●2013年10月10日(木)
もともとの任務からいえば12日朝の新幹線に乗ればよかったはずだったのだけど、せっかくだからあれもこれも、という用事が積み重なって、11日朝には山口県に立っていなければならなくなった。なので、19時30分東京駅八重洲口発の防長交通の高速バスに乗ることになった。
見ると同じバスの乗客の中に、12日以降の参加者の方が早くもおられた。それから『マイマイ新子2014年カレンダー』の出版元になってくださった防府日報の社長もおられた。この人たちは防府まで乗っていかれるのだろうけれど、自分はその手前、徳山で降りる予定。
●2013年10月11日(金)
徳山駅前には午前7時24分到着予定だったが、途中の道の関係で1時間20分遅れになった。
バスを降りた途端、通る人から、
「監督!」
と呼びかけられてアセった。
「監督……ですよね?」
「はい」
「13日の参加者です」
ああ、そうでしたか。4年も続けている催しの裾野の広がりを、はからずも思い知ってしまった。
徳山駅の駅まで、防府日報の宮村記者と待ち合わせ。宮村さんの車で周防大島へ向かう。周防大島は、呉とは広島湾の反対側。前回9月1日の比治山大学講演のとき知り合いになった方が周防大島在住で、島には民俗学者・宮本常一の記念館があるから訪ねてみては、といってくださったのだった。
宮本常一(1907-1981年)は、武蔵野美術大学の教授になって、美大生を使って研究対象の集落を考現学的に記録したり、自分もカメラを持ち歩いて写真を撮りまくったりと、民俗研究をビジュアル的に進めた人だったので、かねてからこの人の本や写真にはずいぶんお世話になっていた。たとえば、この人が関わったもののひとつとして『絵巻物による日本常民生活絵引』があるが、これはビジュアル的な民俗研究を平安時代にまで推し進めて、当時の絵巻物や扇面図などで「庶民の生活がどんなふうだったのか」を絵解きにした本だ。『マイマイ新子と千年の魔法』の「千年前の世界」なんて、これがなければ手も足も、いや、手くらいはなんとか出ても足は絶対に出せなかった。
周防大島に渡ると、とりあえずまず久賀歴史民俗資料館へ行った。ここは宮本常一の教えに従って、放っておけば捨てられて消えゆくはずの日々の生活の道具を収集したところで、石臼なんか数えきれないくらいあって、醤油の醸造場から丸ごと譲り受けられたという巨大な醤油樽が無数に並ぶのが、そのまんままるで映画のセットみたいで圧巻だった。醤油の香りがまだ漂っていた。そこでわれわれは、樽の一つ一つに墨で書き込まれていた「日付」と「番号」に注目してしまったのだが、あいにく樽の製造番号なのだか、製造時期なのだかまではよくわからなかった。
次いで、こここそ宮本常一の記念館というべき場所である周防大島文化交流センターを訪れた。入り口脇の販売コーナーに並んでいる、このセンターで出版している『宮本常一写真図録』の1冊を手に取ってみたら、いきなり「夏服の貴伊子」の写真があった。江田島の船着き場で撮られた小学生の女の子の写真なのだけれど、この同じ写真を杉並の図書館で見て、着ている洋服をちょっとあしらい直して、『マイマイ新子と千年の魔法』の貴伊子の夏服として使ったのだった。辻繁人さんが描いたキャラ表には、宮本常一の写真の女の子とまるで同じポーズで貴伊子が描かれている。そうか、思えばこの子は江田島の子だったのか。
センターの学芸員の方に話をうかがう。
「宮本常一は膨大な写真を撮り残したですが、そのカメラも展示してありますが、一番最後はオリンパスPENを使っていて。なんでかというといっぱい撮れるからなんです」
「ああ、ハーフだから同じフィルムで倍撮れる」
「そうなんです」
