第873回 原作ありかオリジナルか?

 少しだけ前回の話を、別の角度に広げて。今から35年以上昔、中学生だった俺はまだ一介のアニメファン、ならぬ出﨑(統)ファンでした。その頃、同級生に熱狂的宮崎駿崇拝者H君がおり、彼はしょっちゅうナウシカの模写をしていました。うちの妹もそうだったし、自分自身も宮崎アニメは好きでしたが、その当時発表されてた、いわゆる“宮崎作品”は『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』『名探偵ホームズ』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』と計6本程ほど(1988年まで)。それに比べ出﨑統監督作品は、

『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』『家なき子』『宝島』『ベルサイユのばら(後半)』『あしたのジョー2』『コブラ』『ゴルゴ13』『エースをねらえ!2』他まだあり!

大半がTVシリーズというのもその特徴とは言え、ざっと数えて(1988年当時で)すでに10数本!
 え、殆ど原作もの? オリジナルじゃないからズルい? いや、

その人の監督作品が観たい俺にとって、原作ありかオリジナルか? なぞは不問!

です。じゃ、出﨑監督ほどの“ジャンルの広さ”は他の監督でいらっしゃいますか? スポーツ青春ものから少女漫画~ギャグ~世界名作文学~SF・ロボット、そしてハードボイルド・アクション……。

フィルモグラフィーのほとんどが原作ありにも関わらず、その“すべてが出﨑アニメ”!

 そして1989年以降、2011年に亡くなられるまで、劇場・TV・OVA・短編合わせて、さらに30本ほど追加されています。
 宮崎駿監督作品ファンを否定する気はありません。それどころか、自分自身も宮崎アニメ好き(特に『未来少年コナン』の影響はかなり受けている俺)ではある上で、なぜ「出﨑優先」なのか? その源は、俺の“せっかちな性格”にあるのでしょう。宮崎アニメに限らず、今日日のアニメ作家によるオリジナル新作発表サイクル(?)——数年懸けて100分前後の超クオリティ劇場作品は、せっかちな板垣にとって「ファンとして新作を楽しみに待つ」サイクルが長過ぎるんです。それに比べ、次作を楽しみに待つ出﨑アニメファンライフにおいて、年に1~2本新作が観れる幸せ!
 例えば1989年の出﨑アニメはTVスペシャル『ルパン三世 バイバイ・リバティー危機一発!』と、OVA『華星夜曲』(全4巻)と『エースをねらえ!ファイナルステージ』(全12話)! 1990年はTVスペシャル『ルパン三世 ヘミングウェイ・ペーパーの謎』とOAV『B・B』(全3巻)と『修羅之介斬魔剣~死鎌紋の男』!
 もう“総尺”は計算するまでもないでしょう。このスピードでファンに栄養補給してくださる監督でないと、俺は性分的に“飽き”ます! 宮崎アニメも実は『ハウルの動く城』以降ろくに観ていないのはそのせいです。とは言うものの、友永(和秀)師匠が久し振りに参加した『風立ちぬ』くらいはいくら何でも観なければ、と思っていますが。
 だから、“フィルムメーカーたちの新作が観たい”自分にとって、原作だ~オリジナルだ~関係ないのです。毎年とはいかないまでも、せめて最低1年おきにでも新作を発表してくださるアニメ監督、且つそれを心待ちにできた方は出﨑統監督だけでした。逆に言うと、いくら死ぬほど面白いアニメを作る監督でも、毎年新作が発表されない限り、その監督の作品をファンとして追っかけることはないのです、自分の場合は。
 故に、出﨑アニメの新作が作られなくなって早10数年——俺はもうアニメファンではなくなったのだと思います。

 で、アニメ業に戻ります。

第291回 愛のロボットアニメオペラ ~グレンダイザーU~

 腹巻猫です。10月9日にTVアニメ『グレンダイザーU』のサウンドトラック・アルバムがリリースされました。音楽は田中公平。構成は筆者(腹巻猫)が担当しました。筆者は旧作の『UFOロボ グレンダイザー』にも並々ならぬ愛着があり、アルバムの構成(曲名・曲順)に「グレンダイザー愛」を注ぎ込んだつもりです。今回は、その聴きどころを紹介したいと思います。


 『グレンダイザーU』は2024年7月から9月まで放映されたTVアニメ。1975~1976年にかけて放映されたTVアニメ『UFOロボ グレンダイザー』のリブート作品である。総監督を『機動戦士ガンダムSEED』シリーズの福田己津央が務め、アニメーション制作はGAINAが担当した。
 フリード星の王子デューク・フリードは、謀略によって殺された両親の仇を討とうとして守護神グレンダイザーを暴走させてしまい、故郷の星を追われるように宇宙へ旅立った。放浪の末に地球にたどりついたデュークは、兜甲児と弓さやかに助けられ、地球人・宇門大介として暮らし始める。しかし、グレンダイザーをねらうベガ星連合軍がデュークの居場所をつきとめ、地球を襲撃してきた。さらに、デュークの恋人ルビーナとその姉テロンナも、反逆者としてデュークを追っていた。デュークを中心に愛と憎しみと陰謀のドラマが幕を開ける。
 オリジナル版『UFOロボ グレンダイザー』の設定を借りつつ、大胆なアレンジをほどこした意欲作である。驚いたのは、『UFOロボ グレンダイザー』のルーツである『宇宙円盤大戦争』の設定も盛り込まれていること。それを象徴するのが『宇宙円盤大戦争』のヒロイン・テロンナの登場だ。テロンナのエピソードは『UFOロボ グレンダイザー』でルビーナのエピソードとしてリメイクされた。つまり、テロンナに代わるキャラクターがルビーナであったのだが、『グレンダイザーU』にはテロンナとルビーナの2人が双子の姉妹として登場する。ルビーナはデュークの恋人で、その姉テロンナはひそかにデュークに想いを寄せているという設定である。このアレンジはなかなかうまいと思った。うまいとは思ったが、テロンナとルビーナの2人が登場することで人間ドラマが複雑になった感は否めない。デューク、ルビーナ、テロンナのあいだに三角関係が生まれ、物語全体の多くの部分を3人のドラマが占めることになった。
 『UFOロボ グレンダイザー』はロボットアニメの枠組の中に悲劇的なヒロインが登場するメロドラマ的な要素を盛り込んだ作品である。放映当時はそのメロドラマ的要素がティーンエイジャーのファンの心を動かし、人気を呼んだ。『グレンダイザーU』ではメロドラマ的要素の比重が旧作より大きくなり、作品全体を貫く主題になっている。ストレートなロボットものを期待したファンは、とまどったのではないだろうか。ネット上ではさまざまな感想が飛び交ったが、筆者はマニアックなファンに向けた、ある意味「二次創作みたいな作品だなあ」と思いながら楽しんだ。

 音楽を担当した田中公平は、本作のオファーがあったとき、近年の日本のアニメになかった直球のロボットものの音楽が書けると思い、意欲がわいたという。放映前に公開された田中公平のコメントの一部を引用しよう。
 「楽曲制作に際して、一番心掛けた事は『正統で本物のロボット音楽を書く事』でした。昨今、少なくなって来て寂しい思いをしておられるだろう『ロボットものファン』の方々が心から満足して頂けるような楽曲を書く!これが使命でした」
 先に書いたとおり、原典の『UFOロボ グレンダイザー』はメロドラマ的要素が強い作品で、菊池俊輔の哀愁を帯びた音楽がみごとにはまっていた。田中公平は、当初、菊池俊輔のオリジナル音楽を取り入れることも考えたそうだが、音響監督の長崎行男から「まったく新しい作品としてイチから作ってほしい」と言われ、前作のことは忘れて新しい音楽を書くことにしたという。
 福田監督から提示された音楽のイメージは「ギリシャ悲劇」。オリジナル版がメロドラマだとしたら、本作はオペラである。ワーグナーの歌劇のような重厚なオーケストラ音楽に、ロックや民族音楽の要素も盛り込まれた、現代的な「ロボットアニメオペラ音楽」だ。田中公平は長崎行男とのインタビュー映像の中で、本作の音楽を「私のロボットもの音楽の集大成」と語っている。
 本作のサウンドトラック・アルバムは2024年10月9日に「グレンダイザーU Original Sound Track」のタイトルでポニーキャニオンからリリースされた。一部の告知にCD1枚組と書かれているが、正しくは2枚組。主題歌2曲のTVサイズと第4話に流れた挿入歌を含む全58曲。本作のために書かれた曲はすべて収録されている。
 収録曲は下記を参照。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DBHFVSKZ

 「正統で本物のロボット音楽」にふさわしいアルバムにすべく、筆者も70~80年代の王道のロボットアニメのサントラみたいな雰囲気をめざして構成した。曲名には原典の『UFOロボ グレンダイザー』へのオマージュを盛り込んでいる。「これがロボットアニメのサントラだよなあ」と、旧作のファンにもよろこんでもらえるアルバムを目標にした。
 全体の構成は、全13話の物語を2枚のCDで再現する形にまとめた。全13話を2枚に分けるから、ふつうならディスク1のラストが第6話か第7話にあたるよう構成するところだが、第4話で流れた挿入歌「愛のうた」をディスク1の最後に入れたかったので、少し変則的な構成になった。ディスク1は第1話~第4話、ディスク2は第5話~第13話をイメージした内容である。

