COLUMN

『タイガーマスク』を語る
第11回 小休止(あるいは、僕と『タイガーマスク』の50年)

 今回は自分のことについて書く。子供の頃から『タイガーマスク』の原作を読んでいたし、アニメの放映も観ていた。

 原作は雑誌「ぼくら」で連載が始まって「週刊ぼくらマガジン」に連載の場を移して、さらに「週刊少年マガジン」で連載している。どこからどこまでを連載で読んでいたのかは覚えていないが、「ぼくら」でも読んだし、「週刊ぼくらマガジン」でも読んでいた。「週刊ぼくらマガジン」が休刊した時のことは覚えている。休刊という言葉の意味が分からず、親に説明をしてもらった。何故か「週刊少年マガジン」になってからは連載を追いかけなかった。
 アニメは最初から観ていたはずだ。第1話が放映されたのが1969年10月2日だから、その時に僕は5歳だ。
 原作もアニメも、特に好きだったのは物語序盤の「覆面ワールドリーグ戦」の部分だ。ミスター・ノー、ゴールデンマスク、ザ・ライオンマン等の怪物的な覆面レスラーが好きだった。それ以降で好きだったレスラーが、タイガーの強敵であった赤き死の仮面だ。タイガーと彼の試合も見応えがあるのだが、その強烈な個性に惹かれた。赤き死の仮面が登場するのは原作だと第5巻(全14巻の第5巻。巻数はkindle版で確認した)、アニメだと第41話から第43話だ。原作ではタイガーが赤き死の仮面を倒したところで、一度物語に区切りがつくかたちとなっている。

 本放映当時のアニメ『タイガーマスク』は大変な人気番組だった。子供の頃の自分はヒーローアクション物として楽しんでいた。伊達直人=タイガーマスクに憧れていたし、その試合を手に汗を握って観ていた。
 劇中でちびっこハウスの子供達がタイガーの試合をテレビで観ている描写があるが、気分としては、自分も健太達と近しいポジションで『タイガーマスク』の試合を観ていた。劇中のタイガーの試合を、試合中継を観戦する感覚で観ていたのだ。
 『タイガーマスク』の試合シーンは、日常的なドラマ部分とは別のスタイルで演出されている。試合シーンでは大胆にカメラワークがつけられ、動きもダイナミックなものとなる。日常部分と試合部分がはっきりと別のものとして扱われていた。健太達がいる日常部分は、現実で作品を観ている自分達と地続きで、健太達と一緒に半ば別世界として扱われている試合を観ている感覚だったのだと思う。
 『タイガーマスク』は現実的な世界を舞台とし、そこに怪物的な覆面レスラーが登場して現実離れしたアクションを繰り広げる作品だった。つまり、特撮ドラマやヒーローアニメよりもリアリティがあり、それでありながら、特撮ドラマやヒーローアニメのような魅力を備えた作品だった。
 僕は、伊達直人=タイガーマスクを他の特撮ドラマやヒーローアニメの主人公よりも、ずっと現実的な存在だと感じていた。現実味と荒唐無稽さが渾然一体となったところに『タイガーマスク』の魅力があった。

 本放映が終わった後も、再放送で『タイガーマスク』を何度か観た。以前に別のコラムで書いたが、わが家が初めてビデオデッキを購入したのが1981年。その時に初めて録画したのが『タイガーマスク』の再放送だった。ビデオデッキが届いた日に放映していたから試しに録ったのだが、よく覚えている。
 少なくともその頃まで『タイガーマスク』は再放送で観る機会があったわけだ。僕の認識では、その後に再放送が減り、再見の機会が無くなっていった。TV作品のビデオソフトが出るようになり、街のあちこちにレンタルショップが出来る時代になっても、全話がビデオソフト化されることはなかった。
 自分はアニメファンとなり、最新作だけでなく、過去の作品を反芻するようになっていた。『タイガーマスク』が面白かったのは覚えていたし、作画や演出が凄かったと認識はしていたが、再見して確認する機会はなかなか無かった。

