COLUMN

第407回 マキEDと先生の話

こないだエンディングを作った『鬼灯の冷徹』OADが
そろそろ発売間近なようです!

 ピーチ・マキのEDでコンテ・演出やりました。作画はミルパンセです。ほんの3ヶ月前——このマキEDを作ってた時は10人に満たない会社だったのに、今年の春には20人越えになる予定。『てーきゅう』の制作中にも人は増えそうで楽しみです。思えば2年前、会社(スタジオ)を作る際「自分と同年代のベテラン級に声をかけず、ゼロから新人を採って育成するところから始める!」と決めてました。よくあるのは友人・知人らベテランと組み、その中心メンバーの給料を確保し、さらに企画モノにする「いきなり大事業!」コース。その場合、中心メンバー何人が月々いくら貰うかにもよるのですが、スタジオ内格差が起こりやすく自転車操業になりがちです。それより「全員新人の総合力」を売りにしようと。そんな会社なんです。
 話は飛んで、数日前母校東京デザイナー学院の飯島正勝先生より電話があり、某劇場作品を「手伝ってくれない?」という話でした。自分にはアニメの先生が何人かいて、テレコムの時は大塚康生さん・友永秀和さん・田中敦子さん、そして東デの時は小田部羊一先生にこの飯島先生です。思えば俺が東デに通って先生方のお世話になってたのは22年も前(!)。あの頃飯島先生はたしか劇場版『幽☆遊☆白書 冥界死闘篇 炎の絆』(1994年公開)の監督をされてた時期だったと思います。卒業してからも、ちょくちょく会ったりお話ししたりしてますが、やっぱり20年以上経て、プロの現場で仕事の話をしてるのは感慨深いものです。今の自分と同じ歳の時、飯島先生は劇場『幽遊』作ってたんだ〜と。あの頃の飯島先生は小田部先生や奥山玲子先生、黒田昌郎先生ら東映動画出身の巨匠格講師(やや権威主義気味に正直当時はそう思ってました)より、ずっと身近な兄貴分的な方だったので、かなり下らない駄話にも優しく付き合ってくれたんです。例えば、そーとーファン的なノリで「金田(伊功)さんてパース歪んでますよね〜」的なかなり失礼に軽々しく話題にしても、キサクに「あのパースがカッコいいんじゃねーか」とか返してました。そんなファン的駄話って学生の頃案外重要で、業界に対する「夢」が膨らみます! で、その学生時代の影響からか、今教えてる新人にとって業界的になんの権威もない自分も、どんなファン的ノリの話題が飛んできてもなるべく知ってるだけ話すようにしてます。

はたして、ウチの新人らは20年後、今の俺の事をどう思い返すのでしょうか?

 で、飯島先生の仕事のお手伝いの件は