COLUMN

第136回 「黄色の13」の正体

この仕事、「エースコンバット04 シャッタードスカイ」のわれわれが担当したサイドストーリー・パートで作画監督を務めることになる浦谷千恵さんは、要するにうちの奥さんなのだが、もともとは望月三起也『ワイルド7』なんかが好きで絵を描き始めたらしく、一緒になる前から「子連れ狼」なども本棚に並べていたので、おもしろく読ませてもらったりした。「子連れ狼」というと、ごくあたりまえにささやかな幸福もある暮らしの中にあった武士が、預かり知らぬ渦の中でそれらすべてを奪われ、復讐のための二川白道を歩く羽目になる、というストーリーである。それはエンタテイメント的な常道でもあるようだけれど、アリーテ姫が目指した「自己実現の岸辺」の対岸を指しているようでもあり、それがもっともあからさまな姿をとるのが、災害だとか戦争なのだとも思う。むしろ、「自己実現はかならずもたらされるんだよ」ということ以上に「非業」は現実的なのだと思う。
 ということで、ナムコの河野さんたちからもらった仕事を形にしてゆく作業は、まず、平凡な生活を送る少年を描き、その暮らしを破壊することから始まった。何の悪意もなく、呆気なくそれは破壊されてしまう。
 というようなことを、雨だれ式のタイプで、ワープロに打ち込んでゆく。
 少年の恨みを買うのは、かつて存在した撃墜王の集成ともいうべき1人の人物。ここでは、映画「撃墜 アフリカの星」のモデルともなったハンス・ヨアヒム・マルセイユの機体コード「黄色の14」に倣って、より不吉な「黄色の13」を彼の機体に描くことにする。
 撃墜王である彼にも少年にも名前はつけない。アゴタ・クリストフ「悪童日記」の簡潔きわまる文章は「白い文体」とまで呼ばれていた。ぎりぎりまで具象を削ぎ落として、しかし抽象には踏み込まず、現実の側に留まったように見せて描写する。アゴタ・クリストフはスイスのフランス語圏に亡命したハンガリー人だったので、生得の母国語ではないフランス語を使ってこの小説を書いている。だが、それ以上に、固有名詞を極限まで排除していることこそ、この文体の「白さ」なのだと思った。それに倣う。

いったんつづり始めると速い。
 いくつかの章にわかれた映像のひとつひとつが超短編だということもあるのだが、白くて速い。
 国の名前はゲーム自体の設定で決まっているのだが、それ以外は徹底的に無名化してゆく。ゲーム・プレイヤーは「メビウス・ワン」というTACネームを与えられることになるのだが、「黄色の13」をつけた機体に乗る者は、個人としてもあくまで「黄色の13」だ。必定、彼の部下は「黄色の4」になる。
 少年がかすかな恋心を寄せる少女も、ただの「酒場の少女」だ。しかし、彼女には魂を与える。
 たましい。「黄色の13」に魂はあるのだろうか。わからない。しかし、「少年」が心寄せることになる成分を彼に帯びさせなければならない。『アリーテ姫』の劇伴音楽にギターを取り入れて、それが心地よかった。爪弾いている人の存在を感じた。「黄色の13」にはギターを弾いてもらおう。それだけでいい。
 のちに映像が完成して、それに音楽を被せる段になって、「ギターの弦が指で鳴るキュッ、キュッ! という音は、かならず残しておいてください」と指定したのだが、気を利かせた音響スタッフがノイズとして抜いてきてしまった。お願いして、その指のすべりの音を全部蘇らせてもらった。この弦を鳴らす指だけが、「黄色の13」の正体なのだから。

いったい何章の映像を作ればよいのか、ゲーム自体の構成ができあがりきっていないこの状態ではそれも未知なままになっている。
 最初の最初から始まって、最後の終わりにいたる筋道は、河野さん、一柳さんと打ち合わせた翌週の月曜日から書き始めて水曜日にはもうできていた。大まかな段取りが、ではなく、個々のブロックのシナリオが。
 これをナムコに送り、ゲーム全体とすり合わせてもらう。
 第何面の次にこれ、第何面と何面の間にこれ。
 横浜のナムコのビルまで赴いて、打ち合わせをする。サイドストーリーの各章の意味合いがはっきりしてくると、もう少し作り足したほうがよい部分も生まれてくる。あるいは、ゲーム本編とサイドストーリーのあいだでクロスオーバーできる余地まで見えてくる。
 「こういうことって、システム上できますか?」
 などと投げてみる。
 「いや、それは」
 と彼らの顔が青く、固くなるのがわかる。だが、できないかもしれないけれど、できるぎりぎりまでは挑んでみます、と返答される。やってみる価値はある、と思ってもらえたのが嬉しい。
 共同作業は楽しい。