COLUMN

第14回 9年1月

 原作『この世界の片隅に』は、連載各回のサブタイトル「何年何月」というのが、マンガの内容の「昭和何年何月」でもあり、雑誌掲載時の「平成何年何月」でもある、というのは前に書いた。
 ただこれは連載開始以降のことであって、実はこの漫画の冒頭3章は連載になる前にそれぞれ単発ものとして雑誌掲載されていて、
 「冬の記憶」(9年1月)
 「大潮の頃」(10年8月)
 「波のうさぎ」(13年2月)
というこの3回だけがこのルール(というのかな)に沿っていない。
 今回は「冬の記憶」の話を少々。

 原作の第1ページ目、すずは海苔作りも盛んな季節の江波にいる。後々の話で、すずは丑年生まれとわかるので、大正14年生まれということになる。すずの満年齢は昭和何年というのと一致する。昭和9年1月だと、誕生日がまだだろうから8歳だ。
 この1コマ目に描かれた江波の景色には何か元になった写真がいかにも何かあるとみた。なのだが、描いた当のご本人であるこうの史代さんに聞いてみても、写真はあったのだけれどどこかに入り込んで出てこない、という。江波の地元の方々にも尋ねてみたのだが、これは江波港の岸辺だとすぐに見抜かれて、これと同じ写真はたしかにあるはず、といいつつも、色々見つくろって見せていただいたのはやはりどれもこの構図そのものではなかった。失せものを捜しているときに限って、肝心要のそのものは出てこなくなってしまう。ただ、何枚か見せていただいたどの写真にも、すずのすぐうしろに描かれた松の木が写っていた。僕らがロケハンに行ったときにもこの松はたしかに生えていた。残念なことに、ごく最近になって枯れてしまったとのことで、一番最近のロケハン(2012年10月)ではもうなくなってしまっていた。
 さて、すずは帆掛け舟に乗せてもらって川をさかのぼる。この川は「本川」だ。前回書いた雁木タクシーに乗せてもらったとき、そっくり同じコースをたどってもらった。エンジンつきの船ならばあっという間の距離だった。
 舟の上ですずは小遣いにもらった穴の開いた10銭硬貨2枚を取り出し、これで何を買おうかと心膨らませる。僕自身が子どもの頃、まだ10銭の貨幣は結構あちこちにあった。おばあさんが引き出しに入れっぱなしにしていた、とかそんなことで。なので10銭硬貨にはなじみがあるのだが、ただそれはアルミ製の穴の開いてないコインだった。穴の開いた10銭硬貨はもう何世代か古い白銅貨だ。
 すずがこの2枚のコインで買えるものとして思い浮かべるものの中に、ヨーヨーとキャラメルがある。ヨーヨーはもう2ページくらい先にも出てくる。何の解説もないとあっさりと見過ごしてしまうのだが、実はこの当時、昭和8年夏から9年前半くらいにかけて、日本は空前のヨーヨー・ブームの中にあったのだった。偶然描かれたものでないことは、ちゃんとこうのさんに確かめてみた。
 「あ、はい。年表で調べました!」
 この時期の雑誌で、ヨーヨー・ブームが写真特集になっているものとかを見てみると、日本中の大の大人たちが寸暇を惜しんでヨーヨーに勤しんでいる写真がこれでもかと大量に載っている。ほんとうに大ブームだったのだ。ちなみに、このヨーヨーは1個10銭だった。
 などという話で、ちょっとは「戦前」というものへのイメージが覆っただろうか。
 キャラメルの方は迷った。森永ミルクキャラメルの普通サイズの箱は1箱10銭なので、すずが思い浮かべているように20銭で兄妹3人分を買うことはできない。
 「これは5銭の小箱の方だと思ってください!」
と、こうのさん。
 長方形の20粒入り長方形の箱の方じゃなく、10粒入りの正方形みたいな小さい箱を思い浮かべなくてはならないのだ。そういうあたりはこちらの予習は怠りない。
 渋谷の煙草と塩の博物館で森永のお菓子の歴史の企画展をやっているなどとなれば、見にいってしまう。古本屋に注文してキャラメルの歴史が載ったでっかい古書まで買い込んでしまう。こんなことばかりやっているから、古本で押しつぶされそうになってしまうのだ。
 だが、これが大当たり。「冬の記憶」の4ページ目で、舟から岸に上がったすずが上っていく雁木の石段の上の方が写った写真が載っていた。石段を上った目の前にあるのは元柳町18番地、森永の広島支店のはずだったのだが(なぜすずが上がったのがこの雁木とわかるかって? すずが目指す中島本町に一番近い本川端の雁木がここだったもので)、よく見かけるのはこの建物が芸備銀行本店だった時期のもので、森永が入っていた頃の姿には出くわせない。それが、このでっかい古本にちらっと載っていたのだった。なんと、すずが欲しがっているまさにそのお菓子の看板をでかでかと屋根に掲げていた。これはいただき。

被爆前の中島本町の復元地図

写真は、今現在の現地に掲示されている、被爆前の中島本町の復元地図

 中島本町のことは前回にも書いた。今は平和記念公園になっていて、原作4ページ目の下のコマに見えるような買い物客のにぎわいは想像できなくなってしまっている。この原作4ページ目下の絵は、昭和15年に撮られた写真がもとになっている。全国どこの目抜き通りもそうであったように、鈴蘭灯が立ち並んでいる。この絵の中で奥へ続く道、中島本通りをちょっと行って、元安橋を渡った少し先のあたりの上空で、写真が撮られてから5年後の夏の朝、原子爆弾が炸裂した。
 「でも、人がいかに死んでいったかを描いても始まらないと思うんです。いかに生きてたかを描こうと思って『この世界の片隅に』を描いたんです」
 というようなことを最近お目にかかったとき、こうのさんはいっておられた。
 もとより2年数ヶ月も前からこちらもそういう気持ちで挑んでいる。ごく当たり前に活気づいていた中島本町の町と人の姿を描きたい。
 と、目論んではみたものの、町のたたずまいを画面上にしっかりと再現できるだけの資料を見つけ出せるのだろうか。

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