腹巻猫です。5月29日、30日に開催予定の「ノイタミナ presents シネマティックオーケストラコンサート」は、収容定員50%以内で有観客公演を行うそうです。会場で販売するパンフレットに寄稿していますので、ご来場の方はぜひお求めください。有料オンライン公演もあります。
https://www.noitamina-concert.jp/
アニメや劇場作品を観ていると、音楽が流れるシーンで「うまいなぁ」と思うことがある。曲が凝っているとか、カッコいいとか、美しいとかいうのとはちょっと違う。作品のテーマを的確にとらえ、ツボを押さえた表現で最大限の効果が出るように書かれている。そんな曲を聴いたときである。
アニメ『恋は雨上がりのように』の中で流れる吉俣良の曲を聴いたときも、そう感じた。
『恋は雨上がりのように』は2018年1月から3月までフジテレビ「ノイタミナ」枠で放送されたTVアニメ。眉月じゅんの原作マンガを、監督・渡辺歩、アニメーション制作・WIT STUDIOのスタッフでアニメ化した作品だ。原作ともども、ファンには『恋雨』の略称で親しまれている。
主人公は17歳の女子高校生・橘あきら。感情表現が苦手でクールに見られがちだが、胸の奥には熱い恋心を秘めている。その相手はバイト先のファミレスの店長・近藤正己。親子ほどに年が離れている上に、格別カッコいいわけでもない、冴えない中年男だ。ある日、あきらは客の忘れ物を届けるために走って足の古傷を痛めてしまう。そのあきらを店長が抱き起こし、病院に送り届けたことで、あきらの不器用な恋がにわかに動き出した。
ノイタミナは「月9ドラマのように観られるアニメ」を目標に立ち上げられた。『恋は雨上がりのように』は、まさに月9ドラマのようなまっすぐな恋愛ストーリーである。
あきらの一途な恋心、その想いを知った店長のとまどい、そしてあきらの周囲の人物の友情や恋模様が、コミカルな描写をまじえながら、じっくりと描かれる。「実写でやったほうがよいのでは?」と思う題材だ。実際、アニメ版が放送されたあとに実写劇場版も公開されている。
が、アニメ版にはアニメでなければ描けない魅力的な表現があふれている。あきらの心が動いたときの微妙な表情の変化や動作、体のまわりにカラフルな泡のようなものが飛び交う描写、目が覚めるような青空や雨に濡れた街、夜空に浮かぶ月などの瑞々しい風景。そういったものがキャラクターの心情を言葉以上に伝えていて、アニメを観るよろこびと楽しさを実感させてくれる。
そんな本作の音楽を手がけたのは吉俣良。TVドラマ「君の手がささやいている」(1997)、「きらきらひかる」(1998)、「Dr.コトー診療所」(2003)、「篤姫」(2008)、「江〜姫たちの戦国〜」(2011)、劇場「冷静と情熱のあいだ」(2001)など、主に実写作品の音楽で活躍する作曲家である。アニメは、本作のほかに『真・女神転生 デビチル』(2000)、『ソマリと森の神様』(2020)があるくらいだ。
本作の音楽は、吉俣良らしい耳に残るメロディとアコースティックな響きで構築されている。楽器編成は、ピアノ、ストリングス、ギター、クラリネット、フルート、サックス、トランペットなど。とりわけ、ピアノとストリングスの音色が耳に残る。落ち着いた、品のある音楽である。
本作における音楽の位置づけは、一般的なアニメとは少し違っている。
劇中で流れた曲は、ぜんぶで30曲に満たない。アニメではさまざまなシーンに対応するために、1クールの作品でも50曲ほどのBMG(劇伴音楽)が作られ、使われることが多いから、これは驚くべき少なさである。
いっぽう、実写のテレビドラマだと、BGMは20〜30曲しか用意されないことが多い。本作の音楽作りは実写的だと言える。
では、音楽演出もドラマ的かというと、そうとも言えない。
たとえば、ドラマでよく観られる「感情が盛り上がるシーンに主題歌を流してさらに盛り上げる」演出が、本作ではいっさいない。また、心情を強調するために悲しい場面に悲しい曲を流すといった使い方でもない。すでに書いたように、本作では映像だけでキャラクターの気持ちがしっかり伝わるように作られているから、音楽で補強する必要がないのである。
では、本作の音楽はどんな役割を担っているのか。
第1話の冒頭、あきらが下校する場面にメインテーマのアレンジ曲「アフターザレイン 〜君の雨〜」が流れる。歩くあきらの足元、陸上部の練習風景、雨上がりの街、青空などが次々と映し出される。音楽はそれらの映像を包みこむように、ずっと流れている。
こんなふうにキャラクターと風景、あるいは違った場所にいる複数のキャラクターの映像をモンタージュして、繊細な心の動きや空気感を表現する演出が本作では多い。セリフだけでは伝えきれない心情を映像が伝えている。そんな、いわば視聴者に行間を読ませるような場面に、音楽がゆったりと流れている。映像を説明するためでなく、映像をじっくり見せるために音楽が流れているのだ。