 ディスク1から紹介しよう。
 1曲目「グレンダイザーU」は本作のメインテーマ。作品全体を代表するテーマであり、特定の場面を想定した曲ではない。古典的なクラシック音楽のスタイルで書かれており、まさに歌劇の序曲のような、スケールの大きな音楽である。本編では第3話、第5話、第7話のグレンダイザー活躍シーンに選曲されている。
 オープニング主題歌をはさんで、トラック3からトラック11は第1話のイメージで構成した。
 トラック3「宇宙の深淵より」は第1話の冒頭、スペイザーが地球に落下する場面の緊迫した曲。「第二の故郷・地球」(トラック4)と「砂漠の町にて」(トラック5)は宇門大介として生きるデューク・フリードと平和な地球の描写に使われた曲だ。
 続く「襲来!ベガ星連合軍」(トラック6)で雰囲気が一変し、戦闘に突入する。兜甲児が操縦するマジンガーZの出撃場面に流れる「空駆ける魔神」、グレンダイザーの活躍を彩る「明日なき激闘」「荒ぶる守護神」と激しい曲がたたみかける。「王道のロボットアニメ・サントラ」の筆者なりのイメージを形にしてみた。「空駆ける魔神」が軽快なロック調で書かれているのに対し、グレンダイザーの曲はオーケストラにエレキ楽器とリズム楽器を加えたシンフォニックロック的なスタイルで書かれていることに注目したい。マジンガーZとグレンダイザーの強さの違いが音楽で表現されているわけだ。
 トラック10からトラック13は、デューク・フリードの過去を回想するイメージの構成。第2話でデュークが甲児にフリード星の出来事を話す場面に流れたメインテーマの変奏「悲劇の王子デューク・フリード」(トラック10)とデュークが奏でるギターの調べをイメージした「はるかなる故郷(ふるさと)の星」(トラック11)の2曲がデュークの孤独を表現。続く「王女ルビーナの微笑み」(トラック12)と「愛と慟哭の果てに」(トラック13)がルビーナの面影とフリード星での悲劇をよみがえらせる。田中公平が書くメロディーの凛とした美しさと端正なオーケストレーションに耳を傾けてほしい。
 トラック14からトラック23は、ベガ星連合軍との戦いの中で描かれる、デュークとさまざまなキャラクターとのかかわりを音楽で表現してみた。
 神秘的な力を持つ少女・牧場ヒカルのテーマ「宇宙の巫女ヒカル」(トラック15)、デュークを陥れた反逆者・カサドのテーマ「反逆の刃」(トラック16)、デュークと甲児との友情の曲「熱き血潮で結ばれた二つの星」(トラック23)など、主要キャラクターが次々登場するイメージだ。そのあいだに「卑劣な敵を迎え撃て」(トラック19)、「蹂躙される大地」(トラック20)、「紅蓮の怒り」(トラック21)といった戦闘曲、サスペンス曲を織り込んで、ロボットアニメ的躍動感も忘れないようにした。
 不穏な展開を予感させるトラック24「陰謀渦巻く大宇宙」をはさんで、トラック25からトラック29は第4話をイメージした構成。第4話は旧作でも人気の高いナイーダのエピソードのリメイク回である。ナイーダのテーマである「ナイーダ、漂泊のさだめ」(トラック25)、洗脳されたナイーダを描写する「いつわりの心に操られて」(トラック26)、ナイーダの悲痛な想いを表現する「愛ゆえの苦しみ」(トラック27)の3曲は、いずれも第4話の具体的なシーンを想定して書かれた曲。ドラマティックな「愛ゆえの苦しみ」が秀逸で、旧作のメロドラマ要素をオペラ風に再構築するとこうなるという田中公平の解答のような曲だ。洗脳が解けたナイーダの悲壮な決意を描写する「悪夢の再来」(トラック28)に続けて、円盤獣に突っ込むナイーダの場面に流れた挿入歌「愛のうた」(トラック29)を収録して、ディスク1の締めくくりとした。「愛のうた」は田中公平作・編曲、ナイーダ(CV:佐倉綾音)の歌唱による挿入歌で、フルサイズが聴けるのは本アルバムだけである。
 頭から聴いていくとディスク1だけでけっこうお腹いっぱい。本作の音楽の方向性と質の高さ、田中公平の本気度がわかっていただけると思う。この濃厚な感じは、音楽スタイルは異なれど、旧作『UFOロボ グレンダイザー』とたしかに通じるものがあると思う。
 ディスク2はがらっと雰囲気を変えて、ジャズトリオによる小粋な演奏「Flowers in the Night Sky」から始まる。実はこの曲は本編未使用。もともとは第8話でデュークがルビーナと密会するホテルのラウンジのBGMとして録音されたのだが、完成作品では密会場所がホテルではなく浅草の喫茶店になったため、使用されなかった。ここではインターミッション的なイメージで収録している。
 ディスク2のトラック2からトラック7は、第5話から登場するデュークの妹・マリアのシーンで流れた曲で構成した。旧作の人気キャラクターであるグレース・マリア・フリードは、本作でも活発でちょっと生意気な明るいキャラクターとして描かれている。トラック2「じゃじゃ馬娘がやってきた」はマリアのテーマ。初登場シーンのイメージに合わせてややコミカルな雰囲気で書かれている。トラック6「マリアにおまかせ」は同じ曲のバリエーションである。第5話でマリアが地球人と触れ合う場面の「戦火のふれあい」(トラック3)、マリアが敵のコマンダーと戦う場面の「スターカーの閃光」(トラック5)などを挿入して、マリアの多面的な魅力を表現してみた。トラック7「マリアと甲児」はマリアと甲児がはりあう場面に流れた明るくはつらつとした曲で、個人的にはこれがマリアのテーマでもよかったと思う。
 トラック12からトラック16は、デュークとテロンナの確執と愛のもつれをイメージした構成。デュークへの愛を貫こうとするルビーナにいらだつテロンナは、デュークと対決しようとする。その心にはデュークへの怒りと愛という相反するふたつの感情が渦巻いていた。
 テロンナのテーマである「白銀の騎士姫テロンナ」(トラック12)、テロンナとデュークが巨大ロボットを操縦してぶつかり合う場面の「宿命の激突」(トラック13)、テロンナの葛藤を描写する「悲痛なる想い」(トラック14)の3曲は、デューク、ルビーナ、テロンナが地球で邂逅する第6話のイメージで選曲した。闘うヒロインであるテロンナの曲は『ベルサイユのばら』的な華麗さとカッコよさがあり、本作の音楽の聴きどころのひとつである。
 トラック15「朔閏膰の丘」とトラック16「愛の儀式」は、第11話、第12話で描かれたデューク、ルビーナ、テロンナの三角関係の決着をイメージした選曲。
 トラック17からトラック25は、第11話~13話で描かれる地球対ベガ星連合軍の最終決戦をイメージした構成。重厚なサスペンス曲やバトル曲をここに集めて、アルバム全体のクライマックスとした。
 「悪魔の要塞ベガスター」(トラック17)はベガ星連合軍の脅威を描写する曲。次の「地球滅亡の危機」(トラック18)は地球の危機を表現するサスペンス曲だが本編では未使用に終わった。続いて、地球には隠された切り札があった!というロボットアニメの王道的展開を描写する「目覚める旧き遺構」(トラック19)と力強い「地球を守る翼」(トラック20)が地球側の反撃気分を盛り上げる。
 「マジンガー出撃!」(トラック21)は、マジンガーZにフリード星の技術を移植して完成した新ロボット、マジンガーXの出撃場面に流れる曲。ディスク1収録の「空駆ける魔神」とはサウンドが異なり、オーケストラが高らかに奏でる雄大で希望的な楽曲になっている。フリード星の技術と地球の技術の融合が音楽でも表現されているのだろう。
 ピアノのグリッサンドから始まるトラック22「死闘!地球対ベガ星連合軍」は激しい戦闘を描写する曲。男声合唱を加えたデモーニッシュな曲想が迫力満点。オーケストラサウンドとロックサウンドがミックスされたロックオペラ的な1曲だ。次の「この美しい星のために」(トラック23)は混声合唱とオーケストラによる壮大かつ豪快な最終決戦の曲。
 激しい曲の連続のあとに流れるのが、切なくも美しい「宇宙に散った愛の花」(トラック24)である。第12話のラスト、ルビーナの最期のシーンを飾った悲しい愛の曲だ。そして、デュークの怒りを宿したグレンダイザーの突撃を描く「宇宙の守護神グレンダイザー」(トラック25)がベガ星連合軍との決着、勝利を表現する。戦闘の展開と心情のドラマが一体となって盛り上がるクライマックスを、感情をゆさぶる音楽の連続で再現してみた。ロボットアニメのサントラはこうでなくては。
 トラック26からトラック28はエピローグである。
 トラック26「やすらぎをあなたに」は、第13話の終盤、戦いが終わり、病院のベッドの上で弓教授が目覚める場面に一度だけ使われた曲。本編ではわずかしか流れないが、フルートやストリングスが美しく奏でる慈愛に満ちた曲である。
 トラック27「いつか微笑みが還るまで」は上記の場面に続いて、デュークとテロンナがルビーナのなきがらを見送り、別れる場面に流れた繊細な愛の曲。往年のフランス映画音楽のようなロマンティックな曲想に胸がしめつけられる。
 物語を締めくくる曲として、ルビーナの愛のテーマとして書かれた「緑の星より愛をこめて」をトラック28に収録した。音楽メニューでは「愛のテーマ」と副題が付けられている。メインテーマと並ぶ、本作のサブテーマと言ってもよいだろう。独立したコンサートピースとしても鑑賞できそうな、聴きごたえのある1曲である。

 『グレンダイザーU』の音楽で田中公平が特に力を入れたと思われるのは、メインテーマを含むグレンダイザーのテーマと戦いの曲だ。田中公平が「正統で本物のロボット音楽」と語る通り、ロボットのカッコよさ、強さ、戦闘の迫力、緊迫感などがダイナミックかつ壮大なサウンドで表現されている。
 同時に、それと同じくらい力を入れたと思われるのが、ルビーナやテロンナ、ナイーダらに付された愛のテーマである。さまざまな愛の形、愛の試練、愛の悲劇が、クラシカルな曲想で奏でられ、作品に香気を加えている。先に本作の音楽を「ロボットアニメオペラ音楽」と書いたが、その中で大きな比重を占めているのが愛の主題だ。本作ではロボットの活躍(戦い)と愛のドラマが同じくらいの重みで描かれている。大いなる敬意をこめて、本作の音楽を「愛のロボットアニメオペラ音楽」と呼びたい。

グレンダイザーU Original Sound Track
Amazon

第230回アニメスタイルイベント
杉井ギサブローとアニメとアニメーション

 杉井ギサブロー監督と言えば『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』『紫式部 源氏物語』『タッチ』『悟空の大冒険』等、素晴らしい作品を残してきた名監督です。

 2024年11月11日(月)に、その杉井監督をゲストに迎えたトークイベントを開催します。聞き手は小黒編集長が務めます。
「アニメとアニメーション」という大枠は決めてありますが、それ以外は思いつくままトークを進める予定です。興味深いお話をうかがうことができるはずです。

 なお、今回は平日夜のイベントとなります。会場は阿佐ヶ谷ロフトA。今回のイベントも「メインパート」の後に、ごく短い「アフタートーク」をやるという構成になります。配信もありますが、配信するのはメインパートのみです。アフタートークは会場にいらしたお客様のみが見ることができます。

 配信はリアルタイムでLOFT CHANNELでツイキャス配信を行い、ツイキャスのアーカイブ配信の後、アニメスタイルチャンネルで配信します。なお、ツイキャス配信には「投げ銭」と呼ばれるシステムがあります。「投げ銭」による収益は出演者、アニメスタイル編集部にも配分されます。アニメスタイルチャンネルの配信はチャンネルの会員の方が視聴できます。

 チケットは10月17日(木)18時から発売となります。チケットについては、以下のロフトグループのページをご覧になってください。

■関連リンク
告知ページ(LOFT)  https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/296599
配信チケット(ツイキャス)  https://twitcasting.tv/asagayalofta/shopcart/337632
会場チケット(LivePocket)  https://t.livepocket.jp/e/8xuat

第230回アニメスタイルイベント
杉井ギサブローとアニメとアニメーション

開催日

2024年11月11日(月)
開場18時30分/開演19時 終演21時~21時30分頃予定

会場

阿佐ヶ谷ロフトA

出演

杉井ギサブロー、小黒祐一郎

チケット

チケット会場での観覧+ツイキャス配信/前売 2,300円、当日 2,500円(税込·飲食代別)
ツイキャス配信チケット/1,800円

■アニメスタイルのトークイベントについて
 アニメスタイル編集部が開催する一連のトークイベントは、イベンターによるショーアップされたものとは異なり、クリエイターのお話、あるいはファントークをメインとする、非常にシンプルなものです。出演者のほとんどは人前で喋ることに慣れていませんし、進行や構成についても至らないところがあるかもしれません。その点は、あらかじめお断りしておきます。

第872回 夢のアニメ

 庵野秀明監督が『宇宙戦艦ヤマト』の新作を作ると発表されたそうです! 凄い! ゴジラ・ウルトラマン・仮面ライダーに続いて、何十年経っても“ヤマトが作りたい!”って、本当に凄い、と。特に、我々よりひと回り上の世代の方々にとっての『ヤマト』は相当“特別なアニメ”だということが伺えます。自分らの世代に、そういう作品ってあるのでしょうか!? うん。まぁ、他の人は知りませんが、

俺にはない!!!

