小黒 『ステップジュン』の放送中に、ペンネームで『機動戦士Ζガンダム』(TV・1985年)の絵コンテを描かれてるわけですね。
佐藤 そうです。富野(由悠季)さんに、僕の仕事のサンプルとして送られたのが『ステップジュン』2話のコンテだったので、その時期で間違いないです。
小黒 これはどなたからのご紹介だったんですか。
佐藤 オファーをくれたのは、バンダイビジュアルにいた高梨(実)さんだと思いますね。高梨さんは『メモル』を観て「こいつ面白そうだな」と思ってくれていたようで、サンライズの内田(健二)さんから「誰かいない?」と聞かれた時に、僕を推してくれたんじゃないかな。この縁がゆくゆくは『ユンカース・カム・ヒア』(劇場・1995年)に繋がるんです。
小黒 なるほど。東映の研修生は他所の仕事をするのはマズかったんですか。
佐藤 基本的には、そうですね。『Zガンダム』の前に芦田(豊雄)さんがやっていた『(超力ロボ)ガラット』(TV・1984年)のコンテの話をもらったことがあって、面白そうなのでやりたいと東映の制作に言ったんですよ。そしたら制作からは「駄目に決まってるだろ」と。芦田さんにも「そりゃあ制作に聞いたら駄目だよ」と言われて、やっとそこで外の仕事をするのは認められていないのが分かって。だから『Ζガンダム』の時は言わないでやりました(笑)。
小黒 (笑)。何度かお話になってると思いますが、『Ζガンダム』のお仕事はいかがだったでしょうか。
佐藤 さっきも話題になったように『ガンダム』を全然通ってないので、富野さんがどういう人かもよく分からなかった。サンプルとして、1話の今川(泰宏)さんのコンテが届いたんですが、それは富野さんが筆ペンでガンガンと罵詈雑言を書き足したものだったんです。それを見たので「富野さんは、今回のTVシリーズはかなり映画的なテイストでやりたいんだろうなあ」という事前情報を持って臨むことができたんですね。
小黒 今川さんが描いた絵コンテがアニメっぽい派手な見せ方をしていて、それに対して富野さんが駄目出しをしていたわけですよね(編注:余談だが、富野監督による絵コンテへの書き込みの中に「このアニメ屋が」というものがあった。否定的なニュアンスの言葉だが、それをかっこいいと思った佐藤順一は、自ら「アニメ屋」と名乗ることにした)。
佐藤 ですね。もしかしたら、その前がマンガテイストな作品だったかもしれないんですけど、「同じつもりでやるんじゃない」というふうなことが書いてあったんですね。
小黒 なるほど。
佐藤 登場人物についても「このシリーズで重要なキャラクターの初登場シーンなのに、これかよ」とか、色々書いてありました。富野さんのところに行ったら、コンテの打ち合わせが「このシーンはどういう感情で」といった話じゃなかった。「キャラクターAとBが向かい合っている。同ポジでいきたいんだけども、場所を変えたい時はどうすればいいと思いますか?」という謎掛けみたいなことを言われて。
小黒 キャラクターがお互いに向かい合っていて、そのまま同ポジ?
