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佐藤順一の昔から今まで (2)大学時代のマンガと自主制作アニメ

小黒 大学は日本大学藝術学部映画学科でしたよね。日大のこの学科を選ばれた理由は?

佐藤 進路を考える頃には「アニメをやろう」と思ってたんです。今までも取材で何度か言ってるんですけど、高校の時に、昭和38年から40年ぐらいまでの白黒アニメーションのオープニングだけを流すような特番があったんですよ。

小黒 以前のインタビューでも話題に出していましたね。TBS系列でやっていた「日曜☆特バン」という番組だと思います。

佐藤 ああ、そうかもしれない。

小黒 「日曜☆特バン」は懐かしのアニメや特撮番組を何度か特集しているようです。そのうちのひとつがオープニングの特集だったのでしょうね。

佐藤 そうだったんだろうね。『8マン』(TV・1963年)とか『鉄人28号』(TV・1963年)のオープニングが心に残ってて、凄くかっこいいと思ってたんですけど、特番で実際に見返すとかなりしょぼいわけですよ。でも、それを観ていると、じわじわと心に盛り上がってくる感情があったんです。それはどういうことかと考えて、どうやら自分が価値観や正義感といった人生の基本となるものをアニメからもらってたんだということに気づいたんです。意識しないでそういうものを得て、自分の中に残っていた。そういうことができるアニメというのは凄いメディアだなと感じたんですよ。それで「あっ、これやってみたい」と思ったのがきっかけなんですね。

小黒 その頃、アニメーションの専門学校が既にあると思うんですけど、日大の藝術学部映画学科に行ったのは、どうしてなんでしょうか。

佐藤 親が「行くんだったら、大学行け」と言っていたというのもあったんですけど、いくつか受けた中で、日芸が一番ちゃんとアニメーションの勉強ができそうだったというのが大きいですね。武蔵美(武蔵野美術大学)にも、撮影台があるって話を聞いたんですけど、授業のカリキュラムが整っていたのが、日大の藝術学部だったんですね。

小黒 そこに池田宏さんがいらっしゃったんですね。

佐藤 はい。それに、自分が大学に入ったその年から月岡貞夫さんが講師を始めておられたりと、そういう意味ではついてるんです。

小黒 映画学科だから、アニメだけじゃなくて、映画の勉強もしてるんですよね。

佐藤 そうです。映画学科の映像コースのさらに分科としてアニメーションがあったんですよね。僕は映画マニアだったわけではないし、観た本数も多くなかったので、そこで映画について凄く勉強できたのは、かなりプラスになってますよね。

小黒 なるほど。

佐藤 そこに行ってなければ、モンタージュ理論なんて、おそらく言葉として聞くこともなかったと思いますしね。

小黒 同級の方で今でも業界で仕事をされている方はいらっしゃいますか。

佐藤 『(それいけ!)アンパンマン』(劇場・TV)等をやってる矢野博之。彼が同期で同じクラスです。東映で製作をやっていた堀川(和政)も同期ですが、業界に残ってるのはそのぐらいですかねえ。

小黒 大学では具体的にどんな勉強をされたんでしょうか。

佐藤 池田さんの授業というのはやっぱりアカデミックで、さっきの「TVアニメ1本をそのまま絵コンテに起こしてこい」というのも池田さんの課題なんですよね。池田先生は分析的、理論的で、モンタージュ等も教わりました。月岡先生は実習で、何か画を描く、動かすような課題が多くて、東映時代の裏話とかも面白かったですね(笑)。

小黒 日芸時代は短編を作られているんですか。

佐藤 短編はアニドウのフィルムフェスティバルだったか、ぴあフィルムフェスティバルだったかで、8mmの映画を1本作りましたね(編注:「ぴあアニメーション・サマーフェス」に出品。後にアニドウの「プライベート・アニメフェス」でも上映)。たまに話題になりますけど『凍った夜』という、子供が親を殺すやつです。

小黒 タイトルは聞いたことがあります。

佐藤 大学のカリキュラムじゃなく、応募しようと思って作ったやつです。それ以外にも作っていますが、あまり手元に残ってないですね。どこにあるか分からないというか。

小黒 『凍った夜』は「アニメージュ」でも載っていましたよね。どんな内容なんですか。

佐藤 佐藤順一特集みたいな記事をやってもらった時に載ったと思います(1994年4月号)。幼児が鳥を拾ってくるんですけど、母親に見せたらその鳥を踏みつけて殺してしまうんですよね。母親が「そんなことより、他にやることがあるでしょ」といった感じで教科書とかを積み上げるんです。その子はしばらくして、ものも言わずにカッターナイフで母親を後ろから斬りつける。そしてそこだけフルアニメーションで、母親が血を吹き出しながら昏倒する。母親の顔が餓鬼のような表情にグワーッと変わっていってドンっと倒れるんです。少年が命を奪うことの恐ろしさみたいなものをビジュアルで体験するという内容です。

小黒 なるほど。その作品で佐藤さんは監督なんですか。

佐藤 全部自分でやっています。画も描いてますね。セルじゃなくて切り紙でやってます。

小黒 フルアニメーションということは、作画で動かしてるところもあるんですね。

佐藤 吹き出す血だけセルを使って、あとは紙で作っています。割り箸アニメみたいな感じですね。

小黒 止め画を組み合わせるような?

