしまう。それで「とりあえず、貯金をしてお金を貯めましょう」と(笑)。

―― 『アリーテ姫』を作るために?

片渕 世知辛い話でいうと、そういう事なんですね。僕としては、もうちょっと現場経験を踏みたいという気持ちもありました。それで外へ出て、色々やり始めたのが95年かな。その時に紹介してもらったのが、マッドハウスと日本アニメーション。「ふたつあるけど、どっちへ行く?」と言われて、「この際だ。どうせやるなら両方やろう」と。それで、マッドハウスへ行ったら丸山さんが「どれをやりたい?」と言って、何本か仕事を並べてくれた。その中で、当時、僕が興味があった、生活に根ざした感覚に発想が近いように思えた『あずきちゃん』を選んだんです。日本アニメーションでは『ちびまる子』をやりました。『あずきちゃん』『ちびまる子』を月に1本ずつ作るというペースでした。それで、日本アニメに深入りしていって『名犬ラッシー』の監督をやる事になったわけです。(注6)
 それで『ラッシー』が終わったら、また『ちびまる子』と『あずきちゃん』に戻った。で、そうこうしてるうちに他の仕事も入ってくるようになって、同時に4本ぐらい仕事を持つようになったんですよ。相当なハードワークになって、さすがに体力的に限界かな、と思うようになった。自分もいい年になってきたし、量で仕事をするのもこれで終わりだ、次の事を考えようと思ったんです。その時期に、たまたま田中栄子さんも『アリーテ姫』を再開しようと思っていたので、今度こそ上手くお互いの足並みが揃って、そこから現在に至る、と。

―― 『ラッシー』が初監督の作品ですよね。この時点での集大成になるんですよね?

片渕 多分、そうなんだろうなあと思いますね。ただ、僕は『あずきちゃん』や『ちびまる子ちゃん』と同じような意識で作ったような気がする。それは、どういう事かというと、同じような暖かいムードで画面を作ろうとしていたという事です。『アリーテ姫』は、そこから次の事を考え始めている。

―― 『ラッシー』って、名作劇場初期の『アルプスの少女ハイジ』、『母をたずねて三千里』への回帰が見て取れるんですけども。これはどの程度自覚的に?

片渕 僕はね、日本のアニメーションで自分にとってのNo.1は何かと訊かれたら、『母をたずねて三千里』を挙げてしまうようになった。『未来少年コナン』は面白くて、それに引き込まれたのは確かなんだけども、『母をたずねて三千里』は、その時点の僕には到達できない目標のように思われた。

―― それは学生の時?『ラッシー』を作った時?

片渕 大学生の時です。東映動画系列の人達の作品を網羅的に観ようと思った時に、再放送で観た。『コナン』も凄い作品で、そのテンション等に関して追いつかないところは、当然あります。『三千里』の人間を見つめる目線や映画的な感覚は、どう真似していいかも分からなかった。それで、『三千里』を凄く高いところにある目標として置いていた。『名犬ラッシー』をやった時には、当然、そういうところへ近づいていきたいという気持ちは最初にありました。

―― 細かい話ですが、『ラッシー』で、サブタイトルが本編と同じ背景の上に出る感じなんかも、『三千里』っぽいな、なんて思ったりしました(笑)。

片渕 その当時、名作劇場ではサブタイル用のカットを用意している場合が多かったと思うんですよ。あれは、名作劇場では『赤毛のアン』の時に始まった事ですよね。それまでは、本編の画にサブタイトルが乗っていた。それに対して「こういうのもあるよ」という事で、『アン』の時に高畑さんが出してこられたものなんです。だからと言って、その後に、それを金科玉条のように守る事はない。むしろ、冷静になって考えれば本編の画にタイトルを載せるのも十分ありなんですよね。それで、そういう手法に戻ってみたんです。『赤毛のアン』の後の名作劇場は、『アン』の影響をもの凄く受けていると思います。

―― なるほど。

片渕 しかし、『ハイジ』や『三千里』の影響はあまり残っていない。

―― 『アン』以降に「名作劇場的」な表現が確立してしまったのかもしれないという事ですね。

片渕 例えば『ラッシー』の2話では、階段を落ちていく子犬をボールのように描いてみたりしたんです。それも「あれは名作劇場ではないんじゃないか」という声が上がったりもしたけれども、僕は「これも名作劇場なんだ」と思ってやったんですよ。

―― この前、『ラッシー』を見返して、『ハイジ』や『三千里』と方向が逆だと思ったんです。『ハイジ』と『三千里』は、アニメがテレビマンガと呼ばれていた時代に作られた生活アニメーションであって、作り手は「リアル」に向かって作っているんですよね。それに対して『ラッシー』はリアルから「漫画」に向かってるんですよ。

片渕 その向かってるベクトルは逆だけど、同じようなところに落ち着けれはいいなと思った気がする。

―― 着地している位置は近いですよね。でも、『ハイジ』より『ラッシー』の方が、ちょっと漫画寄りになってる。

片渕うん。そうかもしれない。それは、TV局側が『ラッシー』のコンセプトとして、「ホームコメディ」という線を明確に出していたんです。だったら、ここまでやった方がいいんじゃないかという考えもありました。
 作り方の事で言うと、『ラッシー』は細部の描写に重きを置いて作ってたんです。ただ、その当時のテレビの視聴のされ方が、そういう作品に向いていなかったかもしれないという反省はあるんです。視聴者が食い入るように観るという事が、もうなくなっていたのかもしれない。

―― あ、なるほど。生活描写ばかりの『ハイジ』が成り立っていたのは、みんなが熱中して観ていたからだった。キャラクターの一挙一動を楽しんでくれる視聴者じゃないと、そういう作りは成り立たないんですね。

片渕 だったら、なおさら映画が作りたいな、と思ったわけです。

―― 失礼な言い方になるかもしれませんが、片渕さんには不遇の演出家という印象があるんです。これだけ才能があるし、良い仕事をしてきたのに、今ひとつ脚光を浴びない。あるいはせっかくのチャンスを逃す事が多い。『NEMO』もそうですし、最初は監督として参加するはずだった『魔女の宅急便』も、結果的には演出補になってしまった(注7)。初監督作品の『ラッシー』も放映期間の短縮で、作り切ることができなかった。

片渕 たまたまなのか、僕が悪いのか(笑)。確かに運がない仕事に関わっているケースが多いですよね。ただ、そんなに不幸だと思っているわけでもないんです。色々な作品に様々なかたちで参加できて、それはそれで面白かった。

―― で、いよいよ『アリーテ姫』ですね。これで始めて、自分が納得できるかたちで作品作りができたわけですね。

片渕 そういう事です。本来の自分が目指してたもののひとつが『未来少年コナン』のような、漫画映画と呼ばれる娯楽の殿堂。それから、さっきも言ったように、『母をたずねて三千里』で、高畑さんが「人間とは何か」という事をきちんと描こうとされていた事も、僕の中で大きな柱になっているんですね。『アリーテ姫』は「ちゃんと人間を描く」ってなんなんだろう……と考えながら作ってみた作品なんです。
 『母をたずねて三千里』は、僕らが中学生ぐらいの頃の作品なんですが、当時、同世代の友人が『三千里』を観て「まだ自分達に向けて語りかけてくれているものがあったんだな」と言ったんですね。現在、アニメーション作品が沢山あるけれど、そういう部分になかなか踏み込んでいかないように思うんです。世の中で誰もがぶつかる現実というものの大きさに対して、自分の心を保つためにエンタテインメントが必要なのではないか。勿論、エンタテインメントと言っても、その場しのぎのものではなくてね。『アリーテ姫』は、大きな現実の前で自分の存在が値打ちがあるのか知りたいと思ってる人の、気持ちに答えるような映画にしようと思った。

―― でも、それは昔は普通にやられていた事なのかもしれないですよね。

片渕 いつごろ?