伊福部昭はかつて「映画音楽にできることは四つしかない」とことわった上で、それは「(1)場所や時代を示唆すること」「(2)感情や情趣を強調すること」「(3)ドラマのシークエンスを示すこと」「(4)フォトジェニー、つまり、映像そのものが持つ表現性に呼応すること」であると言った。1番目と2番目はわかりやすいが、3番目と4番目はちょっと高度な手法である。本作の音楽の使い方は、その3番目と4番目が融合したようなものだ。
もちろん、それだけではなく、感情を強調するオーソドックスな使い方がされている場面もある。が、強く印象に残るのは、映像の流れを音楽とともに見せるモンタージュ&フォトジェニー的な場面である。
そういう場面では、音楽がとても長く使われる。2分から3分もある曲が、まるごと流れることも珍しくない。だから、本作の1話あたりの使用曲数は少ない。1話に使われる音楽は6曲から8曲くらい。これも驚くべき少なさである。
吉俣良が書いた音楽は、映像を説明する音楽ではない。かといって、映像を離れて存在感を主張するわけでもない。映像とともに流れることで、視聴者にさまざまな感情を想起させる。音楽がドラマや映像の行間を想像させる。そんな音楽だ。
本作のサウンドトラック・アルバムは、2018年4月発売のBlu-ray BOX上巻の特典CDとしてリリースされた。その後、2019年2月にAmazon Recordsから単体CDが発売された。単体CDの収録曲は特典CDよりも7曲増えている。収録内容は以下のとおり。
- アフターザレイン 〜メインテーマ〜
- 古い栞 〜おくれツバメの飛ぶ空〜
- いつか見る夢 〜忘れ得ぬ空の下で〜
- 恋のシークレットキャラ
- アフタヌーンホール
- ひまわり
- にわか雨 〜窓たたく雨〜
- 古い栞 〜雫のゆくえ〜
- 約束の雨
- アフターザレイン 〜君の雨〜
- 坂を行くバス
- トラックの逃げ水
- 遠い雨の足音
- こごえる紫陽花
- 風見沢高校
- アフターザレイン 〜雨の向こうに〜
- 青い雷雲
- にわか雨 〜雨待ち〜
- 走れ!風のように
- 古い栞 〜それから〜
- 滲んだ夢
- 月に願いを 〜スーパームーン〜
- わくわくガーデン
- Ref:rain (Instrumental Version)
- いつか見る夢
- アフターザレイン 〜雲間の光り〜
主題歌の収録はなく、BGMのみ26曲収録。劇中で流れる音楽は、ファミレスの店内BGMなどの現実音楽をのぞいて、すべて収録されている。
音楽の中心となるのは、「アフターザレイン」と名づけられたメインテーマのメロディと「古い栞」と名づけられたサブテーマと呼ぶべきメロディ。このふたつのメロディがさまざまに変奏されて、劇中に散りばめられている。
トラック1「アフターザレイン 〜メインテーマ〜」は、あきらの恋心を表現する曲。静かなストリングスの前奏から始まり、ピアノと弦楽器がユニゾンでメロディを奏でだす。切なく、やさしく、ノスタルジックにも聞こえる、味わい深い旋律だ。本作の音楽を象徴する1曲である。この曲は第9話であきらと店長がスーパームーンを見上げて語らうシーンなどに流れていた。
トラック10「アフターザレイン 〜君の雨〜」は同じメロディのしっとりとした変奏曲。ピアノソロから始まり、後半はバイオリンやチェロが加わり、しみじみとした情感をかもしだす。こちらは第1話の冒頭のほか、第10話であきらが店長に「いつか店長の言葉を読んでみたいです」と伝える場面などに使われている。
トラック2「古い栞 〜おくれツバメの飛ぶ空〜」は、ピアノソロから始まるサブテーマ。チェロがそっと寄り添い、中間部からはストリングスが旋律を引き継いで、やさしい旋律を聴かせる。第2話でペディキュアを知らない店長にあきらが笑顔を見せる場面など、あきらと店長の気持ちが触れ合う場面にしばしば使われた。
同じメロディをアコースティックギターとピアノをメインに演奏した曲がトラック8の「にわか雨 〜窓たたく雨〜」。こちらもあきらと店長の場面によく流れている。
が、必ずしも「あきらと店長のテーマ」というわけではなく、ピアノとストリングスが演奏するトラック20「古い栞 〜それから〜」は、もっぱら、あきらと幼なじみのはるかとの友情を描くシーンに使われていた。曲の意味や役割を限定しないのは、本作の音楽演出の特徴のひとつだ。
