COLUMN

第402回 80年代後半〜90年代へ

去年の年末、20数年ぶりに中学の時の友人と再会しました!!

 しかもこのコラム(?)の連載のおかげで、です。我々が中学生の頃は携帯電話がなかった時代なので、卒業したら近所に住んでるごく一部の友人を除き大概は疎遠化するもので、さらに自分の場合、高校を出てすぐ東京に来てしまったから尚の事です。ところが一昨年(2013年)9月頃、アニメスタイル様の方にある人物から「子どもたちと楽しく『てーきゅう』観てます——中学生の同級生より」とのメールが送られ、アニメ様(小黒さん)より転送していただきました。のちに連絡をとる事に成功し、去年(2014年)末ようやく再会できたのです。

 名古屋市立昭和橋中学校での同級生R・A君でした!

 そりゃそうです、20数年ぶりですよ。もうお互い妖怪でしょう。R君とは結構アニメの話をした覚えがあり、例えばあの時代(1980年代後半)だと『ミスター味っ子』(1987〜89年 監督/今川泰宏 制作/サンライズ)。美味しいモン食べて

うまいぞーっ!!

と吠えるアニメです。『味っ子』は『プロゴルファー猿』(1985〜88年 監督/西村純二 制作/シンエイ動画)と並んで、その時期俺の大好きなアニメでした。今にしてスタッフデータを調べてみると、『プロゴルファー猿』の脚本・城山昇さんとコンテ演出・今川さんがメインで『味っ子』を作ってるとこを見ると、とにかくオーバーアクションのバカ(もちろん良い意味での)アニメが自分、好きだったんでしょう。そりゃ口から光線吐いて吠えるアクションは頭の悪い小中学生男子にとっては恰好のネタで、皆大好物だったと思います。現に回を増すごとにエスカレートする味皇リアクションに、最初は「昨日の『味っ子』観た?」だったR君との確認(?)も間もなく

昨日の「味皇」観たぁ!?

に変わりました。

 R君の話はともかく、俺が「アニメの演出」に興味をもったのがこの時期なのは間違いありません。出崎統監督の名前だけでなく、宮崎駿監督、高畑勳監督、富野由悠季監督らの仕事もこの頃知り、OVA『エースをねらえ!2』に夢中になり、『となりのトトロ』『火垂るの墓』『起動戦士ガンダム 逆襲のシャア』などが公開され、劇場に足を運びアニメに夢中になり始めたんです。
 で、その流れで90年代へ突入。出崎監督やりんたろう監督ら虫プロ出身の方々は活躍の場をOVAへと移し、宮崎・高畑両監督(東映動画出身)と押井守監督(タツノコ出身)らがまんが映画であったアニメを「映画」の格へと持ち上げるべく、次々と「劇場映画」を発表し始めるわけです。自分はこのあたりのアニメによって育てられたようなモノなので、折に触れてヤマカン(山本寛監督)さんやまわりのアニメ人らと話をします。それは決して「昔はよかった」話ではなく、むしろ「わだかまり」と言った方が近いでしょう。その「90年代のわだかまり」になんとなく自分なりの決着をつけるため、

『宮崎駿監督作品集』なるBD-BOXを買いました!!

 これでようやくヤマカンさんより「是非、板垣さんの感想を聞きたい!」 とのご期待に応えられる?