COLUMN

第508回 父親の哲学

 前回までの先生の話で、自分の父親の話を思い出しました。たぶん、コジマ先生と同世代だからだと思います。すでに定年を迎え、立派に実家のTVの番人を勤め上げてる父ですが、実は俺、若い時「オヤジみたいになりたくない」と考えてました。すみません(陳謝)。「もちろん感謝はしても尊敬はしてない」って。なぜかといえば学がない(と思っていた)からです。まず、自分が名古屋にいた18年間、本1冊読んでるとこすら見た事はなく、読む活字は新聞の見出しとTV欄のみ。観るTVは野球・相撲・プロレス。趣味はパチンコ。俺を遊びに連れていってくれたトコといえば、パチンコ屋と立ち飲み屋くらい。

 そんな父を子供の頃の俺がカッコいいと思うはずもなく、物心ついた時は「ああなりたくない!」と本読んでパソコン触ってゴルフやって〜な小・中・高生でした。で、アニメ監督になりたくて上京。「オヤジみたいになりたくない」は、こーゆー人間を作り上げたんです。

 しかし、大学受験をせず高校〜専門学校を選んだ自分、上京当初——今では笑い話ですが、いわゆる「学歴」に対して正直コンプレックスがありました。そんな自分の前に現れたんです、「学」のある友人が! その友人は専門学校に入学する前、大学(しかも六大学)を出てきた人で、俺の4つ上。一時期は本当に傾倒しました、その人に。毎日学校で話すのが楽しかったし、いろいろ教わって今でも感謝してます。何が嬉しかったのかといえば、

自分が言葉にできない事を言葉にしてくれる! 「学」って素晴らしい!!

という快感です。彼は哲学科だったそうで、俺の悩みや怒りを哲学で言葉にしてくれたんです。「カッコイイ! ウチの父と違う!」と。これは勉強になりました。「こんなふーに考えるのか〜」の連続で、彼といると楽しくてしょうがなく、専門学校卒業後も毎週一緒に飲み明かしました。けしてオーバーな表現ではなく、夢のような日々でした! 彼のおかげでクラシックのCDも買うようにもなったり。

ただ、いつの頃からか雲行きが怪しくなり、現在は疎遠

 なぜかというと20代前後の頃、あれほどカッコよく見えた彼の哲学や観念が、30代半ばに入ると「彼自身の仕事が上手くいかず、周りから人が去っていく事を正当化する言い訳」に使われてるように感じ始めたから。これはあくまで板垣主観ですが、

「自分は間違ってない! 間違ってるのは周りの方だ!」と豊富なボキャブラリーを流暢に操って自己をなぐさめ守るためだけの「学」は、俺からみるとメチャクチャカッコ悪っ!!

く見えました。本来、人生に有益なはずの哲学も、悪用され得るのだとその時始めて知ったんです。
 で、ふと親父の事を思い出しました。

父は仕事に関する愚痴は一切言わなかったし、けして他人のせいにはせず、50年近く週休半日で働き続け、子供3人を一人前に育て上げた——という人生そのもので我々に見せてくれたのだと思います。
「語らない」哲学を! 「語らない」カッコよさを!!

「俺も父のようになりたい!」と今は言えるようになった板垣です。