COLUMN

第841回 コンテチェック終了

ハイ、本日最終話のカッティング(編集)終了しました!

 当然、その前にコンテも全話チェック終了しました。今作は前作『いせれべ(異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する)』同様、社内の監督&各話演出にコンテを全部振って、こちらで全面的にチェック・修正・所々描き直しして、総監督・板垣のほうでコンテ決定稿を作っています。社内のコンテ・演出が育つまで頑張るしかありません。
 何年か前にも話題にしたと思いますが、経年数や現状の会社などを鑑みて改めて説明をすると、監督にとって

コンテとは、自分がゼロから切る(描く)コンテと、他人のコンテを修正して使う、の2種類!

があります。
 前者の自前コンテは脚本と設定に従っている限り、比較的好きに描けます(出﨑統監督はコレが楽しいのでしょう)。それに対し後者の場合、つまり他者のコンテを直す場合は、素で7~8割使える上りであれば間違いなく“振った甲斐”があるし、心底有難いモンです! ところがその逆、“7~8割描き直し必須”な素上りを目にした時、監督の目は血走ります! それくらい“他者コンテの使える箇所を探して1本に繋げる”作業は本当に苦痛です。ハッキリ楽しくはありません!

これこそ正直「結局ゼロから描いた方が早かった!」と思わされるコンテも屡々!

 監督にもよると思います。「基本的に他人に振ったからにはそのまま使う!」という監督もいらっしゃいます(ここ近年は減ったかも?)。
 それに対し板垣は他の監督より比較的手を入れて使うほうかも知れない、と最近自覚しました。大体「たくさんコンテ描きたくて監督になった」ような人間ですから、本音を言うとその“楽しいコンテ”を人に任せること自体が嫌なんですよね。ただ、作画・美術・撮影などをより良いモノにしようとすると、他者のコンテを認めざるを得ない、という物理的な問題もあるのです。
 それと、たとえ監督自ら毎週1本ずつコンテを上げ続けることができても、各話演出を制御しきれないというのが実感です。なぜなら、監督自前のコンテを他者(この場合各話演出)に渡す際、その“話の根幹”“各キャラの心情”“各シーンの場面設定”などを一気に説明して理解してもらう必要があるからで、この説明・解説が本当に苦労します。苦労した割に作画や処理の指示・リテイクがおざなりになりがちです(己のコンテじゃないフィルムなんて、当然流し作業になりやすい……)。
 ところが、各話演出に“コンテから振る”と、前後の脚本を読みキャラやシーンの繋ぎも探った上で、その話数に取り掛かってくれる(ハズ。でないとそもそもコンテ切れないから)ので、たとえ監督のほうで“コンテ全修”することになろうとも、その後各話演出に理解を促しやすいです。一旦は、コンテで一とおり演出作業をしていますし、話自体が変わることはそーそーありませんから。
 よって、まだまだ未熟で手が掛かったとしても、できるだけ板垣は“コンテ・演出”で受けてくれるウチの社内の若手にのみコンテを振りたい訳です。