COLUMN

第527回 巧くなるには、の続き

 前回の「遮二無二描く」云々同様、大塚康生さんからいただいたお話。

皆、今持ってる巧い先輩の描いた原画のコピーとか有名なアニメーターの原画集なんかは、箱に詰めて押し入れの中にしまいなさい! そして2〜3年開けなかったモノは、どーせ必要ないんだから捨てなさい! そーいったモノは「持ってるだけで自分が巧くなったと勘違いする」から! 結局自分が描けるようにならなきゃ意味ないんですよ!

 これは思い当たる人、多いのでは? 俺の場合、もともと友達から貰うことはあっても、自ら欲しがってコレクションする趣味がなかったので捨てるモノもなかったんですが、この話を同期のアニメーターにしたら「耳が痛い」と言ってました。「アニメーターはまずどんな物でも自ら描き出せる技術を持っていなければならない」ってこと! 「水? ああ、僕いい原画のコピー持ってるよ!」「爆発? それなら○○様の原画集を見るべきだ!」と誰かの参考がないと描けないってアニメーター、結構いるんです。もちろん誰でも最初は模倣から入るわけで、大塚さんだってそんなことは百も承知のハズです。大塚さんが仰りたいのは「巧い人の画を見るのもほどほどに!」ってだけで、原画集をめくっただけで描きもしない、アニメ教養主義に警鐘を鳴らしているのだと思います。「アニメーターは描いてナンボだからね」ともよく仰ってました。

宮崎(駿監督)は僕より10若いけど、会った時点で
「あ、この人は僕より(画を)描いてる!」とすぐ分かった!

 大塚さんは自分らの前では宮崎駿監督のことを、雑誌などのコメントによくある「宮さん」とかではなく、先輩らしく「宮崎」と呼び捨てにされてましたが、敬意は感じました。ま、この言葉も「描いている量」ですね、つまりは。あと、

月10カットしか描けない人と、月100カット描く人とでは、
10倍の経験値の差ができる!

とも。話される度に100が300になったり数字は異なりましたが、これも大塚さんがいかに「仕事とは量である」ということに拘ってらしたのか、な言葉でしょう。俺個人はもっとダイレクトにこう言われました。

 当時、手が遅かった自分に今でも突き刺さっている言葉です。これ何回か言われました、たしか。恐らく「板垣は遅ぇ遅ぇ」と社長から大塚さんに伝わってたんでしょう。

3秒のカット(動き)は3秒で描くつもりで!
3秒はオーバーでもね(笑)、せめて3時間! 3日、3週間と
延びれば延びるほど、何か違った動きになる!

って話もありました。つまり「実際目で見えるスピード感を大事にしなさい」ってこと。そういえば大塚さんはよく「この秒数ではそんなとこ見えないよ」と仰ってました。別に大塚さんは手抜きを推奨してるのではなく、「視聴者に見せたいところをハッキリさせるため、見えない部分はほどほどに引きなさい!」という意味のことだと思います。これは俺も演出をやって何百カットもチェックするようになった時、本当に実感しました! 本編全体で見ても「カットの尺に合わせた情報量の操作」は究極のテーマなんです。かと思うと大塚さんは、

アニメーションは妥協の産物だ!

と誤解を招きかねないことを言ったりもします。実はこれも深い言葉で、「アニメは”ほどほどに拘って作る”べき!」ってことかと。これは板垣が後輩によく言う、

現在50点の自分を自ら認めた上、65点ぐらいまで頑張って直し、
「まだ巧く描けてない」と分かってても作業を先へ進めなきゃ作品は完成しない!!

てのとよく似てると思います。大塚さんご自身も「僕でも10カット中1〜2カットですよ、巧くいったと思えるカットは」と。ね? あのキャリアの大師匠・アニメ業界の最重鎮をして「ある程度の妥協は必要である」と提唱してるんですよ。深い。