―― 20年前とか、30年前とか。アニメに限らず、普通のドラマなんかが、若者に夢を与えたりしていたわけじゃないですか。

片渕 そういう意味で言うと、現在のアニメーションが、一般的な若者向けドラマではないんですよ。違うものになってしまっている。それとは違うものに強引に育て上げてきてしまったので、アニメーションがそろそろ、少し別な……言うのは面はゆいけど、成熟したかたちになるべきなんじゃないかなあ……と。

―― 話を戻しますね。片渕さんは『コナン』で漫画映画を志した。漫画映画を作りたかった気持ちは、『名探偵ホームズ』や『ナンとジョー先生』等に現れていますよね。『アリーテ』も、漫画映画的な部分はあるわけですが。

片渕 漫画映画というものを、どう考えるのかという事に関して、まだ自分の中で結論が出てないんです。ただ、それが大きな意味でのファンタジーというか、空想というものの価値を大事にするという事だとすると、『アリーテ姫』にとっても、漫画映画な部分は大きいと思う。
 勿論、リアルなだけの話ではない。と言って、甘ったるい、空想だけのファンタジーでもない。そういったものが、現実的な人間描写と一緒になって生じる不思議な雰囲気を持ってるのではないか、と思っているし、観た人の中にそう言ってくれる人も大勢いるんです。だとしたら、「若者向けの青春ドラマ」であると同時に、そういう部分も提供できているんじゃないかと思います。

―― 『アリーテ姫』の次は、いよいよ本格漫画映画を作る?

片渕 『名犬ラッシー』で、ある程度、漫画映画的な大らかな気分を描いたような気がする。その次のものを探そうとしてたのが『アリーテ』であり、これから作るものだったりするかもしれない。何本か作ってるうちに、もう一度漫画映画的な方向に向かって進む事もあるだろうし、そうじゃないところに道を見つけていく事もあるだろう。
 それから、作品を作る上でファンタジーと現実のバランスが昔より難しいと思うんですよ。エンタテインメント業界が生み出すファンタジーというか、物語は、現実から切り離された別の空間で成り立っているものが多すぎると思う。

―― アニメとかゲームとか、ですか。

片渕 うん……。もっと現実に近いものを求めている人も大勢いるわけで。他の作り手がそういった事をやらないのなら、自分はそういう事をやっていこうと思っているんです。『アリーテ』は、そういう作品として作ったつもりだし、その次は、また全然違うかたちになるかもしれないけど、現実というものの意味というのを、作品の中で捕まえていきたいと思っています。



(注1)
池田宏は『どうぶつ宝島』『空飛ぶゆうれい船』等で知られる演出家。月岡貞夫は『みんなのうた』等で活躍するアニメーション作家。東映時代の作品に『わんぱく王子の大蛇退治』『狼少年ケン』等がある。

(注2)
今回の記事中の漫画映画とは、60年代の東映動画の劇場長編に代表されるクラシックなスタイルのアニメーションを指す。

(注3)
『LITTLE NEMO』の制作は長期間に渡っており、内外の多くのスタッフが参加している。記事中に書かれているように、その間にはスタッフの交代も多い。本編は89年に完成し、公開されている。

(注4)
『LITTLE NEMO』は、月岡貞夫監督、近藤喜文監督、出崎統監督によって、3本のパイロットフィルムが作られているが、ここで話題になっているのは、近藤喜文監督のバージョン。そのイマジネーションと技術の高さは驚くべき程のもの。そのエッセンスは完成した本編にも活かされている。なお、近藤監督版、出崎監督版のパイロットは『LITTLE NEMO』のLDBOXに映像特典として収録されている。

(注5)
『MEORIES』は大友克洋総指揮によるオムニバスアニメーション。彼が参加した「大砲の街」はその1本で、20分の本編を1カットで処理した大変な作品。

(注6)
『名犬ラッシー』は、日常的なドラマを通じて人生の機微を描いた好シリーズ。ある意味、正統的な名作劇場の作品であり、同時に現代的な感覚の作品でもあった。詳しくは本誌96年11月号(VOL.221)を参照。

(注7)
『魔女の宅急便』は最終的に宮崎駿監督で制作されたが、制作初期には若手スタッフを中心に制作するというプランもあり、彼が監督として進められていた時期もあるのだそうだ。

第547回 やりません、あしからず〜

「伸くんは、TwitterとかFacebookやってないの?」
「うん、やらない」

 地元、名古屋の友人はたいがい「伸くん」と呼びます、俺のこと。で、こちら(東京)の知人、友人とかからも

「アニメ監督でTwitterやってる人多いのに〜」
「板垣くんもやるべきだよ」

ってちょくちょく言われますが、俺の答えは決まって「NO」です。少なくとも、このアニメスタイルの連載が続いてるうちはTwitterもFBもやるつもりはありません。別に炎上が怖いとかはまったくないし、バカを露見したくないわけでも、はたまたTwitterそのもを否定する気もないです。自分の場合、

ただただ不器用なだけ!

なんです。仕事に夢中になってたり、人とおしゃべりしてる最中も、傍らにスマホを置いてチラ見しつつ、今現在考えてることを常時世界発信! 不器用な板垣にはとても真似できないのです。そもそも、俺が今、どこで何食ってるかなんて興味ある人、いるわけありませんから。1日中それ気にして仕事できる人、否定するどころか素直に尊敬します。このコラム連載も依頼があったので「自分なんかで書けること」を書かせていただいてるだけ。いたってリラックスして「アニメに関することならなんでもいい」とだけ言われて。そういう好条件でなければ続きません。
 あとこういう「世間に一言二言発信できるツール」はそうそう何種類も股にかけない方がいいとも思ってるんですね。だって、

度を越すと、世界中の人たちが自分の一言を
待ち望んでいると、偉大な勘違いをしてしまう!

と思うから。

TwitterやインスタやFBをやるくらいなら、その内2つは減らしてアニメ作る時間にあてるのが板垣です。
 あ、ちなみにこの連載で既存のアニメキャラを描く場合、委員会の許可は必ずとります。だからそのものズバリが描いてあったのは『Devil May Cry』や『てーきゅう』くらいのハズ。その2本は「悪口とか放映前のネタバレさえ書かなきゃOK」と言っていただけたからです。文章もきわどい内容(最近はめっきり減りましたが)の場合も、その都度プロデューサーに送り、確認を求めるようにしております。
 で、『WUG! 新章』のパッケージ作業に戻ります。あいかわらず各巻のジャケのレイアウトとかやってたりします。同時に別作品のティザー版権も。発表は春頃?

