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第60回 アルムのもみの木のように 〜アルプスの少女ハイジ〜

 腹巻猫です。6月24日に日本コロムビアより「管弦楽と室内楽による組曲 アルプスの少女ハイジ」が発売されます。これは、渡辺岳夫が手がけたTVアニメ『アルプスの少女ハイジ』の音楽を「ウルトラセブン」の冬木透が編曲・構成して組曲に仕上げた音楽作品。1981年に発売されたアルバムの初CD化です。一部ファンの間では「ウルトラハイジ」とも評される雄大にして繊細な音楽は必聴。ぜひ、お聴きください!


 ということで、今回は「管弦楽と室内楽による組曲 アルプスの少女ハイジ」の予習、もしくは副解説として、オリジナルのTVアニメ版『アルプスの少女ハイジ』の音楽を紹介したい。
 『アルプスの少女ハイジ』は1974年1月から12月まで1年間にわたって放映された作品。ヨハンナ・スピリの原作を高畑勲監督の演出で映像化し、日本のアニメーションのエポック・メイキングとなった作品だ。……と今さら紹介するまでもないくらい、キャラクターも物語もよく知られている。1974年10月からスタートした『宇宙戦艦ヤマト』の裏番組であったことも有名だ。
 高畑勲の演出、宮崎駿による場面設定(レイアウト)、井岡雅宏の美術、小田部羊一のキャラクターデザインと作画、どれもがうっとりするほどすばらしい。そして、『ハイジ』といえば、ホルンとヨーデルの序奏から始まるあの主題歌。音楽もまた、『ハイジ』の世界を構成するなくてはならない要素だ。
 『アルプスの少女ハイジ』の音楽を担当したのは、『巨人の星』(1968)や『天才バカボン』(1971)、『キューティーハニー』(1973)、『フランダースの犬』(1975)、『機動戦士ガンダム』(1979)等々の名作で知られる渡辺岳夫。数ある渡辺岳夫のアニメ作品の中でも、『ハイジ』は特別な1本である。この1本がなければ、その後の渡辺岳夫作品はなかった……といっても言い過ぎではないくらい、重要な作品だと思う。
 本作の音楽づくりの背景については、渡辺岳夫自身がエッセイに書き残している(サントラCDのブックレットで読むことができる)。そのエッセイによれば……。

 当時、テレビ音楽の世界で超売れっ子となっていた渡辺岳夫は週に何本ものレギュラー作品を抱え、多忙な生活を送っていた。仕事に追われる中、渡辺岳夫の心の中では、このままでは曲を作るテクニックばかり進んでしまい、音楽に対する真摯な気持ち=「作曲ごころ」を失ってしまうのではないか? というおそれがわきあがっていた。そんなときに依頼された仕事が『アルプスの少女ハイジ』だった。
 渡辺岳夫は『ハイジ』の仕事を「作曲ごころ」を呼び戻してくれるプレゼントのように感じた。仕事を調整して15日間の休暇を捻出した渡辺岳夫は、自費でスイスに飛ぶ。アルプスの山々を目にすると、わけもわからず涙があふれてきた。草原に寝転んで大自然の息吹を全身に浴びていると、風の音や鳥のさえずりが交響楽のように聴こえてきた。渡辺岳夫の胸に、ふたたび「作曲ごころ」がよみがえってきた……。

 渡辺岳夫は『ハイジ』の作曲に先立ち、音楽取材も行っている。現地の演奏家によるアルペンホルンやハーディーガーディー、ヨーデル、カウベル、ストリートオルガンなどの音がテープに残されており、その一部はアニメ本編にも挿入されている。
 また、『アルプスの少女ハイジ』は、日本のアニメソングとしては初めて海外録音を行った作品でもある。もちろん、渡辺岳夫もこの海外録音に同行している。オープニングとエンディング主題歌に挿入されるヨーデルはスイスで録音されたものだ。
 そんなふうにして作られた『ハイジ』の音楽。それまでの渡辺岳夫作品とは異なる肌合いを持っている。BGMにはマンドリンやアコーディオンを使ったヨーロッパ風の響きが取り入れられ、『巨人の星』に代表されるような重厚でドラマティックな音楽とは一味違うサウンドになっている。同じ1974年に発表された『魔女っ子メグちゃん』の音楽にもそのサウンドは引き継がれている。ファンが現在「渡辺岳夫的なもの」と感じる音楽の多くが、『ハイジ』以降に生み出されている。『フランダースの犬』も『元祖天才バカボン』も『キャンディキャンディ』も『あらいぐまラスカル』も『機動戦士ガンダム』も。1973年10月スタートの『キューティーハニー』も、主題歌を含む音楽録音は渡辺岳夫がスイスから帰国した1973年8月以降に行われている。『ハイジ』は渡辺岳夫音楽の転換点なのである。

