COLUMN

第92回 映画音楽的とはなんだろう 〜地球へ…〜

 腹巻猫です。1986年に放送されたTVアニメ『Bugってハニー』の放送30周年記念プロジェクトが進行中です。11月5日には劇場版『Bugってハニー メガロム少女舞4622』の上映と主題歌を歌った高橋名人とうちやえゆか(はるな友香)によるトークショーを行うイベントをテアトル新宿で開催。11月21日には初のオリジナル・サウンドトラックCDと新録主題歌カバーCDをリリース。12月5日からはTOKYO MXで再放映がスタートします。
 30周年記念プロジェクトの一環ではありませんが、11月20日(日)に阿佐ヶ谷ロフトでサントラ発売記念トークライブを開催します。発売元のレーベル「東京ムービーレコード」にフォーカスしたマニアックなイベントですが、興味のある方はぜひどうぞ! 詳細は下記を参照ください。

『Bugってハニー』サントラ発売記念トークライブ 〜東京ムービーレコードの逆襲!〜
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/51789


 前回、『1000年女王』の音楽について「劇場用音楽らしくない」と書いた。逆に劇場用作品らしい音楽とはどんな音楽だろうと考えてみた。

 そこで思い至ったのが佐藤勝である。
 佐藤勝は生涯に300本を超える劇場作品の音楽を書いた。300本の中にTVドラマやイベント用音楽等は含まれていないから、作品数で言えばもっと多くの曲を書いている。黒澤明、岡本喜八、五社英雄、山本薩夫ら、そうそうたる顔ぶれの監督たちとともに日本の映画史を築いてきた、日本を代表する映画音楽作家である。
 1950〜60年代には、音楽活動の主軸を純音楽(現代音楽)に置き、生計の手段として劇場用作品の音楽を書く作曲家も多かった。そんな時代から、佐藤勝は劇場用作品一筋で仕事をしてきた。劇場作品における音楽のあり方に対して「映画音楽のプロ」と呼ぶにふさわしいこだわりと筋の通った考え方を持っていた。「映画音楽」を語る上で佐藤勝の楽曲にまさるお手本はない。
 佐藤勝は劇場アニメの音楽を2本しか書いていない。『地球へ…』(1980)と『シュンマオ物語タオタオ』(1981)である。自身は「アニメーションの音楽は自分には向かない」と語っていた。
 しかし、だからこそと言うべきか、にもかかわらずと言うべきか、『地球へ…』の音楽はみごとな仕上がりである。アニメ、実写という違いを越えて、「映画音楽」の神髄を感じさせる。
 今回は『地球へ…』の音楽を取り上げよう。

 『地球へ…』は1980年4月に公開された劇場アニメ。竹宮恵子の同名マンガを恩地日出夫の脚本・監督でアニメ化した。アニメーション制作は東映動画(現・東映アニメーション)が担当した。
 環境破壊によって荒廃した地球を再生するために人類が宇宙へと植民した未来。コンピュータに管理される人類と超能力を持って生まれた新人類=ミュウとの対立を雄大なスケールで描くSF作品である。
 監督の恩地日出夫は「あこがれ」「伊豆の踊子」などの青春劇場作品や「傷だらけの天使」などのTVドラマを手がけた実写の演出家。劇場アニメの演出はこれが初めてだった。『地球へ…』では、カットを割らない長回しやキャラクターの移動に合わせたカメラのパン、フォローなど、実写と同じ手法を多用して、あえてアニメっぽくない画作りを行っている。
 音楽の佐藤勝は、恩地日出夫が「演出家の意をくみとれる人」ということで指名した。意外にも、監督と作曲家としての顔合わせはこれが初めてだった。
 佐藤勝は1928年、北海道出身。子どもの頃からの劇場作品好きで、国立音楽大学卒業後、映画音楽作家を志して「七人の侍」などで知られる早坂文雄の門をたたく。41歳で急逝した早坂の跡を継いで黒澤明監督の「生きものの記録」(1955)の音楽を完成させ、以降、「蜘蛛巣城」(1957)から「赤ひげ」(1965)まで、黒澤作品になくてはならない作曲家として活躍した。
 「幸福の黄色いハンカチ」などの人間ドラマから「斬る」などの時代劇、「100発100中」などのアクションもの、戦争もの、恋愛もの、喜劇、文芸作品、「ゴジラの逆襲」「日本沈没」などのSF特撮ものまで、あらゆるジャンルの劇場作品を手がけた。90年代は自作をオーケストラで演奏するコンサートをたびたび開催し、映画音楽文化の普及にも心を砕いた。現在は自作のコンサートやライブを行う映像音楽作曲家も多いが、その先鞭をつけたのは佐藤勝だったかもしれない。1999年、71歳で逝去。
 『地球へ…』の音楽は総勢58人のオーケストラで録音されている。生楽器中心のシンフォニック・サウンドだが、SF的な音の味つけとして一部にシンセサイザーも使われた。当時、佐藤勝のアシスタントをしていた久石譲がシンセサイザー演奏で参加している。その音楽は「交響組曲 地球へ…」のタイトルでまとめられ、1980年4月にLPレコードとして発売された。初CD化は2003年9月。2007年7月には、新作TVアニメの放送に合わせて、「交響組曲」と劇場用音源(モノラル)を完全収録した2枚組CD「ETERNAL EDITION 2007 地球へ…」が発売された。
 今回は、比較的入手しやすい「交響組曲」版を紹介しよう。
 収録曲は以下のとおり。

  1. 地球へ… Coming Home To Terra(歌:ダ・カーポ)
  2. 遥かなる憧憬の地(M-2)
  3. 目覚めの日(M-3/M-4/M-5)
  4. 眠れる獅子…ミュウ(M-8/M-9の一部)
  5. 苦難への旅立ち(M-10)
  6. アタラクシアの若者達(M-16A/M-11の一部)
  7. 新しい生命の賛歌(M-14の一部/M-16/M-15)
  8. 宿命の二人(M-18/M-19)
  9. メンバーズ・エリート キース・アニアン(M-7/M-20/M-12)
  10. 燃える惑星ナスカ(M-21)
  11. 星の海の闘い(M-22)
  12. ジョミー・マーキス・シン(M-23)
  13. 友情の勝利(M-24/M-25)
  14. 愛の惑星(プラネット) All We Need Is Love(歌:ダ・カーポ)

 1曲目と14曲目がダ・カーポが歌う主題歌。
 トラック2〜13が佐藤勝が手がけた音楽である。演奏は劇場用音源と同一だが、本編はモノラル、アルバムはステレオMIXになっている。
 曲名のあとの括弧内はMナンバー。「交響組曲」版には表記されていないが「ETERNAL EDITION 2007」版の解説書に記載されている。番号が抜けているのは省かれた曲があるため。劇中の音楽の使用順はMナンバーと一致している。一部の曲順が入れ替わっているものの、ほぼ劇中使用順に沿って収録されていることがわかる。組曲としてもサントラとしても聴ける、うれしい構成である。
 アルバムでは1曲目に主題歌「地球へ… Coming Home To Terra」が置かれているが、本編でこの曲が流れるのは物語が3分の1ほど進んでから。5曲目の「苦難への旅立ち」に続いて1コーラスだけ流れる。歌自体は名曲だが、本編の中での使い方はやや唐突である。
 本編は、地底に潜むミュウの宇宙船の場面から始まる。現実音として流れる竪琴の音のほかに音楽はない。ミュウの指導者ソルジャー・ブルーの「地球(テラ)はあまりに遠すぎる」という台詞から、音楽が流れ始める。2曲目の「遥かなる憧憬の地」である。
 ソルジャー・ブルーと予知能力を持つ美少女フィシスとの会話で物語の背景が語られる。ブルーの苦悩と哀しみが描かれる場面だが、音楽は地球への憧憬を表現する美しい音楽が先行して流れ始める。このあと、フィシスの記憶の中にある地球の姿をブルーが見る場面になる。金管群がおおらかに歌う地球(テラ)のテーマが登場し、それに導かれるように「地球へ…」のメインタイトルが映し出される。
 このオープニングシークエンスからして、実に「映画的」だ。音楽は映像やキャラクターの心情をなぞるのではなく、作品がこれから語ろうとするテーマを奏でている。オープニングにふさわしい華やかさも備えた開幕にふさわしい音楽である。
 3曲目の「目覚めの日」はM-3、M-4、M-5の3曲から構成。平凡な少年として育ったジョミーが「目覚めの日」を迎える一連のシークエンスに流れた曲だ。「目覚めの日」とは14歳になった少年少女を管理社会に適合した人間に洗脳するための儀式である。
 M-3は「目覚めの日」の前日にジョミーが母親と会話する場面の曲。ジョミーよりも母親に寄って、ジョミーが見た夢の話を気にかける母親の不安な心情が表現されている。
 続く母親と父親との会話の場面、ジョミーと学校の友人たちとのやりとりの場面には音楽はない。ジョミーの家にエスパー検査を行う検査官がやってくる場面からM-4が流れ始める。ここでもM-3と同様に母親の不安な心情が音楽で表現される。3曲目のM-5は、「目覚めの日」の儀式に向かうジョミーが母親に「もう会えないかも」と言って家を出る場面の曲。曲はジョミーを見送る母親に心情に寄り添い、不安からしだいに悲しみを帯びた愛情を表現する曲調に変わっていく。M-3、M-4、M-5は同じモチーフの変奏だが、曲想の重点がサスペンスから母子の愛情にシフトしていく音楽設計がみごとだ。
 母親の気持ちは映像だけではわかりづらい。この世界では、子どもは自然出産ではなくコンピュータに管理された人工授精によって生まれる。そして、無作為に選ばれた夫婦のもとに届けられる。ジョミーと両親との間に血のつながりはないのである。
 だから、もしかしたら母と子の間に愛情はないのかもしれない、という思いが観客の胸をよぎる。が、そんなことはない。温かい心の通い合いがあると音楽が語っている。もちろん、台詞で説明したり、エピソードを重ねることでもそれは表現できるが、くどくなったり、冗長になったりする。音楽は映像では語り切れない母子の情愛をさりげなく表現しているのだ。これが「映画音楽」である。
 5曲目の「苦難への旅立ち」はソルジャー・ブルーの死の場面に流れる曲。ミュウの仲間となったジョミーはソルジャー・ブルーの遺志を継いで、地球へ向けて出発することを提案する。ミュウたちが哀しみに暮れる沈痛な場面。が、音楽は悲しみに溺れることなく、オープニングにも流れた地球(テラ)のテーマを奏でている。静かな希望に満ちた曲が、世代交代と旅立ちの決意を表現している。
 ここでも、音楽は映像をなぞるのではなく、映像では描ききれない想いを伝えているのだ。
 こうした映像と音楽が相互に補完しあう演出は随所に見られる。
 8曲目の「宿命の二人」は、コンピュータによって作られた冷酷なメンバーズ・エリート=キース・アニアンがジョミーと対峙する場面の曲。ミュウを掃討しようとする人類の代表キースとミュウの代表ジョミーが2人きりで向き合う、緊迫感に富んだ場面だ。
 安易に緊迫感を強調する曲をつけてしまいそうな場面だが、音楽は終始おだやかな旋律を奏で続ける。2人の間に芽生える友情にも似た心情とキースの中に目覚めていく人間性を音楽が表現している。この曲は終盤、地球にたどりついたジョミーがキースとの会見に臨もうとする場面にもふたたび使われている。
 アルバムの終盤に登場する「星の海の闘い」は、ミュウと人類との宇宙戦シーンに流れる4分30秒に及ぶ曲。組曲の中でもハイライトと呼べる曲だ。
 音楽はミュウの側にも人類側にも寄ることなく、悲愴な戦いのようすを執拗に繰り返すリズムと暗いメロディで描写する。SFスペクタクル的なカタルシスはなく、争いの不毛さが心に残る場面になっている。
 ドラマのクライマックスは、12曲目「ジョミー・マーキス・シン」が流れる場面に訪れる。ジョミーとキースが会見し、真の敵であるコンピュータ=グランドマザーを倒して和解する場面。多くの犠牲をはらった末に、人類とミュウとの間に共存の道が開かれる。音楽はその希望を淡々とした抑えた曲調で奏でる。あからさまな希望の曲にならないのは、このあとにいまひとつ悲劇が待っているからだ。
 BGMパートを締めくくる「友情の勝利」は、グランドマザーに敵意を向けるキースにつけられた曲。そのメロディは、ミュウたちの憧憬の曲として使われていた地球(テラ)のモチーフの変形である。キースの人間性の目覚め、そして、人類もミュウも同じ心を持った人間であることを音楽が示唆している。