138 アニメ様日記 2018年1月14日(日) ~

2018年1月14日(日)
トークイベント「第140回アニメスタイルイベント元祖 ここまで調べた『この世界の片隅に』 平成30年正月編」を開催。イベント開始前に片渕さんと話をして、アニメスタイルの「ここまで調べた『この世界の片隅に』 」は、今回を最終回にすることになった。以降は『この世界の片隅に』関連の、あるいは片渕さん関連の別の企画で、イベントを考えたい。
 この日のトークは、今までとりあげたテーマを改めてとりあげて、しかし、今までとまるで同じではなく、新しい情報も付加されているというかたちとなった。ボリュームについても、話題のセレクトについても「ここまで調べた『この世界の片隅に』 」の最終回にふさわしい内容になったと思う。  

2018年1月15日(月)
準備を進めていたある取材が、取材相手の急病で延期に。 取材の予習は中断して、たまっていた録画を端から消化する。『ドラゴンボール超』122話「己の誇りをかけて! ベジータ最強への挑戦!!」のBパートの作画が濃くてよかった。ちなみに総作画監督としてクレジットされていたのは辻美也子、作画監督が仁井宏隆、梨澤孝司、高橋優也。  

2018年1月16日(火)
ネットのオークションで「アニメディア」300冊を購入することにした。「アニメージュ」と「月刊ニュータイプ」は事務所に大半が揃っているが、「アニメディア」はほとんどなかったのだ。最近、画集関係で「アニメディア」のバックナンバーをが必要になることが多かったし、今後もきっと同様だろう。ただ、300冊でも「アニメディア」の全てではないのて、足りない分は少しずつ買い集めたい。

2018年1月17日(水)
ワイフの付き合いで、夕方に池袋パルコで開催中の「らんま1/2カフェ」に行く。「召しませ!猫飯店の五目ラーメン」に「食前VRトッピング」をつける。僕のVR初体験は「らんま1/2カフェ」になった。『らんま1/2』ファンのワイフは、カフェに大満足だった模様。

2018年1月18日(木)
TOKYO MXの『ペリーヌ物語』が最終回。今回の再放送は、ほぼ全話をリアルタイムで視聴した。自分が年を重ねたせいか、ペリーヌがますます可愛く思えたし、ビルフランの気持ちが手に取るように分かるようにわかった。前回のTOKYO MXの再放送は毎日2話分をやっていたと思うが、今回は毎日1話。次回が楽しみになるということでは、毎日1回のほうがいいな。最終回もよかった。本放映時には大晦日のオンエアであったはずだ。本放映時に自分がどう思ったのかは覚えていないが、大晦日にこの最終回を観るのは格別だったのではないかと思う。
 『Just Because!』を全話まとめて観る。丁寧な作りに感心。体調がいまひとつで、夕方に病院へ。風邪だった。インフルエンザでなくてよかった。  

2018年1月19日(金)
まだ風邪でダルい。夕方から新文芸坐で打ち合わせ。 オールナイト「新文芸坐×アニメスタイル セレクション」の100回記念シリーズ「Best of Best(1)」「同・(2)」の内容が大体決まる。  

2018年1月20日(土)
『ハクメイとミコチ』1話、2話を観る 。この作品も面白い。新文芸坐で実写映画「血とダイヤモンド」を観る。1964年公開の作品だ。新文芸坐のチラシに「大傑作!必見!」とあったので観てみた。大傑作は大袈裟かもしれないれど、なかなかの快作。役者は佐藤允、宝田明がとてもよい。監督は「惑星大戦争」「ゴジラ対メカゴジラ」「エスパイ」の福田純。いい画も沢山あった。  

第546回 Vドルみもりん!

Vドル(マキナX)役は三森すずこさん!

『WUG! 新章』に登場するヴァーチャル・アイドルです。ホン読み(脚本打ち合わせ)の際、「Vドル役は誰にする?」と。歌が上手で、若干ドジっ娘っぽい愛嬌も伴うパーフェクト・アイドルキャラ。自分の中では即決で


とエイベックスのPも即答。『てーきゅう』のかなえ役で可愛さ&歌の上手さを知ってたので間違ってはいなかったかと。この頃は、ちょうど『てーきゅう』9期のアフレコ期間で、ちょくちょくご本人に会う機会があったので、直接「やりません?」と聞いたところ、


と仰ってくれたので、音響制作を通じて正式オファーしてもらいました。やっていただいたら、まあ確実に歌が上手かった! もちろん芝居もなんら文句もなく、自分のイメージした無敵なアイドルに仕上がってたし、田中Pも「三森さんの声で『マッキーナしか要らないよね?』とか言われると、若干怖いよね(笑)」ととても気に入ったようでした。「可愛く無垢に世界征服を狙う」感じは意図してたので嬉しかったです。
 で、次のシリーズ(ミルパンセ制作ではない)の監督作をコンテ中で、今回も短くてすみません!

新文芸坐×アニメスタイル セレクションvol.100
100回記念シリーズ Best of Best(1)

 オールナイトシリーズ「新文芸坐×アニメスタイル セレクション」が100回目を迎えることになった。記念すべき100回目のオールナイトは「Best of Best(1)」のタイトルで、今までのプログラムの中から選りすぐりの作品をお届けする。
 上映作品は佐藤順一監督の『ユンカース・カム・ヒア』、片渕須直監督の『アリーテ姫』、りんたろう、大友克洋、川尻善昭の3人の監督によるオムニバス『迷宮物語』、平田敏夫監督の『ボビーに首ったけ』の4本。言うまでもなく、いずれも見応えのある作品だ。

 開催日は2018年2月24日(土)。トークコーナーのゲストは佐藤順一監督、片渕須直監督のお二人だ。開演時間、前売り券の発売日などついては、決まり次第お伝えする。前売り券は2月3日(土)から新文芸坐とチケットぴあで発売となる。

新文芸坐×アニメスタイル セレクションvol.100
100回記念シリーズ Best of Best(1)

開催日

2018年2月24日(土)

会場

新文芸坐

料金

一般2600円、前売・友の会2400円

トーク出演

佐藤順一、片渕須直、小黒祐一郎(司会・アニメスタイル編集長)

上映タイトル

『ボビーに首ったけ』
『迷宮物語』
『ユンカース・カム・ヒア』
『アリーテ姫』

備考

※オールナイト上映につき18歳未満の方は入場不可
※トークショーの撮影・録音は禁止

●関連サイト
新文芸坐オフィシャルサイト
http://www.shin-bungeiza.com/

第124回 新時代の開拓者 〜DALLOS〜

 腹巻猫です。映像音楽専門バンドG-Sessionライブ、いよいよ今週末1月27日(土)です。麻宮騎亜先生のキービジュアルイラストが公開になりました。特集「80年代ビクターアニメソング」「角川映画」他。ぜひご来場ください! 詳しくは下記を。
http://www.soundtrackpub.com/event/2018/01/20180127.html


 80年代ビクターといえば『超時空要塞マクロス』をはじめとするイキのいいTVアニメ作品を続々リリースしていた印象が強いが、実は80年代後半はOVA作品が多くなる。1985年を境にTVアニメの本数が落ち込んでOVAが激増していたという事情もあるだろう。
 しかし、TVアニメよりも音楽作りの自由度が大きく、高年齢層のユーザーが見込めるOVA作品へと戦略的にシフトしていったという見方もできる。80年代中期以降のOVAでは川井憲次(『COSMOSピンクショック』)や久石譲(『BIRTH』)、鷺巣詩郎(『メガゾーン23』)ら新しい作家が活躍。アニメ音楽の新しいスタイルを確立していった。  今回取り上げるのは、OVAの先駆けとなった作品『DALLOS』。これもビクターからサウンドトラックがリリースされた作品である。

