COLUMN

第205回 青春は恥ずかしい 〜ハチミツとクローバー〜

 腹巻猫です。5月4日に中野サンプラザで開催予定の「資料性博覧会14」に参加します。新刊はありませんが、「THE MUSIC OF “ANNE OF GREEN GABLES”〜赤毛のアンの音楽世界〜」ほかの既刊と、SOUNDTRACK PUBレーベルのCDを頒布します。CDは店頭在庫切れ商品やお買い得アウトレット品も持ち込む予定。イベント詳細は下記を参照ください。
https://www.mandarake.co.jp/information/event/siryosei_expo/


 2005年のスタートから15周年を迎えたフジテレビのアニメ専門枠ノイタミナ。その第1作は『ハチミツとクローバー』(通称『ハチクロ』)だった。
 原作は羽海野チカによる少女マンガ。TVアニメを皮切りに、実写劇場版やTVドラマにもなった人気作品だ。
 TVアニメ版は2005年4月から9月まで全24話が放送された。さらに2006年6月から9月まで第2期全12話が放送されている。
 郷里を離れて美大に入学した竹本祐太は、個性的な先輩や先生に囲まれて、貧乏ながらも楽しい学生生活を送っていた。ある日、小柄で可憐な少女、花本はぐみが美大に編入してくる。はぐみと会った竹本は一瞬で恋に落ちてしまう。
 竹本とはぐみを中心に、竹本と同じおんぼろアパートに住む先輩の森田忍と真山巧、はぐみの才能を見出した花本先生、真山に片思いする美大生・山田あゆみ、真山が思いを寄せる年上のデザイナー・原田理花ら、さまざまな登場人物の悩みや恋やドタバタが描かれる青春ストーリー。
 原作の絵柄を生かした柔らかい線のキャラクターと淡い色調の美術、コミカルなシーンと繊細な心理描写の対比が効いた演出など、とても丁寧に作られた作品だ。ノイタミナは月9ドラマのように観られるアニメをめざして企画されたそうだが、ふだんアニメを観ない視聴者にも響く作品を作ろうという意欲がひしひしと伝わってくる。

 その意欲は音楽にも及んでいる。
 TVアニメ『ハチミツとクローバー』の音楽を手がけたのは林有三&サロン’68。林有三は1954年生まれ。バンド活動を経て、キーボード奏者・アレンジャーとして、さまざまなアーティストのツアーやレコーディングに参加してきた。サロン’68は林有三が結成したラウンジバンドで、60年代のイタリア映画音楽をオマージュしたアルバム「映画のような人生」(2002)、「或るヴァカンス」(2005)を発表している。
 1990年代に「渋谷系」と呼ばれる音楽のブームがあった。エンニオ・モリコーネやアルマンド・トロバヨーリといったイタリアの映画音楽作曲家の作品が再評価され、スキャットやオルガンをフィーチャーした心地よいグルーヴの音楽に人気が集まった。林有三&サロン’68が演奏していたのはそういう音楽である。
 林有三はサウンドトラック盤のライナーノーツで、「美大がドラマのベースである点、したがって芸術家の集まりであるという事から、若い響きをもった大人の音楽を書こうと思った。それは、このバンドが目指す音楽と一体だと信じたからだ」と語っている。
 『ハチミツとクローバー』は、大人の香りがする、おしゃれなラウンジミュージックに彩られたアニメだった。いや、そうなるはずだった……のかもしれない。
 というのも、完成した作品では、ラウンジミュージック風の音楽とともに、切ない曲やしっとりした曲がよく流れていたからである。この点について、林有三はこう証言している。
 「しかし番組が進んでいくにつれ、サロン’68のサウンドとは少し違う方向の音楽を書いた方がよりこのアニメーションには合うのではないかと思うようになった。結果的には、それが良い方向に出たと自負している」
 『ハチクロ』の音楽は、異なるタイプの曲がミックスされた、おしゃれで、ちょっとコミカルで、切ないものになった。個性に富んださまざまな曲が、サウンド的にはひとつの色調で統一されている。それは『ハチミツとクローバー』の世界そのものだ。
 本作のサウンドトラック・アルバムは、2005年9月に「TVシリーズ『ハチミツとクローバー』オリジナル・サウンドトラック」のタイトルでアニプレックスから発売された。初回盤はデジパック仕様で、レース模様のようにデザインされた白い紙の帯が下に巻かれている。凝ったデザインのしゃれたアイテムだった。
 収録内容は以下のとおり。

