COLUMN

55 『心が叫んでるんだ。』ではなくて『叫びたがってるんだ。』

 『心が叫びたがってるんだ。』のタイトルについて書いておきたいと思っていた。この作品のタイトルは『心が叫んだんだ。』でもなければ、『心が叫んでるんだ。』でもない。『心が叫びたがってるんだ。』なのである。最初にこのタイトルを目にした時から、そこが気になっていた。

 本作は長井龍雪監督、岡田麿里、田中将賀によるオリジナルの劇場アニメーションである。彼等はこれまで登場人物が自分の想いを力強く言葉で伝える作品を手がけてきた。3人が初めて組んだ『とらドラ!』でも、主人公の高須竜児やヒロインの逢坂大河達が自分の想いをぶつけあっていた。次に3人が手がけたオリジナル作品『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の最終回では、じんたん達をはじめとする超平和バスターズの面々が大いに泣き、大いに叫んだ。『あの花』はまさしく「心が叫んだ作品」だった。
 『心が叫びたがってるんだ。』は成瀬順、坂上拓実、仁藤菜月、田崎大樹の4人を主人公とした青春ドラマである。順は幼い頃のある体験が原因となり、言葉を発する事ができなくなっていた。言葉を発する事ができない彼女は、自分の気持ちを伝えるためにミュージカルに挑む。それを拓実、菜月、大樹、そして、クラスメイト達が応援する。これがこの作品の大筋だ。
 ポスター等に使われたキービジュアルのひとつに青空を背景に順、拓実、菜月、大樹が大きく口を開けて歌っているものがある(「アニメスタイル008」の表紙にも使われているイラストだ)。このキービジュアルは映画の内容を知らなければ4人が叫んでいる画にも見えるように描かれている。『あの花』スタッフの新作という事と『心が叫びたがってるんだ。』というタイトル、このキービジュアルのイメージで、彼等がクライマックスで想いを言葉にして叫ぶ映画だろうと予想したファンもいたのではないか。
 だが、本作を鑑賞された方はすでにご存知のように、劇中で自分の想いを叫ぶのは順のみである。大樹は抱えていた想いを、叫びとは違うかたちで表現しているし、拓実と菜月が互いの想いを叫ぶのはエンドマークの後なのかもしれない。

 『心が叫びたがってるんだ。』は『とらドラ!』『あの花』で登場人物に想いを叫ばせた長井、岡田、田中が、あえて「なかなか気持ちを伝える事ができない若者達のドラマ」に挑んだ作品だと考える事ができる。
 なにしろ、物語の中核にいる順が、言葉を発する事ができなくなっている少女である。その設定だけでも気持ちを伝える事のハードルがとんでもなく上がっている。また、本作は作品世界のリアリティレベルが『とらドラ!』『あの花』よりも少し高い。それが気持ちを伝える事の難しさに繋がっているはずだ。
 順、拓実、菜月、大樹はそれぞれ誰かに伝えたい想いを抱えており、それを吐き出せずにいた。つまり、彼等は「心が叫びたがってる若者達」だった。ミュージカル本番までの日々の中で「心が叫びたがってる4人」は自分の想いを叫ぶ事ができるのか、伝えたい相手に伝える事ができるのか。これはそんな物語だったのだろう。心は叫びたがっているけれども、叫ぶ事ができるかどうかは分からない。だから、この物語のタイトルは『心が叫んだんだ。』でもなければ『心が叫んでるんだ。』でもなく、『心が叫びたがってるんだ。』なのだ。

 本作の魅力は、力一杯に想いを伝えた事によって生じるカタルシスにあるわけではない。想いを相手が受け止めてくれる幸福感にあるわけでもない。『とらドラ!』や『あの花』とは違うのだ。心が叫んでも、相手は受けて止めてくれないかもしれない。叫ばなくても想いは伝わるかもしれない。叫ぶ事ができず、足踏みする事もあるだろう。叫びたがっている心を抱えた若者達の青春群像。やや現実寄りの物語だからこそ描く事ができる切実さ、そして、切実さと表裏一体の爽やかさがそこにある。
 『心が叫びたがってるんだ。』というタイトルをつけたのは岡田麿里だそうだ。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の「花」が何を示すのかを視聴者に考えさせたのと同じく、観客に「どういう意味なのだろうか」と考えさせる凝ったタイトルであり、さらに作品の本質を示したものであると思う。

(2016/04/05)

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