腹巻猫です。「シン・ウルトラマン」を初日にIMAXで鑑賞しました。旧来のイメージを一新する物語やビジュアルを堪能。初代ウルトラマン世代としては「音楽・宮内國郎 鷺巣詩郎」のクレジットが感激でした。本作を掘り下げて語りたい人は株式会社カラー発行の記録集『シン・ウルトラマン デザインワークス』もぜひ入手したほうがよいですよ。売り切れの劇場もあるようですが、増刷されるそうです。これから観る方はお楽しみください!
サントラの媒体が、単独販売のCD、DVD・blu-ray同梱CD、配信へと移っていくのをさびしいと感じることもあるが、それでも、出ないより出たほうがはるかにいい。
心からそう思った作品のひとつが、3月に配信先行リリースされた『リーンの翼』のサウンドトラックだ。
『リーンの翼』は2005年から2006年にかけて全6話がWEB配信されたアニメ作品。富野由悠季監督が1980年代に発表した同名小説をベースに新たに構築した物語である。TVアニメ『聖戦士ダンバイン』を皮切りに富野監督が発表してきた、異世界バイストン・ウェルを舞台にした作品のひとつだ。
物語の始まりは現代の山口県岩国市。アメリカ人の父と日本人の母を持つ青年エイサップ・鈴木は、港で突然、光の中から出現した異形の戦艦と遭遇する。それはバイストン・ウェルからオーラ・ロードを通ってこの世界(地上界)に現れたオーラ・バトル・シップ「キントキ」だった。キントキの甲板でホウジョウ国の姫リュクスと出逢ったエイサップは、近くにいた友人や自衛隊員らとともに、オーラ・ロードを抜けてバイストン・ウェルへたどりつく。そこで彼らは、バイストン・ウェルと地上界のからむ戦闘に巻き込まれていく。
まったく説明なしに開幕から濃厚なストーリーが展開するので、予備知識がないと混乱するかもしれない。しかし、それも富野アニメを観る醍醐味のひとつ。進化したアニメ技術で描かれるオーラ・バトラー戦も見どころだ。
そして、個人的に「おおーっ!」と思った本作の注目ポイントが音楽。樋口康雄が担当しているのである。
当コラムでも『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』を取り上げたことがある樋口康雄。そのとき彼を「天才」と紹介したが、その印象は今でも変わらない。
オーケストレーションの巧みさ、センスのよさ、ハイレベルのスコアを魔法のように軽快に生み出していく(ようにみえる)才能。モーツァルトが現代に生きていたらこんな人ではなかったかと思わせる作曲家である(個人の感想です)。
樋口康雄が音楽を担当したアニメ作品は多くない。主題歌だけを手がけた『ママは小学4年生』(1992)を別にすると、劇場アニメ『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980)、TVアニメ『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』(1981)、『小公女セーラ』(1985)、『機動新世紀ガンダムX』(1996)、それに本作『リーンの翼』があるくらい。その中でCD化されたものは『火の鳥2772』『小公女セーラ』『ガンダムX』の3作だけで、『ブレーメン4』は放送当時レコードが発売されたのみ。本作にいたっては一度もサウンドトラックが商品化されていなかった。
それが、配信アルバムとして、ついにリリースされたのだ。
リリースにあわせて樋口康雄が興味深いコメントを寄せている。
それによれば、音楽打ち合わせで富野監督から言われたことは「気遣いのある音楽を書いてほしい」のひと言。あとは雑談で、具体的な音楽の話はなし。樋口は「うーん、なぞなぞで来たな」と思い、「それならこちらもなぞなぞで」と覚悟を決めたという。
樋口康雄はスタジオからストーリーボードにあった絵を数枚コピーして持ち帰り、その中の1枚、俯瞰で見たバイストン・ウェルの絵を壁に貼って作曲に取りかかった。「その絵に触発されてなぞなぞ音楽を速攻で36曲書いた」と樋口は語る。
