腹巻猫です。私が参加していた劇伴専門バンド・G-Sessionのライブが、11月22日(土)17:30から新中野のLive Cafe弁天で開催されます。コロナ禍で活動休止していたのでライブは7年ぶり! 特集は「謎の劇伴UFO」と「7年越しの電リク大作戦」の2本立て。今回、私は客席で応援するので演奏内容は知らないのですが、きっとマニアックな選曲でしょう。お時間ありましたら、ぜひどうぞ!
詳細は下記を参照ください。
http://www.benten55.com/sche14/sche14.cgi#3968
過去のG-Sessionライブ
https://www.soundtrackpub.com/event/gsession/
今回は11月7日に公開された劇場アニメ『トリツカレ男』の音楽を取り上げよう。
いしいしんじによる同名小説を原作に、監督・高橋渉、アニメーション制作・シンエイ動画のスタッフでアニメ化された作品だ。
興味を持ったことにとりつかれたようにのめり込むことから「トリツカレ男」と呼ばれている青年ジュゼッペ。ネズミのシエロと話そうとするうちに、ネズミ語もわかるようになった。ある日、昆虫採集に夢中になっていたジュゼッペは、公園で風船売りの少女ペチカに出会い、恋に落ちてしまう。シエロの応援もあってペチカと友だちになれたジュゼッペだが、ペチカの笑顔に曇りがあることに気づいてしまった。ジュゼッペはペチカに心から笑ってもらうために、彼女の抱える悩みを取り除こうとする。
全編にキャラクターが歌う劇中歌が散りばめられたミュージカルアニメである。シンエイ動画らしい独特の絵柄が魅力的。それに歌がすばらしい。歌手やミュージカル俳優として活躍するキャストがそろい、表現力豊かな歌を聴かせてくれる。なかでもペチカ役の上白石萌歌の歌唱は、劇場で聴いていてうっとりするほどだ。
しかし、個性的な絵柄と歌の印象から、本作を「明るく楽しいミュージカルアニメ」と思って観に行くと、少々期待を裏切られる。明るく楽しいシーンも多いのだが、物語の後半はけっこうシリアスで繊細な展開になっていくのだ。ディズニーの劇場長編のような親子づれで気軽に観に行ける作品というよりは、「ラ・ラ・ランド」みたいな大人向けの作品だと思ったほうがよいだろう。
音楽は3人組のバンドAwesome City Clubのボーカリスト・ギタリストであるatagiが担当。主題歌・劇中歌すべての作曲と劇伴の一部を手がけている。ほかに劇伴担当として、波立裕矢と未知瑠の2人がクレジットされている。
本作の主題歌・劇中歌のことは、すでにさまざまなメディアで取り上げられているので、当コラムでは劇伴音楽にフォーカスして語ってみたい。
ミュージカルの音楽といえば、歌が中心になり、劇伴は歌のメロディを引用しながら物語を盛り上げていく、という印象がある。華やかな舞台劇音楽のようなイメージだ。
しかし、本作の劇伴音楽はちょっと違う。歌のメロディの引用もあるが、控え目だ。むしろ、一般的な劇場作品の背景音楽に近い。あまり目立たないように、ドラマにそっと寄り添っている。それはたぶん、本作が「明るく楽しい」だけの作品ではないからだろう。
実は、atagiと波立裕矢は劇伴音楽を手がけるのは初めて。atagiはバンドサウンド、波立裕矢はオーケストラサウンドが得意という持ち味の違いがある。もう1人の劇伴担当である未知瑠は、劇場作品・ドラマ・アニメの音楽で活躍し、オーケストラからジャズまで、さまざまなスタイルをこなす、いわば劇伴のプロ。3人の個性がまじりあって表現される本作独特の世界観が聴きどころである。
本作のサウンドトラック・アルバムは、2025年11月5日に「トリツカレ男 オリジナル・サウンドトラック」のタイトルでcutting edgeより配信でリリースされた。11月19日にはCD版もリリースされる予定である。
収録曲は以下のとおり。
- ジュゼッペのテーマ(歌:佐野晶哉)
- memoir
- 出会いのワルツ1
- ジュゼッペ、ジャンプ!
- シエロ教えて!
- 出会いのワルツ2
- ファンファーレ〜恋に浮かれて〜(歌:佐野晶哉、上白石萌歌)
- ブレーキなしで!
