腹巻猫です。話題の劇場先行上映『機動戦士Gundam ジークアクス Beginning』を観てきました。「こうくるか!」という驚きに満ちた快作です。観終わって思ったのは、劇中で使用された楽曲をそのまま収録したサウンドトラック・アルバムを出してほしいな、ということ。ガンダム音楽の過去と現在が出会う面白いサントラになると思うのです。
今回は昨年(2024年)12月末に発売された『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のサウンドトラックを紹介したい。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は、浅野いにおの同名マンガを原作にしたアニメ作品。アニメーションディレクター・黒川智之、脚本・吉田玲子、アニメーション制作・Production +h.のスタッフで映像化された。
アニメ版は大きく分けると劇場版とシリーズ版の2種類がある。劇場版は2部構成で、2024年3月に「前章」が、同5月に「後章」が公開された。シリーズ版は全18話で構成され、2024年12月から各種配信サイトより配信されている。
黒川アニメーションディレクターの話によれば、最初から劇場版とシリーズ版の2種類を作ることが決まっていて、シリーズ版18本を作ってから劇場版を作ったのだそうだ。劇場版はシリーズ版全体の約3分の2の長さ。劇場版に含まれないエピソードがシリーズ版に含まれているほか、一部のエピソードの順序や物語のラストも異なっている。が、基本的には同じ物語である。
上空に直径5千メートルの巨大な宇宙船(母艦)が浮かんでいる東京。3年前に突如飛来した母艦は、米軍の攻撃により動きを止めたが、それ以来、渋谷上空を回遊し続けている。どこから、何のために来たのかも謎のままだ。
変貌してしまった東京で、高校生の小山門出と中川凰蘭は、それまでと変わらない日常を続けていた。ある日、母艦から発進した中型宇宙船が自衛隊によって撃墜され、門出たちの友人の少女が巻きこまれて死亡する。2人の変わらないはずの日常が、少しずつ変わり始めていた。
「頭上に巨大宇宙船が浮かぶ日常」という設定が魅力的。学園青春もの風に始まるけれど、物語はどんどん思わぬ方向に転がりだし、最後は大スペクタクルで終わる。しかし、中心となるのは門出と凰蘭の友情の物語。SF的な仕掛けが多いほか、現実の事件と重なるような描写もあり、多彩な読み取り方ができる作品である。
音楽的なトピックとしては、主題歌をシンガーソングライターの幾田りらとあのの2人が歌い、主役2人の声も担当したことが大きな話題になった。
劇中音楽(劇伴)は、アニメ『スペース☆ダンディ』『ユーリ!!! on ICE』『キャロル&チューズデイ』などに楽曲を提供している作曲家・梅林太郎と、yuma yamaguchi、犬養奏、清竹真奈美が共同で担当している。
ただ、筆者の印象だが、本作は主題歌に比べて劇中音楽が語られる機会があまりに少ないように思える。劇場版パンフレットにもサントラCDのブックレットにも作曲家のコメントは掲載されていない。どのようなコンセプトで劇伴は制作されたのか? ここからは、本編の音楽演出とサントラに収録された楽曲から読み解いてみたい。
筆者が聴いた限りでは、劇中音楽は映像に合わせたフィルムスコアリング的な楽曲とTVアニメ的な溜め録りの楽曲の組合せで作られているようである。シリーズ版が先行して制作されたそうだから、溜め録り方式を基本に、重要なシーンではフィルムスコアリングを採用したのだろう。
サウンド的にはどうか? こうした作品であれば、オーケストラサウンドを基調とした、マーベル作品のようなスケールの大きな音楽がついてもおかしくない。が、実際にはシンセサイザーと生のストリングス(弦楽器)、ピアノ、ギター、ドラムスを組み合わせたサウンドで作られている。曲調は抑え気味で、アンビエントやミニマルとまではいかないまでも、淡々とした、メロディアスでないタイプの曲がほとんどだ。あえて、観客の感情を動かすことを避けたみたいに。
この音楽のねらいはなんだろうか。ヒントは劇場版パンフレットに掲載された黒川アニメーションディレクターのコメントにある。