「なぞなぞ音楽」とはなんなのか? 想像するに、発注にストレートに応えた音楽ではなく、作曲家独自の視点と発想で練り直した音楽ということではないだろうか(と書いてもなんだかよくわからないが)。
そのいっぽうで、本作の音楽は絵コンテをもとに作曲したと樋口康雄が別の場所で証言している。本編を観ても、特に初期のエピソードでは音楽の展開と映像の展開が絶妙に合っている。ただし、全編がフィルムスコアリングではないらしく、音楽を編集して使っているケースもあるし、同じ音楽を別のエピソードで使っているケースもある。また、絵合わせでない溜め録り的な音楽もあるようだ。
絵に合わせて作られた曲は、1曲の中で曲調やテンポなどが次々と変わる。しかし、本作の音楽をサウンドトラックで聴いても、音楽として不自然な感じはしない。絵に合わせた音楽であっても独立した音楽として聴ける。あるいは、独立した音楽として書いても絵にあってしまう。樋口康雄のすごいところである。
『リーンの翼』の音楽は、映像音楽の枠に収まらない、豊かなイメージを内包した作品なのだ。
サンライズミュージック(バンダイナムコミュージックライブ)からリリースされたサウンドトラックは、Apple Music、Amazon Music Unlimited、Spotifyなどで配信中。なお、2023年にはCD発売が予定されている。曲目は以下のとおり。
- 君の色がきらめいて
- 時には翼は地上を夢見て
- オーラよ、はずめ
- オーラロードの女たち
- 黄昏のなかの赤光
- はじめてのおっぱい(挿入歌)
- ホウジョウの城の夜明け
- フェラリオたちのまどろみ
- 花々の入れ替え
- ジャコバの胸中
- 土を耕す季節
- 境界があるなら
- まほろばむまどろみ
- オーラ狂乱と
- ワーラーカーレーンからの使者
- 海鳴りがつむぐもの
- 触発される者たち
- 天空の薫り
- フェラリオたちが踊るなら
- うなじから流れゆくもの
まず思ったのは、「樋口康雄は36曲書いたと言ってるのにサントラに収録されたのは20曲。容量制限のない配信なんだから全曲入れてくれよ〜」ということ。CD化の予定があることや楽曲としての完成度などの面から20曲が選ばれたのだと思うが、「この世に存在する音源はすべて聴きたい」と思うのがサントラファンである。
が、それを別にすれば、すばらしいというほかない。
曲順は劇中使用順を意識しつつ、音楽アルバムとしても聴きやすいようにまとめられている。富野アニメらしいひねった曲名が想像力をかきたてる。
1曲目の「君の色がきらめいて」は第1話冒頭のメインタイトル部分に使用された曲。軽やかに踊る木管の響きから始まり、ティンパニの音をはさんで、緊張感のある曲調に。弦楽器と管楽器の音が入り乱れてカラフルな音の抽象画を描き出す。緻密にして華麗なオーケストレーションは樋口康雄の真骨頂だ。
続く「時には翼は地上を夢見て」「オーラよ、はずめ」「オーラロードの女たち」の3曲も第1話で使用された。
「時には翼は地上を夢見て」と「オーラよ、はずめ」は、突然現れたオーラ・シップを前に地上の人々が右往左往して戦闘になりかけるシーンに流れる。通常の映像音楽なら、危機感を感じさせる弦楽器の演奏や、ブラスや打楽器を使った荒々しいサウンドでサスペンスを盛り上げるところだが、樋口康雄の音楽は木管楽器やハープなどを使い、あくまで軽やかで心地よい。これはほかの多くの曲でも同様だ。
「オーラロードの女たち」は第1話のラストでエイサップたちがバイストン・ウェルに移動する場面に流れた、女声コーラスが印象的な曲。
トラック5「黄昏のなかの赤光」からトラック9「花々の入れ替え」までは主に第2話で使用されている。
「黄昏のなかの赤光」はエイサップがバイストン・ウェルでホウジョウ国の王、サコミズと対面する場面に使用。弦楽器の低音を生かした重厚な曲で、終盤はエイサップが監禁される展開に合わせてドラマティックな曲調になる。