佐藤 ええ。組み合わせて、動かして、みたいなやつですね。

小黒 どうしてそういった刺激の強いものを作ったんですか。

佐藤 元々は「短編ってどういうものだろう」ということに興味があったと思うんです。刹那的に面白いものではなく、「100人観たら100人全員に何かが伝わるのはどういうものなんだろう?」といったことを考えていたんです。だから理屈っぽいんだけれども「観た人に言いたいことがちゃんと伝わるものを作ろう」という考えがあったと思いますね。「生命に対する意識が希薄になっている子供達がいるのではないか」と思うような事件が、当時あったんじゃないのかなと思います。

小黒 なるほど。

佐藤 それで「命を奪った時の怖さ」がビジュアルにならないかなと思ってやった記憶があります。だからカットが凄く説明っぽいです(苦笑)。こういうことがありまして、それがこうなりまして、みたいな繋ぎで。今もそういう説明したがるようなところがありますけど(笑)。

小黒 分かりやすくする?

佐藤 そうそう。なるべくちゃんと伝えておこうみたいな。

小黒 なるほど。大学の3年間はずっと真面目に勉強や課題をこなし、アニメーションを作ったりしていたわけですか。

佐藤 そうですね。授業は普通に受けていました。映画学科の授業は面白いんですよ。映像コースは、ビデオでの撮影や編集の授業もあったりして。週に1回映画鑑賞をしよう、というのがあって、大講堂で映画を観せてくれるんですね。それを批評しなきゃいけないんですけど、多分、自分からは観ないような映画を沢山観せられたんですよ。あれはねえ、やっぱりよかったですね。

小黒 芸術的な映画が多かったんですか。

佐藤 芸術的な映画もあるし、「祭りの準備」(1975年/黒木和雄監督)みたいなものもありましたね。

小黒 ATG(日本アート・シアター・ギルド)の映画ですね。

佐藤 「切腹」(1962年/小林正樹監督)とかも観ましたよ。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の作品とか、自分だったら絶対観ない映画を観せてもらえて、面白かったです。

小黒 大学在学中にマンガも描かれたんですよね?

佐藤 そうですね。そこそこ時間もあったので「ちょっと応募しようかな」と、小学館の新人マンガ家募集に向けてちょっと描いたのが、最初で最後ぐらいのマンガですね。

小黒 それは何歳の時なんですか。

佐藤 忘れましたけど、学生の時だから二十歳とか?

小黒 大学に入った年、ではないですよね。大学の2年目か3年目の時でしょうね。

佐藤 そうですね。蕎麦屋でずっとバイトしてたんですけど、バイトしながら描いてた記憶がありますね。それが佳作をもらって、編集部と「もう1本描いてみますか?」とやりとりしてる時に東映に入ることが決まったので、マンガの道はフェードアウトするような感じになりましたね。

小黒 内容は少年マンガだったけど、青年マンガ部門に応募してしまったんでしたっけ。

佐藤 いや、一般部門っていうのがあったんです。自分の作品は青年マンガでも少年マンガでもないし、一般ということはなんでもありなところかなと思って、その部門で応募したと思うんです。それが「ビッグコミック」とか「スピリッツ」のカテゴリーだったのかどうか、実はよく分かってなかった。

小黒 10年ぐらい前、そのマンガの原稿が発掘されたって言ってましたよね?

佐藤 1回出てたんですけどね、今ではどこにあるか分かんないですね(笑)。

小黒 今度出てきたら、ちゃんととっておいてくださいよ。

佐藤 いやいや、あれは消したい過去になりますね(笑)。

小黒 いやいやいや。画としては、どんな画なんですか。

佐藤 当時ですから、やっぱり高橋留美子系の画だったと思います。

小黒 おお。

佐藤 コメディなんですけどね。群像劇的なものにしようとして、主人公が決まってないままだったと思うんですけど。

小黒 コメディでもない?