とハッキリ言えます!
 たとえば『あしたのジョー』? 仕事として依頼があれば、もちろんやると思うし面白がって作るでしょう。でも自分に取って『ジョー』は出﨑(統)監督のアニメ版が好き過ぎて、何がなんでも自分が作りたい! って気持ちは正直ないのです。
 そう言えば以前も触れたかも知れませんが、『コップクラフト』(2019)の時、原作イラストの村田蓮爾先生と(酒を)飲んだ時、「板垣さんはやりたいことないんですか?」と振られて、

いやぁ~、自分はアニメ始める前から “永遠の出﨑憧れ”なので、自分オリジナルとか世間に伝えたい思想とかより、“どんな企画でもこなす”職人がモットーでして……

とお茶濁し的な返しをしたら、「じゃあ、やりたい原作とかでもいいじゃないですか~」と、言われた時、「強いて言うなら『がんばれ元気』(原作・小山ゆう)です……」と。

小学生の頃に一度、りんたろう監督・東映動画(現・東映アニメーション)制作でアニメ化されたんですが、りんさんの第一話が良いんですよ!出﨑さんの『ジョー』と違うテンポで拳闘を描いてて! そして最後までアニメ化されてない! でもやるなら、あくまで“昭和”舞台で! 喜怒哀楽のハッキリした感情爆発の濃いドラマを!

と、熱っぽく語ったのを覚えています。それでも『がんばれ元気』は「終わりまでアニメ化が作られてないから、誰もやらないなら」って理由があるし、ま、“語ってワクワクする夢”ってとこです。
 『がんばれ元気』同様、途中で終わったアニメ化原作で言うと『おれは鉄兵』(原作・ちばてつや)も? アニメ化されていないで言うと『まんが道』(原作・藤子不二雄A)とか、神様・手塚治虫を中心に戦後~昭和のマンガ家青春群像として——全部“昭和”……。

しかし、どれも庵野さんの『ヤマト』熱とは比べものになりません!

で、仕事に戻ります。

第229回アニメスタイルイベント
ここまで調べた『つるばみ色のなぎ子たち』9【今話しておきたい枕草子の周囲人物編 編】

 片渕須直監督が制作中の次回作のタイトルは『つるばみ色のなぎ子たち』。平安時代を舞台にした作品のようです。
 『つるばみ色のなぎ子たち』の制作にあたって、片渕監督はスタッフと共に平安時代の生活などについての調査研究を進めています。その調査研究の結果を披露していただくのが、トークイベント「ここまで調べた『つるばみ色のなぎ子たち』」シリーズです(以前は「ここまで調べた片渕須直監督次回作」のタイトルで開催していました)。

 2024年11月4日(月・祝)に開催する「ここまで調べた『つるばみ色のなぎ子たち』9」のサブタイトルは【今話しておきたい枕草子の周囲人物編 編】です。
 これまでの「ここまで調べた~」イベントでも、「枕草子」に登場する多くの人物について話をうかがってきました。今回も興味深いトークが展開するはずです。出演は片渕監督、前野秀俊さん。聞き手はアニメスタイルの小黒編集長が務めます。

 会場は阿佐ヶ谷ロフトA。今回のイベントも「メインパート」の後に、ごく短い「アフタートーク」をやるという構成になります。配信もありますが、配信するのはメインパートのみです。アフタートークは会場にいらしたお客様のみが見ることができます。

 配信はリアルタイムでLOFT CHANNELでツイキャス配信を行い、ツイキャスのアーカイブ配信の後、アニメスタイルチャンネルで配信します。なお、ツイキャス配信には「投げ銭」と呼ばれるシステムがあります。「投げ銭」による収益は出演者、アニメスタイル編集部にも配分されます。アニメスタイルチャンネルの配信はチャンネルの会員の方が視聴できます。また、今までの「ここまで調べた~」イベントもアニメスタイルチャンネルで視聴できます。

 チケットは10月12日(土)正午12時から発売となります。チケットについては、以下のロフトグループのページをご覧になってください。

■関連リンク
告知ページ(LOFT)  https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/296283
配信チケット(ツイキャス)  https://twitcasting.tv/asagayalofta/shopcart/336917
会場チケット(LivePocket)  https://t.livepocket.jp/e/zzxrd

 なお、会場では「この世界の片隅に 絵コンテ[最長版]」上巻、下巻を片渕監督のサイン入りで販売する予定です。「この世界の片隅に 絵コンテ[最長版]」についてはこちらの記事をどうぞ→ https://x.gd/57ICr

第229回アニメスタイルイベント
ここまで調べた『つるばみ色のなぎ子たち』9【今話しておきたい枕草子の周囲人物編 編】

開催日

2024年11月4日(月・祝)
開場12時30分/開演13時 終演15時~16時頃予定

会場

阿佐ヶ谷ロフトA

出演

片渕須直、前野秀俊、小黒祐一郎

チケット

会場での観覧+ツイキャス配信/前売 1,800円、当日 2000円(税込·飲食代別)
ツイキャス配信チケット/1,500円

■アニメスタイルのトークイベントについて
 アニメスタイル編集部が開催する一連のトークイベントは、イベンターによるショーアップされたものとは異なり、クリエイターのお話、あるいはファントークをメインとする、非常にシンプルなものです。出演者のほとんどは人前で喋ることに慣れていませんし、進行や構成についても至らないところがあるかもしれません。その点は、あらかじめお断りしておきます。

第871回 人生の後半戦~

どうやら、50歳を越えて更に忙しくなりそう!

 先に言っておきますが、今回は“お茶濁し”です。コンテチェック(修正)と打ち合わせで本日、またバッタバタ! でも、この歳で3本も4本も仕事を頂けるのはとても有難いこと。50代もアニメ作りを堪能できそうで、わくわくが止まりません。

 え? 今のアニメ業界に対する不満?

「ない」と言えば噓になるけど、人生後半ともなると「作品作り」と「業界改変」両方は達成できないし、「~改変」の方は若い後輩たちや仕事に隙間のある方々にお任せします。

自分は作品を作りつつ、せいぜい「身の丈に合った会社作り」くらいが丁度いい! 詳しくは次回!

てとこで、今回のお茶濁し終わり。仕事に戻ります。

第290回 心が奏でている 〜ガールズバンドクライ〜

 腹巻猫です。TVアニメ『ガールズバンドクライ』の劇伴を収録したサウンドトラック・アルバムが9月11日にリリースされました。放送終了から3ヶ月近く経ってからのリリース。「もう出ないのかな」と思っていたのでよかった! 本作を観た人の多くはライブシーンで演奏される曲に関心を持つと思いますが、劇伴もあなどれません。今回は前回に続いてバンドアニメの音楽を取り上げます。


 『ガールズバンドクライ』は2024年4月から6月まで放送されたTVアニメ。シリーズディレクター・酒井和男、シリーズ構成&脚本・花田十輝、アニメーション制作・東映アニメーションによるオリジナル作品である。
 親や学校とそりがあわず、高校を中退して上京した井芹仁菜は、あこがれていたバンドのギタリスト兼ボーカル・河原木桃香と出会う。仁菜は桃香に誘われてバンドを組むことになり、ドラム担当の安和すばると3人で活動を開始した。そこに2人組で活動していた海老塚智(キーボード)とルパ(ベース)が加わり、5人組バンド「トゲナシトゲアリ」が結成された。それぞれに心の傷や複雑な事情を抱えた5人は、音楽活動を通して関係を深め、自身の抱える問題に向き合っていく。そんな仁菜たちに、桃香がかつて参加していた人気ガールズバンド・ダイヤモンドダストが、あるライブへの出演を持ちかけてきた。
 ロボットアニメに王道があるように、ロックバンドアニメに王道があるとしたら、これこそ(筆者が考える)王道。それぞれに屈折した想いを抱えた若者が音楽を軸に集まり、言葉にできない気持ちを曲にして、世間にぶつけていく。家族や仲間との確執、挫折、暴走、後悔、反骨、野心……。青春ドラマ的なエピソードが、深刻になりすぎず、さらっと軽快に語られるのがいい。
 本作では、いくつか斬新な試みがされている。バンドメンバーを演じるのが声優ではなく、先行して結成されたバンドのメンバーであること。全編がイラストルックのCGアニメで制作されていること。が、それらについては本稿では触れない。ここで語りたいのは音楽、それも劇伴のほうである。

 バンドアニメらしく、本編の見せ場となるのはライブシーンだ。劇中でトゲナシトゲアリが演奏する曲はどれも勢いのあるロックナンバーで、本編のドラマとリンクして胸に刺さる。トゲナシトゲアリの曲について語りたい人は多いだろう。
 いっぽう劇中に流れる音楽(劇伴)を気にしている人は少ないのではないか。流れているけれども意識されない。それが劇伴の宿命である。けれど、じっくりと耳を傾けてみると、本作の劇伴はライブシーンで流れる曲と同じくらい心に残る。
 本作の音楽プロデューサーは玉井健二。劇伴音楽のプロデュースは田中ユウスケが担当。実際の劇伴制作には、田中ユウスケをはじめ、玉井健二が代表を務めるagehasprings所属の複数の音楽家が参加している。下記のページに楽曲ごとのクレジットが掲載されているので、参考にしていただきたい。
https://news.agehasprings.com/news/4599/

 本作のように音楽をテーマにした映像作品の場合、劇中で演奏される現実音としての音楽と、背景音楽(劇伴)をどう差別化するかが課題になる。たとえばピアニストが主人公の作品であれば、劇伴にピアノを使うと、それが劇中で現実に流れている音なのか、そうではない背景音楽なのかを視聴者が区別できず、混乱を招くことがある。だから、できるだけピアノを使わずに劇伴を作曲するという方法もあるし、逆にあえてピアノを使って劇中の現実音楽とリンクさせるという方法もある。
 『ガールズバンドクライ』の場合は後者である。劇伴の大半がギター、エレキベース、キーボード、ドラムをメインにしたバンドサウンドで作られている。ギターのみ、キーボード(ピアノ)のみ、ギターとドラムのみ、といったシンプルなサウンドの曲も多い。「なんとなく楽器を触っているうちにできちゃった」みたいな曲もある。しっかり作りこんだ音楽ではなく、スタジオでセッションしながら作り上げたような音楽だ(あくまでそういう印象を受けるということで、実際にそうだったかどうかはわからない)。
 おそらく、バンドサウンドの劇伴で日常を彩る、というのが本作のねらいなのだろう。その作りこまれてない感じ、仁菜たちのバンド活動と地続きの音楽が日常に流れている感じが、本作の世界観になっている。いつも音楽とともにある。いつもロックとともにある。仁菜たちのそんな日常を彩る音楽は、バンドサウンドでなければいけないのだ。
 本作のサウンドトラック・アルバムは、2024年9月11日に「TVアニメ『ガールズバンドクライ』オリジナルサウンドトラック」のタイトルで、ユニバーサルミュージックから発売された。CD2枚組。収録曲は下記ページを参照。
https://girls-band-cry.com/goods/post-43.html

