COLUMN

第86回 メガネの向こうの電脳世界 〜電脳コイル〜

 腹巻猫です。「シン・ゴジラ」観てきました。いろいろすごいです。今、日本で作られるべきだった作品、と感じました。ネタバレが目に入ってくる前に、ぜひ劇場で体験してください。


 夏休みに入ったばかりの日本を席巻したモンスター。といってもゴジラのことではなく、ポケットモンスターのことだ。7月22日に日本配信が始まった「ポケモンGO」は子どもから大人まで巻き込んだ社会現象になった。
 現実の情景にコンピュータが作り出した仮想現実を重ねあわせるAR=拡張現実という技術が使われた「ポケモンGO」。そのアイデアにTVアニメ『電脳コイル』を連想したアニメファンも多いのではないか。
 『電脳コイル』は2007年5月から12月までNHK教育テレビ(Eテレ)で放送されたTVアニメ作品。原作・脚本・監督を磯光雄が手がけたオリジナル作品である。
 時は2020年代。「電脳メガネ」というメガネ型モバイルコンピュータが普及した時代。人々は電脳メガネを通してインターネットにアクセスし、コミュニケーションを取り、電脳ペットを飼ったりできるようになっている。電脳ペットとは、肉眼では見えないが、電脳メガネをかけると目の前に現れて一緒にいられるペットのことだ。電脳ペット・デンスケを飼う小学6年生の小此木優子=ヤサコは、電脳メガネを通じて電脳空間にまつわる不思議な事件にかかわっていく。
 舞台は金沢市の近くに設定された大黒市という地方都市。神社仏閣が立ち並ぶ古い町並みと電脳世界が重なりあって存在する電脳都市だ。サイバーパンクの少年ドラマ版とでも言おうか。懐かさを感じる風景と電脳空間が結びついた世界観がユニークだ。細部までよく考えられた設定には「未来の日常風景はこんな感じかもしれない」と思わせるリアリティがあり、SFのセンス・オブ・ワンダーにあふれた作品だった。本作は2008年にSFファンが選ぶ星雲賞メディア部門と日本SF作家クラブが選ぶ日本SF大賞を受賞している。

 そんな『電脳コイル』の音楽を担当したのは斉藤恒芳。音楽ユニット「クライズラー&カンパニー」のメンバーとして活躍した音楽家である。
 1965年生まれ、静岡県伊豆市出身。7歳よりクラシックピアノを学び、9歳にして作曲を始める。東京藝術大学音楽学部に進学。在学中の1990年より、バイオリニスト・葉加瀬太郎、ベーシスト・竹下欣伸と共にクライズラー&カンパニーを結成して活動を開始した。
 1996年にクライズラー&カンパニーが解散した後は、作・編曲家、音楽プロデューサーとして活躍。TVドラマ「それぞれの断崖」(2000)、「仮面ライダーキバ」(2008)、「MM9」(2010)、TVアニメ『時空転抄ナスカ』(1998)、『闇の末裔』(2000)、『蒼穹のファフナー』(2004)、『アイドルマスター XENOGLOSSIA』(2007)などの音楽を担当した。また、歌手・アーティストへの楽曲提供やプロデュース、バレエやミュージカル等の舞台音楽、CM音楽、TV番組テーマ音楽など、幅広い活動を行っている。
 電脳世界が題材のアニメの音楽というと、シンセサイザーを多用した電子的なサウンドが使われるのではないかと想像する。ところが本作の音楽はピアノ、バイオリン、フルート、サックスなどの生楽器を中心にしたクラシカルなサウンド。電子楽器をメインに使った楽曲もあるが、全体としてはシンセサイザーが主役の音楽ではない。
 もともとクライズラー&カンパニーが得意としたのは、クラシック音楽と電子音楽を融合させたクラシカル・クロスオーバーともいうべき音楽だった。古典的なオーケストラ音楽と最新の電子音楽との融合。その音楽性を引き継いだ斉藤恒芳の音楽は、昔ながらの町並みと最新電脳技術が融合した本作の世界観にぴったりだ。
 サウンドトラック・アルバムは放送開始間もない2007年5月に「電脳コイル サントラ音楽集」のタイトルで徳間ジャパンから発売された。2枚組38曲入りのボリューム。個人的に、この「サントラ音楽集」というタイトルが気に入っている。昨今、「サウトラ」という聞きなれない呼称が目に触れたりするだけに、堂々と「サントラ」と謳ったアルバムタイトルの響きはとても気持ちよい。
 収録内容は以下のとおり。

