腹巻猫です。新海誠監督の『君の名は。』を観ました。巧妙に紡がれた脚本と美しい映像に導かれて、思わぬところに連れて行かれる……。そんなぞくぞくする感覚を味わえる作品。「シン・ゴジラ」とは、また別の意味で圧倒されました。
今週末9月3日(土)は、サントラDJイベント「Soundtrack Pub【Mission#29】冨田勲の世界」を開催します。お時間ありましたら、ぜひご来場ください!
http://www.soundtrackpub.com/event/2016/09/soundtrack_pubmission29.html
清水玲子のマンガを劇場実写化した「秘密—トップ・シークレット—」が上映中だ。死者の脳から過去の記憶を読みだして犯罪捜査に役立てるサスペンス・ミステリー。この作品、2008年に一度アニメ化されている。今回は、そのアニメ版=『秘密 The Revelation』を取り上げたい。
『秘密 The Revelation』は2008年4月から9月まで、日本テレビ系で全26話が放送されたTVアニメ作品。『ロケットガール』(2007)、『ウルヴァリン』(2011)などを手がける青山弘が監督、アニメーション制作はマッドハウスが担当した。
架空の捜査組織「科学警察研究所 法医第九研究室」、通称「第九」が舞台。第九の捜査官たちは事件にかかわった死者の脳を取りだし、死者が見ていた過去の情景をMRI装置で映像化して、事件の真相に迫っていく。
死者の脳を利用することへの抵抗、犯罪の瞬間に立ち会ってしまう恐怖、死者しか知らない「秘密」を見ることへのうしろめたさ。捜査官はさまざまな葛藤を抱えて捜査に挑む。謎解きミステリとサイコサスペンスが結びついたような、緊張感に満ちた作品だ。
そんな、スリラー的雰囲気を持つ作品の音楽を担当したのは平野義久。ジャズから現代音楽まで、多様な音楽を操りながら独自の世界を作り出す作曲家である。
平野義久は1971年、和歌山県生まれ。5歳よりバイオリンを始める。バロック音楽に傾倒して、小学生の頃から独学で作曲を始めた。高校時代はジャズに魅了され、サックスを手にして一時はジャズ・プレイヤーを目指したが、前衛的な作風で知られるジョン・ゾーンの音楽に触れて現代音楽の方向に進むことになる。高校卒業後は渡米して、イーストマン音楽院で現代音楽を本格的に学んだ。
映像音楽の本格的なデビューは、2001年に放送されたTVアニメ『爆転シュート ベイブレード』。若手作家を捜していたキングレコードのプロデューサーに抜擢された。以来、TVアニメ『花田少年史』(2002)、『エアマスター』(2003)、『桜蘭高校ホスト部』(2006)、『DEATH NOTE』(2006/タニウチヒデキと共作)、『鋼鉄神ジーグ』(2007)、『ブレイクブレイド』(2010)、『HUNTER×HUNTER』(2011-2014)、TVドラマ「栞と紙魚子の怪奇事件簿」(2008)、「ぴんとこな」(2013/新屋豊と共作)、「ゆとりですがなにか」(2016)などの音楽を手がけている。
平野義久の音楽には、ありきたりの映像音楽にはない感触がある。作品に合わせてテンポのよい曲やメロディアスな曲も書くのだが、その中に、現代音楽の手法や前衛的な香りをちらちらと混ぜてくるのだ。ジョン・ゾーンに影響を受けたという話を聞いて、なるほどと思った。ジョン・ゾーンはフリー・ジャズやミュージック・コンクレートなど、あらゆる音楽的手法を使って挑戦的な音楽を作り出す音楽家。同じ香りが平野義久の音楽に漂っている。
『秘密 The Revelation』は、そんな平野義久の音楽性がよく表れた作品だ。死者の記憶の迷宮に踏み込んでいく神秘と恐怖が入り混じった心ざわつく感じが、現代音楽の手法を交えて表現されている。
サントラ盤は2008年7月にバップから発売された。収録曲は次のとおり。
- ココロフィルム (TV SIZE)(歌:ALvino)
- The Number Nines
- Chase
- Maki
- Investigation
- Breaking Through
- Chaos
- Darkness
- Himitsu
- The Elite
- The Elite’s Restless Works
- The Celebrities
- The Freshman
- Unseen Criminals
- Cruelties
- For Your Eyes Only
- Gratitude
- Sweet Memories 〜Piano Version
- The Funeral
- Maki Is Lost in Meditation
- Maki with the Past
- Maze
- Forbidden Ground
- What He Saw
- In the Realm of the Memories
- Wasteland in Heart
- Dawn
- Cutie Pie
- Bittersweet Memories
- Sweet Memories
- 煙 (TV SIZE)(歌:まきちゃんぐ)
1曲目と最後の曲はオープニング&エンディング主題歌。BGMの構成は平野義久自身が手がけた。