佐藤 正確には覚えてないですけど、場面が変わっても同ポジを使いたい時はどうすればいいのか、みたいな話だったかと。とにかく、そういう演出の方法について急に謎掛けをくださるんです。
小黒 それはコンテを担当する「シンデレラ・フォウ」の内容とは関係ないんですか。
佐藤 関係ないですね。
小黒 (笑)。
佐藤 背景が大きく変われば当然違う場所になったように見えるけど、単純にそういうことではないよなと思ったので「分からない」と言ったら、「背景を変えるんです」と言われた。つまり、シンプルな話でした。サンプルとしてお渡しした僕の絵コンテで何かひっかかったのかもしれないですが、その時思ったのは富野さんは次世代に教えていくモチベーションが強い人なんだろうなあ、ということでした。
小黒 なるほど。
佐藤 カット割りといえば、『ステップジュン』2話の最後でも、切り返しでイマジナリーラインを越えたカット割りをやっているところがあったんです。富野さんに「これはイマジナリーラインを越えてますね」と駄目出しをもらったんですけど、「わざとやりました」と口答えしてもいけないと思って「はあ」と言いましたね(笑)。
小黒 佐藤さんはわざとやってたんですね。
佐藤 そうなんです。当時イマジナリーライン信者が凄く嫌いだった(笑)。学校でもイマジナリーラインについては学んでたけれど、東映動画に入ってみたら、先輩に映画マニアみたいな人がいて、イマジナリーライン等について教えてくれるんです。だけど、その人達が作ったものが面白くなかったから「それはいうほど重要ではないのでは?」という気持ちがずっとありました。だから、あえてそういうルールに逆らったものを作ろうという気持ちがあったんですよ。
小黒 なるほど。
佐藤 話を聞いて、この回でやりたいと思ってるものが分かったので、仕上がった絵コンテに関しても、そんなにガツンと直しを食らうことはなかったですね。
小黒 『Ζガンダム』のシナリオは枚数が多かったと聞いています。シナリオが尺オーバーだったということはなかったですか。
佐藤 よく覚えてないですが「(東映の)外のシナリオは長えなあ」と思ったような気もします。でも、尺オーバーだったとしても、そのままの長さでコンテ切ったんじゃないかなあ。
小黒 最初に担当した19話「シンデレラ・フォウ」はフォウ・ムラサメにスポットが当たる回ですよね。内容とか、キャラクターの把握はどうだったんですか。
佐藤 自然に受け止めることができたので、そんなに難しくは思わなかったですね。それほど突拍子のないキャラも出ていない回なんじゃないですかね。
小黒 そうかもしれないです。
佐藤 戦闘シーンに一番直しが入っていましたね。富野さんの直しには「ロボットの動きだけでは感情が動かないので、カットインで表情を入れるものである」という注意書きが入っていましたね。それから、カミーユとのシーンで、フォウが手で金網に触れながら走るのは、富野さんが追加した描写です。
小黒 金網のくだりは、富野さんが足した部分なんですね。流石ですね。
佐藤 ええ。「ああ、そういうことかあ」と分かりました。その後のベンチに座ってのやりとりとか、目線のやりとり等は僕の出したものがそのまま残ってると思います。
小黒 直された絵コンテが戻ってくるんですね。
佐藤 戻ってきますね。直した意図が、筆ペンで書かれたやつが戻ってきます。そういう手間が掛かることを、富野さんはちゃんとやってるということですね。
小黒 『Ζガンダム』では2話分の絵コンテを描いていらっしゃいますね。2度目の33話「アクシズからの使者」もスムーズにできたんでしょうか。
佐藤 こちらもそんなに迷ったりはしなかったんですけど、脚本だと牢屋から脱出するのが、カミーユがお腹が痛いふりをして看守を引きつけるというかたちだったのかな。それが都合よすぎる感じがして、クワトロとカミーユが口論をして、クワトロが本気で殴るという段取りを足したと思うんです。
小黒 それにもチェックは入ったんですか。
佐藤 ちゃんと文章が来て、「考え方のルートは今回は合っていた。合っているので、このコンテでよいのだが、これはコンテにする前に監督に問い合わせて相談すべき事柄である」と。ひと言、お小言が書いてあるんです。
小黒 なるほど。
佐藤 「それもそうだな」と思って(笑)。そんなところも勉強になりました。
小黒 『Zガンダム』と『ケロロ軍曹』(TV・2004年)の間にも、サンライズの仕事はいくつかありますよね。
佐藤 どれもコンテだけの参加ですよね。『0080(機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争)』の2話と5話かな。それと『(天空の)エスカフローネ』(15話)と『(カウボーイ)ビバップ』(18話)ぐらいかな。
小黒 『ビバップ』は佐藤さんの代表作ですよ。
佐藤 「フレー、フレー、私」が?(笑)
小黒 「フレー、フレー、私」が代表作ですよ!