それによれば、原作者の浅野いにおからは「作品のドライかつクールな目線を大切に、アニメで過度にドラマティックに、ウェットにはしたくない」という要望があったという。それを受けて、アニメもリアル感のある映像を作ることを意識した。別の言い方をすれば、いかにもSFアニメっぽい、ケレン味のある派手な演出は避けたということだろう。
また同じく劇場版のパンフレットに掲載された、脚本の吉田玲子のコメントには、浅野いにおがアニメ『けいおん!』から触発されて原作を描いたという話が語られている。吉田はこう続ける。「なるほど、これは世紀末の『けいおん!』なんだな、と」。
「頭上に巨大宇宙船が浮かぶ日常」を『けいおん!』のようにさりげなく、今を生きる少女たちの日常のように描く。これが本作のねらいなのだと思う。
だから音楽も、ことさらにSFアニメ風にするのではなく、日常アニメで流れているような曲調をねらったのではないか。本作の劇伴は、日常シーンに流れる曲とSF的なサスペンスシーンに流れる曲とのあいだに、サウンド的な違いがほとんどない。どちらも、シンセサウンドを基調に、シンプルなフレーズのくり返しで構成された曲がほとんどだ。非日常と日常がシームレスにつながっている。それが『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の音楽が描く世界である。
本作のサウンドトラック・アルバムは2024年12月25日に「『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』オリジナル・サウンドトラック」のタイトルで日本コロムビアからリリースされた。収録曲は以下のとおり。
- Chime
- Clock
- Chat
- Not here
- Crimson
- Almost late
- Japanese pancake
- On edge
- We
- Barricade
- Butterfly
- My Friends
- Flashback
- Discord
- gloom
- If
- Unanswered
- In Half a Year
- hello
- Mothership
- Genocide
- Operation
- Backyard
- Decision
- SHINSEKAIより(歌:ano×幾田りら)
全25曲。最後に収録された「SHINSEKAIより」はシリーズ版の主題歌。劇場版主題歌は収録されていない。しかし、劇場版とシリーズ版では、ほとんどのシーンで選曲も共通しているから、これは劇場版とシリーズ版共通のサントラと考えてよいだろう。
それにしても、収録曲25曲(うち劇伴は24曲)というのは少ないのではないだろうか。
劇中に流れた曲を調べてみると、サントラに収録されていない曲も多い。おそらく全部で40〜50曲くらいの楽曲が用意されたはずである。
話題の作品なのだから、サントラ盤は2枚組にして、なるべく多くの楽曲を入れたほうがよいのではないか。それでも売れるはずだ。どうしてこういう構成になったのか? もやもやするが、このことについては、あとでもう一度考えてみたい。
以下、劇場版をベースに収録曲を紹介していこう。
まず全体の構成であるが、トラック1〜18が劇場版の「前章」、トラック19〜24が「後章」に沿って選曲されているようだ。「前章」のボリュームが大きいのが特徴である。
1曲目「Chime」は、学校の屋上で語らう門出と凰蘭の頭上に巨大な母艦が見える場面に流れる曲。この曲の終わりとともにメインタイトルが出る。本作の世界観を象徴する印象的なビジュアルのシーンである。チャイムのようなキラキラした音色と母艦の威容を表現する低音のサウンドが合体している。日常と非日常の融合を感じさせる音楽だ。
トラック2「Clock」は、使用順は前後するが、劇場版が始まってまもなく描かれる、門出が授業を受けるシーンに流れた曲。ミニマル的な同じ音型のくり返しによる日常曲である。日常曲ではあるが、聴き続けていると、なんとなく不穏な気分になってくる。
トラック3「Chat」は80年代っぽいシンセの音色とリズムを組み合わせた楽曲。タイトル通り、門出と凰蘭と友人たちとのたわいない語らいの場面に使用されている。トラック4「Not here」もシンセの音色とリズムによる日常曲。門出が学校の廊下で担任の渡良瀬に進路の相談をする場面に使用された。チップチューン的なサウンドの中から、門出のぎこちない心情が伝わってくる。
