やって来たナムコの2人は、
「突然、おもしろそうだったんで、のぞきに行かせてください、と4℃を訪れさせてもらって、おもしろそうだったので仕事もお願いしようかな、とやってきました」
と、フレキシブルな感じも若々しい好青年たちだった。
「僕らが作ろうとしてるのは、戦闘機のゲームなんですが」
その何面ごとかに、クリアすると画面に現れるムービー・パートについての依頼であるらしい。
といわれても、レーダーとミサイルと超音速で戦う現代的な戦闘機なんてまったく自分のイメージの外のものし、たいへんそうだし、といいかけると、
「あ、ちょっと待ってください。話の順番が後先になりました。ここ、ビデオ見れますか?」
と、持参したVHSテープを、ここの打ち合わせスペースのビデオデッキに入れた。
「フランスの映画で『ラ・ジュテ』っていうんですけど。短編で。『12モンキーズ』の元ネタになったやつです」
「『12モンキーズ』の!」
と、この頃は「12モンキーズ」に入れあげていた田中栄子さんが、思わぬ偶然に感嘆したらしい声を挟んだ。
「見るとわかるんですが、全部止まっている画でできてます」
1962年度作品である「ラ・ジュテ」は、全カット、モノクロのスチール写真をモンタージュして構成されていた。1人称のモノローグらしいナレーションがストーリーを語っている。
現実面を考慮したうえで、そのような体裁の映像をゲームに挟み込むのがよいだろう、と、そこまでのプランはあらかじめできていたようだった。「全カット止まってる画っていうのは、アニメーションの制作会社さんに持ってくるのは申し訳ないお話なんですが」
「むしろ」
そのほうがこちらとしても助かるのではないか、と僕と栄子さんは目を合わせた。
でありつつ、「プライベート・ライアン」みたいなスケール感も捨てがたいし、ともいうのだった。
「はあ、『プライベート・ライアン』ですか」
「いえ、まあ」
「『プライベート・ライアン』じゃやってなかったけど、『史上最大の作戦』じゃ、ノルマンディの海岸の上をドイツ軍の戦闘機が飛ぶんですよね。離陸できたのが2機しかいなくって、ものすごい数の上陸部隊の上をたった2機ぽっちで」
2001年のこの頃は、プロペラで飛ぶ飛行機のことならばたっぷりと頭に入っていた時期だったので、プロペラのでよければそうした種類の飛行機に乗っていた人たちのメンタリティとか、具体的なエピソードのいくつかは思い浮かべることができた。
リアルも伝説めいたことも取り混ぜて、ああいうこともある、こういうこともあったと、その場で記憶に任せてかなりいろいろ喋ったらしい。
史上最多の撃墜数を上げたことよりも、自分の編隊列機を一度も失わなかったことのほうを誇りとしたエーリヒ・“ブービー”・ハルトマンのことを。
編隊で旋回しつつ、中でただ1機だけ翼端から飛行機雲を放ったハンス・ヨアヒム・マルセイユのことを。
そのほか、わずかな失策も許されぬ空を飛んだ人たちのことを。
そうした記憶をひとつにまとめて、一個の人物像として作り上げたらば。
だが、今回のこのゲームをする人は、ゲームの中ではメビウス・ワンというひとつの存在になってゆくのだ、という。
ならば、敵だ。メビウス・ワンが戦う敵方に、ものすごい力量の戦闘機パイロットを作る。
では、そういう方向で、ということになったのだったろうか。最初に話を持ち込まれた日がどんなふうに終わったのか、よく覚えていない。いつの間にかこの仕事をすることになっていた、という感じで覚えてしまっている。
それ以前、『アリーテ姫』を作りつつ考えていたことがあった。『アリーテ姫』とはあきらめない少女の物語である。彼女は何をあきらめないかって? 自分自身のことを、だ。
だが、現実にあまた存在する人生の中には、そうした自己実現への可能性を口にすることも許されなかったようなものも多くあってしまう。自己実現が成し遂げられる側の河の岸辺にいる人は、それだけで幸運である。その対岸にはどんな不遇さが存在していてしまうのだろうか。さまざまな虐待、あるいは、例えば戦争。
例えば、もっとのちになって、茨木のりこ「わたしが一番きれいだったとき」という詩を読むことになる。詩の中の「わたし」は、彼女の人生でただ一度しかない時期を戦争の只中で迎えてしまう。彼女が一番きれいだったとき、街はがらがら崩れ、人たちはたくさん死に、彼女はおしゃれするきっかけを失い、男たちは彼女への贈り物のかわりに挙手の礼ときれいな眼差しだけをくれて、どこかへ発っていってしまった。
だが、この頃自分の頭の中にあったのは、アゴタ・クリストフの「悪童日記」だった。この小説は、『アリーテ姫』の長い長い準備期間の間に、そのさらに作るものをイメージしようとする中で読んでいた。戦禍の下で、奇妙な悪虐さをもってしか少年期を生きられなかったハンガリー人の双子の話だ。