COLUMN

第12回 できてもいない映画を携え、映画祭に行く

 『マイマイ新子と千年の魔法』のイベントで、この映画の舞台となった山口県防府市を歩くイベントが時おり催される、という話は前にここでも書いた。一番ごく最近には今年(2012年)の10月13日にそれがあった。日中歩き回って、夜ともなれば集まってくださった皆さんとの懇親会となる。ただ食べて飲んでするだけではなんなので、スクリーンを張ってもらって、僕のパソコンの中身の画像データなんかをプロジェクターで投影しながら、裏話的なことを喋る役を引き受けたりする。
 「あれと同じことを『この世界の片隅に』でやってもらえませんか?」
 と、広島フィルムコミッションの西崎智子さん(いつもいつもお世話になってます)から連絡いただいた。11月16〜18日に「ダマー映画祭inヒロシマ2012」がある。そのプログラム中のワークショップの一環として。なので、これはたぶん飲み食いのことではなく、画像をプロジェクションしながら人様の前で話す、ということなのだろう。

●2012年11月16日金曜日(834日目)

 朝早い新幹線に乗るために、午前3時起きする。実は10月12日に防府へ向かったときに、甘く見て時間ぎりぎりに家を出たら、途中でラッシュアワーの交通渋滞に引っかかるわ、地下鉄が前の列車との間の時間調整のためだといってわざと駅で長く停まるわなどあって、結局東京駅の新幹線ホームの階段を全力疾走で駆け上がる羽目になってしまった。始発から2本目くらいののぞみ号ならばラッシュ前だし、さらに少し余裕もって出れば、電車の中でぼーっとしてても大丈夫になるだろう。
 などという結果として、広島へは午前10時には着いた。映画を作るための取材としてはたび重なって訪れている広島なのだが、1人ブラブラそぞろ歩く時間があるのはいい。
 つい昨日おとといには昭和11年に書かれた広島本通り界隈の商店看板がどんな傾向になっているかという当時の学生レポートを読んだばかりだったので、八丁堀のあたりから入って本通りのアーケード街を西に歩いてみることにした。福屋百貨店新館(原爆に耐えて今も営業しているこのデパート福屋本店は、自分の昭和10年代的感覚ではいまだに「新館」なのだった)から道を挟んだところにあった本館の方は、戦後相生通りを拡幅するときに取り壊されて、今はその場所は路面になっている。福屋新館が建つ前は、この新館の場所には「森永キャラメル」の看板が出た果物屋があった。その角を曲がって金座街商店街に入り、本通りを目指す。このあたりはこれから作る映画には出てこないのだけれど、昔を写真を集める中でついつい土地鑑ができてしまっている。
 と、いつもメールで注文させてもらっている古本屋さんがあった。この広島でも老舗の古書店アカデミイ書店には、戦前の広島や呉についての本がたくさん置いてあり、さらには戦前や戦後すぐの広島の市街地図の復刻販売などもされていた。あまりにも「呉」「呉」「呉」と自分の映画の舞台になる土地に関する本を注文し続けたものだから、そのうちこちらからは何も言わないのに、そんなに呉のものばかり注文するのだったら、「当方で呉の古い市街地図の復刻をしてるのもありますけど」と向こうからお知らせをいただいてしまったりもした。
 金座街も本通りも11月ともなれば胡町の胡子神社のお祭り「胡子大祭」の飾りつけがされている。このアーケードからぶら下がっているエビスさんの顔は、よく似たものを戦前の写真で見ている。戦前にはアーケードではなく鈴蘭灯からぶら下がっていたのだが、モダンなデザインもよく似ている。まるで原爆で一度何もなくなってしまった時期など存在しないかのように、戦前の本通りと今の本通りが直結して感覚される。人の営みは計りしれない。
 にしても本通りってこんな広くなかったよなあ、などという感覚もある。うわっ、革屋町で交差する鯉城通りがこんなに広くなってる! と、いちいち浦島太郎のような反応を心がしてしまう。自分の土地鑑はすっかり昭和初期のものでセットされてしまっているのだった。鯉城通りなんてつい先々週のロケハンのときにも車で走ったばかりなのだが、毎日昔の写真を眺めて見知ってしまったアングルから並べると、強烈に二重写しに見えてしまうのだった。
 鯉城通りを越えてしばらく行くと、かつては大きな郵便局があった角があり、元安橋が見えてくる。本通りは元安橋を越えて中島本通りとなる。元安橋から先には商店街のにぎわいはない。平和記念公園の芝生がただ広がっているばかり。爆心地に近いために公園になったここは、開放的でうららかで嫌いな場所ではないのだけれど、お店屋さんが立ち並んでにぎわう雑踏なんかがあってくれるともっといいのにな、と、ついつい思ってしまう。昨日まで、ああでもないこうでもない、と、昭和8年の中島本通りの店の並びをレイアウトにする作業をやっていたところだったのだ。
 鉄筋コンクリート造りの大正屋呉服店だけは今も同じ場所に建物が残っているからよい目印になる。とすると、小さな道を挟んだここが大津屋さんで、隣はかもじを売る廿日市屋さんだった場所だ。
 ここに、道に迷ったすずが立っていた。
 お菓子を売るヒコーキ堂があって、立野玩具店があって、アダリンの大きな看板の薬屋さんがあって、「コロムビアレコード」の電飾看板を立てた池尻蓄音機があって、その隣は吉岡幸助ネル店だ。昨日は仕事場の机でこの店の造作を考えていた。もう少し行くと映画館・高千穂館へ入る勧商場の入り口があって、カメラ屋があったはずだ。
 全部今はない。ただ善意の千羽鶴が飾られている。
 本川にも元安川にも、河畔に雁木がいくつかあるのだが、戦前のものとは形が変わってしまっている。産業奨励館(原爆ドームといいたくない感じがする)の下のところには、戦前からの古い雁木が残っているので見にゆく。ああ、よかった。こんな形だったんだ。うっかり間違ってしまうところだったよ。