次の「はじめてのおっぱい」は、このサウンドトラックの目玉のひとつ。エイサップがフェラリオ(妖精)の国へ入っていくときに聴こえてくる挿入歌である。子どもの声で歌われる愛らしい曲で、作詞は富野監督。『小公女セーラ』にも子どもたちが歌う「誕生日の歌」という挿入歌があったが、樋口康雄はこういう曲を書かせてもうまい。劇中では最初のほうだけ歌が流れて、途中からオーケストラの演奏になる。サウンドトラックではフルで歌が聴けるのがうれしい。
トラック8「フェラリオたちのまどろみ」は、タイトルどおりフェラリオのテーマ的な曲。木管や弦を巧みに使い、民族音楽的な味わいのある楽しい曲に仕上げている。使用されたのは、監禁されたエイサップがフェラリオの力を借りて脱出する場面。緊迫した状況にのどかな曲が流れることで、緊張感がありつつもユーモラスな場面になっている。
トラック9「花々の入れ替え」やトラック11「土を耕す季節」も同じ。曲名からはバイストン・ウェルの牧歌的な情景や農場で働く人々の姿がイメージされるが、本編では、いずれも戦闘がらみのシーンに選曲されている。多様な解釈ができる音楽だからこその演出である。
トラック13「まほろばむまどろみ」は第3話で、離れ離れになっていたエイサップとリュクスが再会する場面に流れた。ヨーロッパの恋愛映画音楽のような切なく上品な曲だ。オーボエの音色が胸にしみる。たっぷりと4分以上ある曲だが、本編では一部しか流れない。サウンドトラックで初めてフルサイズが聴けるようになった。
トラック14「オーラ狂乱と」は、管弦楽器とリズムが複雑にからみあうアップテンポの曲。本作の音楽の中では珍しい、激しい曲調の音楽である。第5話の冒頭で、オーラ・ロードを抜けて複数のオーラ・バトル・シップやオーラ・バトラーが地上界に現れる場面に流れている。この回はエイサップが第二次世界大戦を目撃する衝撃的なエピソードなので、このような激しい曲が必要とされたのだろう。トラック15「ワーラーカーレーンからの使者」も、同じく第5話の二次世界大戦の場面で使用されている。
トラック19「フェラリオたちが踊るなら」とトラック20「うなじから流れゆくもの」は最終話の終盤からラストに使用された。
「フェラリオたちが踊るなら」は、フェラリオが「命の手紙」をサコミズに届け、サコミズが核爆発から地上の人々を救う場面まで流れた。弦楽器と木管、ホルンなどによる美しい曲だ。
次の「うなじから流れゆくもの」は戦いのあとのエピローグの曲。エイサップとリュクスがサコミズ家の墓参りをするラストシーンまで流れている。抒情的な弦合奏から金管・木管が加わって大きく盛り上がったあと、最後に木管楽器とパーカッションが別れのあいさつをするように鳴る。この余韻がいい。音楽としても、とてもおしゃれである。
伊福部昭はストラビンスキーの「音楽は音楽以外、何も表現しない」という言葉を支持し、特定の効果を目的に作曲される映画音楽などは「効用音楽」として、芸術的な音楽(純粋音楽)とは分けて考えていた。
しかし、樋口康雄の音楽を聴くと、映像音楽であっても「効用音楽」とは遠いのではないかと感じてしまう。『リーンの翼』の音楽もそうだ。映像を離れても十分に成立するほど、音楽が豊かで自立している。「純粋音楽」と呼んでも違和感がないくらい。それでいて、不思議なくらい映像にマッチしてしまう。
思うに、樋口康雄には、純粋音楽、効用音楽という区別はないのだろう。ただ「音楽」があるだけ。樋口康雄の音楽からは、音楽を書くよろこび、演奏するよろこび、そして音楽を聴くよろこびが伝わってくる。
『聖戦士ダンバイン』のナレーションにならって、こう言いたい。
樋口康雄の音楽を聴く者は幸せである。心豊かになれるだろうから。
各種サイトへの配信リンク
https://lnk.to/rean-wings
Amazon Musicはこちら
https://music.amazon.co.jp/albums/B09VZV9SKS