 再見の機会を得たのは1990年代に全話がLD BOX化された時だった。LD BOXは全4巻で、1巻から3巻は5枚組。そして、4巻が12枚組という不思議なバランスのBOXだった。最終回まで商品化されてよかったと思ったのを覚えている。僕はLD BOXを購入。印象的なエピソードを何本か再見した。
 21世紀に入ってから、例えば「WEBアニメスタイル」で、木村圭市郎さんのインタビュー
( http://www.style.fm/as/01_talk/kimura01.shtml )をした時にLD BOXで『タイガーマスク』を観直した。その前後にも何度か『タイガーマスク』を観ているはずだ。
 2003年に『タイガーマスク』の全話DVD BOXが発売された。全3巻で全話が収録されている。このDVD BOXで僕は解説書の構成と執筆を担当。同解説書ではLD BOXの解説書にあったスタッフインタビューも再録し、改めて新しい取材もした。DVD BOXの後に単品のDVDもリリースされ、これはレンタルショップにも並んだ(現在も借りることができるはずだ)。
 さらに2013年にDVD-COLLECTION全4巻がリリース。これは各巻4~5枚のディスクで構成されたパッケージだ。この時も僕は解説書の構成と執筆を担当した。
 子供の頃から『タイガーマスク』が好きだったが、自分のこの作品の理解が深まったのは、DVD BOXとDVD-COLLECTIONの仕事で本編を何度も視聴してからだ。その後も『タイガーマスク』について考えることが多くなった。また、『タイガーマスク』が作品として語られていないことを痛感するようになった。特にドラマ面が語られていない。この作品のドラマについて書いておかなくてはいけないと思うようになった。そして、随分経ってから書き始めたのが、このコラム「『タイガーマスク』を語る」である。

 子供の頃に話を戻す。このコラムで今まで触れてきたように『タイガーマスク』には大人びたタッチの、ドラマ中心のエピソードがある。僕は、子供の頃もそんなエピソードを楽しんで観ていた。楽しむことができたのは、伊達直人=タイガーマスクが好きだったからだろう。ドラマ中心のエピソードでも、試合のシーンはあったので、それを楽しみにしていたというのもあったはずだ。
 ドラマ中心のエピソードで特に印象に残っているのが、このコラムの第4回で取り上げた第50話「此の子等へも愛を」だった
( http://animestyle.jp/2024/05/08/27054/ )。原爆ドームの模型が印象的だったし、伊達直人が旅先で出会った三郎達に嘘をついたのが引っかかった。「どうしてそんな嘘をつくの?」と思ったのだ。第50話が最初に放映された時に僕は6歳。引っかかりを感じたのは本放映ではなく、小学生の時の再放送かもしれない。いずれにしても、直人の嘘が描かれた理由が分からず、モヤモヤしたものが残った。
 第50話で直人の嘘が描かれた理由がなんとなく理解できたのが、50歳を過ぎてからだったはずだ。直人の嘘を通じて「他人の不幸を娯楽として消費すること」が描かれていると考えることができる。あのエピソードで批判されているのは直人ではなく、視聴者である僕達だったのかもしれない。それに気がついた時に背筋が寒くなった。恐るべし、『タイガーマスク』。恐るべし、柴田夏余。唸るしかなかった。
 その驚きをコラムの第4回で原稿にした。この原稿を仕上げたのが、僕が60歳になった直後だ。第50話「此の子等へも愛を」を観て、引っかかりを感じてから、それを解釈して原稿にするまで、50年ほどかかったことになる。

 僕が『タイガーマスク』で、特に書いておきたいと思ったのが、第50話「此の子等へも愛を」、第54話「新しい仲間」、第55話「煤煙の中の太陽」、第64話「幸せの鐘が鳴るまで」の4本についてだった。それを書くことができたので、満足している。しかし、他にも『タイガーマスク』について書いておきたいことがある。次回は第7、8クールのドラマについて触れる予定だ。

●第12回 第83話「幸せはいつ訪れる」 に続く

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