取材中の宮本常一の写真を見ると、オリンパスPEN-EEのストラップを片手にかけていた。この同じカメラはうちの父親も使っていて、自分も小学生の頃はよく使わせてもらっていた。35ミリフィルムの1コマに2枚撮れるので、いっぱい撮れるのだが、焼きつけるときになるとやたらDPE代がかかってしまうのだった。
「ところが、そのー、うーんなんというのかな、宮本常一は写真の腕前がもうひとつで……」
「手ブレが多い?」
「そうなんですよ。ピンボケというよりブレてるのばっかりで、9割は私達でも何が写ってるのだかまるでわかりません」
たしかに。写真の中の宮本常一はカメラをひっかけるように片手で持っている。
宮本常一は瀬戸内海の段々畑の写真もたくさん撮っていたはずなので、その辺の何かが見聞きできないか、というのがここを訪ねたこちらの大きな目的でもあった。
「段々畑の法面って、石組みの場合と土の場合とありますよね」
「島によって違ったりします」
「同じ土地で、こっちの段々畑は石組みなんだけど、ちょっと行くと土になる、という場所がありまして。呉で、なんですが」
いろいろ考えていただいたのだが、結局のところ同じ場所でそうした違いがなぜ生まれたのかよくわからない、ということになる。
「宮本常一は呉は(研究のためには)行ってなくって」
「あれ? そうなんですか?」
「島嶼に興味がある人でしたから」
なるほど。
それでも、学芸員の方からは、段々畑の土の法面の固め方が載っている、という本の書名を紹介していただいた。さっそくインターネットで古書を注文してしまう。「夏服の貴伊子」の載っていた『宮本常一写真図録 第1集』も懐かしかったので、このセンターで買ってしまう。
ふと見たら宮本常一関係の展示の反対側に普通の図書館が併設されていて、新着図書としてこうの史代さんの『この世界の片隅に』がバーンと目立つ場所に置かれていた。
別れ際に学芸員さんが、
「わたしもあの本、大好きで。愛読しています」
と、おっしゃった。
「それからその、『BLACK LAGOON』も観てます。いえ、あの時代の設定の仕方と、その描き方がおもしろくって」
本当にいろいろとありがとうございます。
島のさらに東に行くと、柱島沖で爆沈した戦艦陸奥の記念館があるのだが、申し訳なくもここで時間をつぶすより先に行きたい。周防大島のもう少し先の東の海に、今作っている映画で1カット出るかもしれない島の島影が見えるかもしれないのだった。
これは岬の先端まで立ち入る道がなかったのと、島影が見えそうなあたりに位置を変えてしまうと遠すぎてカメラでも捉えきれなさそうだったので、辛うじてできるところまでに留めた。夕方になってしまう。写真1は、狙いの島影ではないのだけれど、とにかくいい場所だった。今回の防府・呉のために松山から来る参加者の方があるので、帰り道のフェリーから撮影してもらえないか頼んでみることにして、周防大島を後にし、防府へ向かった。
防府ではパスタとケーキの店に、文化財郷土資料館の吉瀬さん、地域協働支援センターの於土井さんはじめ懐かしい顔ぶれが集まって来てくださって、楽しいひとときとなった。食事の最後に自分だけに出てきたデザートのケーキが写真2のこれ。
●2013年10月12日(土)
4月に防府を訪れたとき、三田尻湾から周防灘に船を出し、『マイマイ新子と千年の魔法』の千年前の諾子がやって来た舟の跡をたどろう、という催しがあったのだが、あいにく爆弾低気圧の到来となり、船は出せたのだが湾口を出ることがかなわなかった。
そのリベンジを今日行う。その前に、このクルーズの船が出る埋め立て地の突端で海鮮網焼きを食べてしまった(写真3)。われわれが『マイマイ新子』のロケハンに来た時には何もなかったのに、その後の数年でこの埋め立て地突端はすっかり美味しいものエリアに変わってしまっている。ともあれ、前回みたいに波が荒かったら、満腹にするのは危険だ。