  1. 回りだす車輪
  2. ドラマチック(歌:YUKI)
  3. サークルオブフレンズ
  4. ウィークエンド
  5. 酒と酒の日々
  6. ボンボンベレッパ〜テーマ☆忍
  7. 猪突猛進
  8. はじまりの予感
  9. 四つ葉のクローバー
  10. ハチミツ(歌:スピッツ)
  11. ディスタンス
  12. やまない雨
  13. 放課後の色
  14. レゾンデートル
  15. それぞれの想い
  16. Mistake(歌:The BAND HAS NO NAME)
  17. 風の通り道
  18. 街へ出ようよ
  19. 乙女のレシピ
  20. 早足
  21. Panic!
  22. Hungry?
  23. たくらみに気をつけろ!
  24. 重ねた心
  25. やわらかな時間
  26. もつれる言葉
  27. 月とナイフ(歌:スガシカオ)
  28. 守りたいもの
  29. 恋のかたち、愛のかたち
  30. うちへ帰ろう
  31. そして、歩きだす
  32. ワルツ(歌:スネオヘアー)

 オープニング主題歌、エンディング主題歌のほかに、劇中に挿入歌として流れるスピッツやスガシカオの曲が、すべてフルサイズで収録されている。アニメサントラにはあまり例を見ない、ぜいたくな作りである。挿入歌は本作の重要な要素で、これがあることで『ハチクロ』の雰囲気が再現される。ちなみにスピッツの曲もスガシカオの曲もわざわざ他社レーベルから音源を借りて収録している。音楽に対する強いこだわりを感じさせる作りである。
 1曲目の「回りだす車輪」は第1話のアバンタイトル、少年時代の竹本が自転車に乗って「1度もふり向かずにぼくはどこまで走れるのかな?」と思う場面に流れる始まりの曲。自転車の車輪が回る映像は、心が動き出し、新しいなにかが始まる象徴として、本編でしばしば挿入される。その映像とともに、ピアノのためらうような旋律と低音の響きが印象に残る曲である。
 トラック3「サークルオブフレンズ」からトラック7「猪突猛進」は竹本たちの学生生活を彩るラウンジミュージック風の曲。スキャットが入った「サークルオブフレンズ」、オルガンとトランペットが軽快に奏でる「ウィークエンド」、リズムが強調された「酒と酒の日々」など。60年代ヨーロッパ映画の音楽と言われたら信じてしまいそうな、魅惑的な曲が並ぶ。
 中でもよく使われたのが、トラック6の「ボンボンベレッパ〜テーマ☆忍」。曲名に「忍」の文字があるように、困った先輩・森田忍のテーマのように使われていた。タイトルのとおり「ボンボンベレッパ」とスキャットで歌う楽しい曲だ。  次の「猪突猛進」はワウギターとオルガン、トランペットなどが奏でるロック調のスピード感のある曲。
 こういうラウンジ系の曲は、ほかにもある。バート・バカラック風のトラック18「街へ出ようよ」、女声スキャットをフィーチャーしたトラック19「乙女のレシピ」とトラック20「早足」、混声スキャットで「ダバダバ」と歌うトラック23「たくらみに気をつけろ!」など。いずれも気軽に楽しめるナンバーになっている。
 こういう曲が『ハチクロ』を代表する曲……と言いたいが、すでに書いたように、そうではないところが面白いところだ。
 本編ではラウンジ系の曲はもっぱらユーモラスなシーンに使われている。森田のいたずらに悩まされる竹本や、あゆみに責められる真山、はぐみとあゆみの強烈な料理に絶句する竹本たちなど、笑える場面にスキャットの曲が流れるパターンが多い。
 本来はおしゃれな音楽であったはずの「渋谷系」の曲が、本編ではギャグの音楽になっている。しかし、それはしかたないかもしれない。本作が放送された2005年は、もう「渋谷系」ブームも下火で、こういう曲はちょっとパロディ的に受けとられるようになりつつあった。
 だけど、それがかえって青春の恥ずかしさと重なり、いい感じを出している。
 ラウンジ系の曲よりも本編で活躍したのが、抒情的な曲や切ないメロディの曲だ。
 トラック8「はじまりの予感」は、第1話で竹本がはぐみと初めて出逢ったときに流れたオルゴール風の曲。ほかのエピソードでも、はぐみのテーマのように使われている。ニーノ・ロータが書くようなノスタルジックな旋律で、ミステリアスな味わいもある。
 同じメロディをピアノで奏でたのがトラック29の「恋のかたち、愛のかたち」。こちらはしっとりと聴かせる落ち着いた曲で、竹本がはぐみへの気持ちを意識する場面など、揺れ動く心を繊細に描くときに使われている。
 トラック9「四つ葉のクローバー」は全編を通してよく使用された曲。ピアノのシンプルなリズムから弦の抒情的なメロディに展開する。大きく盛り上がるわけではないが、じんわりと心にしみてくる、味わい深い曲である。第1話ではぐみに見とれる竹本を見た真山が「人が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった」と心の中で思う場面など、口に出せない想いを伝える曲として重要な場面に使われた。『ハチクロ』を代表するBGMといえばこれだろう。
 このメロディをピアノを中心にアレンジした曲がトラック15の「それぞれの想い」。これも聴いていて温かくやさしい気分になるいい曲だ。
 ほかに印象深い曲といえば、真山が理花を想う場面によく流れていた、泣きたくなるような切ない曲「やまない雨」、ピアノとアコースティックギターが奏でる「守りたいもの」などがある。「守りたいもの」は第1期の終盤、自転車に乗ってひとり旅に出た竹本が海岸で人恋しくなる場面や亡き父との思い出が残る寝台特急「北斗星」を追いかける場面などに流れていた。
 ところで本作を代表する名場面に、第7話の、はぐみが野原で四つ葉のクローバーを探す場面がある。通りかかった竹本がはぐみを手伝い始め、さらにあゆみ、森田、真山も加わって、主要登場人物がそろって四つ葉のクローバー探しに参加する。だけど、四つ葉のクローバーは見つからない。幸せを探しながらも空回りする青春を象徴するような場面だ。トラック9の「四つ葉のクローバー」はこの場面を意識したタイトルだろう。いいタイトルだけど、実はこの場面にはこの曲は使われていない。
 実際に使われたのはトラック31の「そして、歩きだす」。ピアノやチェンバロ(?)の音色が愛らしいメロディを奏でる、心がほっこりするような曲である。第18話の卒業記念パーティの場面や第24話の旅から帰って来た竹本を仲間たちが迎える場面にも、この曲が流れている。使用回数は多くないが、節目となるシーンに流れていた大事な曲である。
 悩んだり、迷ったり、回り道をしたり、羽目をはずしたりしながらも、四つ葉のクローバーを探し続けずにいられない。そんな愛すべきキャラクターをやさしく包み込むようなこの曲をラストに置いた構成は、とてもいい。