 なんと全73曲。1クールのアニメにしては多いのではないか、というのが筆者の第一印象だった。劇伴だけでなく劇中で流れた挿入歌(ライブバージョン)も入っているのだが、それにしても多い。
 聴いてみて、曲数が多い理由はわかった。劇伴として使用された曲だけでなく、現実音楽として流れた曲や未使用曲まで入っているのだ。
 全体の構成は、ディスク1の全45曲とディスク2のトラック1〜21が主題歌を含む本編使用曲。ディスク2のトラック22〜28が未使用曲である。
 曲順は、ほぼ劇中で流れた順。ライブシーンの演奏曲などを挟んで、全13話のストーリーをふり返る構成になっている。よく考えられた、いい構成だ。
 本作の音楽全体はフィルムスコアリングではないが、特定の場面を想定して作られたと思われる曲もたくさんある。1回しか使われていない曲も多い。フィルムスコアリングのような映像と音楽の一体感をねらったというより、ある種のライブ感をねらった演出ではないだろうか。そのとき、その場の雰囲気に合わせ、即興で生まれた音楽のような印象を受けるのだ。劇伴にバンドサウンドを使った効果のひとつである。
 印象的な曲をいくつか紹介しよう。
 まずディスク1から。1曲目「十七歳三月」は第1話の冒頭(2曲目に)流れる曲。ピアノの演奏が仁菜の屈折した心情を表現する。第2話では桃香とすばるが仁菜をバンドに誘う場面に流れ、第13話では仁菜がバンドの演奏前に自分語りを始める場面に流れていた。劇伴における本作のメインテーマ、あるいは「仁菜のテーマ」ともいえる曲である。
 トラック6「おしんこ」は使用頻度の高い日常曲。仁菜たちのちょっとユーモラスなシーンによく使われている。
 トラック8「雨と疾走とマニフェスト」は第1話で仁菜が桃香を追いかけて雨の街を走る場面に使用。ギターやドラムが生み出す疾走感が仁菜の心情とリンクする。第10話で実家に帰っていた仁菜がふたたび旅立つ場面、第13話で仁菜たちがダイヤモンドダストからの共演の申し出を断ることを決める場面にも流れていた。「決意のテーマ」とでも名づけたい曲である。
 トラック10「袋小路 -fukurokoji-」は代表的なコミカル曲。エレキギターの音色だけで笑わせる。コミカルな曲では、とぼけたギターサウンドによる「ごきげんよう(ニセモノ)」(トラック21)やファンキーな「嘘とconfuse」(トラック29)、ブルージーなハーモニカの曲「二枚舌(Nimaijita)」(トラック36)、ライバル登場! みたいなロック「SHAZAI(謝)」(トラック39)なども耳に残る。
 トラック22「みんなでひとつのものを」はタイトルどおり、仁菜たちの友情、絆を表現する曲。その絆が永遠に続く保証はないが、それだけに尊い。ピアノの演奏に、逆再生したピアノの演奏を重ねて、時間がたゆたうようなユニークなサウンドを生み出している。
 トラック42「たぶん気分(ねぎぬき)」はギターとピアノをメインにした心情曲。第6話でルパが牛丼屋で仁菜とすばるに名刺を渡す場面、第8話で仁菜が父からの援助を断ろうと決心する場面、第10話でルパが仁菜に熊本行きの切符を渡す場面、第12話で仁菜がダイヤモンドダストと勝負したいと主張する場面など、印象的な場面で使われた。しだいに軽快になっていく曲調が動き始めた感情を描写している。
 次の「アンダー・ザ・オニオンズ」(トラック43)は、第6話で仁菜たちが夜中に武道館を見に行く場面に流れた、ギターとピアノによるリリカルな曲。「オニオンズ」は武道館のことをさしているのだろう(気になる方は「武道館 玉ねぎ」で検索してください)。
 ディスク1の最後に置かれた「桃香と桃香」(トラック45)は、桃香と仁菜の場面にたびたび使われたギターによる心情曲。第1話で仁菜と桃香が歩道橋の上で話す場面、第4話で仁菜が桃香からダイヤモンドダストとの確執を聞く場面などに流れている。タイトルが「桃香と仁菜」ではなく「桃香と桃香」となっていることから、桃香の葛藤にフォーカスした曲であることがうかがえる。仁菜がもうひとりの桃香であるという含みもありそうだ。

 続いてディスク2から。
 トラック1「決意表明(長野の諏訪)」は第7話で一度だけ使われた曲。ディスク1に収録された「雨と疾走とマニフェスト」と並んで、疾走感と躍動感が心地よいナンバーだ。ライブに参加を決めた仁菜たちの意気込みが伝わってくる。
 次のトラック2「過去と過去と過去」とトラック7「見えざる手」はピアノが奏でるメランコリックな心情曲。仁菜たちの過去や葛藤を描写する曲である。第7話以降はメンバーの過去に焦点をあてたエピソードが多く、こうした曲の出番が多くなった。
 トラック8「まもるべきもの」はオープニング主題歌「雑踏、僕らの街」のピアノによるアレンジ曲。ディスク1に収録された「雑踏、僕らの街(彷徨う)」も同曲のギターによるアレンジだったが、使用頻度は「まもるべきもの」のほうが高い。第7話以降、仁菜や桃香の想いを表現する曲として毎回のように使用された。
 エフェクターを効かせたギターが奏でるトラック9「宣戦布告」は、第8話で仁菜と桃香がダイヤモンドダストに宣戦布告する場面での使用が印象的。ほかにも、仁菜たちが対抗心を燃やす場面や一歩踏みだそうとする場面などに使われている。本作らしいロックチューンだ。
 次の「家族の肖像」(トラック10)は、第10話の仁菜が実家に戻るエピソードで1回だけ使用。その次の「ただいま、おかえり。」(トラック11)は戻って来た仁菜を桃香たちが迎える場面に流れた、ぐっとくるバンドサウンドの曲である。
 もやもやする気持ちやいらだちを表現する「美人投票」(トラック18)を経て、BGMパートの実質的な最後の曲となるのが「野菜の甘味。」(トラック19)。ギターとキーボード、ベース、ドラム、ハンドクラップ、それに、ぬくもりのあるトランペット(?)のアンサンブルで演奏される、ほのぼのとした情感をかもしだす曲だ。特にドラマティックではないけれど、仁菜たちがふと本心をもらす場面、胸に秘めた気持ちがあらわになる場面などに使われた。第2話で仁菜と桃香が河原で別れる場面、第11話ですばるが祖母に本当の気持ちを伝えたと仁菜に話す場面、第13話で仁菜が牛丼屋の前で仲間たちに「誓いを立てませんか」と言い出す場面などが思い出される。
 いわゆる「劇伴」だけでなく、現実音楽として流れた曲も紹介しておこう。
 いずれもディスク1から。トラック4「丸福珈琲店(焙煎)」は第1話で仁菜が入る喫茶店のBGM。トラック14「バンドをやって(た)ともだち」とトラック15「フェスで人気でそうなバンドの曲」は、第2話で仁菜たちが入る飲食店「鍋ぞう」のBGM。トラック40「フカフカソファーの喫茶店」も第4話で使われた喫茶店のBGMである。
 第3話では現実音楽が多く使用されている。トラック18「鳩のアレ」は仁菜がスマホアプリで奏でるリズムと鳩の声。仁菜が自習しながらイヤフォンで聴いている曲がトラック20「Coco dos Sonhos」。カラオケルームで仁菜が発声練習する「あーあーあーあーあー」(トラック25)やライブステージに仁菜を呼び込みながら桃香がギターで奏でる「endless 9th」(トラック26)など、バンド経験者だったら「あるある」と思う音も収録されている。こうした、ふつうのサントラならオミットされるような曲も収録されているのが本アルバムのうれしいところだ。

 本アルバムには収録されていないが、仁菜が河原や部屋で弾く、曲になっていないようなギターの演奏も現実音楽の一種である。「いや、それは効果音の範疇だろう」とふつうのアニメだったら思うところだが、本作では違う。本作ではキャラクターが日常的に演奏している楽器の音も、心情や雰囲気を描写する劇伴として機能しているからだ。
 そう考えると、本作の劇伴がバンドスタイルで作られている理由が、さらに明確になる。仁菜たちは息をするように仲間たちと楽器を奏で、心の中にはいつもバンドサウンドが流れている。本作の劇伴は仁菜たちの心が奏でている音楽なのである。

TVアニメ『ガールズバンドクライ』オリジナルサウンドトラック
Amazon

【新文芸坐×アニメスタイル vol.182】
映画館で観るアニメーションの名作『銀河鉄道の夜』

 2024年10月5日(土)に新文芸坐で上映するのは『銀河鉄道の夜』。『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の童話を杉井ギサブロー監督が映像化した劇場作品で、日本のアニメーションのひとつの到達点と呼ぶべき傑作です。
 トークコーナーのゲストは杉井ギサブロー監督。聞き手はアニメスタイルの小黒編集長が務めます。

 チケットは9月28日(土)から発売。チケットの発売方法については新文芸坐のサイトで確認してください。

●関連リンク
新文芸坐オフィシャルサイト
http://www.shin-bungeiza.com/

新文芸坐オフィシャルサイト(『銀河鉄道の夜』販売ページ)
https://www.shin-bungeiza.com/schedule#d2024-09-14-2

【新文芸坐×アニメスタイル vol.182】
映画館で観るアニメーションの名作『銀河鉄道の夜』

開催日

2024年10月5日(土)14時00分~16時50分予定(トーク込みの時間となります)

会場

新文芸坐

料金

2000円均一

上映タイトル

『銀河鉄道の夜』(1985/107分/35mm)

トーク出演

杉井ギサブロー(監督)、小黒祐一郎(聞き手)

備考

※トークショーの撮影・録音は禁止

第870回 仕事と指導、そして総監督

『沖ツラ』は指導しながら作っている作品です! いつも以上に!

 現在制作中の『沖ツラ(沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる)』は社内スタッフ全員に教えながら作っています。それはもう、いつも以上に、脚本から始まって監督・コンテ・演出・作画・美術と、前作以上の“総監督”業をしています。で、今がオープニング制作中。スケジュールの都合上、レイアウトは全部俺のほうで描いて、それを基にメインの作画スタッフ相手に原画の発注、その上りを指導しつつ修正。もちろん、本当は各自レイアウトから描いた方が勉強になるのは承知してますが、先輩として“レイアウトの見本”を見せるのも必要なことです。いや、自分で描かずにただ文句を言ってるだけではモノは教えられません(断言)! 特に今は……。
 前回も話題したデジタルネイティブな世代の若者は、

自分たち年配のアニメーターが得意気に教える“人間の歩き・走り”に限らず“動物の~”それや、“爆発やその他のエフェクト作画”も全てスマホを擦れば参考が出てくることを知っています!

故に、会社で偉そうなだけの先輩に頭を下げて教えてもらわなくても、要領の良い新人はそれ見て何でも描いてきます。
 ところで、スマホ擦れば~の世代に向けて、世の“アニメ教室”的な講座的なところ、一体何を教えているのでしょうか? そして、スマホ擦れば即出てくる内容をなぜ有料で習おうとするのでしょうか? 茶化しでもなんでもなく真面目に、どなたか板垣に教えていただけないでしょうか?
 話を戻して、だからこそ自分は常に何時も「俺ら先輩が教えられることは何だろうか?」と自問しているのです。そして、現時点での俺の答えは、

テクニカル云々より、なりふり構わず真剣に仕事に取り組む姿勢をこそ後輩に見せるべき!