写真4は、『マイマイ新子』の一場面と同じ、左が江泊山、右が向島で、このあいだの水道を諾子を乗せた都からの舟が入ってくる。この水路を通って湾外に出る。出てすぐの海面は、『この世界の片隅に』に登場する戦艦大和が沈没前の最後の数日を碇泊した過ごしたその場所でもある。『マイマイ新子と千年の魔法』の魔法と『この世界の片隅に』の世界は、ものすごく隣接して存在している。
この日は天気もよく、参加者一同ご機嫌の笑顔だったのが何より(写真5)。これで全員ではなく、あまり全員前甲板に集まるとトリムが悪くなってしまうので、半分の方々にはうしろに回っていただいている。
夜は懇親会。例によって、自分のパソコンの中の映像をスクリーンに投影していろいろ話もさせてもらった。
さらにその後、二次会に行く話があったはずなのだが、どうもくたびれ果てていた自分は宿に送り届けられてそのまま寝てしまったのかもしれない。二次会に行く約束はしていたはずなのに、行った記憶が全然残っていない。
●2013年10月13日(日)
いわゆるところの「マイマイ新子探検隊」の当日。最初は防府の子供会の夏休み行事だったので「探検隊」というネーミングになってるのだが、2回目からはすっかり、ロケーション現地を映画の観客に案内するウォーキング・ツアーに変わっている。今回で7回目なのだが、ルートは短縮版になっている。というのは、午後から防府天満宮の花神子社参式があるので、それまでに終わらせてしまいたいからだ。
いつもと同じ広場で集合したところで、サプライズがあった。宮村さんのおばあさん(御年91歳)がそこで蒸しパンを蒸していてくださったのだ。『マイマイ新子』に出てくる「おやつの蒸しパン」を、柏餅ふうにしていただいたもの(写真6)。
いつもと違うルートをたどる。のだが、自分の方からちょっと提案して、そのルートからもほんのちょっとだけ寄り道させてもらった。防府には、駅前すぐの町中に、前方後円墳が残っているのだ。『マイマイ新子と千年の魔法』の画面にも、実は前方後円墳が描きこまれている。この土地は「千年の歴史」どころではなく、千年前の人にとっても振り返る数百年の歴史があった場所なのだった。それが諾子のあの感慨につながっている。
午後の花神子社参式は、防府天満宮にお神酒を納めるための神事だったのだが、町の女の子たちが時代装束に着飾り、練り歩く姿が延々と続き、すごい眺めだと思う。
その後夕方には、宮村さんの車で運んでいただいて、呉に移動。14日にはこんどは呉で『この世界探検隊』をやるので、その前夜にまたしても懇親会を行う。
『この世界の片隅に』の舞台、呉では営業中のビヤホールをお借りして、やはりスクリーンに色々と映し出してみた。防府からそのまま来た参加者の方もあれば、呉から参加する方もある。中には、呉映画サークルの皆さんのように、なんのことだかよくわからずに呼び集められてこの場にいる方々もあった。そうした前で、どんなふうに呉の街を画面に再現しようとしているかを喋ってみる。色々な方面から集めた、戦前の呉の街のあちこちの写真を、それがどの場所なのかを特定して、通りごと、住所ごとにフォルダー分けして並べ直したもの。呉駅前に並んでいた建物の並びを一軒ずつ写真を見つけ出していた経緯、など。それそのものが、自分たちがどんなことをしようとしているのかという自己紹介になる。
呉映画サークルのメンバーの1人の方がさっと会場を抜け出して、すぐ近所にある場所から呉の昔の写真集を何冊かもって来てくださった。
「いやいやいや」
と、別のメンバーの方々。
「この人はそいうの、もうあらかた見とるはず」
と、先程スクリーン前で喋ったことだけを根拠におっしゃるのだ。
「さっきの『ナントカ通り』ていう発音のイントネーションが、もう地元とおんなじだった。この人は相当調べとる」
なんだかそういっていただけるのが、とめどなく嬉しい。
