COLUMN

第35回 いろんな服装の「色の名前」

 ここのところ集中的にやっていたのは、画面に出てくる群衆たちの衣装が、いざレイアウトの作業に入ろうとしたところで、何もなしでいきなり描くのはかなり危なっかしいとわかってきたので、できるところからでも衣装の考証をきちんとしてしまおうということだった。登場人物たちの履歴を作ってみたのも、それによって衣装の細部に定まってくる部分があるからだった。
 できるところからということになると、まずは色々な制服の類を確認しきってしまわなくちゃならない。様々な制服を着た人たち、海軍の軍人、海軍文官、海軍工廠の工員、陸軍の憲兵、警察官、消防官、警防団、日赤の看護婦、国鉄職員、広島電鉄職員、呉市交通局職員、勤労動員の高等女学校生徒たち。そうしたいろんな制服の形を調べ、時期による変遷も調べ、色調についても押さえておかなくてはならない。そういう整理をしていた。

 制服といえば、すずさんたち主婦がときどき割烹着の上に「大日本婦人会」のたすきをかけた姿になることがあるが、あの白い割烹着自体が婦人会団体の「制服」なのだった。
 準備期間中にまさに「その当時」である昭和18年に作られた木下惠介監督作品の映画「陸軍」を参考に観ていて、これはひょっとして「その当時」のものなのに「時代考証」が間違っているのではないか、などと思ってしまった。「陸軍」のクライマックスは満州事変に出征してゆく兵士たちを大勢で見送る大群衆の場面なのだが、満州事変の昭和6年当時、割烹着を制服にした国防婦人会はまだできておらず、その国婦にしても創立初期には入営する兵士の見送りなど公的な場に割烹着を着て出たら「無礼者」扱いされていたのだったと思う。
 いずれにしても、婦人会のたすきがけをしているときの割烹着はまちがいなく「白」にしなくちゃならない。

 一般市民が制服的なものを着ていたといえば、男性用の「国民服」があるのだが、これにしたって「国民服甲号」「乙号」というデザインの違いが定められていたりする。この服の色は「国防色」と思われてるのではないかと思うのだけど、昭和18年6月の政府発「戦時衣生活簡素化実施要綱」以降では、紺色だとか黒だとか目立たない色ならば何でもよくなっている。色を決めてしまうとわざわざそれ用の服地を作らなくちゃならないのだが、もはやそれどころではない状況になってきていることを、政府の方で国民一般に対して「察してくれ」といわんばかりに、こんなことになっている。
 で、その「国防色」。昔、色彩設計の大御所ともいえる山浦浩子さんと仕事していて、
 「ここ、何色にする?」
 と、問われて、
 「飛雄馬の父ちゃん色!」
 と答えたら、
 「ああ、国防色ね」
 といわれた。要するに、戦時中にたくさんあった国民服みたいな色調、というようなことでそんなふうにいっていた。
 2年くらい前、とある本(21世紀になってから出たもの)を読んでいたら、「戦時中の『国防色』は、その当時、20数色に分類されていた」と書かれていた。ええっ? となった。もしそうだとしたら、その20数色の色調と使い分けをきっちりさせておかなくては、それぞれの国防色に名前はつけられてるのだろうか、だとか気になってしまって仕方ない。その本が典拠として挙げている戦時中の本を手に入れて読んでみた。たまたま前から持っていた本だったので、自分の本棚を振り向いてみれば事足りた。するとそこに書かれていたのは、学校の教室で、女学生に「国防色のものを持ってきなさい」といってみたところ、持ち寄られたそれぞれの色調がけっこうまちまちで、分類してみたらおおよそ20数種類に分類できそうだった、というような話だった。ああ、なんだ、そういうことか。別にこのときのものがたまたま20数種類にわけられただけで、当時の世の中に氾濫していた同系色なんて雑多にたくさんあって定まりきってなかった、という意味だった。読みとる文脈がだいぶずれてしまっていた。
 ところで、国民服の制式を定めた「国民服令」では服地は「茶褐絨又は茶褐布」ということになっている。「絨」というのは毛織物だと思ってほしい。ここでは「国防色」なんて使われてない。「茶褐」だ。
 いわゆる「茶褐色」というのは、日本陸軍のいろんなものがこの色でできている基本色で、大砲も「茶褐色」ならば、鉄兜も水筒も、戦闘機の機体内にある無線機とかもみんな「茶褐色」だった。陸軍の軍人が着ている軍服の色も「茶褐色」だった。ただ、陸軍軍服の色だけは「帯青茶褐色」とわざわざ細かく決められていた。青を帯びた茶褐色。これは、一時陸軍が夏服に「帯赤茶褐色」という赤茶色を使っていて、それと区別するために、ちょっと緑がかった茶褐色を「帯青茶褐色」というようにしていたのだった。
 戦時中の消防官の服装なんかでも、単なる「茶褐色」ではなく、「帯青茶褐色」と定められていたりする。
 要するに、いろんなものが陸軍の軍服に似せて作られていたのだった。