〈DISC 1〉
  1. プリズム TV EDIT(歌:池田綾子)
  2. 予兆
  3. 暗黒の街からの脱出
  4. 悲しみの過去
  5. 鳥居の町
  6. 異世界
  7. 神秘
  8. 悲しみ
  9. 不思議な声
  10. 勇気
  11. 町の灯
  12. 静かな夜1
  13. 静かな夜2
  14. 笑顔
  15. 悪巧み
  16. 夕焼け
  17. 友情
〈DISC 2〉
  1. 空の欠片(かけら) TV EDIT(歌:池田綾子)
  2. 企み
  3. 戸惑い
  4. 行列
  5. 木洩れ日
  6. 戦い
  7. 対峙
  8. 子供の遊び
  9. 導く者
  10. 鼓動
  11. 光射す道
  12. 漂流
  13. 疾走
  14. 孤独
  15. 届かぬ思い
  16. 焦り
  17. 歪んだ風景
  18. 電脳都市

 DISC 1とDISC 2のそれぞれ1曲目にはオープニング主題歌「プリズム」とエンディング主題歌「空の欠片」が置かれている。
 サウンドトラックの話をする前に、この主題歌について触れておかなければいけない。作詞・作曲・歌唱を担当したのはシンガーソングライターの池田綾子。
 放送当時、テレビから流れてくる主題歌「プリズム」を聴いたとき、ちょっとした衝撃を受けた。ミステリアスなイントロから、心をぐっと惹きつける歌い出し。味わい深い歌詞とメロディ。『電脳コイル』の世界観をみごとに表現したすばらしい歌になっている。
 池田綾子は磯監督らスタッフとのミーティングを重ねて楽曲を書き上げたという。エンディング「空の欠片」は30分ほどでできあがり、すぐにOKになった。が、オープニングは難産だった。明るい曲、冒険ものっぽい曲などを書いたがイメージが合わない。悩んだ末に書いた、ちょっと暗いマイナーの曲が採用になった。この1曲に『電脳コイル』の世界が凝縮されている。21世紀に入ってから作られたアニメソングの最高傑作のひとつだと思う。
 さて、サウンドトラックのほうは「予兆」という事件の始まりを予感させる曲からスタートする。本作の主役は、コイル電脳探偵局という少年探偵団のようなグループに所属する少年少女たち。主人公のヤサコもまた、ある事件を通して電脳探偵局のメンバーになる。そのため、電脳空間の事件を表現するミステリアスな曲やサスペンスタッチの曲がふんだんに用意されている。
 DISC 1では、打ち込みのドラムをバックに弦のスリリングなフレーズが駆け巡る「暗黒の街からの脱出」、大黒市の不思議な雰囲気を描写するピアノと木管の曲「鳥居の町」、ずばり「異世界」というタイトルがついた曲や、ミステリアスな「影」「神秘」「不思議な声」「悪巧み」「謎」などがミステリー系の代表曲だ。
 興味深いことに、これらの曲の多くに、短いフレーズを反復するミニマルミュージックの要素が盛り込まれている。ミニマルミュージックというとコンピュータで作られる音楽のようなイメージがあるが、生楽器によるミニマルミュージックももちろん存在する。『電脳コイル』の音楽では、生楽器とシンセサイザーを組み合わせたミニマルミュージック風の音楽で、電脳都市に生きる子どもたちの冒険を表現しているようだ。しつこく反復される音型と素朴なメロディの組み合わせは、シンプルだけれど単調ではない。サスペンスタッチでありながら、どこかユーモラスで人間的だ。それが、本作の音楽のねらいのひとつだと思う。
 いっぽう、ヤサコと家族や仲間たちとの交流を描写する情感曲も充実している。
 エリック・サティ風のピアノ曲「悲しみの過去」は第1話冒頭、大黒市に引っ越してきたヤサコが電車の中で妹のキョウコと会話する場面に流れた曲。「悲しみの……」というタイトルだが、ふわふわっとした中間色の気持ちを感じさせる環境音楽風の曲だ。
