COLUMN

第13回 『生きている町』との触れ合い

●2012年11月18日日曜日(836日目)

 一転して晴れ。
 ダマー映画祭での仕事は終わったのだが、まだまだ広島には用があった。
 広島市を流れる本川の基町河畔の環境の管理を自発的にやっておられるポップラ・ペアレンツ・クラブというボランティアグループがある。基町河畔というと、こうの史代さんの「夕凪の街」の主人公・皆実の家があったあのあたりのことだ。ここは今は中央公園の一部になり、芝生が広がっている。このグループの世話人である隆杉純子さんとの前からの約束で、雁木タクシーに乗せていただけることになっていた。
 雁木タクシーというのは、広島の川面を小さな船で遊覧するものなのだが、これもNPOが運営している。船長のひとり三原進さんには、2012年5月に広島・呉から劇場アニメーション『この世界の片隅に』をご支援いただけそうな方々に集まっていただいた時に、すでに出席いただいていた。
 三原船長のボートに中島本町の川岸の雁木から乗り込む。ほかにもこのボートに乗りたい、という若いお父さんと小さな男の子の2人連れがあった。もう1隻あった雁木タクシーはついさっき出発してしまっているので、ここには三原さんの船しかない。
 「大サービスで長い時間乗れることになりますが、いいですか?」
 と、三原さんはこの親子のお客さんに聞いた。いっしょに乗って、出発することになった。
 岸を離れると、目の前には原爆ドーム下の雁木があり、それを水面の高さから眺めることになる。広島や呉、それに尾道なんかもそうなのだが、このあたりの瀬戸内海沿岸は干満による海面の上下が激しい。広島市内の川もこの影響を受けて、潮位によって川面が上がったり下がったりする。なので、ふつうに桟橋を作るわけにいかず、どんな潮位にも対応できるように、岸から水面に降りる石段を作って、そこから舟を寄せて乗り降りするようになっている。この石段のことを雁木という。今、レイアウトを進めつつある映画冒頭の場面に雁木が出てくるのだが、今現在広島の本川や元安川河畔に残る雁木はほぼ戦後もだいぶ経ってから造り直されたもので、戦前までのものとは形が変わっている。原爆ドームの下の雁木だけが、この建物と同時に残されたもので、戦前の形をとどめている。それを水面の高さから、しかも引き潮のときに真正面から見られるので、まことにラッキーだった。
 「で、監督。どこへ行きますか?」
 「いっそ江波へまで。いえ、行けるようでしたら」
 いえ、無理ならばいいです、結構です、いえ、大丈夫ですので、と遠慮がちな言葉を盛大につけたしながらお願いしてみた。
 「江波かあ」
 と、三原さんは何やら考えていた。
 「いや、大丈夫」
 と、舵を切った。
 われわれを乗せた雁木タクシーは、T字型の相生橋の下を旋回して、元安川から本川に入った。江波はこの河口付近にある。江波まで下って、再び上流へさかのぼる。「この世界の片隅に」の冒頭、主人公のすずは江波から本川をさかのぼる舟に乗せてもらって中島本町にたどり着く。そのコースをそっくり体験できるのだった。江波にはたしかに鷺が「ようけ居った」し、手を触れられる近さにある水面はなめらかだった。
 艇上「カントク、カントク」と呼ばれていたら、相乗りになってしまった若いお父さん(九州からこられたのだという)がいぶかった。
 「何か映画撮られるんですか?」
 同乗していた隆杉さんが、『この世界の片隅に』のチラシを差し出した。自己紹介用に、と思って、ポスターの図柄を仕事場のプリンターでA4サイズに刷り出してきていたものだった。
 「へえ」
 こちらが宣伝するまでもなく、行き届いている。
 「映画ができあがるのはまだだいぶ先ですけど、今日、このフネの上からご覧になったのと同じ景色が、画面で観られると思います」
 「へえ!」

 雁木ボートの上で、高杉さんは、
 「基町の方まで行ったらバーベキューやってるんですけど、よかったらお昼に」
と、また新たなお誘いをくださった。
 基町にも雁木はあるが、もやいを投げられない。もやえなければ上陸できないのだが、バーベキューに参加していた方々がやってきて、手で船をつなぎとめてくださった。昨日のダマー映画祭のワークショップで、こちらの話のあと、質問を投げてくださった方の顔もそこにあった。この方は北村浩司さんといって、中国新聞の方だった。
 バーベキューは基町の公園の芝生の上で行われていた。バーベキューといいつつ、本当は芋煮会らしい。鍋が煮えているのだが、参加者が皆で寄ってたかって、ああでもない、こうでもない、と味つけをしている。「いい酒がいっぱいありますよ」と、コップを渡され、煮上がった芋煮や、子豚の丸焼きや、美味しい岡山産のチーズやらを渡されてしまう。1人くらい飲み食いするものが増えても全然構わない、来るものは拒まずみたいな、気持ちのよい会だった。なんだかいっきに広島に多くの知己を得てしまったような気がする。
 正直、67年間にわたって様々に語られ続けてきた「ヒロシマ」を相手にするのはしんどい。ましてや、こちらは全くの他所者でもある。身構えてしまう。
 「でも僕らだって知らないんですよ。そうした画面を作ってもらえるなら僕らだって観たい」
 広島や呉の方たちからそんなふうにいってもらえ、その上、こうして芝生の上に座り込んで飲み食いまでともにできている。