 海軍の軍人は冬は「紺」、夏は「白」とスマートさを売り物にしていたようだったが、これも次第に第3番目の服装としてカーキ色のものが作られて着られるようになっていった。陸軍の軍服が「帯青茶褐色」だったのに対して、海軍の第三種軍装の制服は「褐青色」と名づけられた色調だった。褐色なのに真ん中に「青」が割り込んできているのは不思議な感じで、いったいどんな色なだったのだろう。と不思議がってみても始まらず、緑がかったカーキというだけだった。陸軍の「帯青茶褐色」よりもさらに緑に寄っている。陸軍と同じ色にしたくない心理というか、色々と面倒くさく縄張りがきっちりされていた。  それで、海軍はその3色だけかというと、紺の服の上に被る帽子は紺のものと黒のものが両方混在してるようだったし、「淡茶色」などという色の服もあって、もうほんとうに色々。

 警察官。戦前・戦中の巡査、というと、冬は黒、夏は白の詰襟を着て、サーベルをガチャガチャ吊っているイメージだけど、実は、夏の白服は昭和18年夏には「着ないことにする」という決まりができていた。
 なぜ白服はだめなのか。立案理由を当時の文書から抜き出すと、
 「本年度は石鹸の配給絶無に均く、白服の洗濯に不便多きのみならず、空襲其の他非常事態発生の場合長期勤務に服せしむるの便益を……」
 ということだった。石鹸が不足しているから、おまわりさんは白服を着られない、着ないことにする、という切実きわまりない話だった。というところまでくると、戦時中の石鹸事情にまで触れたいところなのだけれど(これもちょっとびっくりする)、これはまた別の機会に。
 そうそう、警察官の制服も、最末期の昭和20年7月以降に作られるものは「茶褐色」に変えられることになっていた。

 そんなふうに調べることができたいろんな服装類をイラスト化して、色を塗ってみたのだが、
 「地味!」
 という声がスタッフから漏れてしまった。
 カーキ色系と紺色とちょとだけ白が混ざっているものばっかりなのだから、まあ、まさに

 さて。だけど、ほんとうに一番知りたいのは、ふつうの女性たちが着ていた服装の色調だ。
 こういうのだって、昭和12年に日中戦争が始まって国内に統制が広がると、地味を強制されるようになり、けれど、いたたまれなくなったのか、16年にはまた華やかな色合いが流行していたらしくもある。それがまた18年夏には染料の生産そのものを制限して、色調がきわめて絞られてしまったようだった。だとしても、その頃に作られた布地なんて、もう配給難で一般にはなかなか回ってこなくなっている。
 じゃあ、何色にすればよいのか、ふつうの女の人たちが着ていたものは。当時のふつうの布地はどんな色に染められてたのだろうか。

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