腹巻猫です。劇場アニメ『君たちはどう生きるか』は、観た直後はお腹一杯と思いながら、しばらく経つとまた観たくなるふしぎな作品です。「面白いからリピートする」のとはちょっと違う(面白いのですが)。観ると心の奥をかき回され、「死と再生」を体験したような気持ちになります。そう感じる理由は、これまでの宮崎アニメとは異質のストイックな音楽にもありそうです。
『君たちはどう生きるか』は2023年7月に公開されたスタジオジブリ制作の劇場アニメ。
『風立ちぬ』以来10年ぶりとなる宮崎駿監督の長編劇場アニメであり、公開前に内容を一切明かさない大胆な宣伝手法も話題になった。
第二次世界大戦中の日本。病院の火事で母を亡くした少年・眞人(まひと)は、父とともに東京を離れ、母の実家に疎開する。そこには父の再婚相手で、母の妹である夏子が待っていた。新しい母にも疎開先の学校にもなじめない眞人は、奇妙な青サギによって森の中の古い洋館に導かれ、生と死が混然一体となったふしぎな世界へと迷い込んでいく。
音楽は宮崎アニメになくてはならない作曲家・久石譲。
宮崎アニメでおなじみだった、親しみやすいメロディと大編成のオーケストラを使った音楽とはがらりと作風を変え、久石譲の原点でもあるミニマルミュージックの手法を取り入れた音楽で、全編を演出している。
サウンドトラックのブックレットには、宮崎監督と鈴木敏夫プロデューサーのコメントが掲載され、久石譲が映画音楽をミニマルミュージックで統一したことへの驚きが表明されている。
しかし、本作の音楽のすべてがミニマルミュージックかと言われると、たぶん違う。少なくとも、テリー・ライリーやスティーブ・ライヒに代表されるようなスタイルのミニマルミュージックばかりではない。単純な音型の反復がミニマルミュージックの典型だとしたら、『君たちはどう生きるか』の音楽には、わかりやすいメロディを持つ曲もあるし、どんどん展開していく曲もある。ただ、どの曲も編成は薄く、音数も少なく、メロディも控えめ。大きく盛り上がる展開もない。「ミニマルミュージックの手法を取り入れた音楽」で全編が彩られているのはたしかだ。
ミニマルミュージックは久石譲の原点である。久石は過去の映像音楽作品でもミニマルミュージックの手法をたびたび使っている。まず思い出されるのは『風の谷のナウシカ』(1984)の腐海の曲。シンセサイザーによる単純なフレーズの反復はまさにミニマル的だった。OVA『BIRTH』(1984)ではロックとミニマルの融合とも呼べる音楽が聴けるし、『となりのトトロ』(1988)ではミニマル的な音楽が幻想と隣り合わせの童話的な日常を演出していた。ふしぎな感じや浮遊感を表現するのに、ミニマルミュージックの手法は有効なのである。
また、余分な音をそぎ落としたミニマル的な音楽は、映画音楽の手法として古くから使われている。シンプルな旋律で淡々と奏でられるピアノソロの曲などは、繊細な心情描写や静かな情景描写に効果を発揮する。坂本龍一の晩年の映画音楽が、そういう、音を極限まで減らしたストイックな音楽だった。
しかし、それは作品のテーマや演出が要求した必然的な音楽スタイルである。
『君たちはどう生きるか』で驚くのは、ふつうならミニマル的な音楽がつくとは思えないシーンもミニマル的な音楽で通していること。
たとえば、映画の冒頭、母を亡くした眞人が東京を離れて疎開するシーン。眞人の気持ちに寄り添うなら悲しい曲や不安な曲をつけるところだが、穏やかなテーマ「Ask me why」が静かに流れる。また、クライマックスの世界崩壊シーン。劇場アニメ『銀河鉄道999』の惑星メーテル崩壊シーンのような壮大な曲が流れそうなのに、最小限の音で演出している。従来のファンタジー作品の音楽を思い浮かべると、とても「らしくない」音楽なのである。
本作におけるミニマル的な音楽は、演出の必然から採用されたスタイルというより、もう少し大きなコンセプト、もしくは、ある種のこだわりから採用されたスタイルだと思うのだ。
音楽打ち合わせで宮崎監督と話した久石譲は、本作が監督の自伝的要素が強い作品だと理解し、それならピアノ1本とか、シンプルに主人公の心に寄り添う音楽がよいかもしれない、と提案したという。そこからミニマルミュージックという発想が自然に出てきた。
久石譲は2000年代後半からミニマルミュージックに回帰する姿勢を見せ、オーケストラと共演したミニマルミュージック・アルバム「ミニマリズム」のシリーズを意欲的にリリースしている。一連のアルバムでは「シンプルなフレーズのくり返し」にとどまらない、ミニマルミュージックの久石譲流の解釈を聴くことができる。こうした挑戦、あるいは実験が、本作の音楽の下地になったのだろう。
が、それだけで作品全体をミニマル的な音楽で彩るのは冒険である。