 『DALLOS』は1983年から1984年にかけて全4巻(全4話)がリリースされたOVA作品。制作はスタジオぴえろ(現・ぴえろ)。世界初のOVAと謳われ、アニメ史にその名が刻まれている。
 原作・脚本は『科学忍者隊ガッチャマン』(1972〜1974)等を手がけたベテラン・鳥海永行。監督・脚本は鳥海永行に師事した押井守。とクレジットされているが、実質は鳥海と押井の共同監督作品で、2人の作品に対する考え方や演出スタイルの違いから現場は一時混乱したと後年、押井守は語っている。
 21世紀末、人類は月面開拓を進め、地球は月から得られる鉱物資源に頼って繁栄していた。しかし、月に移住した開拓民は地球側の厳しい管理政策に苦しんでいた。それに反発した一部の開拓民は月の独立をめざしてレジスタンスを組織し、過激な抵抗運動を始める。
 物語は月面都市モノポリスで生まれ育った少年シュンと幼馴染の少女レイチェル、レジスタンス活動のリーダー・マッコイ、レジスタンス制圧をめざす月面都市統括局の軍司令官アレックスとその恋人で国際連合高官の娘メリンダの5人を中心に展開。レジスタンス運動に巻き込まれる中で考え方を変えていくシュンやレイチェル、メリンダらのドラマとスリリングな戦闘シーンが見せ場になっている。
 タイトルの「ダロス」とは、月面で発見された謎の遺跡。人の顔のようにも見える巨大な建造物で、神話的な存在として月面開拓民の心のよりどころとなっているという設定だ。
 本作はもともとTVシリーズとして企画され、その序盤部分がOVAとして制作・発売されることなった。全4話でダロスの謎は明かされることなく、その後の展開に期待を持たせて終わる。物語としてはややスッキリしないが、セールス的には成功を収め、アニメビジネスに新しい道を拓いた記念すべき作品である。

 本作の音楽を手がけたのは、新田一郎と難波弘之。トランペット奏者であり、ブラスをフィーチャーしたフュージョンバンド・スペクトラムを率いて活躍した新田一郎と、シンセサイザー奏者であり、自らのバンド・SENSE OF WONDERでも活躍する難波弘之のタッグという胸躍る布陣だ。
 新田一郎についてはいずれじっくり取り上げたいので、今回は難波弘之を中心に紹介しよう。
 難波弘之は1953年、東京生まれ。3歳の頃からピアノを始め、学習院大学在学中よりプロ・ミュージシャンとして活動を始める。70年代後半から80年代にはさまざまなミュージシャンのレコーディングやステージサポートで活躍する一方、自らのバンド・SENSE OF WONDERを結成して活動の場を広げた。シンセサイザーをフィーチャーしたプログレッシブロックの騎手として、プロデュース、作・編曲、キーボード奏者と多岐にわたって活躍する音楽家である。誰がつけたか「プログレの貴公子」と紹介されることもある
 難波弘之のもう一つの顔が、SFファン、SF作家としてのそれだ。中学生のときにSF同人誌の老舗「宇宙塵」に参加したというから筋金入り。初期のソロアルバム「センス・オブ・ワンダー」「パーティー・トゥナイト」はSFをテーマにしたコンセプトアルバムだし、3rdアルバム「飛行船の上のシンセサイザー弾き」は自身の同名SF短編集を題材にしたアルバムである。
 かく言う筆者が難波弘之の名を知ったのもSFを通じてだった。高校生のとき、早川書房のSFマガジンで紹介されていた「センス・オブ・ワンダー」を発売と同時に購入。続く「パーティー・トゥナイト」も発売時に買って聴いた。だから、難波弘之といえば「SFの人」という印象なのである。
 『DALLOS』は音楽プロデューサー・新田一郎、音楽・新田一郎、難波弘之というクレジット。新田一郎と難波弘之は旧知の仲で、新田一郎が手がけた「パタリロ!」のイメージアルバムやTVアニメ『ななこSOS』のサウンドトラックにも難波弘之はミュージシャンとして参加している。
 難波弘之は自身が熱心なSFファンであるがゆえに、SFアニメの音楽に本格的に参加することに不安があったという。作品の細かいあらさがしをしてしまいそうだったからだ。しかし、『DALLOS』の仕事は親友・新田一郎からの依頼だったので安心して引き受けることができた。
 音楽作りも制約が少なくやりやすかった。コンテだけを頼りに自由に音楽を作ることができ、録音は楽しかった、とサウンドトラック盤のライナーノーツのコメントでふり返っている。
 本作のサウンドトラックは1984年2月21日にビクター音楽産業からLPレコードとして発売された。タイトルは「組曲ダロス」。1994年にビクター・アニメ・ミュージック殿堂シリーズの1枚として初CD化され、1999年にはビクター・アニメ・殿堂ツインシリーズの1タイトルとして『テクノポリス21C』とカップリングの2枚組で再発されている。殿堂ツインではブックレットの紙数の都合でオリジナル盤のライナーノーツに掲載されていた鳥海永行、押井守、難波弘之、新田一郎のコメントが割愛されているのが残念だ。
 収録曲は以下のとおり。

  1. ダロスのテーマ
  2. 緊急脱出
  3. ムーン・ドッグ
  4. シュンとメリンダの愛のテーマ
  5. ドッグ・ファイト
  6. モノポリスのテーマ
  7. 虚ろな心
  8. ムーンライト
  9. 鉄の爪
  10. チェイス
  11. レジスタンスのテーマ
  12. ルナリアンの夢
  13. ダロスのテーマ

