COLUMN

第655回 アニメーターとしての終末(3)

 前回からの続きで、アニメーターという職の行く末についてです。結局巧くてフリーのスーパーアニメーターが個人的に「1カット○万円で」や「リテイクは受け付けない条件、且つラフ原までで○千円なら」などと、一見「正当」に見える値段交渉、早い話がギャラのつり上げをしたって現状は何も変わりません。もちろんSNSやらで「アニメーターの苦しさ」を訴えたり、記事に飢えたネットニュースにのせられて業界人を代表したつもりで語った持論など、ここ数年で自分も2〜3回取材を受けましたが(汗)、正直ほぼ意味がないと思ってしゃべってました。なら、なぜ受けたのか?ただの確認です。この連載も同じ機能ですが、自分が今現在考えていることを「たまに(適度に)」まとめて(語って)記事になったものを客観的に確認・反芻することが、頭の悪い俺には必要だと思うからです。余程の知識人や喋りのプロでもない限り、主観的な言いっ放しの乱打は人間性がドンドン壊れていきそうで。やり過ぎは逆効果。目的が自己顕示になっては本末転倒。だから板垣の場合は、あくまで「たまに」です。
 話が逸れました、スミマセン。そう、改めて、刹那的なギャラ高騰やSNSなどによる呼びかけ、そして業界人インタビューなんかでは、アニメーターの待遇改善には何も寄与しないと思います! さらに「アニメ業界の夢」を盛り込んだドラマやアニメも、多少のアニメーター志望者の増加には繋がるかもしれませんが、結局現場でアニメーターをやってみれば、フィクションと現実の世界とのギャップに打ちのめされるだけ。アニメ業界に必要なのは、国の言うところの「働き方改革」と「作り方改革」! です。それには制作会社だけに「改革しろ!」と言ってるだけではダメ。メーカーやTV局など、制作費を集める側に「もっと金出せ!」と迫ったりするだけでももちろんダメ。アニメーターはじめスタッフ皆の意識改革が必要なんです。なぜなら

アニメ制作は単純にタイムカードを押した上での時給換算が極めて難しい集団作業だからです!

 原画も動画も仕上げも美術も撮影も、各セクションすべてが「各カットの内容の難易度」によって、1カット1時間で上がるモノから2〜3日かかるモノ、中には1週間かかる激重カットまでさまざま。これで時給換算してたら、手が遅い人、下手な人ほど、残業手当で大もうけの仕組みが出来上がるというわけ。そうしないためには各スタッフの1日分の生産量のアベレージをとって会社が管理することが「働き方改革」の今だからこそ必須。フリーで出勤時間も自由、遊びながら描くのも自由、そんな遊びの延長上にあるフリーランスのスタッフで8割占めた計算皆無の作り方に対して、メーカーだってこれ以上制作費なんて集められないでしょう。

何十年と続いた安月給を言い訳にした自由三昧の結果が現在なんだ! とすべての業界人が反省するのがまさに今!