 『ハチミツとクローバー』のサウンドトラックは、ラウンジ系、しっとり系、爽やか系、切ない系など、タイプの違う曲をバランスよく配し、挿入歌をまじえて本編の雰囲気を再現した好アルバムだ。主要な曲はほぼ、収録されている。
 ただ、このアルバムには本編で何度も使われた重要な曲が2曲もれている。それは、オープニング主題歌「ドラマチック」とエンディング主題歌「ワルツ」をアレンジした曲である。この2曲がないと、大切なピースが欠けているように感じてしまう。
 実はその2曲は、2006年12月に発売された「ハチミツとクローバー COMPLETE BEST」に収録されている。これは1期、2期の主題歌を集めたアルバムなのだが、ボーナストラック的に主題歌アレンジのBGMが入っているのだ。サントラ盤に物足りなさを感じた方は、こちらも手に入れるとよいだろう。
 個人的には『ハチクロ』から15年も経ったというのが驚きである。筆者はサントラ盤を発売当時買った。手元にあるパッケージには、今はない六本木WAVEの値札が貼ってある。いろいろなレコードやCDをこの店で買ったなと思い出す。もう青春という年齢ではなかったが、迷ったり、悩んだり、バカなことをしたりするのは若い頃とあまり変わらなかった。このアルバムには、そんな日々を思い出させる曲が詰まっているようだ。

TVシリーズ「ハチミツとクローバー」オリジナル・サウンドトラック
Amazon

ハチミツとクローバー COMPLETE BEST
Amazon