COLUMN

第736回 2021年も終わり

自分に関わりのある方々がお亡くなりになったここ1年間——

去年(2020年)末、TVシリーズ版『Hellsing』(2001)で超迫力ある作画を見せて下さった村田俊(峻)治さん、2021年に入ると板垣にとって業界で最初に付いた先生である大塚康生さん、『GAD GUARD』(2003年)以来のお付き合いさせて頂いてたアニメーション監督のコバヤシオサムさん、『ベルセルク』の原作者でアニメ化の際大変お世話になった三浦建太郎先生、学生時代の同期で業界でも制作として色々助けてくれた冨高恒夫君、——そして、自分の父親。

 村田さんは自分がテレコム・アニメーションフィルムを退社してフリーになったばかり——ぺーぺーの演出なり立てでTV『Hellsing』時に仕事を御一緒しました。「俺を拘束するには○○万は必要だから!」と豪語し、実際そのギャラ分の実務作業量をこなして見せた数少ない尊敬できる腕を持った極巧アニメーターでした。「次の作品では君ら若手に教えてやるよ!」その言葉どおり、速くうまく描くコツを教えていただきかったです、本当に。
 大塚さん。ここで何度も語った正にアニメ界のレジェンド。テレコム出身のアニメーター全員の先生で、正式な——大塚さんが直に研修を担当した最後の研修生が板垣だったと思います。自分が動画時代に見よう見まねで描いた原画もどきをニコニコ笑って、対応・修正して下さりありがとうございました! 大塚さんの達筆な修正、まだ大切に保管してあります。
 コバヤシオサム(小林治)さんは、いつも現場で誰よりもテンション高くて、描かれる画も仕上がるフィルムも超絶カッコよくてシャレてスタイリッシュでした。『GAD GUARD』では、俺は一演出としてオサムさんにレイアウトを面倒見ていただいた立場でしたが、その後の『天元突破グレンラガン』(2007年)や『はなまる幼稚園』(2010年)『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』(2010年)『ダンタリアンの書架』(2011年)ではお互い脚本・コンテ・演出・作画同士ということで、自分より10も若い俺に対して「負けないぞ!」とライバル心を剥き出しに(するフリを)して下さるとても優しい方でした。自身のTwitterに書いてあったとおり、早く生まれ変わっておシャレなフィルム作って下さい!
 三浦先生。再々アニメ化『ベルセルク』(2016・2017年)時、原作のロスト・チルドレン編が放送規制関係上アニメ化不可能のため、その間を繋ぐオリジナル・ストーリー(第3話)を描(書)いていただきありがとうございました。そのアイデアを基に切った板垣コンテに対し「画に躍動感ありますね!」と褒めて下さって、板垣が前述の“大塚門下”だと説明すると「なるほど、だからですね~」と納得されたくらい、実はアニメにお詳しかった三浦先生。是非もう一度アニメで御一緒できたら、その時は俺の「作画の方の腕」も見ていただきたかったです。
 冨高君。東京デザイナー学院で共にアニメ作りを学んだ同期。学生制作で一緒にアニメ作ったし、一緒にお酒飲んで彼女の写真見せてのろけられたし、何度か俺らの前から姿を消したりもしたけど必ず再び姿を現し、その度に性格的にも見た目的にも丸くなっていった男でした。ここ数年は、某アニメ制作会社の海外動仕上撒き担当で、うち(ミルパンセ)も何度も助けてもらってました。「板ちゃんのは断れないよ(笑)」と言って——。

関わり方は様々でしたが皆様、板垣の恩人です!

 そして、前回・前々回と語らせて頂いた、自分の父親。最後の最後に言葉は交わせなかったものの、額に手を当てまだ残っていた体温は感じました。自分の知っているいつもの寝顔の様に安らかな表情ではありつつも、血の浸みた歯が覗く僅かに開いた口元からは癌との苦闘の跡が見て取れて、それが父の全てを凝縮している様でした。表っ面は温厚で寡黙、その実内面は誰よりもいろんなことに耐えている。「それで何とかなる!」と。何事にも理屈っぽく「こうあるべき!」と構え他人に説教しがちな俺に、学も金もなく、ただ一所懸命働き週に半日だけ遊び、名もなく普通にシンプルな人生を全うするということの尊さを最後に身を持って伝えようとしているかのようでした。

葬儀の時にも言いましたが、もう一度言わせて下さい。

「幸せ」をありがとうございました!