かと思っています。それは、毎日ちゃんと皆と同じ朝11時までに会社に入ってタイムカードを押し、時間内はサボらず仕事して、定時でタイムカードを押して帰る~これ、テレコム(・アニメーションフィルム)時代から板垣は得意だったこと(何せテレコムの6年10ヶ月間で遅刻1回他無欠勤)。フリーを長くやって自由な時間間隔で過ごしたとて、決して自堕落な生活に染まりません! 自分で決めた時間は守る。あ、「皆、タイムカード押そう」は俺から言い出したことですから。あと、「監督だから偉い」~「偉いから特別扱い」など、偉いも特別扱いも不要!
 まず、これからの世に合った“ワークスタイルの見本”を、他のスタッフと同じ地平に立って実行してこそ仕事を教えれるし、教えられる側も言い訳できないハズ。技術指導はその上での話だと思っています。

 では、育成に戻ります。

第228回アニメスタイルイベント
アニメマニアが語るアニメ60年史 PART3/深くアニメを楽しむための50作品

 2024年10月19日(土)にトークイベント「アニメマニアが語るアニメ60年史」の第3弾を開催します。
 「アニメマニアが語るアニメ60年史」はアニメスタイル編集長の小黒祐一郎が、独自の視点でアニメについて語るイベントです。今回も話の聞き手を、かつてはアニメージュの編集者として腕を振るい、現在はプロデューサーとして活躍している高橋望さんにお願いします。

 「アニメマニアが語るアニメ60年史」PART1、PART2とは違い、今回は「深くアニメを楽しむための50作品」のタイトルを挙げ、それについて語るかたちでトークを進める予定です。
 PART1、PART2で触れることができなかったテーマで語ることになります。作品で言うと、例えば『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』、『THE八犬伝[新章]』4話、『電脳コイル』等々。なお、PART1、PART2と同じく、今回のトークもいずれ書籍化するかもしれません。

 会場は阿佐ヶ谷ロフトA。今回のイベントも「メインパート」の後に、ごく短い「アフタートーク」をやるという構成になります。配信もありますが、配信するのはメインパートのみです。アフタートークは会場にいらしたお客様のみが見ることができます。
 配信はリアルタイムでLOFT CHANNELでツイキャス配信を行い、ツイキャスのアーカイブ配信の後、アニメスタイルチャンネルで配信します。なお、ツイキャス配信には「投げ銭」と呼ばれるシステムがあります。「投げ銭」による収益は出演者、アニメスタイル編集部にも配分されます。アニメスタイルチャンネルの配信はチャンネルの会員の方が視聴できます。

 チケットは9月28日(土)正午から発売開始。チケットについては、以下のloft projectのページをご覧になってください。
 会場では「アニメマニアが語るアニメ60年史 1963〜2023」をはじめとするアニメスタイルの書籍を販売します。ご希望の方には小黒がサインを入れさせていただきます。



■loft project
告知ページ(LOFT)  https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/295344
会場チケット(LivePocket)  https://t.livepocket.jp/e/vfj5q
配信チケット(ツイキャス)  https://twitcasting.tv/asagayalofta/shopcart/334745

■関連リンク
アニメスタイルチャンネル
https://ch.nicovideo.jp/animestyle

書籍「アニメマニアが語るアニメ60年史」詳細
https://animestyle.jp/news/2024/04/26/26972/

第228回アニメスタイルイベント
アニメマニアが語るアニメ60年史 PART3/深くアニメを楽しむための50作品

開催日

2024年10月19日(土)
開場12時30分/開演13時 終演15時~16時頃予定

会場

阿佐ヶ谷ロフトA

出演

小黒祐一郎、高橋望

チケット

会場での観覧+ツイキャス配信/前売 1,500円、当日 1,800円(税込・飲食代別)
ツイキャス配信チケット/1,300円

■アニメスタイルのトークイベントについて
 アニメスタイル編集部が開催する一連のトークイベントは、イベンターによるショーアップされたものとは異なり、クリエイターのお話、あるいはファントークをメインとする、非常にシンプルなものです。出演者のほとんどは人前で喋ることに慣れていませんし、進行や構成についても至らないところがあるかもしれません。その点は、あらかじめお断りしておきます。

『タイガーマスク』を語る
第24回 『タイガーマスク』と「仮面ライダー」

 前回までで、アニメ『タイガーマスク』について書いておきたかったことは一通り書いた。
 『タイガーマスク』の作画や演出、あるいは個々のエピソードについて語りたいポイントはまだあるが、「これだけは書いておかなくては」と思ったことについては書くことができた。原稿としては粗いところもあるし、時間をかければもっとまとまりのよいものにできたと思うが、「もっといい原稿を」と思っていたら、書き上げることができなかっただろう。今の自分にとってはこれが精一杯だ。
 今回は作品内のことではなく、作品外のことについて触れて、このコラムの最終回としたい。
 このコラムの第1回で「『タイガーマスク』はあまりにも語られる機会が少ない」と書いた。放映当時に大変な人気番組であったのにも関わらず、『タイガーマスク』は同時期の他の人気作品と比べても語られていない。語られていない理由はいくつあるはずだが、理由のひとつとして「作品として反芻されていない」が挙げられるはすだ。ファンが作品を観返して、改めて感慨を覚えたり、ドラマを味わったりといったことが、あまり行われていないということだ。反芻されていない理由もいくつかあるはずだが、その理由のひとつについて書く。
 以下は僕個人の考えである。この文章はコラムであるのだから、書くことが筆者の考えであるのは当たり前のことであるのだが、念のために断っておく。だから「その考えは違っているぞ」と言う人がいても構わない。
 さて、本題だ。
 『タイガーマスク』がその後に反芻されなかった理由がいくつかあり、その中のひとつが「『仮面ライダー』の人気に喰われた」であると思う。「仮面ライダー」の作り手は、作品の企画時に『タイガーマスク』を参考にしている。気になる方はWikipediaの「仮面ライダー」のページや関連書籍を読んでもらいたい。
 どこからどこまでが企画段階で参考にしたことが反映されているのかを僕は把握していないが、確かに『タイガーマスク』と「仮面ライダー」は類似点が多い。どちらの作品も、主人公は現代で活躍する仮面のヒーローである。主人公は悪の組織(『タイガーマスク』では虎の穴であり、「仮面ライダー」ではショッカー)によって強い力を与えられており、そして、その組織を裏切り、組織が送り込んできた刺客(『タイガーマスク』では覆面レスラー、「仮面ライダー」では怪人)と戦うことになる。さらに言うと、どちらも音楽は菊池俊輔。これを類似点として挙げるのは強引だが、念のために記しておくと『タイガーマスク』のヒロインの名前は若月ルリ子であり、「仮面ライダー」の初代ヒロインの名前は緑川ルリ子。つまり、どちらもルリ子だ。他にも類似点はいくつもある。
 『タイガーマスク』と「仮面ライダー」は類似点が多く、そして、子供向けのヒーロー番組としては「仮面ライダー」に軍配が上がる点がいくつもあった。そのひとつが覆面レスラーと怪人の扱いの違いである。『タイガーマスク』の魅力として、奇怪な覆面レスラーの存在が、そして、タイガーマスクと彼等の戦いが挙げられる。しかし、『タイガーマスク』の覆面レスラーは毎回登場するわけではない。さらに物語が進むにつれて、奇怪な覆面レスラーの登場は減っていく(アニメオリジナルの覆面レスラーが、原作の覆面レスラーに比べると個性が弱かったことも指摘しておこう)。
 それに対して「仮面ライダー」は基本的に新しい怪人が毎週登場する。『タイガーマスク』が強敵と試合をするまでに数話を使うことが多かったのに対して、「仮面ライダー」は毎回バトルがあり、仮面ライダーはほぼ毎回敵を倒すのだ。それを含めて「仮面ライダー」は子供向きのアクションものとして、実に刺激的であり、サービス満点の番組であった。
 『タイガーマスク』が放映されたのが1969年10月2日から1971年9月30日であり、「仮面ライダー」の放映開始が1971年4月3日。放映時期が半年重複している。『タイガーマスク』が第8クールに突入する1971年7月に「仮面ライダー」では主人公が一文字隼人(仮面ライダー2号)に交替。「変身」の掛け声と変身ポーズで変身するようになり、それ以外の路線変更もあり、更に人気が高まっていく。
 以下は自分自身の体験を踏まえて書くが、視聴者の、特に子供達に与える刺激や快楽の強さについて「仮面ライダー」は『タイガーマスク』を上回っていた。「仮面ライダー」が爆発的な人気番組となり、相対的に『タイガーマスク』の存在感が弱くなったのではないか。より刺激的で快楽の強い「仮面ライダー」が登場したことによって、相対的に『タイガーマスク』はストイックで、やや地味な印象の作品になってしまったのではないか。
 「仮面ライダー」が最初のシリーズだけで終わっていれば状況は違っていたのかもしれない。ではあるが、最初のシリーズが最終回を迎えた後も「仮面ライダー」は続編シリーズが作られ続けた。そのために『タイガーマスク』の存在は、ファンの意識の中で隅に追いやられたままになったのではないか。
 以上が、僕が思っている「『タイガーマスク』が作品として反芻されていない理由」のひとつである。作品を作るのにあたって、先行する人気作を参考にするのは当たり前のことであり、そのことで「仮面ライダー」の作り手に文句を言うつもりはない。さらに言えば「仮面ライダー」以外にも『タイガーマスク』の影響を受けた作品は数多い。それを挙げていくのはあまりに厭らしいので、ここでそれを語ることはしない。後続の作品の多くに影響を与えたのは、それだけ当時の『タイガーマスク』が斬新であり、魅力があったからである。そのことはこのコラムの読者に伝えておきたい。
 そして、反芻されておらず、語られる機会が少なかったとしても、『タイガーマスク』が物語についても映像についても、魅力のある作品であることは間違いない。物語については、ハードボイルドタッチの「大人のためのドラマ」、あるいはテーマに対する取り組み方が素晴らしかった。それらの充実した部分に関して言えば、60年を超えるTVアニメの歴史の中にあって、トップレベルのものであると思っている。

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『タイガーマスク』を語る
第23回 アニメ『タイガーマスク』最終回が悲劇であることのいくつかの理由