※レコードでは1〜6がA面、7〜13がB面。

 難波弘之のコメントにもあるように、本作の音楽はコンテに合わせて書かれているようだが、各曲が独立した音楽としても楽しめるような充実したものになっている。
 アルバムの構成は、サントラというよりも、ロックのコンセプトアルバムのような作り。大きな特徴は歌がないことだ。ビクターとしては売りにくかったのではないかと思うが、「組曲」とタイトルをつけることでロックのインストアルバム的な印象を打ち出している。
 たとえば2曲目〜4曲目はトラック番号は振られているが、曲は切れ目なく続いている。8曲目〜10曲目、12曲目〜13曲目も同様に切れ目のない連続した構成。ロックのコンセプトアルバムなどによくある、アルバムごと聴いてほしいという強い主張を感じる作りである。メモリオーディオなどに取り込んでバラバラに聴くと曲の連続性が失われてしまう。頭から終わりまで、アルバムの世界観を丸ごと楽しみたい作品だ。
 当時のサントラには珍しく、録音日や録音スタジオ、レコーディングメンバーなどの記録が詳細にライナーノーツに記されている。こんなところも「ロックのアルバムみたい」と思わせる点だ。それによれば、録音は1983年11月9日から12月13日にかけて、スターシップスタジオ、ビクター青山スタジオ、アルカディアスタジオで行われた。演奏は新田一郎、兼崎順一らホーン・スペクトラムのメンバーからなるブラスセクションと難波弘之(ピアノ)、土方隆行(エレキギター)、岡沢茂(エレキベース)、菊地丈夫(ドラムス)らのリズムセクション+ストリングスというメンバー。
 作曲・編曲は新田一郎と難波弘之の連名でまとめてクレジットされていて、各曲がどちらの作であるかは明らかでない。しかし、曲ごとにどちらの個性が強いかは聴いているとなんとなくわかる。
 1曲目「ダロスのテーマ」は本作のメインテーマ。同時に謎の遺跡ダロスのテーマでもある。各話のオープニングとエンディングに使用されたほか、ダロス登場シーンにも選曲されている。
 これぞプログレ! という響きの重々しい導入部に続いて、ストリングスがクラシカルなメロディを奏で始める。悠久の時や月面開拓民の悲哀を連想させるメロディである。ドラムスの力強いリズムとブラスセクションの合いの手がSFアニメのスケール感を表現する。本作の音楽の方向性を示す、メインテーマにふさわしい曲だ。
 トラック2「緊急脱出」、トラック3「ムーン・ドッグ」とアップテンポの曲が続く。アルバム冒頭で盛り上がる曲を続けて勢いを出そうという、これもロックアルバム的な構成。
 くり返されるエレキギターのリフにトランペットのアドリブ的なフレーズが絡む「緊急脱出」は、第3話終盤で月面都市の警察軍がレジスタンス総攻撃に向かう場面に使用。劇中では短く使用されるだけなのがもったいない。
 続く「ムーン・ドッグ」は警察軍がレジスタンスを追い詰めるために使うサイボーグ犬ムーン・ドッグのテーマ。細かく刻むリズムの上でシンセとエレキギターが交互にメロディを奏でる。3分を超える長さの中で曲はアドリブをまじえて展開していく。ラストは穏やかなシンセのフレーズとともにフェードアウトしていき、次の「シュンとメリンダの愛のテーマ」につながる。
 トラック4「シュンとメリンダの愛のテーマ」は本作の愛のテーマと呼ぶべき、ロマンティックな曲。ピアノのアルペジオをバックに美しいメロディがストリングスとトランペットで歌い継がれるロックバラードだ。これも3分を超える聴きごたえのある曲。
 曲名は「シュンとメリンダの」となっているが、劇中では2人がそこまで恋仲になることはない。第1話でシュンが宇宙空港でメリンダを初めて見かける場面、第2話でレジスタンスに捕えられたメリンダからシュンが地球の話を聞く場面などに使用。月で生まれたシュンの地球へのあこがれがメリンダに投影され、その気持ちが音楽で表現された印象だ。
 最終話のラスト、シュン、レイチェル、アレックス、メリンダがそれぞれの道を歩き始める場面には、この曲が流れて物語を締めくくっている。
 トラック5「ドッグ・ファイト」は前曲と一転してブラスロック的な派手な曲である。導入部はストリングスのメランコリックなメロディが奏でられるが、30秒を過ぎてブラスのアタックとともにブラスとストリングスが軽快に奏でるアクション曲になる。
 これはどう聴いても新田一郎のスタイル。本作の中でも一番の燃える曲と言ってよいナンバーだ。劇中ではレジスタンスと警察軍との戦闘場面にたびたび選曲されている。本編でも比較的長尺で使われているが、アルバムではさらに長く、たっぷりと4分以上聴くことができる。
 レコードではA面のラストを飾った「モノポリスのテーマ」は、シュンたちが住む月面都市モノポリスのテーマ。モノポリスは地球から見て月の裏側に建造された都市で、開拓民たちが身を寄せ合って暮らしている。シンセの淡々としたリズムで真空の中にたたずむ都市のイメージが描かれる。
 曲の後半は曲調が変わり、キラキラしたシンセが神秘的なムードをかもし出す。この部分は第4話でシュンが祖父タイゾーを連れてモノポリスを離れ、地球を望む「望郷の地」へと向かう場面に選曲された。月から見た地球のイメージだろうか。
 トラック8「虚ろな心」は曲名に反して、シンセの暖かい音色が奏でる明るいワルツの曲。第2話で、レイチェルがモノポリスの公園でアレックスと(彼の正体を知らずに)語らう場面で流れた。本作ではこういう穏やかな情景描写曲は少ないが、緊迫した場面の合間に挿入されて世界観に深みを与えている。
 次の「ムーンライト」はブラスとシンセがリードする軽快なフュージョン曲。これも『DALLOS』の戦闘一辺倒ではない一面を表す曲だ。
 しかし平和ムードはここまで。曲は切れ目なく緊迫感のある「鉄の爪」に突入する。第1話でアレックスとメリンダの乗った月面シャトルがレジスタンスに襲撃される場面に使われた。危機感が盛り上がったところでトラック10「チェイス」になだれこみ、レジスタンス対警察軍の激闘が表現される。
 「チェイス」はラテンパーカッションとシンセのリズムの上でブラスセクションがスリリングなフレーズを展開するアップテンポの曲。「ドッグ・ファイト」とともに本作の戦闘場面を彩ったアクション曲である。
 短い静寂を挟んで、曲はトラック11「レジスタンスのテーマ」へ。レジスタンスの活動場面にくり返し流れた曲だ。中心となっているのは、ボレロ的なリズムをバックにシンセが奏でる悲壮感をたたえたメロディ。レジスタンスと孤独と決意を感じさせる曲である。
 アルバムもいよいよ終盤。トラック12「ルナリアンの夢」は鳥の声を模したようなシンセの導入からピアノによる哀愁を帯びたメロディに続いていく。
 月面開拓民の想いを象徴する曲で、第3話でメリンダがタイゾーから開拓民の厳しい人生を知らされて心を動かされる場面に使用。第4話ではモノポリスを離れたシュンとタイゾーが月面基地の残骸の横を通り過ぎ、望郷の地にたどりつく場面まで、ほぼフルサイズ流れている。本作のテーマに直結する、第2のメインテーマとも呼ぶべき曲だ。
 そして、曲は途切れることなく最後のトラック「ダロスのテーマ」に続く。トラック1に置かれたメインテーマのロングヴァージョンである。『DALLOS』の物語、月面開拓民の歴史と想いを知った上で聴くと、また違った趣がある。シュンやメリンダの人生がどう続いていくかは本作を観たひとり一人の想像にゆだねられたが、「組曲ダロス」は本曲をもってひとまずの決着を迎える。
 「組曲ダロス」はOVA『DALLOS』のサウンドトラックにとどまらず、『DALLOS』がめざした世界観と物語、めざして到達できなかったイメージが反映されていると思う。新田一郎・難波弘之の音楽性と、難波のSFファンとしてのセンスが創り上げた、ジャンルを超えた組曲だ。世界初のOVAにふさわしい、意欲的なアルバムである。

 難波弘之は本アルバム発売の1ヶ月後に平井和正の小説を題材にしたイメージアルバム「真幻魔大戦」をリリース。これは難波のプログレアルバムとしても評価の高い名盤で、ぜひあわせて聴いてほしい作品だ。1983年に公開された劇場アニメ『幻魔大戦』はプログレの雄=キース・エマーソンと青木望が音楽を手がけたが、もし難波弘之が担当していたら……と想像してしまう。

組曲ダロス
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ダロス/テクノポリス21C
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真幻魔大戦
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137 アニメ様日記 2018年1月7日(日) ~

2018年1月7日(日)
三連休の2日目。ワイフの付き合いで、新文芸坐で実写映画「エル ELLE」を観る。これは2016年の映画で、Wikipediaによればフランス、ベルギー、ドイツの製作。予告を観て、犯人当てのミステリかと思っていたのだけど、そういうわけではなかった。ゲーム会社の女社長が主人公で、ゲーム制作の描写もあり。おそらく自分の印象に残る映画。  

2018年1月8日(月)
三連休の3日目。取材の予習で『輪るピングドラム』を観る。新宿バルト9で『龍の歯医者 特別編』の鑑賞。『龍の歯医者』は放映でも観ているのだが、きちんと作品と向き合っていない気がしたので、再見したかったのだ。販売店で Blu-ray 特別版も購入。  

2018年1月9日(火)
新番組の『からかい上手の高木さん』1話を観る。かなりいい。満足以上の出来。原作のポイントを外さずに、丁寧に映像化している。クレジットで気になる点があった。いずれ明らかにしたい。取材の予習で『十兵衛ちゃん2-シベリア柳生の逆襲-』を観る。懐かしいなあ。  

2018年1月10日(水)
取材の予習で『君のいる町』を観る。山内重保監督の絵コンテは見ているだけで楽しい。  

2018年1月11日(木)
取材予習の仕上げは『君のいる町』のOAD。『君のいる町』のTVシリーズは西位さんは、ほぼデザインのみなのだが、OADは総作監を務めている。13時から「この人に話を聞きたい」取材。第197回で登場していただくのは、西位輝実さん。前にも本人からうかがっているのだが、彼女の動画時代に、僕は『少女革命ウテナ』の打ち上げでサインをしているらしい。  

2018年1月12日(金)
『恋は雨上がりのように』1話を観る。詩的な渡辺歩作品を久しぶりに観た。いいなあ。取材の予習で『ボールルームへようこそ』を1話から12話まで観る。
 『ラーメン大好き小泉さん』2話を観る。今回のお店は蒙古タンメン 中本とパパパパパイン。パパパパパインは今はなき西荻窪店を再現していて、ちょっと嬉しかった。ちなみに僕がパパパパパインに行ったのは湯浅政明さんをはじめとする業界の方達のツイートがきっかけだった。『小泉さん』を観た流れで、晩飯は池袋の蒙古タンメン 中本でいただく。この日記には書かなかったけれど、1週間前には『小泉さん』1話を観て、天下一品でラーメンを食べた。  

2018年1月13日(土)
アクアシティお台場の朝イチの回で『マジンガーZ/INFINITY』を観る。TVシリーズの「その後」の話で、昔からのファンにとっては「ここがよかった」「ここは違う」と言い合うのが楽しい作品になっていると思った。それとは別に(作品とは直接関係ないところで)、僕にとっては色々と考えるところのある作品だった。具体的に言うと「今後、どんなふうにロボットアニメを作ればいいのか」ということを考えた。  

第545回 続編がいっぱい

『Wake Up, Girls! 新章』最終回放映(配信も)されました!