トラック2の「The Number Nines」は第九のテーマ。海外TVドラマのテーマ曲のようなカッコよさを感じる曲だが、オーケストレーションは緻密で大胆だ。ショック音楽のようなイントロに続いて、弦が主旋律を奏でるアップテンポのテーマが現れる。弦の速いパッセージのあとに女声コーラスが入って曲調が変わる。この間奏部分が秀逸だ。死者の記憶の世界を垣間見るミステリアスなイメージが広がる。アルバム冒頭から「なんだかすごいぞ」と思わせる好ナンバーだ。
次のトラック3「Chase」は第九のテーマの変奏。デジタルなリズムにオーケストラとエレキギターが重なって、ジャンル分け不能の荒々しい音の世界が迫ってくる。エレキギターと現代音楽的なオーケストラの組み合わせが面白い。
トラック4の「Maki」は第九を率いる若き室長、薪剛(まき・つよし)のテーマ。第1話で薪が初めて登場する場面に使用されている。たゆたう水を思わせるような、ピアノと管弦楽によるドビュッシー風の曲。複雑に絡みあう楽器の音色が、理想と葛藤を胸に秘めた若き室長のキャラクターを表現する。
「Investigation(捜査)」と名づけられたトラック5は、タイトルどおり捜査のテーマ。ロック的なリズムにブラス、ホルン、ストリングス、フルートなどの生楽器とエレキギターの音が重なっては消え、音のモザイクを作っていく。聴くうちにえも言われぬ高揚感に包まれる曲だ。これはカッコいい。
トラック6「Break Through」もオーケストラとエレキギターを組み合わせて、現代音楽的表現を聴かせるサスペンス曲。静かに始まり、急転〜混乱、と展開する構成がユニーク。
そして、本作の音楽の聴きどころが、死者の記憶を読みだす場面をイメージした楽曲群である。
トラック7「Chaos」は無調で書かれた現代音楽風のサスペンス曲。明確なメロディはなく、管楽器とストリングス、パーカッションが混沌の世界を描き出す。
トラック8「Darkness」、トラック14「Unseen Criminals」、トラック15「Cruelties」、トラック23「Forbidden Ground」なども同じ感触を持つ、現代音楽の手法を取り入れたミステリー/サスペンス曲である。感情移入を拒むような乾いた曲調は、死者の記憶の森に分け入る緊張感・不安感とともに、捜査官のクールな視点も表現しているようだ。こうした現代音楽風の楽曲が、本作の独特のムードを決定づけているといっても過言ではない。
現代音楽的な楽曲の中でも、トラック24「What He Saw」やトラック25「In the Realm of the Memories」は、シンプルながら厳かな雰囲気を持った曲。死者の声に耳を傾けているような気分になる。平野が影響を受けたという作曲家のひとり、武満徹の音楽を思わせる曲だ。
こうした緊張感に満ちた楽曲に混じって、美しいメロディを持つ穏やかな曲も散りばめられている。
ピアノと木管、ホルン、弦のアンサンブルがゆるやかなうねりを作り出すトラック16「For Your Eyes Only」、ピアノが甘い想い出を奏でるトラック18「Sweet Memories 〜 Piano Version」、サティ的な中間色のピアノ曲のトラック20「Maki Is Lost in Meditation」、フルートと弦による古典音楽風のトラック27「Dawn」など。情緒に流れすぎない抑制の効いた曲調が、逆に聴くものの情感を映し出す。
中でも「Maki is Lost in Meditation」は、第24話で第九の捜査官・青木が事件に巻き込まれた同僚の天地奈々子と夢の中で邂逅する、幻想的で切ない場面に流れていた印象深い曲である。
本アルバムの中でも異色の曲がトラック9「Himitsu」だ。作品タイトル「秘密」を冠した曲は、ブラジル音楽とケルト音楽が混じったような、パーカッシブな民族音楽風のナンバー。劇中では曲名どおり、死者の脳に隠された秘密が明らかになる場面によく流れていた。
捜査の過程では緊張感のある現代音楽風の曲がシリアスで抑えたムードを作り出しているのだが、この曲が流れ始めた途端に、画面はそれまでの緊張感から解き放たれ、異様なテンションに包まれる。その対比が実に効果的で、「秘密」の解明によって事件の謎が明らかになる興奮が表現されている。
筆者が以前、平野義久から聞いた話によれば、もともとこの曲は「秘密」というメニューで書かれたわけではなかったという。ほかの曲と系統の違う曲を作ろうと考えてたどりついたのが、民族音楽的アプローチだった。その特徴的な曲調が秘密の解明場面に使われることで、思わぬ異化作用をもたらしたのだ。
アルバムのラストに置かれているのは、「甘い想い出」と題されたトラック30「Sweet Memories」。ハッピーエンドを思わせる締めくくりだが、もしかしたら、これは死者の記憶の中に残された幸福な想い出なのかもしれない。そう考えると、なんとも切ない幕切れである。
『秘密 The Revelation』のサントラは心をざわざわさせるアルバムである。死者の記憶を読みだすという題材が心をざわつかせるし、平野義久の音楽も心の奥深いところをじわじわと刺激する。しかし、そのざわざわする感じが心地よい。「サントラとはこういうもの」という先入観を覆す、刺激に満ちたアルバムだ。聴いていると、心の奥深くにしまいこんで忘れていた秘密が、ふいに浮かび上がってくるかもしれない。