- ひみつの会議1
- That’s the bee’s knees!(歌:山本高広)
- 帰ってきた日常
- ひみつの会議2
- さすらいの医者
- 秋とジュゼッペ 恋の行方
- ペチカの過去
- 当方、トリツカレ男
- Accident! 1
- Accident! 2
- ジュゼッペとタタン
- ペチカとタタン3つの大切なこと
- Snowish(歌:柿澤勇人)
- シエロの言葉が
- 真実にたどり着いて
- 私たちは必ず転ぶ
- すべてジュゼッペだったのね
- あいのうた(歌:上白石萌歌、佐野晶哉)
- ファンファーレ(歌:Awesome City Club)
トラック27の「ファンファーレ」はCD版にのみ収録。配信版のアルバムには入っておらず、Awesome City Clubの楽曲として別途配信されている。
atagiは本作の劇伴を依頼されたとき、劇伴作曲の経験がなかったので悩んだという。しかし、「Awesome City Clubのような音楽で表現してほしい」と言われて引き受ける気になったそうだ(「up plus(アッププラス)」2025年11月号掲載のインタビューより)。
そのatagiが担当した楽曲は「memoir」(トラック2)、「シエロ教えて!」(トラック5)、「ひみつの会議1」(トラック9)、「ひみつの会議2」(トラック12)の4曲。どれもネズミのシエロがらみの曲である。ジュゼッペとシエロとの出会いが語られる場面の「memoir」で弦のピチカートやシンセを使ったテーマが提示され、以降の3曲ではそのテーマが反復される。劇伴におけるシエロ(あるいはシエロとジュゼッペ)のテーマなのだろう。
波立裕矢は9曲の劇伴音楽を担当した。波立は主に純音楽の分野で活躍する作曲家で、先に紹介したように、劇伴を手がけるのは本作が初めてだったという。
まず、ジュゼッペとペチカの出会いのシーンに流れる「出会いのワルツ1」(トラック3)と「出会いのワルツ2」(トラック6)。ジュゼッペの心のときめきを表現する、クラシカルでロマンティックなワルツの曲だ。「出会いのワルツ2」のあとに、ジュゼッペとペチカがデュエットするメインテーマ「ファンファーレ〜恋に浮かれて〜」が流れ始めるシーンは、本作の見どころ、聴きどころのひとつ。
「帰ってきた日常」(トラック11)、「さすらいの医者」(トラック13)、「秋とジュゼッペ 恋の行方」(トラック14)の3曲も波立裕矢の作曲。この中では、ジュゼッペが変装したヘンな医者のテーマ「さすらいの医者」が面白い。ミディアムテンポの飄々とした曲で、ベースとピアノとパーカッションが作り出すリズムは、異国の舞踏音楽のようでもある。「秋とジュゼッペ 恋の行方」はギターとピアノを中心にしたリリカルなサウンドが心に沁みる1曲。「帰ってきた日常」については、このあとあらためて紹介したい。
正直に言うと、歌のすばらしさに比べて、本作の劇伴音楽は少々地味ではないか、と筆者は感じていた。もっと歌い上げる曲やはじけた曲があるほうがミュージカルらしいと思っていたのだ。
しかし、波立裕矢のXのポストに興味深い発言を見つけた。2025年11月12日のポストで、波立はこう書いている。
「#トリツカレ男 の劇伴のモデルの一つとしたのは、三善晃さんの「赤毛のアン」のための音楽
脚本や絵柄を読み込むうち、本作でなら元々大好きな作品へのオマージュが自然に響くのではと思い至りました」
なんと、TVアニメ『赤毛のアン』の音楽をオマージュしたというのだ。ポストでは三善晃の名しか書かれていないが、当然、毛利蔵人が手がけた劇伴音楽もオマージュの対象に含まれているだろう。
それを意識して『トリツカレ男』の劇伴を聴くと、「なるほど『赤毛のアン』か」とひざを打ちたくなるところがある。
「帰ってきた日常」(トラック11)もそんな曲のひとつである。ギターやピアノ、パーカッションが奏でるおだやかなサウンドは、現代的でありながら、バロック音楽的なたたずまいがある。バロック音楽は毛利蔵人が『赤毛のアン』の劇伴で試みたスタイルのひとつである。
波立裕矢が手がけた残り4曲の劇伴——「ジュゼッペとタタン」(トラック19)、「シエロの言葉が」(トラック22)、「真実にたどり着いて」(トラック23)、「すべてジュゼッペだったのね」(トラック25)では、弦合奏とピアノ、フルート、ハープなどが奏でる、フランス印象派音楽風の上品で色彩感豊かな響きを聴くことができる。これも『赤毛のアン』の音楽に通じるサウンドだ。
