SPECIAL

佐藤順一の昔から今まで (1)裏方的なことがやりたかった

小黒 佐藤さんは還暦を迎えたこの2020年に『泣きたい私は猫をかぶる』『魔女見習いをさがして』という2本の劇場作品を手掛けているわけですね。素晴らしい仕事ぶりですね。

佐藤 ありがとうございます(笑)。そうなんですよ。

小黒 2本同時に作るというのはどのようなかたちで?

佐藤 同時と言っても、スケジュールはいい感じにズラしてもらっているので、そんなにバタバタな感じではなかったです。それから、作品の性格が違うじゃないですか。それに『泣きたい私は猫をかぶる』は劇場オリジナルで、スタジオコロリドという看板を背負っていて、『魔女見習いをさがして』は『おジャ魔女どれみ』の映画化じゃないですか。スタンスも観客も違うので、重複したことで混乱することもなかったし、それで悩むこともなかったかなあ、と思いますけどね。

 どちらも現場のことは共同監督に任せているんです。『泣きたい私は猫をかぶる』は柴山(智隆)君がバリバリ動いてくれましたし、『魔女見習いをさがして』のほうは、鎌谷(悠)さんが今もバリバリやっています。彼らとの作業の棲み分けも比較的上手くできていたんです。とはいえ、緊急事態になるとどっちかに掛かり切りになってしまうので、その都度どちらかに迷惑を掛けつつ進んでいった感じです。

小黒 それでは、そんなふうにエネルギッシュに仕事を続ける佐藤さんの、今までのお話をうかがいたいと思います!

佐藤 はい。お願いします。

小黒 生年月日は1960年3月11日ですね。出身はどちらでしょうか。

佐藤 愛知県名古屋市ですね。

小黒 ずっと名古屋なんですか。

佐藤 小学校までは名古屋市内ですけれども、中学校から今のあま市に引っ越して、東京に出るまでいました。今も実家はあま市ですね。

小黒 ご兄弟は何人ですか。

佐藤 4つ下の妹が1人です。

小黒 はい。このインタビューで『魔法使いTai!』(OVA・1996年)が話題になった時に、妹さんがいることが重要になってくるんじゃないかと思います。

佐藤 そうですか(笑)。

小黒 子供の頃はマンガが好きだったんですか。

佐藤 普通に好きでしたよ。活字よりはマンガが好きでしたね。

小黒 プロになってから、佐藤さんが「活字の本は頭が痛くなるのであまり読まない」と言っているのを聞きましたよ。

佐藤 「頭が痛い」と言いましたか。そうですね、苦手な部類ですね。

小黒 それはずっとそうだったんですか。

佐藤 そうですね。活字をそのまま頭に取り込める人もいると思うんですが、自分はそうではなくて、活字を1回映像に変換してるんでしょうね。その手間があるので、スルスルと頭に入ってこない感じがあったんです。

小黒 どんなマンガが好きだったんですか。

佐藤 割と普通でしたね。小学生の頃であれば、赤塚不二夫。中学生辺りだと石ノ森章太郎や横山光輝とか。普通にみんなが読んでいたようなマンガですね。妹が購入していた「りぼん」を読むようになって、少女マンガにハマってたりしましたけどね。

小黒 後にプロになってから、佐藤さんは同世代のアニメ監督と比べると「そんなにおたくじゃない」ということが分かるわけですが、ご自身としてはおたくタイプだったと思います?

佐藤 僕は中学、高校の頃にアニメをすげえ追っ掛けていたわけじゃないんですよ。マンガも濃いものよりも、ストレスなく読めるものが好きだったりしますし、TVではアニメばかりでなく、青春ドラマとか刑事ドラマや時代劇も観てました。
 アニメでは、東京ムービーの『ど根性ガエル』(TV・1972年)や『ジャングル黒べえ』(TV・1973年)等のストレスが掛からずに観られるものが好きでしたね。マンガでは松本零士の「男おいどん」等も好きだったので、『宇宙戦艦ヤマト』(TV・1974年)が始まると「これは松本零士の世界だ」と思って、楽しんで観ていたんですよ。だけど、業界に入ってから色んな人と『宇宙戦艦ヤマト』の話をすると全然話が合わなかったんですよ。他の人は「主砲を撃つ時に船体が傾くのが、かっこいい」とか、SF的なテイストで楽しんでいたらしい。僕は「松本零士の画が好きだ」「『宇宙戦艦ヤマト』の題字が筆文字でかっこよかった」といった感じだったので「観てたとこが違うのかな?」と思いましたね。そして、意外とみんなが『(機動戦士)ガンダム』(TV・1979年)を好きで観ているということに驚いた。