 昨年末に納品し終えていたので、安心して年を越し、1月はスタッフ一同各々15〜30日(本人の希望する日数)の長期休暇中。一人静かなスタジオ内でこの原稿を書いております。
 思えば2013年から

『劇場版 カードファイト!! ヴァンガード〜ネオンメサイア』(2014年)
『ベルセルク』(2016~17年)
そして、『Wake Up, Girls! 新章』(2017年)

と「続編の監督」が続いてますね、なんとなく。続編に取り組む際、もちろんそこまでの映像作品はすべて観返します。『劇ヴァン』の時は、そこまで放映されていた話数すべて、『ベルセルク』でも旧TVシリーズと劇場版3部作、当然『WUG! 新章』の時も前作、劇場+前TVシリーズ(1期)も劇場前後編(2期)も幾度となく観て、さらに『うぇいくあっぷがーるZOO!』や『わぐばん!』も。『WUG!』の場合は、1期・2期とも少しだけ参加してたので、基本のストーリーとキャラクターは把握してました。あとはどんな話にするか? です。「明るい作品を」とのオーダーがプロデューサーからあり、WUG!さんたちとの打ち合わせでも同じことを要望されたので、それらを踏まえた上で脚本の松田恵里子さんとの話し合い——松田さんは『わぐZOO!』でも脚本を担当されてたので、キャラクターの性格周りの話は比較的スムーズに進みました。そして、Run Girls, Run! はキャラの性格もユニット名も松田さんの案です。歩が母親に「アイドルってどう思う?」と切り出して、笑顔でチラシ配り〜グリーンリーヴス入りのくだりも概ね松田さんの案で、最初自分は「もうちょっと親との確執云々とかある方がドラマ的に盛り上がるのではないか?」とも言ったんだけど、本読みの際に「それだと真夢のエピソードと被る」という話になり、「確かに今の若いお母さんなら、それなりに寛容な対応をするのではないか?」と思い直しました。
 物語のテーマ的なものは自分がしゃべったことが活かされてると思います。オープニングの「7Senses」の歌詞も、本編の物語の方向性をくんでくれました。あ、あとVドルは——。

136 アニメ様日記 2017年12月31日(日)~

2017年12月31日(日)
3日間のコミックマーケットが終了。今年も1年を振り返る余裕がないまま、年が暮れる。
 Kindleで森見登美彦さんの小説「ペンギン・ハイウェイ」を読了。登場人物と作品世界が素敵だった。どこかがそっくりというわけではないのだけど、読んでいて『電脳コイル』を思い出した。  

2018年1月1日(月)
新文芸坐で実写映画「駅馬車」を観る。1939年公開のアメリカの映画である。僕にとって「タイトルは知っているけれど、きちんと観たことのない映画」のひとつだった。99分の中にみっちりと内容が詰め込まれており、見どころがいくつもある。名画と呼ばれるのが納得できる仕上がりだ。駅馬車に乗り込んだ人達の人間模様が中心で、アパッチ族とのアクションは時間としては短いのだが、迫力満点で見応えがあった。よく撮ったものだと驚くカットがいくつもあった。駅馬車が目的地についてから、もう一山あって、そちらが本当のクライマックス。観客をハラハラさせる、あるいは驚かせる演出で、どこかで見たようなものがあったのだけれど、当時は斬新なものであったに違いないし、この映画がルーツなのかもしれない。登場人物としては飲んだくれ医者のブーンと、賭博師のハットフィールドがよかった。  

2018年1月2日(火)
新文芸坐で実写映画「荒野のガンマン」を観る。1961年のアメリカの映画。これも「タイトルは知っているけれど、きちんと観たことのない映画」のひとつ。ああ、なるほど、こういう内容だったのか。
 Kindleで喜国雅彦さん、国樹由香さんの「本格力 本棚探偵のミステリ・ブックガイド」を読了。いくつかのパートで構成されている書籍で、その中の「H-1グランプリ」が楽しかった。本格ミステリについて研究している博士と女子高生のかけあいのかたちで、推理小説について熱く語りあうというもの。読み物としても面白かったし、濃い人の濃い世界に触れられたのもよかった。  

2018年1月3日(水)
新文芸坐で実写映画「戦争のはらわた」を観る。1977年のアメリカの映画。これも「タイトルは知っているけれど、きちんと観たことのない映画」だ。当時の観客が感じたであろう衝撃については想像するしかない。公開当時に観ていたら、かなり違った感想を抱いただろう。
 新番組『宇宙よりも遠い場所』を観る(1話の放映は1月2日(火))。監督/いしづかあつこ、シリーズ構成・脚本/花田十輝、キャラクターデザイン・総作画監督/吉松孝博のオリジナル作品だ。予想よりもリアル寄りの作品で、そして、初々しさがある。これからの展開が楽しみだ。  

2018年1月4日(木)
TOHOシネマズ新宿で「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」を観る。よい意味で観客の予想を裏切り続ける物語構成に感心。レジスタンスのメンバーが頼りない人物や小物ばかりだったりするのは、次回作で彼らを大活躍させるためだと思ったのだけれど、どうだろうか。  

2018年1月5日(金)
仕事はじめの日。テレビ放映版『君の名は。』の録画を流しつつ、キーボードを叩く。
散々話題になったのだろうと思うけど、『君の名は。』本編からSoftBankのCMへの流れに驚いた。板垣伸さんから電話があり、「『空手バカ一代』のパイロットフィルムの作画は大塚さんですか?」と訊かれる。Blu-ray BOXの映像特典を観て気になったらしい。検索をしたら、過去の「WEBアニメスタイル」に「大塚康生さんが描いた『空手バカ一代』のパイロットフィルムがあるらしい」という情報があったので、それを彼に伝える。濃いネタを振られて悔しいので「『ハッスルパンチ』の宮崎駿さんの仕事」の話で返す。
 Netflixで配信が始まった『DEVILMAN crybaby』を視聴。言うまでもなく、湯浅政明監督の新作である。1話から3話は試写で観ているので、4話から最終回までを一気観する。原作通りではないが、原作の魅力を伝える映像化になっている。なによりも湯浅さんの「どんなものでも描けるんだ、描けば表現できるんだ」という姿勢が素晴らしい。  

2018年1月6日(土)
三連休の1日目。これからの仕事のための資料の読み込み。それとは別に、購入した書籍「政岡憲三『人魚姫の冠』絵コンテ集」に目を通す。日本動画の父・政岡憲三が温めていた企画『人魚姫の冠』の絵コンテ、スケッチを収録した書籍である。驚いたのは主人公である人魚姫が、劇中のかなり場面において裸であるということだ。そして、人魚姫はなまめかしい。収録されたスケッチもヌードが多い。「ええっ、これは?」と思って、巻末の高畑勲さんによる解説を読むと、そこには僕の疑問に対する答えがあった。そして、同じく高畑さんの解説にあるとおり、この書籍は画期的な出版物である。  

第544回 新年と『空手』と『WUG新章』

というわけで、年が明けました!