 アニメ『タイガーマスク』の第104話「血戦!!「虎の穴」」(脚本/近藤正、美術/浦田又治、作画監督/白土武、演出/蕪木登喜司)と、最終回である第105話「去りゆく虎」(脚本/安藤豊弘、美術/浦田又治、作画監督/小松原一男、演出/勝間田具治)でタイガーマスクとタイガー・ザ・グレートの試合が描かれた。第104話と最終回の戦いは壮絶なものであり、特に最終回は今もファンの間で語り草になっている。
 最終回が素晴らしい出来であることについて異論はない。アニメ『タイガーマスク』の完結に相応しい力が入った仕上がりだ。未見の方がいたら是非観てもらいたい。できることなら、最終回に至る一連のエピソードの始まりである101話「「虎の穴」の処刑」から、いや、テーマ性の強いエピソードの集大成である第100話「明日を切り開け」から最終回までを連続で観てほしい。どうして第100話から観たほうがいいのかについては、今回のコラムの最後まで読んでもらえば分かるはずだ。
 アニメ『タイガーマスク』ではプロレスの試合のかたちを借りて命のやりとりが何度も描かれており、タイガーとグレートの戦いでそれが最高潮に達する。グレートは明らかにリングの上でタイガーを殺そうとしていたし、タイガーも殺意を露わにしてグレートを倒した。それはギラギラとした殺し合いであり、『タイガーマスク』ならではのクライマックスだった。勝間田具治の演出と小松原一男の作画が、緊張感とリアリティを高いレベルで維持し、ドラマと感情を深く激しく表現した。
 試合の途中でタイガーマスクは自身のマスクを捨てて素顔を晒す。それはテレビ中継で試合を観戦していた健太達だけでなく、アニメ『タイガーマスク』を観ていた視聴者にとってもショッキングな事件であった。文字通り「思わず息を呑む」瞬間だった。劇中の人物だけでなく、視聴者にとってもショッキングなものになっているのは勝間田具治の演出力によるところが大きいはずだ。
 タイガーマスクの正体が明らかになったことが、最終回の最大のポイントである。正体が明らかになったことで、タイガーマスクは正体不明の謎のレスラーではいられなくなってしまった。すなわち、ヒーローとしてのタイガーマスクは「死」を迎えたのだ。それと同時に、試合を通じて子供達に正しい生き方を示してきたタイガーマスクが、健太達に嘘をつき続けていたことが明らかになってしまった。これからは今までと同じように、ちびっこハウスを訪れてキザにいちゃんを演じることはできない。直人にとっての幸福が永遠に失われてしまった。それだけではない。直人は自分自身とタイガーマスクを別の存在として考え、別人として振る舞っていた。彼はリングの上で血まみれのファイトを繰り広げるタイガーマスクを、自分とは別の人格だと思い込もうとしてたのかもしれない。タイガーマスクが素顔を晒したことで「タイガーマスクとは別人格の伊達直人」も「伊達直人とは別人格のタイガーマスク」も存在できなくなってしまった。
 素顔を晒したタイガーマスクは伊達直人の姿で反撃に転じ、激しい反則技を次々と繰り出して、グレートを圧倒する。その強さは多くのものを失った怒りによるものである。二つの人格に分けることによって曖昧なものとしていた虎の穴に対する怒りと憎しみが、人格を隔てるものがなったことで剥き出しになってしまったのかもしれない。グレートを葬り去ったのは、剥き出しになった直人の怒りと憎しみだったのだろう。
 グレートを圧倒する直人は「虎の穴からもらったものを叩き返してやる。それで俺は伊達直人に還るのだ!」と言った。「虎の穴からもらったもの」とは激しい反則技のことであり、血塗られた今までの人生のことである。しかし、グレートを倒した後の伊達直人は、かつての「タイガーマスクとは別人格の伊達直人」ではない。虎の穴に復讐するためにマットで血の雨を降らせてしまい、二度とちびっこハウスを訪れることができない伊達直人である。
 原作の直人は死ぬ前にマスクを川に捨てた。つまり、原作の直人は、タイガーマスクの存在を自分から切り離し、一人の伊達直人という人間として死んでいった。それに対して、アニメの直人はタイガーマスクとして血を流してきた過去を背負って、最終回の後も生きていかなくてはいけない。物語が進めば進むほど、原作の直人が進んだ道と、アニメの直人の進む道は離れていった。アニメ『タイガーマスク』は原作と違った意味での悲劇として終わったのである。

 第6クールの最後でクライマックスを迎えたアニメ『タイガーマスク』が、第8クールの終盤で再びクライマックスを迎えるために第7クール、第8クールを使ってドラマを積み上げていることは、今までこのコラムで書いてきた。それについてはコラムを遡って読んでもらいたい。
 タイガーと赤き死の仮面の戦いが、『タイガーマスク』物語前半のクライマックスだった。その「タイガーVS赤き死の仮面」の物語の骨格を「タイガーVSグレート」で再度採用していることについても言及しておく。アニメ『タイガーマスク』で赤き死の仮面が登場したのが第41話。タイガーとの戦いが描かれたのが第43話だ。赤き死の仮面はタイガーとの試合で木製の長椅子を二つに割り、割れて尖った長椅子を凶器として使う。そして、タイガーがそれを奪って赤き死の仮面に止めを刺した。グレートも割れた長椅子を凶器として使い、逆襲に転じたタイガーは木製の長机を割ってグレートに攻撃する。赤き死の仮面との試合でタイガーは封印していた反則を使ってしまい、そのことで直人は日本を後にして旅立つことになる。最終回のラストでも反則を使ってグレートを倒した直人は海外に旅立つ。アニメオリジナルの展開で、試合の前にルリ子が直人に赤き死の仮面との試合をやめるように言う。それが第42話だ。グレート戦で第42話に相当するのが、このコラムで取り上げた第102話である。第102話ではルリ子が試合をしないでほしいと言い出す前に、直人が「今度の試合を止める必要はない」と言っているが、それは第42話を踏まえたセリフであるはずだ。
 シリーズ終盤の展開は「タイガーVS赤き死の仮面」の骨格を再利用したものだが、全ての面においてパワーアップさせている。赤き死の仮面は登場した時点での最強の敵だが、グレートは虎の穴のボスであり、虎の穴最強のレスラーだ。赤き死の仮面の登場から試合まで3話をかけているが、虎の穴のボスの登場から試合までは2クールをかけており、じっくりと盛り上げている。ルリ子が試合を止めようとする展開も、シリーズ終盤では直人の告白とセットにして、より劇的なものとしている。互いが木製の長椅子(あるいは長机)を使って攻撃する展開についても、グレート戦ではそれで決着がつかず、タイガーはさらに大掛かりな反則技を使っている。アニメの作り手達は物語前半のクライマックスである「タイガーVS赤き死の仮面」のエピソードをパワーアップさせて、より強烈なクライマックスを作り上げたのだ。
 アニメ『タイガーマスク』の第4クールの最後から第5クールでは「直人と市井の人々とのドラマ」が連続し、直人がやってきたことが正しいことだったのかを問いかけ、「不幸な境遇にいる人達に対して何ができるのか」についての結論に辿り着いた。そして、第7クールと第8クールのちびっ子ハウスの個々の子供にスポットを当てたエピソードでは「みなしごはどのように生きるべきか」が描かれ、それと同時に「不幸な境遇にいる人、人生の岐路に立った人に対してどのように接するべきか」について、さらに「人間はどのように生きるべきか」について語られた。それらのエピソードを通じて伊達直人は成熟し、人間としての厚みを持つこととなった。
 そしてこれが非常に重要な点であるのだが、そのように成熟し、人間として厚みを持った伊達直人が、最終回におけるタイガー・ザ・グレートとの死闘の中で理性を失い、反則の限りを尽くして、グレートを血の海に沈めてしまったのである。自分がやるべきことを問い、人間がいかに生きるべきかを考えた直人が、復讐の想いに駆られて殺意を持って敵を倒してしまった。それが悲劇でなくてなんであろうか。人の復讐の想いとはそれほどにも強いものなのか。どんな人間も恨みや憎しみに飲み込まれてしまうものなのか。
 主人公の人間的な成熟が最終的に悲劇に繋がるということを、作り手が意識して個々のエピソードを紡いでいたのかは分からない。ではあるが、俯瞰して見ればアニメ『タイガーマスク』はそういった構造を持った物語であった。全105話の物語を通じてひとつの悲劇を描いた。伊達直人は勝利した。しかし、その勝利はあまりにも苦いものであった。

●第24回 『タイガーマスク』と「仮面ライダー」 に続く

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タイガーマスク DVD‐COLLECTION VOL.4
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原作「タイガーマスク」(Kindle)
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第869回 便利と生産量

最近、社内で予定の生産量が上がらず困っています!

 原画だけでなく動画も。もっと言うと演出チェック・作監チェックまで、もう全てと言っていいくらい。全デジタル化を進める際、周りの方々から色々参考意見を訊いたのですが、その中に「作業効率が上がるばかりとは思わないほうがいいですよ」というのがありました。つまり「効率が上がる人もいれば、逆に下がる人もいる」と。で、ウチは下がってる人の方が多いのかも?
 これを吐露すると“作画業務デジタル化反対勢”に「ざまあみろ~」と言われると思うのですが、画を描く際の作業効率は少々下がったとて、“直デジタル描き”で全素材をデータ化したことによる“制作進行とそれに類する作業の軽減化”はできているので、プラマイゼロなのですよ! ずっと以前から何回も話題にしているとおり、制作工程に“紙”が挟まることで“スキャンしてタップを貼る人手(制作)”が必要になるのですから。
 で、「俺自身の場合は?」と言うと、「作業効率が上がった」ほうに入ると思います。何せ消しゴム掛ける手間がなくなり、素材の拡大・縮小・コピペがし放題。つまり、“紙”作画だったらコピー機に走らなきゃならないことが、PC上で全て片付くのですから、こんな便利な道具はありません。

作画用紙に鉛筆でパラパラ描いていた時に想い描いた「あんなコトできたらイイな~」な“便利”が、現実になった!

のです。ただ現状、アナログ作画を知らない若い世代ほど、逆に生産量に結びついていないようです。それは、“消し~直し”が簡単にできるからでしょう。何せ「デジタルで便利になって嬉しい」我々と違って、デジタルネイティブな新人は、

「消去・修正の往復が簡単にできる」のが前提の脳に仕上がっているため、延々と繰り返し、満足いく線が描けるまで“消し・引き”続けることが当たり前!

だからです(敢えて断言)! しかも“働き方改革”で、社員&時給&労働時間制限あり……。
 確かに学生時代にスマホもなかった我々ですが、そのアナログ時代に仕事を始め、やり直しがきかない “セル”というアナログ素材でアニメを学ぶことができたことは本当に運がよかったと思うべきです。なぜなら、

用紙に鉛筆では描き直しが面倒だからこそ、“画は基本一発描き”するもの!