トラック3「いつか見る夢 〜忘れ得ぬ空の下で〜」は、本作のもうひとつのテーマでもある「夢」を表現する曲。あきらや店長が忘れかけていた夢を思い出す場面や、もう一度夢を見てみようと思う場面に流れる重要な曲だ。第10話で店長があきらに飛び立てなかったツバメのの話をする場面などに使用。最終回となる第12話のラストシーンにも使われた。Blu-ray BOXの特典CDには収録されず、単独盤で待望の収録がかなった曲である。
本作には明るい学園ドラマ的な曲も用意されている。トラック4からの3曲「恋のシークレットキャラ」「アフタヌーンホール」「ひまわり」は、あきらのバイト先での日常や学園生活に流れる曲。軽快なリズムとさわやかなメロディで映像を華やかに彩る。本作の音楽の中では脇役的な位置づけだが、映像に変化をつける大事な役割を担っている。トラック11「坂を行くバス」、トラック15「風見沢高校」、トラック23「わくわくガーデン」なども同様である。
トラック7「にわか雨 〜窓たたく雨〜」やトラック9「約束の雨」などは、沈む心や迷う気持ちを表現する曲。本作の音楽の中では心情をストレートに表現する劇伴音楽らしい曲と言える。「約束の雨」は深い残響をつけたピアノの音が雨に濡れた風景を連想させて印象に残る。メインテーマの変奏であるトラック16「アフターザレイン 〜雨の向こうに〜」も同じだ。
トラック22「月に願いを 〜スーパームーン〜」は、弦のピチカートをバックにバイオリンが優雅なメロディを奏でるワルツの曲。スーパームーンといえば第9話のラストシーンが思い浮かぶが、その場面にはこの曲は流れていない。しかし、曲のムードをうまくとらえたタイトルだ。第2話で思わず店長に告白してしまったあとのあきらや、第6話で願いがかなうキーホルダーを手に入れようとカプセルトイ自販機を回し続けるあきらなど、あきらの乙女心を描くほほえましい場面によく流れていた。
トラック24の「Ref:rain(Instrumental Version)」は本作のオープニング主題歌「Ref:rain」のピアノとストリングスによるアレンジ曲。本編で流れたのは1回だけ。しかし、それが必殺の名場面。第7話で風邪をひいた店長を見舞いに部屋を訪れたあきらを店長が思わず抱きしめてしまうシーンである。実写ドラマだと歌入りで主題歌が流れるような場面だ。が、落ち着いた曲調のインストルメンタルで控えめに演出するのが本作の流儀。あきらの気持ちになってドキドキしてしまうか、店長の気持ちになって切なくなってしまうか、とにかく本編を観てしまったあとでは平静な気持ちでは聴けない。
全12話の中では中盤で一度だけ流れた曲なのだが、アルバムの終盤に収録されていることに違和感はない。その第7話の場面が全編を通してのクライマックスとも言えるからである。『恋雨』の世界を再現するアルバムとして、みごとな構成だ。
トラック25「いつか見る夢」はトラック3のメロディをアコースティックギターとピアノ、ストリングスを中心に演奏した曲。後半はトランペット、フルートなどが加わり、メロディを歌い継いでいく。第3話であきらが陸上部の練習を見学する場面や第12話で店長の息子に走り方を教えていたあきらが自分ももう一度走ってみたいと思い始める場面に流れていた。
本作の物語の後半は、あきらと店長の恋のゆくえよりも、2人がそれぞれの「あきらめていた夢」を取り戻す展開がメインになっていく。そのドラマを支えた曲である。
そして、最後の曲は「アフターザレイン 〜雲間の光り〜」。メインテーマの変奏の中でも、ストリングスとピアノにホルン、フルートなどが加わったスケール感のあるアレンジで、「大団円」のイメージがある曲だ。第12話のラスト近く、青空の下を走るあきらのイメージシーンに流れ、あきらの心の中で「雨が上がった」ことを印象付けた。「雲間の光り」とは希望を感じさせるいいタイトルだ。
本作は吉俣良の持ち味と実写作品での経験が生かされたアニメの代表作と言える。切なさをたたえたメロディや本人が弾く繊細なピアノの音色など、音楽単体での聴きどころも多い。ゆったりと流れる音楽にひたると、『恋雨』に刺激されたさまざまな心情が浮かんでくる。26曲だけで、これだけ豊かな世界が描けていることに驚く。
アルバムも充実している。サウンドトラック・アルバムを聴いて「あの曲が入ってない」と不満が残ることがあるが、本アルバムにはその心配はない。必要な曲はすべて収録されているし、通して聴いても満足できる。ファンも納得の名盤である。
なお、本CDはAmazon Recordsのオンデマンド商品。通常のCDではないので一般流通には乗らないし、中古市場にも出にくい。そして、オンデマンドだからいつでも買えると安心していると突然入手できなくなったりする。気になる方は早めに手に入れることをお奨めする。
アニメ「恋は雨上がりのように」オリジナル・サウンドトラック
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