 ま、今年もこんなんしか描けない板垣です。皆さん、よい年を迎えたでしょうか?

で、新年早々、大好きなBOOK OFFで
『空手バカ一代』Blu-ray BOXを購入!

しました。数年前にも一度購入した『空バカ』。その時はDVD BOX1、2でした。今回買い直した理由はパッケージに書いてあった「特典映像・パイロット映像〜番宣スポット集」に惹かれたから(DVDの時はなかったのです)。で、お目当てのパイロットフィルムを観てみると、あれ? 見覚えある画が。そうだ!

大塚康生作画!

 テレコム・アニメーションフィルム時代の先生、大塚さんのアニメだ! と直感し、即アニメ様(小黒祐一郎編集長)に電話。アニメ様いわく「ああ、『空バカ』のパイロットは大塚さんらしいよ〜」とのこと。で、スミマセン! 『WUG新章』最終話んの話は次回で。

第123回 奇跡の思い出 〜ユンカース・カム・ヒア〜

 腹巻猫です。本年もよろしくお願いします。
 1月27日(土)に筆者も参加している劇伴専門バンドG-Sessionのライブがあります。特集「80年代ビクターアニメソング」「角川映画」他。お時間ありましたら、ぜひご来場ください! 詳しくは下記を。

http://www.soundtrackpub.com/event/2018/01/20180127.html


 今年は戌年。それにちなんで犬の劇場アニメを紹介しよう。
 1995年3月18日に公開された『ユンカース・カム・ヒア』だ。
 TM NETWORKの木根尚登が1990年に発表した同名小説を原作に、佐藤順一監督が映像化した。脚本はTVドラマ「熱中時代」(1978)、「たけしくん、ハイ!」(1985)など実写作品を中心に活躍する布勢博一。キャラクターデザインと作画監督は小松原一男が担当している。
 小学6年生の野沢ひろみの家で飼われている犬ユンカースは、人間の言葉をしゃべる不思議な犬。しかし、それはひろみとユンカースだけの秘密なのだ。仕事が忙しく留守がちのパパとママの間に別れ話が持ち上がる。心を痛めるひろみに、ユンカースは「君が願えば、ぼくは3つだけ奇跡を起こすことができるんだ」と話しかける……。
 どちらかといえば地味なアニメである。アニメ的な誇張を排したキャラクター。サトジュンらしいデフォルメやギャグも控えめだし、大きな事件も起こらない。ひろみの年上の家庭教師への憧れや留守がちな両親への複雑な想いを描きながら、淡々と物語は進む。少女の心情を丹念に描いた誠実な作品だ。唯一ファンタジーの要素であるユンカースも、格別非日常的な存在としては描かれず、ひろみと2人(1人と1匹)きりのときに話すだけ。ユンカースが人間の言葉を話すことの説明は本編にはなく、ひろみの空想ともとれるが、そうではないことを示すエピソードが挿入されている。
 ユンカースのモデルはTM NETWORKの小室哲哉がイギリス滞在時に飼っていたミニチュア・シュナウザー犬だそうだ。木根尚登の原作では主人公は16歳の女子高生。アニメ版のスタッフは人の言葉を話す犬ユンカースと「3つの願い」という部分を生かして、新しい物語を作り出した。
 公開当時は上映館数も少なく、あまり評判にならなかった。しかし、公開した年の毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞したことが本作の実力を示している。その後、作品に感動した熱心なファンが地道に上映活動を続け、本作の名は徐々に知られるようになっていった。BS、CSなどの放送を経て、2001年にようやくDVD発売。手軽に観られるようになったが、まだまだ本作の魅力は知られていないように思う。

 本作の音楽は原作者である木根尚登が担当している。小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登の3人で結成されたユニットTM NETWORKは1984年にデビューし、1987年にはTVアニメ『CITY HUNTER』のエンディングテーマ「Get Wild」が大ヒット。80年代後半から90年代のJ-POPシーンを代表するユニットとして活躍した。劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988)主題歌「BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)」もTM NETWORKの楽曲だ。
 90年代に入ってTM NETWORKは「TMN」とリニューアルし活動を続けるが、1994年に活動終了。1999年に活動を再開するまで、3人はソロ活動に転じた。『ユンカース・カム・ヒア』はその時期の作品である。
 TM NETWORKでは作・編曲、キーボーディスト、ギタリストとして活躍した木根尚登は、本作で主題歌「ホントの君 ウソの君」「Winter comes around」とBGMの作曲を手がけている。BGMは木根尚登が書いた主題歌と「ひろみのテーマ」「パパのテーマ」などのいくつかのモティーフのアレンジが中心。CDシングル「ホントの君 ウソの君」のカップリング曲「Bye Bye Bye」のメロディも使用されている。
 本作の音楽を担当したのは、実は木根尚登だけではない。アレンジと補作曲でSYS musicians(サントラ盤の表記)というユニットが参加しているのだ。
 SYSは嶋田陽一、山下恭文、嶋田英二郎を中心としたユニット。杉真理らJ-POPアーティストのレコーディング・サポートやアレンジも担当している。本作では作曲・編曲のほかにミュージシャンとしてBGM録音にも参加し、サウンド作りに重要な役割を果たした。
 『ユンカース・カム・ヒア』の音楽は木根尚登のメロディとSYS musiciansのメロディ+サウンドの共作ともいうべき作品である。
 映像音楽の経験がない作家が作る音楽だったので、佐藤監督は音楽に若干の心配があったそうだ。しかし、仕上がりを聴いてみると杞憂だった。音響監督の斯波重治は「これは上手くいくよ!」と力強く言ったという。
 サウンドトラック・アルバムは1995年4月21日にアポロンから発売された。現在は廃盤だが、DVD同梱CDとして復刻されている。収録曲は以下のとおり。

  1. オルゴール/ホントの君 ウソの君
  2. はじめましてユンカースです。/ホントの君 ウソの君
  3. ひろみ/ひろみのテーマ
  4. 大正ロマン
  5. パパ/パパのテーマ
  6. ウエディング
  7. つまんないテニス
  8. 圭介を尾行/ひろみのテーマ
  9. 尾行、原田千恵
  10. トレンディードラマ
  11. 寂しさ
  12. パパが帰ってきた/パパのテーマ
  13. パパとの食事
  14. 寂しいひろみ/ホントの君 ウソの君
  15. 辛いひろみ
  16. ヤケ食い/ひろみのテーマ
  17. ママとの会話
  18. 洋子の人形劇
  19. 優しい夜/bye bye bye
  20. 静かな雪の朝
  21. ひろみの料理/パパのテーマ
  22. 危機感
  23. よかった、戻ってきた
  24. クリスマスパーティ
  25. 海の思い出/bye bye bye
  26. ホントの君 ウソの君(唄:木根尚登)
  27. 幻/bye bye bye
  28. ひろみの気持ち/ホントの君 ウソの君
  29. ありがとうユンカース、春
  30. Winter comes around(唄:日置明子)
  31. オルゴール/ホントの君 ウソの君