小黒 佐藤さんは本放送時には『ガンダム』に触れてないんですよね。

佐藤 『ガンダム』は触れてないです。

小黒 取材の前に「佐藤順一年表」を作ったんですけど、『ガンダム』が始まった時に佐藤さんは大学2年になっているんです。当時の大学2年だと、意識してアニメを追ってないと『ガンダム』は観ないかもしれないですね。

佐藤 そうなんですよねえ。東映に入ってからも、例えば、西尾大介とかが『ガンダム』の話をするのについていけなかったですしね。大学2年の時にTVアニメを1本、そのまま絵コンテに起こしてくるという課題があったんです。それで「何を観ようかな?」と思っていたら、クラスメイトが選んでいたのが『ガンダム』のガルマが死ぬ回だったんです。そこで初めて『ガンダム』を観たという感じです。

小黒 なるほど。「みんなが言ってるのは、これかあ」みたいな感じだったわけですね。

佐藤 いや、『ガンダム』が話題になってるということも知らずに貸してもらって観たんです。それで、次を観たいという気にもならず。

小黒 それほどは興味を持たなかったということですね。根掘り葉掘り聞きますが、多分、佐藤さんは、高畑勲さんの作品が好きだと思うんですけど。

佐藤 はいはい。

小黒 なんとなく『赤毛のアン』(TV・1979年)がお好きなのではという気もするんですが、高畑さんの作品は観ていたんですか。

佐藤 そんなすげえ追っ掛けていたわけではないんです。『母をたずねて三千里』(TV・1976年)も『アルプスの少女ハイジ』(TV・1974年)も観てますが、観たのは再放送ですからね。TVの映画枠で『ホルス(太陽の王子 ホルスの大冒険)』(劇場・1968年)を観たりして、徐々に認識していくみたいな感じでした。

小黒 高畑さんの名前を意識したのは業界に入ってからですか。

佐藤 大学に入る頃には、ある程度アニメに興味があって、ちょうどその頃に「日本アニメーション映画史」というゴツい本が出たんですよね(編注:1978年、有文社刊。渡辺泰、山口且訓の共著)。

小黒 背表紙が赤っぽい本ですね。

佐藤 そうです。あれを食い入るように読んでいて「あれもこれも高畑勲なんだ」と気づく、その辺から高畑さんを意識したんだと思います。大学に通うために東京に来てから、色々なところで上映会があったんです。そういうところで『ホルス』や『どうぶつ宝島』(劇場・1971年)を観に行ったりしましたね。

小黒 もう少し手前の話も聞かせてください。ファンとしては、佐藤さんがどこで『エースをねらえ!』に引っ掛かってるのかを知りたいんですが。

佐藤 『エースをねらえ!』は高坂真琴さんの声です。

小黒 そうなんですか!

佐藤 意外とそっからなんです(笑)。

小黒 そっからなんですね(笑)。

佐藤 まず『(勇者)ライディーン』(TV・1975年)を観てたんですよ。

小黒 いきなりアニメファンらしい話になってきましたね(笑)。

佐藤 そうそう(笑)。『ライディーン』の前半や『コンバトラー(超電磁ロボ コン・バトラーV)』(TV・1976年)の前半は、面白いなと思って観ていたんですね。これも気楽に観てたのかもしれませんけど、ライディーンはデザインがかっこいいなと思っていました。その辺りで「(桜野マリの)声、なんかいいな」と感じていて、その声の役者さんががっつり出ている『エースをねらえ!』(TV・1973年)を観るみたいな流れだったんじゃないですかね。確か作品からは入ってないはずです。

小黒 なるほど。じゃあ最初は旧『エース』の再放送で入ってるわけですね。

佐藤 再放送でしょうね。

小黒 『新・エースをねらえ!』(TV・1978年)も観てるわけですね?