 「そうした画面」というのは、原爆なんかが落ちてくるずっと以前、どこにでもあるふつうの賑わいを見せる普通の街だった中島本町のことだ。
 北村さんは、「うちの中国新聞には被爆前の街のこと調べてるのがいます。僕の方からも紹介しておきますから、連絡してやってください」と言ってくださった。昨日、中川幹朗さんからも同じ人のことをうかがっていた。
 東京へ帰ると、画面構成担当の浦谷さんが、中島本町のレイアウトを描いている。ほぼ完成状態にある1枚(中島本町の大正屋呉服店周辺のカット)を、せっかく連絡先を紹介してもらった中国新聞社の編集委員の方にメールで送ってみた。
 趣旨はわかった、と一面識もない編集委員の西本雅美さんから、すぐさま画像が送られてきた。こちらが把握しているよりもずっと最近に被爆以前の広島の街中の写真を集める事業が行われ、しかし、それらの写真は、それぞれの撮影者の著作物であることを考慮して、公的アーカイブに収蔵されている、という。送られてきたのは、そうしたことを紹介する新聞記事の切り抜きであり、そこには、収集物の一例として、大正屋呉服店の写真が2枚載っていた。こちらの手持ちの写真では画面外に出ていた看板が、鈴蘭灯の柱に半分隠れながらも写っていたし、そのほかにもいくつもの細部がわかった。ありがたい。浦谷さんには申し訳なくも、レイアウトを修正してもらわなければならない。

●2012年11月22日木曜日(840日目)

 『この世界の片隅に』では、たとえ戦時であっても連綿と続けられてゆく、平凡な日常生活を物語る。
 原作の中では、食料配給難に応じて野草を料理の材料に使ってしまったり、米に必要以上に水分を吸い込ませて体積ばかり膨らませる炊き方だったり、といった戦時代用食を作るエピソードがある。こうしたことは、野草が出始めるこの年の春先に、あらかた実地にやってみてしまっていた。タンポポも、スギナも、スミレも食べてみていた。
 ひとつだけまだだったのが、代用炭団を作ることだった。これは、落ち葉を燃やして消し炭にし、うどんのゆで汁でこねて固めて作る。落ち葉のある秋でなければできない。
 いったいどれくらいの落ち葉があればよいのかわからない。それをうまく不完全燃焼させられるかわからないし、うどんのゆで汁ごときで固まるとも思えない。そんなに効率よくはできないのではないかと予想してしまう。落ち葉自体は、週に1度講師をするため訪れる日本大学芸術学部の所沢キャンパスに掃き集められたのが大量にあるのは見ていた。
 「これ、持っていってよいですか? 処分はこちらで責任持ちますから」
 「持ってゆくのは構わない」
 もう一度持ってくるなよ、という含みとともに、30リットルポリ袋に詰め込まれた落ち葉を3袋、大学から自分の車で持ち帰った。後部座席にゴート札を満載にしたフィアット500さながらに。
 同じ所沢に、古い民家を貸してくれる施設がある。かまどなんかもあるので、ここを借りて、落ち葉から炭団を作る実験をやってみる。
 始めてみると、意外にもひじょうに効率よく炭団が作れることがわかってしまった。落ち葉10リットル分くらいで、相当量がなんの苦労もなくあっという間にできあがってしまった。あともう少し作り足しても、90リットルのうち70リットル以上残ってしまう。
 ついでなので、同じ場所で、スタッフ一同とバーベキューなどして楽しんでしまい、残った葉っぱをどうしようか考える。

●2012年11月25日日曜日(843日目)

 22日の炭団作り兼バーベキューにはこうの史代さんもお誘いしたのだが、その日が原稿締切とのことで、残念にも来ていただけなかった。
 3日経った日曜日にお目にかかる機会があったので、こうのさんには一番形よくできた炭団を差し上げた。
 「思ったよりそれっぽくできるんですねー。はあ、軽いんですねー」
 1週間前に広島で出会った様々について聞いてもらった。
 そう。原爆でどんなたいへんになったかじゃなくて、その前にふつうにそこにあった町のことを描くのが大事、という共通認識。
 その昔、国民学校に通っていた父親が遠い佐賀から長崎のきのこ雲を眺めたことがある程度の距離感を持ち得ない自分が、広島について新たに物語ることに身構えてしまうように、広島市出身のこうのさんは呉について語り始めるとき、やはり身構えてしまう自分を感じたという。
 「でも、今は呉の人にもわかってもらえて、好意的に受け止めてもらえてます」
 かつて生きていた町があってそこに住む人々があり、今また生きている町があってそこに住む人々がある。そんな気持ちの中にある。

この世界の片隅に 上

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 中

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 下

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon