●2011年3月11日金曜日(218日目)
この日は、「この世界の片隅に」の原作出版社と夕方に打ち合せをする予定になっていた。
普段どおりに仕事していたら、15時少し前になって突然揺れた。地震なんて東京に住んでいれば珍しくもないのだが、初期微動が妙に長く、その後の主要動が著しく長かった。「日本沈没」世代は、意外とこういう言葉を知っている。
あまり大きな揺れだったので、スタッフの白飯がものすごく青ざめてしまった。
「怖かったら机の下に入りな」
といったとたん、カット袋を並べたスチール棚の端からものが落ちた。揺れは南北方向であったらしく、しかしスチール棚は東西方向に向けて並べられていたので、幸いにも中身が全部床にぶちまけられることは避けられた。ただ、棚の端に置かれていたものが南向けに飛び出したのだった。
長い長い揺れもそろそろ終わりか、という頃になって、自分の背中側にあるもうひとつの動画机の上のものが崩れてきた。動画机は南北向けに置かれており、座る人のいない空のその机には、自分の資料、『この世界の片隅に』のために集めつつあった本の類が積み上げられてあったのだ。大型本も多かったし、分厚い本も多かった。それが自分の方に向けて飛んできた。
インターネットを見ると、割と早くに仙台駅が大きく損傷している写真が上がった。地震は東北の方が震源であるらしいという認識はできたが、けれど、どのような規模なのかこの時点の自分はまるで理解していなかった。
崩れてきた本の片づけをしたり、まだ出勤してきていないスタッフの机が、その上の棚から飛び出した音楽CDのコレクションで埋まっているのを眺めたりしているうちに、16時になって丸山さんが来た。
「じゃあ、行こうか」
双葉社の人たちとの打ち合せは16時半の約束だった。双葉社のある神楽坂までは、車なら半時間の距離だった。
大久保通りを車でゆくと、左右の歩道は人でいっぱいだった。通り沿いのビルに勤める会社員たちが外へ飛び出して、そのまま中へ入らず待機しているようだった。白いヘルメットをかぶったスーツ姿もいて、どうもそれぞれの会社で防災係に任命されていた人たちらしく、防災マニュアルが完備されているとこういうときうっかり建物内に戻ることもできないのだなあ、とぼんやり思っていた。そんなふうにながめることができたのも、大久保通りの交通がのろのろになっていたからだった。
双葉社へ着くと、17時半だった。さすがにアポの時間を1時間も外すのはまずいように思ったが、愛想良く迎えていただいた。
この日はちょっとした事務的な確認だけだったので、
「いやあ、たいへんでしたねえ」
くらいあって簡単に別れ、また仕事場に戻る車に乗った。
帰りは交通の流れに乗って九段下の方に向かった。九段会館のあたりに救急車が集まって回転灯をきらめかしていた。
このあたりから自動車の通行が完全に滞りだした。この大渋滞では帰りは何時間かかるかわからない。
とりあえずトイレ、それからできれば腹に入れておくもの。それらを求めて道路沿いのコンビニに飛び込もうとしたら、あろうことか24時間365日営業の店で店員が店を閉めようとしていた。そこは丸山プロデューサーの強引さで、ドアが閉まる前に店内に入り込み、トイレと食べ物を調達した。丸さんは、こと食べ物となると、これでもかと並べ立てることを好む(実は昨日も丸山さんが作りすぎたおでんを引き取って自分の自宅の夕食にしたところだ)。
丸山さんがレジに並んでいるあいだ、先に車に戻ると、カーナビがテレビ画面になっており、燃える市街が映し出されていた。
気仙沼が大変なことになっていた。
自分がこれまでそこに浸っていた昭和20年7月2日夜間空襲の夜の呉の有様が、目の前で現実のものとなってしまっていた。
丸山さんは気仙沼の出身だった。
「うちの親戚はみんなもっと山がちの方だから、たぶん大丈夫」
と、丸さんはいった。
車は時々思い出したようにのろのろと動き、靖国通りを市ヶ谷目付までたどり着いたあたりで、自衛隊のCH‐47大型ヘリがわれわれの頭上を通り過ぎ、防衛省の屋上ヘリポートに向けて降りていくのが見えた。
歩いて自宅を目指す人の群れが、車道の左右を流れていた。いったいどれくらいの距離を歩こうというのだろう。
6時間かけて仕事場付近にたどり着くと、もう夜中に差しかかかる時間だったが、定食屋が開いていた。車の中では山ほどの菓子の類を食べていたが、そういえば夕食はまだだった。丸さんはここでもひとりずつ定食を頼んだ上で、もう一品サイドメニューとしてポークソテーを注文していた。
「どうせ電車動かないから、仕事場で寝るんなら、この毛布使って」
と、丸山さんが毛布を抱えてやってきた。
「ありがとうございます。でも」
JRは全線不通のままだったが、地下鉄は動いているようだった。
「ほらこの毛布使って」
「いや、帰ります」
中野坂上にたどり着き、大江戸線のホームに降りた。次々やってくる電車はどれも超満員で、仕方なくやってくる電車3回までは押し屋に徹した。終夜運転しているようだし、ホームの乗客たちを電車に押し込んでいたら、いずれ自分も乗れるだろう。
ということで、自分も押し込まれる身となり、練馬にたどり着くと、乗り換えた西武池袋線はゆうゆうと座れたので驚いた。
震災の日の記憶はここまで。
丸さんは、貯金をみんな卸すので、といいだした。それを元手に新スタジオを作って『この世界の片隅に』を作るのだ、といっていた資金だったので、一応こちらにも断ってきたのだった。
塩釜のあたりには高校の同級生たちがいて、避難所で困っている。少しでも力になれないかと思って、これから宮城に向かうのだ、といった。
丸さんの気持ちはよくわかったし、自分には何も力になれないことが申し訳なかった。
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