 本作のオリジナルBGMを収録したサントラ盤は1981年にLP「テレビオリジナルBGMコレクション アルプスの少女ハイジ」として、日本コロムビアから発売された。以後、なかなかCD復刻に恵まれず(一部がCD化されたことはあったが)、2008年になってようやくランブリングレコーズからCDリリースが実現した。このとき、オリジナル盤に準じた1枚組通常版と未収録曲を補完して再構成した2枚組限定版の2種類の商品が発売されている。残念ながら2枚組のほうはすでに入手困難なので、今回は1枚組通常版を紹介したい。
 収録曲は以下のとおり。

  1. おしえて(伊集加代子、ヨーデル:ネリー・シュワルツ)
  2. ユキとわたし(大杉久美子)
  3. 夕方の歌(大杉久美子)
  4. アルムの子守唄(ネリー・シュワルツ)
  5. ペーターとわたし(大杉久美子)
  6. まっててごらん(大杉久美子)
  7. おしえて (TV用)
  8. アルムの山へ
  9. おじいさんの山小屋
  10. 山と友達
  11. 牧場へ
  12. 陽ざしの中で
  13. 山のけしき
  14. またあした
  15. フランクフルトへ
  16. しずむこころ
  17. 楽しいひととき
  18. 想いは遠く
  19. ただいま
  20. 歩いてクララ
  21. まっててごらん (TV用)

 1〜6は放送当時発売された「うたとおはなし」のLPに収録されていた主題歌と挿入歌。7〜21が「テレビオリジナルBGMコレクション」のほぼそのままの復刻になっている。1トラックに複数のBGMを収録する構成。物語の流れに沿った曲順でまとめられている。
 サントラの開幕となるトラック8「アルムの山へ」は「荷馬車にゆられて」と「おだやかな日」の2曲を収録。「荷馬車にゆられて」は1分足らずの曲ながら『ハイジ』を観たことがある人なら「ああ、『ハイジ』の音楽!」と誰もが思うに違いない代表的な音楽。第1話でハイジとデーテおばさんが山道を上っていく場面に流れ、その後も全編を通してたびたび使用された。生ギター、マンドリン、弦などのアンサンブルが美しい。独特のうねりを持った旋律は「なべたけ節」「岳夫節」と呼ばれる渡辺岳夫ならではのメロディライン。ビブラートの効いた弦の響きも渡辺岳夫音楽に特徴的なサウンドのひとつである。
 「おだやかな日」はアコーディオンとギターによる情景描写曲。途中から入ってくるアルペンホルンの音がアルプスの山の雰囲気を伝える。後半はコンボオルガンがメロディを引き継いでいく。このコンボオルガンの音色も『ハイジ』以降の渡辺岳夫音楽を特徴づけるサウンドだ。
 なお、オリジナル盤の「テレビオリジナルBGMコレクション」では、「荷馬車にゆられて」「おしえて(TV用)」「おだやかな日」の順で1トラックに構成されていた。
 トラック9「おじいさんの山小屋」は初対面のおんじに預けられたハイジの気持ちを描写するトラック。「霧」「街から来た少女」「おじいさん」「不安」の4曲から構成。2曲目の「街から来た少女」が出色で、マンドリンとアコーディオンによる旋律にじーんとくる。ベースが入って曲調が変わってからの展開が涙もの。後奏で余韻を残す生ギターも渡辺岳夫音楽によく聴かれる表現のひとつだ。わずか1分の曲の中に『ハイジ』の叙情的な要素がぐぐっと凝縮されている。
 続くトラック10「山と友達」、トラック11「牧場へ」では山の暮らしになじんだハイジの日々が描かれる。コンボオルガンやアコーディオンを使ったはずむような音楽、明るい音楽にほっとする。渡辺岳夫音楽というとメロディのよさが注目されがちだが、楽器特有の音色や奏法を生かしたアレンジの技もみごとである。
 トラック13の「山のけしき」は本アルバムの聴きどころのひとつ。1曲目の「元気なハイジ」はアコーディオンと弦のピチカートがハイジのうきうきする心を描写する曲。2曲目の「雲の流れる音」では、ピアノとオルガンが雲がたなびく山の情景を描写。「山の少年」は第1話でハイジがバッタをつかまえようとする場面に流れた曲。第1話の音楽は基本的にすべて映像のタイミングに合わせて作曲されている。「バラ色の山々」も山の情景を描写する音楽で、震える弦の響きの変化が夕陽に照らされて刻々と色が変わる山肌を表現している。こうした描写音楽風の楽曲は『ハイジ』の音楽の重要な要素になっている。それが、効果音的な平板な表現にならず、独特の情感を持った「音楽」になっているのが『ハイジ』の音楽のすばらしさである。最後の「夕暮れ」もいい曲で、弦が奏でる旋律が一日の終わりの切ない気持ちをみごとに表現。後半に入ってくるピアノとベースが希望的な余韻を残す。このベースの使い方も渡辺岳夫音楽の特徴のひとつだ。ああ、すばらしい。
 トラック15「フランクフルトへ」には物語の第2部「フランクフルト編」を代表する曲が収録されている。大都会のようすを表現するのはクラシック風の格調高い弦の調べ。2曲目の「ゼーゼマンさんの御屋敷」は冬木透の組曲版でも取り上げられた、「フランクフルト編」でおなじみのメロディだ。
 トラック16「しずむこころ」では情感曲がたっぷり堪能できる。1曲目「遠いもみの木」は「夕方の歌」のバスフルートによるアレンジ。主題歌と同じくらい印象深い『ハイジ』を代表する名旋律のひとつだ。2曲目「悲しみ」は第1話でハイジがおんじに預けられる場面に流れた不安な曲。3曲目「クララのために」がまたいい曲で、静かな情感をたたえた前半から希望を感じさせる後半につながる展開にぐっとくる。初出は第2話のハイジとおんじが初めて心を通わす場面。第29話のラストでハイジが熱を出したクララに寄り添う場面に流れて絶大な効果を上げていた。全編にわたって使用されたハイジを代表する曲のひとつだ。
 トラック17「想いは遠く」も情感曲を集めた味わい深いブロック。特に3曲目の「おんじの夢」がいい。第3話のラストでおんじがハイジに鷹の心を語る場面、第16話でおんじが「学校なんか行く必要はない」と言う場面など、おんじのかたくなな態度の裏に潜む想いを描写する楽曲として印象深い。それだけに第18話でおんじがペーターに「ハイジはもう帰ってこない」と告げる場面への選曲が実に的確で泣けてくる。その曲が、第34話でアルプスに帰ってきたハイジとおんじとの再会場面に流れるのだから、涙なしでは観られません。
 トラック18「歩いてクララ」は大団円のブロック。1曲目の「アルプスの息吹」は「フランクフルト編」から使用されている曲で、アルプスの雄大な自然とハイジの山への愛情を表現する曲。2曲目の「思い出の道を」は第2話のプロローグをはじめ、「アルムの山編」で頻繁に使われた、山の暮らしを描写する穏やかな曲。アコーディオンとピアノ、マンドリンなどの合奏が温かいサウンドを作り出す。さりげないベースの響きが効果的だ。3曲目の「春をまって」も「フランクフルト編」から使われている曲で、天真爛漫な自然児ハイジのテーマといった趣。最終回のラストシーンを飾った『ハイジ』を締めくくる曲である。
 抜粋して紹介してきたが、上記に取り上げなかったトラックも名曲ぞろい。主題歌・挿入歌のことまで語り出すといくら文字数があっても足りない。それほど『ハイジ』の音楽は奥深く魅力的である。

