COLUMN

第553回 小学生板垣

2人で1人、藤子不二雄先生!!

 藤子先生に関しては、かなり以前にも2〜3回触れたので詳しい解説は割愛しますが、自分にとっての「藤子不二雄」とは、初めて意識した「作家」なんです。俺の記憶では、手塚治虫先生よりも先に憶えた名前で、もちろんそれまでもアニメは観ていたけど、原作者が誰かなんて気にもしたことがなかったわけ。ところが1979年に放映開始した『ドラえもん』、続く『怪物くん』で

あ、どうやらアニメには元になるマンガがあって、それを「原作」と呼ぶんだ! で、『怪物くん』は『ドラえもん』と同じ藤子不二雄という人がマンガを描いているのか!

と認識できたのでした。もちろん1987年にコンビ解消される前なので、同じ原作者という体での記憶です。原作の存在が分ってからの板垣は、藤子不二雄マンガに夢中になっていき、『ドラえもん』『怪物くん』の後も『プロゴルファー猿』(TVスペシャルのちシリーズ)『忍者ハットリくん』『パーマン』と80年代半ばの藤子アニメ全盛期とともにあった小学生時代を過ごしたのです。藤子アニメの新作が放映されると、すぐにそのキャラをそらで描けるようになって、クラスの皆のラクガキ帳に描いてあげて喜んでもらえることが自分でも嬉しい、という毎日。小学生の時は、よく絵画で賞状だの盾だのをもらってましたが、それはたいして嬉しくなかったのに、目の前のクラスメイトが、自分の描く藤子キャラで喜んでくれるのが本当に嬉しくて、調子にノッて描きまくりました。
 で、ついには自分でもマンガを描きたくなり、家ではオリジナルのマンガを描き始めたのです。それが小学3年生ごろ?

あ、ちなみにアニメの仕事でも
なんとか賞や権威にはまったく興味ありません!