波立裕矢は、『トリツカレ男』の一見エキセントリックな物語の中に、『赤毛のアン』と共通する日常への愛しさや想像力の尊さを感じたのではないだろうか。そのアプローチは、本作に一般的なミュージカル音楽とはひと味違う繊細なサウンドを提供することになった。とりわけ物語終盤の展開に、そのサウンドがマッチしたと思う。
アニメ『本好きの下剋上』『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』などの音楽を手がける未知瑠が担当した劇伴は8曲。
「ジュゼッペ、ジャンプ!」はジュゼッペが空に飛んだ風船をジャンプして集める場面に流れる曲で、軽快なリズムと口笛やブラスの合奏が楽しいミュージカルらしいナンバーだ。しかし、楽しい曲はこれくらいで、以降はあまりメロディアスでない、サウンド志向の曲が続く。
「ブレーキなしで!」(トラック8)は、ブレーキの壊れた自転車を押すペチカとジュゼッペが坂道を下りながら語らう場面の曲。ピアノとシンセ主体のシンプルな表現で、ふたりの心の中に芽生える言葉にならない感情を描写する。もっとメロディアスな音楽であってもよさそうなシーンだが、あえてメロディを抑えているのがうまい。未知瑠は、こういう複雑な心情やシリアスな状況を描くシーンの音楽を主に担当しているようである。
トラック15〜18は連続で未知瑠が担当している。「ペチカの過去」「当方、トリツカレ男」「Accident! 1」「Accident! 2」の4曲である。「ペチカの過去」はジュゼッペがペチカに秘めた過去があることを察する場面の曲。「ブレーキなしで!」と同様に、メロディを抑えた曲調でジュゼッペとペチカの心情を描写している。感情をひとつに限定せず、さまざまな心情が入り混じった複雑な曲調になっているのが現代的だ。
「当方、トリツカレ男」はジュゼッペがペチカの過去に関わるタタンという男のことを調べる場面の曲。これは比較的わかりやすい、ブルージーなジャズ風の曲である。
「Accident! 1」「Accident! 2」の2曲は、タタンの過去の回想シーンに流れる効果音的音楽。ここでも感情をあおらない抑えた表現が効果を上げている。このあたりは劇伴音楽の経験豊かな未知瑠ならではの音楽作りで、「うまいなあ」と思うところだ。
トラック20「ペチカとタタン3つの大切なこと」は、ピアノのみで奏でられる美しくリリカルな曲。ペチカの気持ちに寄り添った曲想だろう。
トラック24「私たちは必ず転ぶ」は、終盤の重要なシーンに流れる4分45秒に及ぶ長い曲。劇中では、この曲の上にほとんどずっとセリフが重なっている。このシーンでは、セリフが歌で劇伴がその伴奏になっていると言ってもよいだろう。音楽単体で聴くより、セリフとともに聴いたほうがぐっと胸に沁みてくる曲だ。音楽が主張しすぎず、歌いすぎない。その絶妙のさじ加減が、やはり「うまいなぁ」と思う。
劇伴にフォーカスして『トリツカレ男』の音楽を紹介したが、本作の音楽設計のユニークさと巧みさがわかっていただけただろうか。
すでに書いたとおり、筆者は『トリツカレ男』の劇伴音楽を「少々地味ではないか」と思っていた。あらためてサウンドトラックで聴きなおしてみると、よく考えられた、作品にマッチした音楽である。一般的なミュージカル音楽のイメージを裏切るような抑制された表現が、複雑で繊細な心情を描写するのに効果を発揮している。もし未見の方がいたら、ぜひ劇場で本作の個性的な映像と歌と音楽を体験してほしい。
最後に、サウンドトラック・アルバムに収録されていない歌について。本作の劇中歌はほぼすべてアルバムに収録されているが、一部、セリフ扱いで録音されたものは入っていない。筆者が特に記憶に残っているのが、ペチカの母親役で出演している水樹奈々が、終盤の印象的な場面で歌う歌である。筆者がこの作品の中で、とびきり「ミュージカルらしい」と思ったシーンだ。あの歌もアルバムに入ってるとよかったなあ。
トリツカレ男 オリジナル・サウンドトラック
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