トラック5「Crimson」はひと言で表現できない複雑な心情を描写する曲。シンプルなフレーズをくり返すピアノにストリングスのうねりが重なり、切実な想いを表現する。門出が車の中で母親と口論になるシーン、門出が凰蘭に「あなたは私の絶対なの」と告げるシーンなどで流れている。ウェットになりすぎない曲調で思春期の少女の気持ちを表現する、本作らしい1曲である。
次のトラック6の「Almost late」は、学校に遅刻しそうになった門出が走って登校する場面に流れたハイテンションな曲。この曲はフィルムスコアリングで作曲されたようだ。
トラック7「Japanese pancake」は門出たちがお好み焼き屋に集まる場面に流れていた80年代テクノポップ風の曲。
アルバムのここまでが、いわば門出と凰蘭の日常を描写するパート。
次のトラック8「On edge」から物語が動き出す。「On edge」はリズム主体のサスペンス系の曲だが、本編では使われていないようである。
トラック9「We」は静かなピアノソロから始まる。シンセとストリングスが加わり、切ない心情があふれだす。「前章」「後章」を通して、門出と凰蘭、門出と渡良瀬の場面に選曲されていた。特に「後章」での門出と渡良瀬の別れのシーン、門出が凰蘭に「おんたんは絶対ですから」と言うシーンが印象深い。
自衛隊が中型宇宙船を迎撃する場面に流れたトラック11「Barricade」を経て、ふたたびピアノ主体の曲が門出たちの心情を描写する。
トラック11「Butterfly」は門出が友人のキホの死を知る場面に使用。淡々とした曲調ながら(いや、だからこそ)、胸がしめつけられる曲だ。劇中では途中から入るストリングスをカットして使用されている。
それに続いて、キホの死を知らないかのようにふるまっていた凰蘭の悲しみを門出たちが知る場面に流れたのがトラック12「My Friends」。やさしい曲調が友人同士の楽しい思い出をよみがえらせ、かえって悲しみを増幅させる。一瞬の静寂をはさんでピアノのフレーズが変化する部分は場面展開にぴったり合っている。この曲もフィルムスコアリングで作られたのだろう。
トラック13「Flashback」から、また物語が転換する。
「Flashback」はタイトルどおり、過去に遡る場面に使用された曲。少年・大場圭太の姿を借りた宇宙人(めんどうなので以下「圭太」と表記)が、凰蘭の過去(正確には並行世界の凰蘭の過去)を見る場面に流れている。本作のカギとなる重要な場面の音楽だ。浮遊感のある幻想的なサウンドに効果音的なシンセのフレーズが挿入され、並行世界への旅に緊張感を与える。「後章」で圭太がマコトに凰蘭の過去を見せる場面にも使われた。
次のトラック14「Discord」は過去の門出と凰蘭が海岸でヘルメット姿の宇宙人を助けるシーンに使用。シンセのリズムにキラキラした音色のメロディが重なる。哀しみと不安と焦燥感が入り混じったような、不安定な心情を描写する曲である。
トラック15「gloom」は、ジュリア・ショートリードのボーカルをフィーチャーしたミステリアスで美しい楽曲。(たぶん)本編未使用曲である。この曲が流れるシーンを観てみたかった。
それに続くのは、並行世界で門出が凰蘭を初めて「おんたん」と呼び、2人が親友になる場面のトラック16「If」、並行世界での門出と凰蘭の辛い別れのシーンを彩ったトラック17「Unanswered」。どちらも、門出と凰蘭の大切な場面に流れた曲だ。2曲ともアンビエント風の落ち着いた美しい曲調で作られているのが本作らしい。
そして、トラック18「In Half a Year」は「前章」のラスト、自衛隊の攻撃によって破壊された中型宇宙船から、無数の宇宙人が空中に投げ出される場面に流れた曲。緊迫感のある前半から、崩れていく日常を惜しむかのようなゆったりしたストリングスの旋律に展開し、終盤はストリングスの刻みで危機感を盛り上げる。「人類終了まであと半年」の文字がドン!と出て「前章」は終わる。シリーズ版では、ここまでが第8話にあたる。
トラック19「hello」からは「後章」で使われた曲。「hello」は凰蘭が大学のオカルト研の先輩の部屋で圭太と出会う場面に流れている。「前章」で流れた「Clock」「Chat」などと同じ系統の日常曲だ。