本作の手法を予感させる作品があった。2019年に公開された劇場アニメ『海獣の子供』だ。この映画を観たとき、久石譲の音楽に大きな感銘を受けた。見せ場となる幻想的なシーンをピアノを使ったミニマル的な音楽で演出している。生命の神秘に迫る作品のテーマと音楽がみごとにマッチして、新鮮な体験をもたらしてくれた。
久石譲はこの作品で、ファンタジーでもミニマルミュージックの手法が有効だと手ごたえを感じたのではないか。
もうひとつ忘れてはならない先行作品がある。高畑勲監督の遺作となった『かぐや姫の物語』(2013)である。高畑監督と初めてタッグを組んだこの作品で、久石譲は「登場人物の気持ちを表現してはいけない」「状況につけてはいけない」「観客の気持ちをあおってはいけない」と求められたという。
『君たちはどう生きるか』の音楽は、まさしく、気持ちを表現せず、状況を説明しない音楽である。表現も説明もしない音楽を聴いていると、観客は無意識に、この場面は何を表現しているのだろう、どういう意味なのだろう、と考える。
音数を減らし、メロディを抑え、シンプルなフレーズのくり返しで紡いだ音楽は、観客に「この作品をどう観るか」と問いかけてくるようだ。
本作には謎が多い。音楽もまた、観客に向けて放たれた謎である。
本作のサウンドトラック・アルバムは「君たちはどう生きるか サウンドトラック」のタイトルで、2023年8月9日に徳間ジャパンコミュニケーションズから発売された。収録曲は以下のとおり。
- Ask me why(疎開)
- 白壁
- 青サギ
- 追憶
- 青サギII
- 黄昏の羽根
- 思春期
- 青サギIII
- 静寂
- 青サギの呪い
- 矢羽根
- Ask me why(母の思い)
- ワナ
- 聖域
- 墓の主
- 箱船
- ワラワラ
- 転生
- 火の雨
- 呪われた海
- 別れ
- 回顧
- 急接近
- 陽動
- 炎の少女
- 眞人とヒミ
- 回廊の扉
- 巣穴
- 祈りのうた(産屋)
- 大伯父
- 隠密
- 大王の行進
- 大伯父の思い
- Ask me why(眞人の決意)
- 大崩壊
- 最後のほほえみ
- 地球儀(歌:米津玄師)
鈴木敏夫がライナーノーツに面白いことを書いている。
久石譲は毎年、宮崎駿の誕生日に新曲をプレゼントしている。それのほとんどがミニマルミュージックだった。そして、本作には宮崎駿にプレゼントした曲が使われているというのだ。
ただし、そのプレゼント曲は基本的に公開されていないので、全貌はわからない。が、このエピソードだけでも、本作の音楽が従来の宮崎アニメとは違う形で作られたことがうかがえる。
1曲目の「Ask me why」は本作のメインテーマと呼べる曲。ピアノソロと薄いストリングス、パーカッションで奏でられる。シンプルな音とフレーズで構成された曲は、ミニマル的ではあるが、温かく、心を動かす。映画の重要な場面で、この曲の変奏が登場する。本作のタイトルは「君たちはどう生きるか」なのに、曲名は「私に理由をきいて」。これも音楽に秘められた謎のひとつだ。
トラック2「白壁」は落ち着いたトーンのピアノソロの曲。眞人が疎開先の屋敷に到着する場面に流れた。これもミニマル的ではあるが、むしろサティが書いた「家具の音楽」に近い印象がある。
トラック3の「青サギ」は、主人公・眞人を旅に導き、ときにはトリックスターの役割も果たす青サギの登場シーンに流れる曲。初めて登場したときはピアノが短いフレーズを奏でるだけだが、「青サギII」(トラック5)、「青サギIII」(トラック8)と、くり返し登場するたびに曲が長くなっていく。単純なフレーズとリズムで構成されたミニマル的な曲である。「青サギIII」では眞人の動揺にあわせて曲が展開し、典型的なミニマルミュージックのスタイルからは逸脱していく。が、心がしだいに波立っていくような感じは、ミニマル的な曲想の効果である。
青サギと眞人が池で対峙する場面に流れたトラック10「青サギの呪い」も「青サギ」の変奏。眞人と青サギが対話し、眞人の動揺は最高潮に達する。「青サギ」から順に聞いていくと、ミニマルな響きが徐々にダイナミックに変化していくようすが興味深く面白い。一連の青サギの曲は「青サギのテーマ」というより、青サギが象徴するなにか、おそらく「異界」を表現している。眞人が青サギとともに旅を始めてからは、このテーマは聴こえなくなる。
トラック11「矢羽根」は筆者が魅力を感じた曲のひとつ。眞人が弓と矢を自作するシーンに流れていた。ストリングスとピアノ、フルートなどが、単純な音型をくり返す曲だ。弦のピチカートがアクセントになっている。大きな起伏も展開もない曲想は、とてもミニマル的で気持ちいい。こういうモンタージュ場面にもミニマルミュージックは合っている。