佐藤 その辺は単発でパラパラとお仕事いただいてやってますね。あとは『(THE)ビッグオー』のストーリーボードもやったっけな。
小黒 『ビバップ』以外は甚目喜一(はだめきいち)名義の仕事ですよね。昔、田舎に住んでいたお爺ちゃんが東京にやって来て絵コンテを描いているようなイメージのペンネームだと聞きましたが。
佐藤 そんなことを言ったっけ(笑)。実際は出身地の甚目寺町(じもくじちょう)の「甚目」と、母親の名前の「喜」の一字を取って、甚目喜一としています。
小黒 話を戻すと、『Ζガンダム』への参加は勉強になったのでしょうか。
佐藤 なりましたね。監督のスタイルって色々あるんだと実感しましたからね。
小黒 東映の作品に戻ると、『ステップジュン』の次が初シリーズディレクターを務めた『メイプルタウン物語』(TV・1986年)ですね。『メイプルタウン』も準備室がありましたね。
佐藤 あったかな?
小黒 二宮(常雄)さんがいて、キャラクターを描いていたのを覚えています。
佐藤 はいはい。狭い部屋があった。
小黒 『メモル』に続きオリジナルですね。『ステップジュン』もオリジナルに近いので、佐藤さんとしてはオリジナル作品が続いている感じだったのでは。
佐藤 そうですね。『ステップジュン』も作り方がオリジナルの作り方なんですよね。
小黒 後に手掛ける『悪魔くん』(TV・1989年)もそうですね。
佐藤 そうです。『もーれつア太郎』(TV・1990年)も原作はあるけど、オリジナルの部分が多いんですよ。純然とした原作ものはあまり手掛けていないんですよね。
小黒 『メイプルタウン』は、どの段階から参加されてるんでしょうか。
佐藤 最初の構成をやっている頃からだと思いますねえ。東映のやり方だと、基本的にプロデューサーとシリーズ構成が方向性を決めて、それからディレクターを探すんです。だから、ある程度の型ができた後での参加になるんですけどね。
小黒 佐藤さんが参加した段階でメイプルタウンという街があって、動物達が暮らしているということは決まってるわけですね。
佐藤 決まっていますね。キャラクターデザインも二宮さんに決まっていて、キャラを描き始めていましたね。
小黒 スタッフワークも制作の方が既に決めているんですね。
佐藤 東映は基本そうですね。制作の方とプロデューサーで現場を決めるのが普通なので。
小黒 美術が小林祐子さんと有川知子さんですけど、これは抜擢だったんでしょうか。
佐藤 美術部の方の大抜擢で、彼女達にやらせようということになったのだと思います。
小黒 今観ても「背景を見せるアニメ」になってますよね。
佐藤 『メモル』からの流れで、背景に個性を持たせることが大事なんだという認識が、演出の中にもありましたね。
小黒 佐藤さんとしては、どのような意気込みだったんでしょうか。
佐藤 シリーズディレクターをやるに当たって、まずは無理なく作れるようにしておきたいという思惑があったんです。最初に『メイプルタウン物語』の画面の作りの指針みたいなものを描いたんですよ。この間、稲上(晃)君が当時から持っていたものを見せてくれて、それまでは描いたのを忘れていました。「構図は平面的でいい」ということを含めて色々と指示してありましたね。
小黒 当時、その画作りの基本方針の書類は拝見しました。「こういう構図なら、止めセルを上下させて歩いているように見せてもいい」といったことが書いてありましたね。
佐藤 そうそう。無駄な負荷を掛けなくていいように、ちゃんと設計しとこうという考えがありましたよね。
小黒 確か「家の断面図は見せよう」という項目が最後にあって、それだけは、ほぼ実現してないんですよね。
佐藤 そうなんです。1話でやっただけでした。やっぱり無理だったなと思いました(苦笑)。
小黒 (笑)。
佐藤 誰もやってくれなくて。
小黒 話の必然性がないとやんないですよね。
佐藤 まあ、確かにねえ。できること、できないことってやっぱりあるので、やりながら変わっていくものですね。そういうのは「無理にやれ」ではなく、できないものはできないでいいからと言っていますね。