 ハープとフルート、ストリングスによるもの悲しい「街の灯」、マーチ風のリズムの上で踊る木管の音色がユーモラスな「笑顔」、ハーモニカのメロディがノスタルジックな「夕焼け」など、ぬくもりのある音楽がいい。ヤサコたちが出会う不思議と不安、よろこびや哀しみを彩る少年ドラマ風の楽曲。サスペンスタッチの音楽と並ぶ、本作の音楽のもういっぽうの主役である。
 DISC 2に収録された「届かぬ思い」は重要な曲だ。ギター、ハーモニカ、フルート、ストリングスによる切ないナンバー。第13話「最後の首長竜」では少年デンパとクビナガと呼ばれる電脳生物の友情のテーマとして繰り返し流れている。第24話ではデンスケを喪ったヤサコが胸の痛みを感じるシーンに、第25話ではヤサコが忘れていた幼い頃の記憶を取り戻す場面に、また最終話ではヤサコが電脳空間で天沢勇子=イサコを救おうとする場面に選曲された。
 斉藤恒芳はサントラ盤のブックレットで、磯監督が打ち合わせのときに語った言葉が本作の音楽全体のキーワードになったと語っている。それは、「夕焼けの美しさと寂しい感じ」。「届かぬ思い」は、そのキーワードを象徴するような楽曲である。
 最終回が近づくにつれて、弦楽器が主体の情感曲が活躍する場面が多くなった。DISC 1に収録された「悲しみ」は本作のもう1人の主人公であるイサコの心情を描写する曲として、終盤でよく流れた曲。第21話でイサコが「兄さんはもう死んでいる」という謎の声に心を乱される場面、第25話で電脳空間で迷うイサコにヤサコが「一緒に帰ろう」と声をかける場面、最終話で「あちらの世界」に住むミチコさんがイサコを誘う場面などで使用された。メランコリックな曲調が悲しみと苛立ちの入り混じったイサコの複雑な心情を表現して、聴いているこちらも心がかき乱される。
 DISC 2に収録された「焦り」も波立つ心情を描写する曲。不安な弦の刻みからフルートとハープが加わって抒情的に展開、ふたたび弦の刻みになって終わる。第25話でイサコを救うために伝説の「はざま交差点」を捜すヤサコの場面に選曲された。
 最終回のクライマックス、イサコがヤサコの呼びかけに答えて現実世界へ帰還する場面では、DISC 1のラストに置かれた「友情」が流れる。曲はやさしいピアノソロに始まり、ストリングスと木管が加わって、感動的に盛り上がっていく。「友情」という曲名の響きがとても胸に沁みる秀逸な選曲だ。
 そして、最終回のエピローグに流れるのが、エンディング主題歌「空の欠片」。1番の歌入りからカラオケにつながって流れ続け、ラストカットは最後のピアノのフレーズとともに締めくくられる。ひとときの冒険を終えた少女たちの成長と未来への希望を感じさせるラストシーンに「空の欠片」がすばらしい余韻を残してくれる。オープニングとはまた違ったアプローチで書かれた歌詞は、本作のテーマのひとつである「繋がり」を歌ったもの。ピアノ、ギター、パーカッション、ストリングスなどによるバックトラックは斉藤恒芳によるBGMとも遊離せず、作品世界に自然になじんでいる。本作の音楽では、主題歌のカラオケも最重要楽曲のひとつなのである。
 『電脳コイル』の放送から10年。「ポケモンGO」が流行した夏に、本作をもう一度観直し、サントラを聴いてみるのも楽しいと思う。

電脳コイル サントラ音楽集

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プリズム/空の欠片 [MAXI SINGLE]

※池田綾子が歌う主題歌シングル。イメージソング「旅人」とカラオケも収録。
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