と、先輩方から指導されて、そう脳にインプットされているから作画は“早描き”が基本。その上でのデジタル利便性加味。そりゃあ効率上がりますよ! まだ、アナログ作画を貫いている方で、もし「デジタル作画に切り替えたい」と思われてるのであれば、相談に乗りますのでお気軽に声を掛けてください。

 では、またデジタルネイティブ世代のスタッフ育成に戻ります。

第289回 すべての曲に色がある 〜きみの色〜

 腹巻猫です。山田尚子監督の最新作『きみの色』を観ました。やさしく心地よい作品でした。バンドもの、青春ものに分類されるのでしょうが、青春ものにありがちな感情のぶつかりあいや屈折した感じがない。好きなことを貫く純粋な気持ちと楽しさが大切に描かれているのがよかったです。今回はその音楽について。


 『きみの色』は2024年8月30日に公開された劇場アニメ。監督・山田尚子、脚本・吉田玲子、アニメーション制作・サイエンスSARUによるオリジナル作品である。
 ミッション・スクールに通う日暮トツ子は、人が「色」で見える感覚を持つ高校生。同学年の生徒・作永きみに美しい「青」を見て感動したトツ子は、きみが突然学校を辞めたと聞いて、彼女を探し歩いた。きみが店番をする本屋「しろねこ堂」にたどりついたトツ子は、そこで同年代の少年・影平ルイに出会う。トツ子、きみ、ルイの3人は、トツ子の思いつきでバンドを組むことを決定。3人はそれぞれがオリジナル曲を作って練習を重ね、学園祭で初めてのライブに挑む。
 ふんわりとやさしい印象を受けるが、緻密に構築された作品である。キーワードはタイトルにもなっている「色」。トツ子は赤、きみは青、ルイは緑が割り当てられている。3つの色が混ざりあったり、明暗が変わったりするように、3人の心情や関係性が変化する。それはカットごとの色彩設計にも反映されているはず。ストーリーを追うだけでなく、3人が持つ色、感情や関係性の変化を見守る作品なのだと思った。

 音楽も同じような考え方で作られている。
 音楽を担当したのは牛尾憲輔。山田尚子監督とはこれが4作目のタッグである。バンドがテーマの作品なので、珍しくポップな歌ものを3曲書いている。それぞれに個性的な曲なのだが、今回は取り上げない。たぶん、いろんな人がいろいろな観点で語ってくれると思うから。
 今回、紹介したいのは劇伴(BGM)である。
 劇伴作りは、山田監督から作品の説明を聞いた牛尾が、そのイメージをもとに曲を書くことから始まった。映像の制作が進むと、場面に合う曲を選び、映像の尺に合わせて劇伴にアレンジしていく。そんな流れで進められたようだ。今回は終盤のライブシーンでバンドが演奏する曲が音楽的なクライマックスになるので、劇伴はあえてキャッチーな曲にせず、シンプルな楽曲にしたという。
 で、ここからが本題だが、牛尾憲輔は劇伴に、この作品ならではのしかけを盛り込んでいる。
 トツ子、きみ、ルイの3人に割り当てられた3つの色、赤、青、緑は「光の3原色」と一致する。コンピューターで色を扱うときにも基本となる色である。雑誌『CONTINUE』Vol.84に掲載された牛尾憲輔の談話によると、本作では、この3つの色を音にも応用したのだという。具体的には、赤、青、緑にあたる音の周波数を割り出し、「それぞれのキャラクターの重要なシーンには、それぞれの(周波数の)ノイズが鳴るようにプログラミング」したのだそうだ。赤、青、緑の3原色を混ぜると白になるが、それぞれの周波数のノイズも重ねるとホワイトノイズになる。この考え方で音楽も作られている(ようだ)。
 本作のサウンドトラック・アルバムは、2024年8月28日に「映画『きみの色』オリジナル・サウンドトラック all is colour within」のタイトルでポニーキャニオンからCDと配信でリリースされた。2枚組で、ディスク1には劇中で使用された背景音楽(劇伴)とライブシーンで演奏された曲を収録。ディスク2には、ライブシーンで演奏された曲の新録フルサイズ・バージョンと特報用音楽やスケッチ音源などの本編未使用音源を収録。
 ディスク1の収録曲は以下のとおり。

  1. 244, 233, 227
  2. 247, 221, 111
  3. 75, 128, 253
  4. 151, 192, 171
  5. 247, 175, 119
  6. 216, 227, 151
  7. 131, 159, 155
  8. 169, 142, 94
  9. 252, 238, 191
  10. 249, 196, 124
  11. 244, 132, 85
  12. 233, 159, 124
  13. 128, 173, 231
  14. 153, 120, 80
  15. 124, 166, 104
  16. 66, 59, 77
  17. 221, 199, 253
  18. 254, 238, 246
  19. 51, 75, 92
  20. 160, 160, 148
  21. 15, 21, 52
  22. 245, 234, 200
  23. Born Slippy Nuxx
  24. 221, 225, 227
  25. 94, 143, 159
  26. 75, 213, 232
  27. 210, 246, 253
  28. 255, 254, 244
  29. 234, 242, 247
  30. 反省文〜善きもの美しきもの真実なるもの〜 (Live Version)
  31. あるく (Live Version)
  32. 水金地火木土天アーメン (Live Version)
  33. Giselle, Act I: Pas seul – Pas de deux des jeunes paysans
  34. 255, 255, 255

 いったいこれはなんなのか。予備知識なしに音楽を聴く人は、このタイトルを見て途方に暮れてしまうのではないか……と思うくらい、ユニークな曲名がつけられている。
 例外はトラック23とトラック30〜33。トラック23「Born Slippy Nuxx」はトツ子ときみが寄宿舎のトツ子の部屋でパーティをする場面に流れるUnderworldの曲。トラック30〜32がトツ子たちがライブで演奏する曲。トラック33はライブ後にトツ子が中庭で踊る場面に流れる、テルミンによるバレエ音楽「ジゼル」の演奏である。
 では3つの数字の曲名はなんだろうか。コンピューターで色を扱ったことがある方ならわかると思うが、これは色を表すコード(カラーコード)である。3つ並んだ数字は順に赤、緑、青(Red・Green・Blue)の3色に対応している。それぞれが8ビットで表現される0〜255の値で、値が大きくなるほど明度が高くなる。3色を合成することでひとつの色になるしくみだ。つまり、3つの数字で色を表現しているのである。

 曲名がカラーコードになっているのはどういうことなのか?
 以下は筆者の推測である。推測なのでまちがっているかもしれないが、誤読することも音楽の楽しみ方のひとつなので、書いてみる。
 本作ではトツ子、きみ、ルイの3人に赤、青、緑の色が割り当てられている。だから、曲名の数字は、そのシーンで3人のうち誰にフォーカスが当たっているか、あるいは3人それぞれの心情や3人の関係性を表現しているのではないか、と推測できる。
 では、各曲はその色をイメージして作曲されたのかというと、それほど単純ではないと思う。
 ヒントは、牛尾憲輔が「それぞれのキャラクターの重要なシーンには、それぞれのノイズが鳴る」と語っていること。そして、アルバムのタイトル「all is colour within」だ。
 「all is colour within」は「すべては内なる色である」とも訳せるが、「すべての内に色がある」という意味にも受け取れる。つまり、それぞれの曲はカラーコードで示されたノイズ(色)を含んでいるということではないだろうか。
 たとえば最後の曲「255, 255, 255」はラストシーン、旅立つルイをトツ子ときみが見送る場面に流れる曲である。「255,255,255」が表す色は白。3つの色の値が最大になっているのは、3人の心情が作品の中でもっとも晴れ晴れとしていることに対応しているはずだ。そして、この曲には薄くホワイトノイズが乗っている。曲自体はピアノによるリリカルな曲なのだが、ノイズが乗ることで音色が変化し、曲の印象がわずかに変わる。
 また、トラック28は3人が島の古い教会で合宿をする場面に流れる曲だが、「255, 254, 244」とそれぞれのカラーコードが最大に近い値になっている。この場面で3人はそれぞれの胸に抱えている「好きと秘密」を共有する。その解放感と共感が色で表現され、ノイズとして曲に足されているのだろう。
 いっぽう、学校を辞めたことを祖母に秘密にしているきみが、祖母に本当のことを言いかけてくちごもってしまう場面のトラック16「66, 59, 77」では、3つの値は小さくなり、低い周波数のノイズ(暗い色)が足されていることがうかがえる。
 こんなふうに、各シーン用に書かれた曲に、それぞれのシーンに応じたノイズ(色)が加えられているのでは? というのが筆者の考えである。

 曲名とカラーコードとノイズの話を長々としてきたが、そんなことを意識しなくても、ふつうに音楽として聴いて心地よい作品である。
 実は筆者もバンド活動をしていたことがあり、しかも、ライブでテルミンを演奏したことがある。だから、サウンドトラックの中でもテルミンを使った曲に惹かれた。劇中ではルイがテルミンを弾くのだが、音楽録音ではフランスのテルミン奏者グレゴワール・ブランが演奏を担当している。ルイの演奏スタイルもブランの演奏スタイルを参考にしたものだ(左手の動きが独特)。
 トラック26「75, 213, 232」はルイがテルミンで「あるく」(トラック31)のメロディを演奏した曲。この曲は、きみが作った曲をルイが編曲した設定なので、カラーコードもルイの緑ときみの青を示す値が大きくなっている(のだと思う)。
 トラック33のテルミンによる「ジゼル」の演奏も聴きどころである。実はCDの解説書にはトラック23とトラック30〜33にも「additional colour code」として、それぞれの曲に付加された色のコードが掲載されている。それによれば、この「ジゼル」に付加された色は「254,254,254」。ライブが終わったあとの3人の爽快感と一体感が、限りなく「白」に近い色で表現されているのだろう。
 カラーコードで表記された曲名は、ぱっと見て意味がわからず、不親切なようだが、それぞれの曲に色が付いていると考えると、隠された意味や音色を読み解くことができる。そういう楽しみ方ができるアルバムである。
 もっとも、各曲に加える色(ノイズ)をどのような基準で決めているのかは、筆者もまだよくわかっていない。3人がいつも画面に映っているわけではないので、3人の関係性や心情から決めているとは言い切れない。そういう場合もあるだろうが、ほかの基準もあるはずだ。場面の雰囲気を色で表現しているとか、画面の色彩設計に合わせてあるとか。たとえば、1曲めの「244, 233, 227」が流れる冒頭の場面はトツ子のモノローグの場面なので、トツ子をイメージした色と考えたほうがすっきりする(ちなみにこのカラーコードを色にすると淡いピンク色になる)。同じように、トラック3の「75, 128, 253」はきみの登場場面に流れる曲で、色にするときれいな青になる。
 いずれ本作が映像ソフトになったり配信されたりしたときに、じっくりと映像を観、音楽を聴きながら、それぞれの場面のカラーコードを確認してみたい。きっと、まだ気づかない秘密があると思うのだ。

映画「きみの色」オリジナル・サウンドトラック all is colour within
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第868回 自分が病的に嫌うこと

 今さらな話題を。以前、社内のとあるスタッフから「僕は病的なまでに、人から嫌われたくないんですよ(苦笑)」と告白されたことがあります。それで言うなら今回の話、

板垣は、病的なまでに“勝負・競争・奪い合いが嫌い”!!!

ということになります。もしかするとこれ、以前も一度話題にしたかも?
 つまり、弊社——ミルパンセについてちょくちょくネット界隈で目にする「スタッフが足りて無くて大変そう」とか「原画だけでなく背景まで描いて、板垣無双」とか。まあ、例え揶揄の対象でも話題にされることはプラスに捉える性分なので、腹立ててるのではないのです。ただ、少々勘違いされてるかもしれないと思い、ここで改めてハッキリ言っておきますが、スタッフ(人手)が集まらないのではなくて、“無理に集めようとしていない”んです。ってとこまでは以前も語ったと思います。ただ、ここからは俺の“主義”の話。
 スタッフ不足を揶揄される方からすると、「フリーを連れてくれば~」や「グロス先探せば~」などと仰るのでしょうが、前述の俺の性分から、

業界全体が人手不足なのにそれを会社同士で奪い合う、スタッフ争奪戦が大嫌い!

なんです。どの会社(スタジオ)もスタッフ欲しがっているなら、俺はそれから離脱して、なるべく社内のみで作れる方法を編み出し、知恵で乗り切ることを考えます! 具体的には社内で全部回せるコンテに描き換えたり、ラフ原画と第2原画に2回も手を入れるのではなく、作監修正は俺が指示した部分にのみ! できるだけ1回で仕留める! とか。ま、それでも巧くいかなかったら、最悪「自分が描けばいいか」が、板垣だらけのスタッフロールになる訳~。
 “争い嫌い・勝負嫌い”はアニメに限らず、今までの板垣人生において大きな基軸(?)になっています。例えば、我々世代ならなんと言っても受験。第2次ベビーブームの団塊ジュニア世代、進学校だったせいか周りの同級生は血眼で勉強していました。半分以上の人が浪人するのが分かっていた、受験戦争! やりたい事こと(アニメ)がすでに見つかっていた自分は「席を空けた方がいいでしょ」と戦線離脱。芸大受験という方向も止めました。
 お金もそう。自分が金持ちになると、その反面誰かが貧乏になる──と。実際はそんなことないかも知れないけれど、そう想像してしまうのが俺……。

何事においても、自分が勝つということは、誰かが負ける訳で、それが嫌い!

