COLUMN

第814回 『いせれべ』の話(6)~背景直し

『いせれべ』第2話は背景(BG)の修正とアクション原画の修正が大変でした(汗)!

 これは仕方のないことです。“画が描けなくてもアニメ演出はできる!”“演出は画を描く仕事じゃない!”つまり、

レイアウト・原画の修正程度の画すら己で描けない人をどうアニメ演出として扱うか?

という、昭和から令和の現在までの(業界全体が見て見ぬふりをして惰性で続けている)アニメ演出・監督業のやり方がすでに問題あるからです。
 分かり易い話をすると、大塚(康生)さんや小田部(羊一)先生、そして宮崎駿さんがいなければ高畑勲監督作品は生まれていない、ということです。同様に押井守監督作品の黄瀬和哉さんや西尾鉄也さん、その他“アニメーターではない名監督”の作品の陰には常にその女房役になるべく名アニメーターが存在してきたのが日本アニメ史の真実だとも言えます。
 未だアニメファンの方々の中にはよく理解されていない場合があるのですが、

演出・監督はアニメーターの誰より画が巧いからなるモノではありません! むしろ現在は“アニメーター出身ではない演出・監督”は、(極々一部の天才を除いて)その修正画の下手さに心底困っている作画監督は数知れず——てのが現状です!

 実際、高畑・押井監督ら超大物の“アニメーターじゃない監督”には制作プロデューサーが血眼になってその“画描き役”を探してくれようってものでしょうが、それは今までの監督作品という実績があるからこそ、巧いアニメーターを選ばせてもらえる訳で、実績のない普通の演出・監督はどんなアニメーターに対してでも、至って低姿勢に“お願いして描いていただく”立場にしか成りようがありません。しかも、作品がこれからもドンドン増え続ける中、アニメーターの人数はこれから我々団塊ジュニア世代が抜けていく時代に突入する訳で、これでは各演出にそれぞれ巧い作監がついてくれるなんてあるはずないでしょう。
 もちろん、ウチの会社でもそれは例外ではなく、

アニメーター出身じゃない演出・監督がどうやってアニメーターより巧くレイアウト・原画を修正するか? は毎作品の至上命題な訳です!

 で、話を最初に戻します。つまり、出来の悪い背景が上がってきたのは、不出来な背景原図を通した演出がいたから。それはつまり、自分の演出指導不足(汗)!