 渡辺岳夫はスイスの山で何を得て帰国したのだろう? ヨーロッパ音楽の技法や伝統楽器といった表面的・技術的なことだけではないと思う。筆者の拙い文章力とボキャブラリーではうまく表現できないが、あえて言ってみると、人間の喜怒哀楽を超えた、もっと大きな音楽——ではないかと感じている。
 『ハイジ』以前、時代劇や現代ドラマの作曲家として売れっ子だった渡辺岳夫の音楽は、ドラマに必要な情感を提供する、まさに「劇的(ドラマティック)」な音楽だった。それはTVドラマの音楽としては画期的な質の高い音楽だった。『巨人の星』をはじめとするTVアニメの音楽にもそれは踏襲されていた。
 が、『ハイジ』の音楽は「ドラマティック」とは少し違う。「荷馬車にゆられて」や「街から来た少女」「夕暮れ」「クララのために」「おんじの夢」などには、哀しいともうれしいとも言い切れない、けれどなんとも切なく胸を打つ旋律が聴こえる。どこまでが情感の表現で、どこまでが情景の表現なのか、それすらもさだかでない。『ハイジ』の音楽は、場面を盛り上げたり、キャラクターの感情に踏み入るのではなく、キャラクターのそばにそっと寄り添っている。哀しみやよろこびや善悪さえも超えて人間に寄り添う音楽。筆者には渡辺岳夫の音楽がそういう音楽に聴こえる。それはまぎれもなく人間を勇気づける音楽なのだ。「大丈夫、生きていけるよ」と。その音楽はアルムのもみの木のようにハイジたちを見守っている。

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※ステレオで新録音された『ハイジ』の音楽を特典CDに収録。
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