 別にカッコイイとか優しいと思われたい訳ではありません! カッコつけてるどころか、自分ではただの意気地無しと思っていますから。ただ、会社の取締役としては己の主義どうこうは置いておいて、スタッフ皆を勝ちに導かなきゃならないと、最近は思っています。

 では、スタッフ育成に戻ります!

『タイガーマスク』を語る
第22回 原作の直人の死はドラマとして筋が通ったものだった

 原作「タイガーマスク」の物語終盤の伊達直人を追ってみることにしよう。タイガーマスクはブラックVに勝利した後に覆面世界チャンピオンとなり、ミスターXが連れてきた覆面レスラー達とチャンピオンの座をかけて試合を続けた。
 以下は原作第12巻の展開である。タイガーは最後の強敵であるミラクル3を、第3の必殺技タイガーVで倒した。繰り返しになるが、原作のミラクル3とアニメのミラクル3は名前が同じではあるが、別のレスラーである。そして、必殺技タイガーVはアニメでは使われていない(念のために記しておくと、タイガーVと似た技を使ったことはある)。
 その後、原作はダイナミックに展開する。それは、アニメ『タイガーマスク』を視聴していて原作未読の方にとって驚くべきものであるはずだ。最後の切り札であるミラクル3を失ったミスターXは健太の存在に目を付けて、彼を誘拐。タイガーマスクは健太を助けるために虎の穴の本拠地に向かう。驚きの展開はさらに続く。虎の穴の本拠地はアルプスの山中にある。本拠地に辿り着いたタイガーを待ち受けていたのは、ミスターXと虎の穴のレスラー軍団だった。多勢に無勢であり、さしものタイガーもこれまでかと思われた。その時、そこに駆けつけたのは6人のタイガーマスクだった。もう一度書く。6人のタイガーマスクである。果たして、その正体は? 6人の正体を明かさなくてもこの原稿は成立するので、ここでは書かない。未読の方は原作を読んで確認していただきたい。原作「タイガーマスク」で最も痛快なのが、6人のタイガーマスクが登場した場面であるはずだ。タイガーマスクと6人の助っ人は、ゴリラと豹の群れに襲われてピンチに陥るが、それを脱する。虎の穴のレスラー達の反乱もあり、虎の穴は壊滅。ここまでが第12巻の物語だ。
 第12巻で虎の穴が滅んだために、それ以降の物語では奇怪な覆面レスラーは登場しない。以下が第13巻の内容だ。アメリカで偽物のタイガーマスクが現れて、反則を使ってリングに血の雨を降らしていた。タイガーは偽物の仮面を剥ぐために単身アメリカに渡る。偽タイガーマスクを仕組んだのは悪徳プロモーターのビッグ・コンドルだった。タイガーは試合で偽タイガーを倒すが、ビッグ・コンドルの奸計に嵌まって彼が企画した「悪役ワールド・リーグ戦」に参加せざるを得なくなる。ここまでが第13巻。
 第14巻が原作の最終巻である。「悪役ワールド・リーグ戦」では反則が問題とされておらず、タイガーは試合で反則を使うかどうかで揺らいでいた。そんな中、覆面レスラーのエル・サイケデリコがタイガーとの試合の後で、反則をするべきだと彼に助言する。5秒以内の反則はテクニックのうち。反則も超一流となれば正統テクニック並みに難しいものだ。極めた反則は芸術なのだ。エル・サイケデリコはタイガーにそのように語る。タイガーは彼の言葉にショックを受けつつ、提案を受け入れる。技で圧倒し、反則でも圧倒してこそ、オールラウンドのプロレスラーが完成するのだ。物語の序盤において、ルリ子の願いを受け入れてタイガーは自身の反則を封印していたが、その封印を解いた。反則を解禁したタイガーは「悪役ワールド・リーグ戦」を勝ち抜いて優勝を果たす。タイガーは自分がオールラウンドのプロレスラーとしてやっていけるであろう手応えを感じ、虎の穴の呪いからも解放されたと感じる。この場合の「呪い」とは虎の穴に対する憎しみであり、反発だ。虎の穴に逆らうために自分は不自然なまでに、反則を使わぬ正統派のレスラーであろうとしていたとタイガーは語る。
 帰国した直人は、ちびっこハウスを訪れる。ついに自分がタイガーマスクであることをルリ子や子供達に打ち明けるつもりだったが、何故かルリ子達を前にして彼は打ち明けることができなかった。その理由は劇中で「しいて言えば、虫のしらせ」と説明されている。直人は「悪役ワールド・リーグ戦」の賞金である100万ドルに近い金を、ちびっこハウスと他の孤児施設のために使ってほしいと言って、若月先生とルリ子に渡す。劇中で渡した金は日本円に換算すると3億円とされている。1971年当時の3億円である。
 タイガーは帰国後最初の試合を快勝。次にNWA世界チャンピオンの座を賭けて、ドリー・ファンク・ジュニアと試合をすることになる。試合はタイガーが断然優勢であったが、ドリー・ファンク・ジュニアはわざとレフェリーを殴って反則負けとなる。反則勝ちでは王座が移動しないのだ。しかし、このタイトルマッチは2試合が連続して行われる。次の試合でタイガーが勝てば、今度こそタイガーがNWA世界チャンピオンとなる。タイトルマッチ第2戦の当日、ファンに取り囲まれたタイガーは自動車を降りて徒歩で会場に向かう。その途中でマスクを外して伊達直人の姿になる。そこで有名なあの場面となる。少年が自転車に乗っていたが、その自転車が転倒。そこにダンプカーが走ってくる。直人はなんの躊躇もなく、少年を抱きかかえ、その身体を安全なところに放り投げるが、直人自身はダンプカーに撥ねられてしまう。血まみれとなって意識が遠のく中、直人はタイガーのマスクをポケットから取り出して川に捨てる。試合は挑戦者であるタイガーが現れなかったために、ドリー・ファンク・ジュニアの不戦勝となる。伊達直人が交通事故で死んだことはちびっこハウスに伝えられた。健太は直人が死んでしまったことに寂しさを感じ、同時にいなくなったタイガーマスクがいつか帰ってくれることを願っていた。直人がタイガーマスクであることに気づいていたルリ子は、正体を隠したまま死んだことを直人らしいと感じ、直人が命がけで戦ったように、自分も子供達のために力を尽くすことを誓うのだった。以上が原作のラストまでの展開である。
 アニメ『タイガーマスク』の終盤で直人がルリ子に対して自分がタイガーマスクであることを明かし、そして、最終回で健太達がタイガーの正体を知ったのに対して、原作「タイガーマスク」では、直人がルリ子と子供達に対して自分がタイガーマスクであったことを明かすことはなく、さらにタイガーの正体を永遠の謎にするかたちで命を落とした。原作「タイガーマスク」が最終回を迎えたのは、アニメの最終回が放映されたのよりも後であった。原作はアニメと違うかたちでの完結を選んだのかもしれない。
 原作終盤の直人の歩みについて考えてみよう。彼は助っ人の力を借りて、虎の穴を壊滅させた。それで彼は自身の復讐を果たした。正義のヒーローとしての活躍を終えたと考えることもできる。さらに反則の封印を解くのと前後して、虎の穴のトラウマを克服したことを自覚。反則の封印を解いたことで、彼はプロレスラーとしての完成を見た。「悪役ワールド・リーグ戦」の賞金を「みなしごランド」のために使わなかったのは、たとえ、3億円であっても「みなしごランド」建造にはとても足りなかったからかもしれない。しかし、個人としてこれ以上は考えられないくらいのレベルで、みなしごのために力を尽くしたのは間違いない。
 原作の直人は復讐を果たし、精神的な呪縛からも解き放たれ、プロレスラーとしての完成を見た。そして、孤児のために個人としてできる最大限のことをした。さらに、次の試合に勝利すればNWA世界チャンピオンになれる。一度は反則専門の悪役レスラーとして泥にまみれた彼が、一人の人間としてやれるだけのことをやり、レスラーとして最高の栄誉を手にできたはずだった。だが、それを手にする直前に、見知らぬ子供のために命を投げ出し、そして、死んだのである。
 命を捨てる行いが尊いとは言わない。しかし、今まで日本中のみなしごを幸せにするために生きてきた直人が、チャンピオンになることを選んで、子供を見殺しにしたならば、彼はこれからの生涯を深い後悔と共に生きることになるだろう。いや、あの伊達直人がそんなことをするわけがない。
 自分の幸福を捨てて、たった一人の子供のために命を捨てた。それは悲劇であったが、無駄な死ではなかった。原作のラストはとんでもない結末として扱われ、笑いのネタにされることすらあるが、決して意味のない死ではない。交通事故そのものは唐突であったかもしれないが、そこで直人が子供を助けることに、意味が生じるようにドラマが積み重ねられている。
 直人は自分の生き方を貫いたのである。虎の穴を壊滅させた後の展開は娯楽作としては地味なものとなっている。それも事実ではあるのだが、原作「タイガーマスク」は一人の人間を生き様を描いた物語として完結している。ここでそれを強く主張しておきたい。

●第23回 アニメ『タイガーマスク』最終回が悲劇であることのいくつかの理由 に続く

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第867回 仕事中聴くモノ

 現在、『沖ツラ(沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる)』の次作シリーズ(まだ、タイトルは明かせません!)の、アフレコ中。そちらはまた音響監督も兼ねてやらせていただいていて、この間自分が書いた“劇伴メニュー”&発注に沿って続々劇伴(BGM)のデモが上がってきているところ。自分のイメージしていたものよりさらに良い感じの上りで、喜んでいます!
 ところで俺は普段、作業中(仕事中)に聴くモノは音楽に限りません。正直今、めちゃくちゃ忙しいので、ニュースや時事系をYouTubeで聴いていることが多いです。仕事に夢中で世間に置いて行かれないようにするために意識的に……。
 音楽を聴くにしてもジャンルに拘りはありません。主に昔の映画・ドラマのサントラ、時にロックや演歌もあり? 歌謡曲的ななんとかPOPとかはほぼ聴きません。あと、アニソン・クラシックとかも良く聴きます。アニソンは1960年代~1990年代位が守備範囲。音楽趣味に拘りがない分、自分の監督するアニメの主題歌や劇伴は作業用BGMとして有難く(当然、チェック用に無料で送られてくるので)聴かせて貰います。『てーきゅう』・『ベルセルク』・『Wake Up, Girls!新章』も作業用に頻繁に聴き倒したし、最近の『沖ツラ』制作中も同様です。
 あ、あと“音”! 波の音や雨音など。鉄道系もよく聴いてます。“寝台特急○○~△△”の数時間とか。以上YouTubeより。
 で、さらに最近ハマってる作業用は、これまたYouTubeですが、

「般若心経」!!

 これは本当、作業に集中出来ます! 結局、源は出﨑統監督『エースをねらえ!2』(’88)の桂大悟だったりします。