佐藤 『新・エース』はそんなでもないです。そこまで追っ掛けてない(笑)。

小黒 『魔法使いTai!』のサブタイトルが『新・エース』を踏襲しているじゃないですか。「ツリガネと高倉先輩と空とぶ魔法」みたいな。

佐藤 あれの元ネタは多分「部屋とYシャツと私」です(編注:平松愛理の歌のタイトル)。

小黒 そうなんですか!? 『新・エース』じゃないんですか。

佐藤 ええ(笑)。『エース』じゃないですね。

小黒 今までそうだと信じていました。考えすぎたか。

佐藤 そうそう(笑)。

小黒 これまで活字になってないと思うので確認したいんですけど、一時期まで佐藤さんの作品に常にいた、主人公の脇にいる気のいい友達っていうのは。

佐藤 ピザ食べに行きたがるやつですか(笑)。

小黒 そんな子です。『(美少女戦士)セーラームーン』の大阪なるちゃんとか。

佐藤 はいはい。

小黒 『魔法使いTai!』の中富七香とか。その後も続く、佐藤順一作品で主人公の隣にいる気のいい友達の源流は『エースをねらえ!』の愛川マキじゃないんですか。

佐藤 それは、多分そうだと思います。一番クリアな元ネタは『エース』のマキかなあと思いますけど、当時の少女マンガには割といた気がするんですよね。

小黒 主人公のフォローをする立場のああいう女の子が。

佐藤 そうそう、それで違和感なく普通にやってた気がするし、ああいうニュートラルな子は扱いやすいんです。

小黒 この前、『美少女戦士セーラームーン』第1シリーズ(TV・1992年)の14話を観返して「あっ、佐藤さんが珍しくアニパロやってる!」と思ったんです。

佐藤 ああ、テニスだから?

小黒 テニスだから(笑)。「自然にネタが出てきてる!」みたいな。

佐藤 パロだったのかな、どうだっけ?(笑)

小黒 セーラームーンが「コートでは誰でも1人っきり」とか言ってましたよ。

佐藤 それはシナリオにあったんじゃないかなあ(苦笑)。

小黒 また、話は変わりますが、中学、高校の頃はインドア派だったんですか。

佐藤 インドアです。外で何かやる感じではなかったですね。

小黒 マンガは描いてたんですか。

佐藤 いや、マンガ家になりたいとは考えてなかったので、描いてはいなかったと思うんです。何やってたんだろう? 画は描いてましたけどね。意外と思い出せないものですね。きっと、たいしたことやってないですよ。

小黒 部活は何やってたんですか。

佐藤 部活はね、美術部です。美術部で何をやっていたんだろう。普通にデッサンとかやってたんでしょうけどねえ。

小黒 ある程度は画の勉強をしてたんですね。

佐藤 勉強になるほどの部活ではなかったですけど、一応やっていましたよね。あとは、高校生の時にちょっとだけギターにハマっています。暇があればギターを弾いていたかな。

小黒 友達が大勢いるタイプだったんですか。

佐藤 友達はそんないないですね。あまり周りに人がいないのがありがたいタイプでした。

小黒 中学、高校の学園祭等で大きなイベントはあったんですか。

佐藤 うちの学校は、学園祭に他校の人が来るのが禁止で、父兄もほぼ来なくて。学生だけでやる文化祭だったので、そんなにお祭り感ないんですよね。だから、そんなに楽しい感じでもなく(笑)。元々、運動系は苦手で体育祭も別に楽しくはなかったので、高校時代はろくな思い出がないです。

小黒 なるほど。でも鬱屈してたってわけでもない?

佐藤 そうですね。人に言うほど、鬱屈してたわけじゃないですけれども、1人で好きなことやってるのが、楽しかったみたいですね。ギターはやったけど、誰かとバンドを組もうとも思わないし、1人で練習するのがちょうどいいぐらいだったから。

小黒 なるほど。

佐藤 マンガは好きだったので、自転車で回れる範囲の本屋を次々回って、面白そうなマンガを買って読んだりしてましたね。

小黒 マンガは主に読むほうだった?

佐藤 読むほうですね。小学校ぐらいの頃はクラス新聞とかにマンガを描いたりとかしましたけど、そんな程度ですね。

小黒 大恋愛があったりはないんですか。

佐藤 ないですね。割とぼんやりした中高生時代(笑)。

小黒 中高の頃の将来の展望は、どんな感じだったんですか。

佐藤 あんまり目立つことはしたくなかったので「裏方的なことがやりたいな」とは思っていたんですよね。商売やお金を扱うことも、人と接する仕事も苦手だなと思うので、裏方がいいなと。例えば、雑誌で「コマーシャルのできるまで」みたいな特集があって、その裏方がすげえ楽しそうだな、と思ったりとか。だから、TV番組のセットを作ったり、特撮で怪獣の着ぐるみを作るのが楽しそうだなと思ったり(笑)。当時はあまり人と接しない仕事をやりたいと思っていたみたいです。


●佐藤順一の昔から今まで (2)大学時代のマンガと自主制作アニメ に続く


●イントロダクション&目次