この13日夜からは、新しくこの映画のプロジェクトに企画営業担当で加わった桑島龍一プロデューサーも東京からやって来ている。呉や広島の皆さんお1人お1人に桑島さんを紹介してゆく。桑島さんもなごやかに自己紹介に次ぐ自己紹介。
●2013年10月14日(月・祝)
『この世界探検隊(呉編)』の第1回。前回4月にも、防府に集まっていただいたマイマイ新子ファンの方々を、防府の於土井さんにマイクロバスを運転していただいて、呉の『この世界の片隅に』空間を巡ってみたことがあった。この時の経験をベースにして、ちゃんと一般から参加者を募集する形にして、呉と広島のボランティアで実行委員会が立ちあがって、正式な「探検隊」開催に至った。
途中の解説は自分が行う。いわゆる一般的な「聖地巡礼」と違って、その場所に立ってもこうのさんのマンガと同じ景色が見られるわけではない。すでに景色が失われてしまった場所ばかりを巡るこの「探検隊」では、「想像力」の介在が大事だ。ちょっとでも当時の光景を思い浮かべてもらえるよう、自分がこれまで調べてきたものを喋ってみようと思う。この街の昔の写真も、必要に応じて示せるように、比治山大学の久保直子先生があらかじめ作ってきてくださっている。
今回もマイクロバスを使う。参加者にはあらかじめ伝えてはいないのだが、呉で一番高い灰ヶ峰(標高737m)の頂上からの景色を見せたかったからなのだ。マイクロバスは最初1台のはずだったが、参加人数が増えて2台になってしまった(写真7)。この際、2号車には自分の解説をUstream中継する実験も行ってみる。
すみちゃんが陸軍の将校さんと待ち合わせした消防署の跡地、海軍の敷地内の各施設(軍法会議所や海軍病院、鎮守府など)、すべてを見おろせる灰ヶ峰山頂、さらに山を下りて、こんどはすずさんが嫁入りにために登った道をたどってみる。辰川終点のバス停でマイクロバスを降りて、以下歩きになる。
ここで、本日のビッグ・サプライズ。事前告知とか全くなかったのだけど、ここからは原作者のこうの史代さんが合流して一緒に歩かれるのだ。かつて木炭ガスのバスが登りきれなかった高地部の辰川終点にマイクロバスが近づいて、そこで待ち受けるこうのさんの姿が見えてくると、
「え?」
「えっ、えっ」
「えーーっ?」
と、参加者のみなさんの目が次々丸くなったのが楽しかった。
そこからはすずさんの生活エリアにあたるあたりをこうのさんも交えて歩くのだが、正直いってそれほどの名残があるわけでもなく、参加者の方々がにどれほど面白がっていただけるのかわからなかったが、あとでアンケートを書いていただいたら意外とこのあたりを歩いたことにも満足感が示されていてよかった。
なんだかこちらで喋ることも尽きてきたころに、参加者の皆さんが本領を発揮され始めた。
参加者の中にはマンホールの蓋マニアの方もおられた。自分たちも今まで気づかずにいたものを地面の上に発見してくださったのが、写真8の「栓水止」と右から書かれた戦前物。
写真9みたいなのもあった。これは古い木製の電柱が、道が広げられた時に切り倒された跡。直径約20センチ。
写真10は、本職農業技師の参加者の方が、標準土色帳を広げてこのあたりの土質を調べてみているところ。農業技師宮澤賢治に憧れるこうのさんが覗き込んでいる。ちなみに、土の色は防府とほぼ同じ。
形の残らない、とらえどころのない「すずさんの生活空間」をこうして少しずつ感じてゆく。そうした体験のおもしろさ楽しさを味わっていただくことこそ、世界の片隅にかすかに届いた光に照らされたものを映画にしたいと思うわれわれの「自己紹介」なのだった。
映画の存在が周知されるまでは自己紹介に次ぐ自己紹介。こういう催しもまだ何度となくやってみたいと思っている。
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