 木根尚登が書いたモティーフのタイトルが「/」のあとに表記されている。同じモティーフの曲がどれかひと目でわかる、親切なタイトルづけである。
 音楽は絵に合わせて書かれている。サントラの構成も基本的に劇中使用順だ。
 しかし例外がある。1曲目と最後の31曲目に置かれた「オルゴール/ホントの君 ウソの君」だけは劇中使用位置とは関係なく配置されている。この曲についてはあとで語ろう。
 トラック2の「はじめましてユンカースです。」は冒頭、ユンカースが登場する場面に流れる曲。町を歩くユンカースの映像をバックに軽快なタッチで主題歌のメロディがたっぷり流れる。導入とともにメインテーマを印象づける巧みな音楽設計である。
 木根尚登が作曲した「ホントの君 ウソの君」のメロディが抜群にいい。これは本作のために作られた曲で、作品と無関係に作られたタイアップ曲にはない親和性がある。本作の場合、木根自身が原作者なのだからなおさらである。このメロディはひろみの寂しさや悲しみなど切実な気持ちを描写する楽曲に使われている。ひろみの心情に寄り添うやさしく切ないメロディが耳に残る。
 トラック3「ひろみ」、トラック8「圭介を尾行」、トラック16「ヤケ食い」などに使われた「ひろみのテーマ」は明るく元気なひろみを描写するメロディ。ひろみがユンカースと一緒に帰宅する場面の「ひろみ」ではクラリネットが旋律を受け持つほんわかしたアレンジで、ひろみが家庭教師の圭介を尾行する場面に流れる「圭介を尾行」は軽快なリズムに乗った躍動感のある曲調で、圭介に失恋したひろみがハンバーガーをやけ食いする場面の「ヤケ食い」ではビッグバンド+エレキギターの編成でユーモラスに奏でられる。ひろみの表情が目に浮かぶようなアレンジが楽しい。
 トラック5「パパ」、トラック12「パパが帰ってきた」、トラック21「ひろみの料理」などに使われた「パパのテーマ」は少し優雅な雰囲気の温かいメロディ。ひろみの目から見たパパのイメージだろう。パパは撮影のために海外を飛び回っている売れっ子CM監督だ。ひろみがパパに宛てた手紙が読み上げられる場面の「パパ」はアコースティックギターが奏でるやさしい曲調。ひろみの気持ちが伝わるアレンジだ。「パパが帰ってきた」では跳ねた3拍子のピアノでひろみの高揚感を表現。ひろみがクリスマスパーティのための料理を1人で作ろうとする場面の「ひろみの料理」ではアコーディオンとマリンバの音をフィーチャーして、南ヨーロッパの香りがするちょっとユーモラスなイメージに仕上げられている。
 ひろみとパパのテーマはあるが、ママのテーマはない。ホテルチェーンに務めるキャリアウーマンで、ひろみのことを気にかけていると言いながら、ひろみの本当の気持ちに気づかないママ。ママとひろみが絡むシーンでは、気持ちのすれ違いに寂しさを感じるひろみの心情に沿った曲が流れている。ひろみがホテルのラウンジでママと会話する場面のトラック17「ママとの会話」は、ラウンジのBGMとして流れるクラシック風の現実音楽だ。ママのテーマがないのは、ひろみとママの心の距離感の表れなのだろう。
 SYS musiciansのアレンジはバンドサウンドとシンセを中心に、短い曲であっても独立したポップスの楽曲風に完成されている。劇中で流れているときは目立たないが、サントラ盤で聴くとしっかり構成されたアレンジと演奏の質の高さに驚かされる。サントラで聴く価値がある音楽だ。
 「はじめましてユンカースです。」や「パパ」「寂しさ」「静かな雪の朝」「幻」などで聴かれる80年代風のふわふわした感じのシンセの音がとても耳にやさしく響く。「時をかける少女」(1983)の松任谷正隆の音楽をちょっと思い出させる。
 「優しい夜」「海の思い出」「幻」にアレンジされた「Bye Bye Bye」は、主題歌「ホントの君 ウソの君」のカップリング曲。本編には歌入りは使用されていないが、これも作品のイメージにつながる曲だ。昨日の君にさよなら、と歌う歌詞に、小さな事件を通して少し大人になるひろみの心の成長が重なる。その曲が、ひろみを気遣うユンカースのやさしさを表現する「優しい夜」、ひろみが両親との大切なひとときを思い出す場面の「海の思い出」「幻」にアレンジされているのはなかなか意味深である。これはユンカースの視点でひろみを見守る歌ではないだろうか。
 主題歌「ホントの君 ウソの君」はクライマックスで流れる。
 ひろみが思わず口にした願いを聞いて、ユンカースが奇跡を起こす場面だ。ひろみの日常がリアルに描かれるぶん、このシーンの驚きとカタルシスは大きい。大橋学が作画を手がけ、キャラクターと背景を描いている。水彩画調の背景が動くダイナミックな映像が「奇跡」を実感させて大きな感動を呼ぶ。本作の一番の見せ場である。この場面はセリフと歌がかぶらないように苦心して何度もやり直した、と斯波重治はふり返っている。
 しかし、本当のクライマックスはそのあとなのである。ユンカースの力で思い出の場所に集まったパパとママに、ひろみが本当の気持ちを告げる場面。ギターとシンセだけのシンプルなアレンジで「ホントの君 ウソの君」のメロディを奏でる「ひろみの気持ち」が流れる。ひろみ役・押谷芽衣の名演とともに忘れがたい名場面だ。思わず感情があふれるママの芝居もいい。このシーンは何度観ても胸が熱くなる。
 エピローグに流れる「ありがとうユンカース、春」はアコースティックギターの音色が心に沁みるやさしい曲。後半はピアノが同じメロディを明るく奏でて締めくくる。
 エンディングテーマは日置明子が歌う「Winter comes around」。TM NETWORKのアルバム「CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜」(1988)に収録された同名曲のカバーである。オリジナルは小室哲哉がアレンジしているが、劇場版は「愛・おぼえていますか」(『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』主題歌)や「愛はブーメラン」(『うる星やつら2 ★ビューティフル・ドリーマー★』主題歌)のアレンジを手がけている清水信之によって新しくアレンジされた。原曲より温かい曲調のバラードに仕上がっていて、本編の余韻をゆったり味わわせてくれる。
 そして、アルバムの1曲目とラストに置かれた「オルゴール/ホントの君 ウソの君」だ。劇中でこの曲が流れるのは3回。序盤でひろみが机の上のオルゴールのふたを開くと、パパとママと3人で過した夏の思い出の写真が現れ、このオルゴールの曲が流れ始める。次は家庭教師の圭介と婚約者・洋子の仲違い、両親の不和などにひろみが小さな胸を痛める場面。3回目はひろみが口にした言葉をユンカースがかなえる終盤のクライマックスの始まりの場面。いずれも、ひろみの胸の奥に潜む気持ちがにじみ出す重要な場面に使用されている。
 1曲目と最後に置かれた「オルゴール」は同じ音源。同じ曲を2回収録するというCDとしては異例の構成になっている(アナログレコードの時代には「Reprise」と題して同じ曲をもう一度収録するケースもときどきあった)。
 しかし、アルバムの構成としてはうなずける。本作を観たファンなら、この曲とともに本編を思い出し、ひろみの物語とともに観たときの情景や感動までもがよみがえるはずである。「オルゴール」を頭と最後に配したことで、作品に忠実なサントラ盤であるだけでなく、「思い出のアルバム」として完成しているのだ。この思い切った構成には賛辞を贈りたい。

 『ユンカース・カム・ヒア』のサウンドトラックは、思い出のアルバムとして楽しめる1枚だ。それもやはり、作品の感動あってこそである。主題歌「ホントの君 ウソの君」も劇中の名場面の記憶ともに聴くことで胸にこみあげるものがある。戌年の今年、本作を未見の方はぜひDVDを手に入れて観ていただきたい。あわせて同梱のサントラを聴けば、やさしく、幸せな気分で年が始められるはず。奇跡を起こすのは君なんだ(byユンカース)。

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