佐藤 一応、コメディのカテゴリーのつもりなんですけどね。別に大きなテーマがあるわけではないという。

小黒 登場人物は高校生ぐらいなんですか。

佐藤 高校生の学園もので、タイトルは「夕日だよ、野郎ども」ですね。

小黒 青春っぽいですねえ。

佐藤 そうなんですよ。色んなことがあって夕日で方をつけるぐらいの、あまり考えなくても読めるマンガにした気がしますね。

小黒 雑誌に載ったんですか。

佐藤 マンガ自体は載ってないんじゃないんですかね。

小黒 佳作になった時は「佐藤順一さん」として誌面に載ってるんですか。

佐藤 佳作のコーナーに受賞者として名前が出ているはずです。

小黒 載った雑誌は「スピリッツ」なんですか。

佐藤 小学館の他の雑誌にも載ったかもしれないですけど、「スピリッツ」で見た記憶はありますねえ。

小黒 ちょっとそれは探してみますよ。

佐藤 はい(笑)。

小黒 話は前後しますが、日本大学在籍中に東映動画が第1期研修生を募集して、それに応募をされたわけですね。

佐藤 はい。月岡さんは東映動画との繋がりがあったから「こういうのがあるよ」と教えてくれて、それで応募したんだと思います。

小黒 まだ在学中だったはずですが、現場に入れるなら現場に入ろうということで受けてみたということでしょうか。

佐藤 ですね。ここで受かって就職したら、4年目の学費が掛からなくていいなと思ったので。

小黒 親御さんのことを考えて?

佐藤 ええ(笑)。日芸の学費って、そんなに安くないですからね。映画学科は特にですけど、皆さんの暮らし向きが凄くよくて、びっくりしましたね。学生なのに普通に車で来る奴とかいて、住む世界が違うから「これは付き合ってられないな」と思っちゃって。

小黒 上京してから上映会で『ホルス』や『どうぶつ宝島』を観ていたというお話がありましたが、大学時代はある程度はアニメを観ていたんですか。

佐藤 当時のTVアニメはあまり観ていないんですよ。それまで観ていなかった昔の東映の長編や『ナーザの大暴れ』(劇場・1979年)のような海外の映画を機会がある度に観ていました。アニドウの上映会も行っていたし、色々なアニメの成分を摂取する努力はしていましたね。

小黒 古今の名画名作を上映会等で観ていたと。

佐藤 「観られるものは観ておこう」みたいな。

小黒 佐藤さんの大学時代って1978年から80年だから、アニメブーム真っ盛りの頃じゃないですか。アニメブームの代表的なタイトルには触れてないんですか。

佐藤 映画はやっぱり観てたかな。

小黒 『ルパン三世 カリオストロの城』(劇場・1979年)が公開されたのは大学時代ですよね。

佐藤 『カリオストロ』は観てるね。『地球へ…』(劇場)もそう?

小黒 『地球へ…』は1980年4月の公開ですから、佐藤さんは大学3年ですね。

佐藤 そうすると劇場公開された映画はひととおり観てますね。『ヤマト』は『さらば(さらば宇宙戦艦ヤマト ―愛の戦士たち―)』(劇場・1978年)で観なくなったけど。

小黒 「これはここまででいいだろう」と。

佐藤 そうですね。「ほしかったものじゃないな」と思ったんですよね。

小黒 それは、当時既に大人だったってことですね。

佐藤 そうです。多分そうです。

小黒 本郷みつるさんも近しいことを言ってますね。

佐藤 ああ、分かりますよねえ。「月刊OUT」とかが全盛期だった頃?

小黒 全盛期ですね。「アニメージュ」も創刊してますね。

佐藤 そっか。じゃあ、観るものはふんだんにあったんだね、きっと。

小黒 この頃は上映会も増えてますから、摂取するものは多かったんじゃないんですかね。

佐藤 ああ、そうですね。

小黒 この頃の東映の研修生は、アニメーター部門と演出部門があるんでしたね。試験はどんなものだったんですか。

佐藤 アニメーター部門の試験は分からないですけど、演出部門はひとコマの画があって、そこから「絵コンテ4枚ぐらいで短編の物語を作れ」というものでした。それと論文だったかなあ。どういうコンテにしたかは忘れましたけど、短い尺の中で確実にメッセージが伝わるようなことをした気がするので、その時も説明っぽいものだったんじゃないかと思いますよね。

小黒 論文は何を書いたんですか。

佐藤 忘れましたねえ。全然覚えてないです(苦笑)。

小黒 それで、受かって大学を辞めるにあたって、池田先生が引き止めたりはしなかったんですか。

佐藤 そうですね。基本的には、学費も払わずにただ行かなくなっただけなので。

小黒 正式に退学したわけではないんですね。

佐藤 そうなんです。退学手続きもしていないので。


●佐藤順一の昔から今まで (3)演助進行時代と演出デビュー に続く


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