いよいよアルバムも終盤。トラック20以降は人類と宇宙人とのあいだの葛藤、闘争を描く曲が続く。
トラック20「Mothership」は「後章」の序盤、過激派グループに所属する小比類巻健一とその仲間が宇宙人を殺戮する場面に使用。アップテンポのリズムと不安なサウンドでサスペンスを盛り上げる正統的映画音楽風の曲だ。「後章」の終盤で、圭太が母艦内に入ろうとする場面にもこの曲が使用されている。
トラック21「Genocide」は居酒屋に居合わせた門出とサラリーマンらが宇宙人との共存をめぐって論争する場面に流れた。低音のピアノの響きがわかりあえないやりきれなさを表現する。
トラック22「Operation」は、大学構内に逃げ込んだ宇宙人を自衛隊員が掃討し、学生たちがショックを受ける場面に使用。スペーシーな導入から、リズム主体のドライな曲調に展開する。後半は効果音的な不気味なサウンドで不安感、威圧感を強調する。情感を抑え、冷酷で不条理な現実を表現した曲である。
アルバムの終盤を締めくくる2曲は、凰蘭の心情に寄り添った音楽だ。
トラック23「Backyard」は、オカルト研の合宿に参加した凰蘭と圭太が手をつないで海岸を歩き、語らうシーンに使用。凰蘭が圭太にキスする場面まで流れ続ける。ピアノのシンプルな旋律からストリングスが加わり、情感豊かに盛り上がる。アルバムに収録された音楽の中でも格別エモーショナルな、本作の音楽の中では異色とも呼べる曲調の楽曲である。しかし、凰蘭が珍しく素直な心情を見せるこのシーンには、本作の基調であるドライな音楽ではなく、ある程度ウェットな音楽が必要だったのだろう。この曲は、並行世界の凰蘭が門出を守るために過去に戻る場面にも使用された。
トラック24「Decision」は、シンセが奏でる、ふわっとしたサウンドの曲。上記のシーンとは逆に、圭太が凰蘭に突然キスするシーンに使用されている。
劇場版はこのあと母艦の爆発をくいとめようとする圭太を中心にしたスペクタクルになっていくが、その場面で流れたボレロ風の曲などは収録されていない。挿入歌「あした地球が粉々になっても」が流れたあと、空をただよう圭太を自衛隊のヘリが助けようとする場面に、アルバムの1曲目「Chime」がふたたび流れる。始まりと終わりを同じ曲が飾ることで、門出と凰蘭たちの非日常的な日常がこれからも続くことが予感される。考えさせられる音楽演出だ。そのあとの、門出と凰蘭の前に圭太が現れて「ただいま」と言う場面には、トラック16「If」の終盤の部分が使用された。
本アルバムの構成を改めてふりかえると、SF的なドラマよりも門出と凰蘭の日常と友情のドラマに焦点を絞って選曲されていることがわかる。個人的には、ほかにも収録してほしかった曲があるが、そうすると全体の雰囲気というか、アルバムのコンセプトが崩れてしまうのだろう。このアルバムはサウンドトラックであると同時に、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の世界を門出と凰蘭の主観から再構成したイメージアルバムのようなものになっている。先に「あとでもう一度考えてみたい」と書いた話に戻ると、「頭上に巨大宇宙船が浮かぶ日常」を音楽で表現したのが、この選曲と構成なのだろう。そういうコンセプトのアルバムなのだと筆者は解釈した。
とはいえ、サントラファンとしては「もっと多くの曲を収録してほしかったなあ」というのが偽らざる心境だ。
たとえば、「前章」で門出と凰蘭が夜道を歩く場面などに流れていたピアノのリリカルな曲や、門出と凰蘭がタケコプターのような宇宙人の道具で空を飛ぶ場面の軽快な曲(シリーズ版では第5話のエンディングに使用された)など、音楽単独で聴きたい曲がまだまだある。この連載では何度も同じことを書いているが、本作も、いつの日か未収録曲を補完した完全版(もしくは拡大版)サントラをリリースしてほしい。それだけの価値はある作品だと思うのである。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』オリジナル・サウンドトラック
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