 「映画音楽は映像(映画)に従属するものではない」と佐藤勝は常々語っていた。
 悲しい場面に悲しい曲、走っている場面に軽快な曲。そんな安易な音楽を「漢字にルビを振るような音楽」と称して嫌った。TVドラマではそういう音楽を求められることが多いと嘆き、劇場作品の仕事にこだわった。アニメ音楽が自分には向かないと語ったのも、アニメでは、ときには漢字にルビを振るような音楽が必要とされることを知っていたからだろう。
 映像に合わせた音楽を「映画音楽的」と呼ぶことがある。が、それはすぐれた「映画音楽」の条件ではない。映画の中で音楽でしか果たせない役割を果たしている音楽こそが真に「映画音楽的」なのである。
 佐藤勝はTVドラマと劇場作品の音楽の違いについて、「画面の中で人が走れば走るような音楽を安易につけてしまうのがテレビで、なぜ走らねばならないか?とそこから考えて作られるのが映画の音楽だ」と語っている。
 すべてのTVドラマの音楽がそうだとは限らないし、ときにはそういう音楽が効果的なこともある。それでも、この言葉は映像と音楽の関係を考える上でとても深い意味を持ったものとして、筆者の指針となっている。
 佐藤勝は劇場作品と音楽について、まだまだ多くのことを語っている。
 音楽がついている場面と同じくらい音楽のついていない場面が大事だという発言や、「映画音楽」は前後のつながりが大事なので1曲だけ取り出して聴いても本来のよさはわからないという発言など、考えさせられる言葉は多い。その言葉は、2冊の著書=『音のない映画館』(立風書房)と『300/40 その画・音・人』(キネマ旬報社)にまとめられている。古書で比較的容易に手に入るので、映像音楽に関心がある方は、ぜひ手に取っていただきたい。

交響組曲 地球へ…

Amazon

音のない映画館

Amazon

300/40 その画・音・人

Amazon