トラック13「ワナ」は眞人が古い洋館の奥に誘い込まれ、偽物の母を見つけるシーンに流れる曲。ふつうなら緊迫感に富んだ音楽で盛り上げるところだが、ここでも音楽はミニマル的。ストリングスやピアノがシンプルなフレーズをくり返す構成が、張り詰めた緊張感を醸成する。観客は「なにが起こっているのか」と息を呑んで見つめることになる。「青サギの呪い」の発展形とも呼べる曲である。
次の曲「聖域」(トラック14)がいい。眞人の前に広がる異世界の情景。ファンタジー作品の常道なら、幻想的で壮大な音楽を流すところだ。久石譲が付けた曲は、ピアノが淡々と同じ音型を奏で続ける、静謐とも呼べる音楽。ミニマルミュージックの手法がこの上ない効果を上げている。静かで、感情的でないからこそ、生と死が混然となったふしぎな世界の印象が伝わってくる。本作の音楽の聴きどころのひとつだと思う。
ここから本作の主な舞台は異世界になるわけだが、音楽のトーンは変わらない。現実世界と異世界とで、音楽を分けていないのだ。
緊迫した場面に流れる「墓の主」(トラック15)、「箱船」(トラック16)なども、ミニマル的なアプローチを崩していない。
後半の音楽の中でもほっとするのが、丸くふわふわした生き物ワラワラにつけられた曲「ワラワラ」(トラック17)。シンセサイザーとパーカッションを主体にした可愛い曲である。ミニマル的な曲想をベースに、声やリズムを加えて、ユーモラスな味を出している。これまでの宮崎アニメに登場した、小さくふしぎな生き物たちを連想させる曲だ。
後半の音楽で印象的なのが、火を操る娘ヒミにつけられた曲。女声ヴォーカルが歌うモティーフが「火の雨」(トラック19)の終盤に初めて登場する。「炎の少女」(トラック25)では、そのモティーフがくり返され、活気のある神秘的な娘ヒミのイメージを印象づける。エキゾティックなフレーズのくり返しは呪文のようでもあり、祈りのようでもある。「回廊の扉」(トラック27)はその変奏で、ピアノとコーラスだけのアレンジによって神秘性が増している。
女声ボーカルが入った曲想に『風の谷のナウシカ』の「ナウシカ・レクイエム」を連想する人もいるだろう。本曲のボーカルも「ナウシカ・レクイエム」と同じ麻衣(久石譲の娘)が担当している。ヒミは本作のヒロインと呼べるキャラクター。ナウシカの曲との相似は偶然ではないはずだ。
眞人が夏子と再会するシーンに流れる「祈りのうた(産屋)」(トラック29)は原典が判明している。2015年にリリースされたアルバム「ミニマリズム2」に「祈りのうた for Piano」という曲が収録されているのだ。メーカーによるアルバムの説明には「戦後70周年を迎えたこの日本のために書かれた」とある。もともとは久石譲が宮崎駿にプレゼントした曲だという。このシーンの映像はドラマティックだが、音楽はストイックで、内面に深く斬り込んでいくようなすごみがある。
「大叔父」(トラック30)は、旅路の果てに眞人が対面する大叔父の曲。パーカッションのリズムにピアノの強いアタック、ストリングス、木管などが重なり、大叔父の存在感を示す。明快なメロディはなく、ミニマル的な進行だ。「大叔父の思い」(トラック33)はその変奏。インコ大王と大叔父が世界の後継者をめぐって対峙するシーンに流れる。音楽は緊迫感をあおらず、ストリングスと木管による単純な音型のくり返しで、観客にこの場面を静かに見守ることをうながす。
そして、クライマックスの曲「大崩壊」(トラック35)。これも大叔父のテーマの変奏である。「大崩壊」というタイトルに反して、悲壮感やスペクタクル感は感じられない。このシーンが哀しみよりも希望に彩られているという事情もあるだろう。無駄な音をそぎ落としたミニマルな音楽を聴きながら、観客は大崩壊の意味と、その先にある眞人たちの人生に思いをはせることになる。
「最後のほほえみ」(トラック36)は本作を締めくくる曲。ストリングスとピアノ、パーカッションなどによるモティーフのくり返しが、いくたびも打ち寄せる波を思わせる。ミニマルというより、オスティナートと呼ぶほうがふさわしいように思える。オスティナートは同じフレーズを反復する手法で、音楽史的にはミニマルミュージックよりも古くからある。終幕に至って、久石譲はふたたび気持ちを表現する音楽、観客の情感を刺激する音楽に回帰したように感じた。この曲は眞人たちを、そして観客を、異界から現実へ送り出す役割を果たしている。
久石譲は、なぜ本作の音楽をミニマルミュージックの手法で通したのか。
作品を説明しないため、シーンに意味を与えないためだと筆者は思う。観客それぞれの頭と心で、考え、感じ取ってもらうためだと。
もちろん、音楽に(作品にも)正解はない。このコラムも筆者が妄想した考察のひとつにすぎない。
この音楽を君たちはどう聴くか。
君たちはどう生きるか サウンドトラック
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