 映画祭の会場に着いてみると、『この世界の片隅に』のパネル展示や、チラシまでできあがっている。
 「でも、このポスター色が淡いから、もっと目立ちたいですねえ」
 と、展示を作って下さった西崎さん。
 防府日報の宮村さんが、10月に防府を歩いた時の写真を持ってきてくださっていたので、それを貼り足してみる。いつか、今度の映画でもこんなふうにお客さんに現地を案内して回りたいものだ。世界が二重写しに見える不思議を味わわせてあげるのに。
 夕方には映画祭のイベントが始まる。滝田洋二郎監督や廣木隆一監督、新藤次郎プロデューサー、新藤風監督、時川秀行監督といったみなさん、コンペティション・ノミネート作品の若い監督たちと並んで立たせていただく。自分にはここでお見せする映画はまだない。まだできあがらぬ映画への記憶、なくなってしまった街並みと人々の記憶を携えているだけなので、ちょっと肩身が狭い。

●2012年11月17日土曜日(835日目)

 雨。
 ホテルの部屋の窓から見える広島の景色が、雨の降り方によって万別に変化するのがおもしろい。やはり、山が近くにある町はよい。
 傘を買って散歩に出た。もういちど産業奨励館の方へ向かおうと地下道を歩いていたら、ふいに、映画の冒頭でかけようと考えていた曲が地下街のBGMとして流れてきた。この曲とともにすずは中島本町へ向かうことになる。いま、自分も同じ曲を聴きながら中島本町へと足を運んでいる。いまだできあがらない映画は、だけど頭の中では音までついて存在してしまっている。

 ダマー映画祭のワークショップは45分というプログラムなのだけど、自分だけ2コマぶん90分もらってしまっている。お客さんもそこそこ座ってくださっている。
 ちょっと面白くって楽しい話として語ってみる。
 こうのさんの原作がどこまでこだわって考証的に深く描かれているのかという、ヨーヨーや森永キャラメルをめぐる話。それを周囲まで広げて映画の画面として成立させるために、どんなふうに世界のディテールを得ていくか、という話。世界はあまねくディテールでできあがっていて、そんな世界の片隅にすずさんはいる。
 以前、資料をご提供いただいたヒロシマ・フィールドワークの中川幹朗先生も来てくださって、またこんな資料があります、といくつか預けてくださった。
 「あれ、でも先生、これすでに持ってます」
 「この本にはですね、ほら。ほら、前に持ってた方の書き込みがされてるんですよ」
 「それは!」
 まっさらに新品のものよりも、人の記憶が重ねられ書き加えられた本の方が価値があるのだ。中川さんとは直接には初対面なのに、こちらのツボがすっかりおさえられてしまっている。
 前回のロケハンでたいへんお世話になったくれ街復活ビジョンの堂下さんも来てくださった。広島アニメーションシティの小森さんや松浦さんも来てくださった。
 客席にはいつも来てくださる『マイマイ新子』ファンの方々ももちろん見えたし、それ以上に新しい顔がたくさんあって、しかもちゃんとこちらの話にリアクションしてくださっていて、なんだか世界が確実に広がっている感じがした。
 ダマー映画祭inヒロシマの代表・部谷京子さんは、
 「来年も来てくださいね。またプログラムに枠をとっておきますから」
 と、いってくださった。
 映画はまだできてないけれど、呉や広島にすでに根が下せてしまっているのかもしれない。
 こちらの時間に付き合っていただいた防府日報の宮村さん、比治山大学の久保先生もどうもありがとうございました。

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