COLUMN

第56回 広島駅年代記

 原作「この世界の片隅に」には、広島駅が都合3回出てくる。昭和「19年2月」「19年4月」「21年1月」。
 前から述べているように、「戦時中」とか「戦後」とか便利な言葉で大雑把なつかまえ方をしないようにしようと思っている。そうした日々の毎日毎日を過ごす中に何かの本質があるのだよ、ということを今回の映画作りを通じてで描きたいからだ。「〇年〇月○日」と「□年□月□日」では何かが違う装いをしていた。そう思うことにしている。
 今は「19年2月」の広島駅のカットのレイアウトを進めている。写真はあるのか? ない。広島駅の写真は相当数集めたが、戦時中のものは米軍の航空偵察写真だけだ。それですら1945年(昭和20年)7月25日撮影のものなので、1944年(昭和19年)前半ならば当然色々なものが違っているだろう。写真がないながらも、こうじゃなかっただろうかという姿を思い浮かべられるように、何か根拠めいたものを抱きたい。

 戦前の広島駅に出会うためにはどこへ行けばよいだろうか。
 答えは今の広島駅。在来線のプラットホーム側面を見ると石組みの下2段の色が違っているのがわかるが、これが昔からのホームの名残だ。昔は、客車に乗るにも、ホームから段を上って乗り込んでいたので、ホームの高さは今よりずっと低かった。
 そのほかにもある。
 広島駅のホームとホームは地下道でつながっていた。というか、自分たちがロケハンに行ったときにも、呉線への乗り換えのためにその地下通路は使った。こういうものはいつまでもあるのだと思っているうちに、2012年9月から逐次閉鎖されて、使えなくなってしまったらしい。なので、こちらは厳密にはそこへ行ってももう出会えない向うに去ってしまったのかもしれない。
 この最近の地下道は、トンネル2本をH型に横に並べて複線化されていたのだが、どうも西側の方のが昔からあったもののように思える。どれくらい昔からか、というと1918年(大正7年)からだ。こうのさんの『この世界の片隅に』の中で2回は外観が描かれている駅舎が1919(大正8年)年6月建設開始、1922年(大正11年)8月竣工のものなので、地下通路の方がさらに古い。地下通路とか地下道とかいうと「新しい」感じがするが、「戦前」よりもずっと前の時代、関東大震災より前の頃から、こうした近代化は進んでいたのだった。
 この地下通路は、はじめは改札を出たところにある片面式の第1ホーム(1番線)から、島になっている第2ホーム(2番線、3番線)に向かって掘られた。それが1918年(大正7年)のことで、その後、1937年(昭和12年)8月1日に第3ホーム(4番線、5番線)ができると、地下道もそこまで掘り延ばされた。さらに1944年(昭和19年)2月10日に第4ホーム(7番線、8番線)が完成すると地下道もそこまで延びた。
 地下道は、このホームとホームを結んで乗客が行き来するためのものだけでなく、小荷物を運ぶためのと、それから駅に隣り合った広島郵便局から郵便列車に郵袋を運ぶためのものとがあって、この2本にはエレベーターがついていた。1928年(昭和3年)の写真にはもうこのホーム・エレベーターが映っている。ね、やっぱり近代的でしょう?

 3本の地下道のホームへの出口は、1945年(昭和20年)9月と11月にそれぞれ撮られたと思しい飛行機からの写真にも写っている。本来ならばその上を覆っていたホームの屋根が原爆っで破壊されて、むき出しになってしまっていたのだった。雨が降ったら、降っただけ地下に流れ込んで、さぞたいへんだっただろうと思う。
 被爆後のものならば、地下道への階段付近を写した1945年(昭和20年)9月か10月頃のものもある。今の鉄道の駅のホームならば、地下道の出口は階段のない三方にコンクリの壁が作ってあるのだけれど、この空から見た写真にはそうしたものがない。何の囲いもないところにいきなり穴が開いているから、うっかりすると転落してしまう。元々こんな造りになっていたはずはないから、転落防止用の柵か何かがあったのだろうと思ったら、その鋳物の基部だけ残っているのが写真に映っていた。駅舎本屋から遠いホームでは手すりが残っているようだった。ということは、この転落防止の手すりは土台以外は木製で、火事で焼けてしまったのじゃないかと思われる。
 実は手持ちの写真の中に1枚だけ、昭和10年代の撮影と思われる広島駅のホームから地下通路に降りる階段の写真がある。階段の一段一段に「山へ——夏をたたえよ——海へ」という宣伝文句が貼りつけられていて、「レジャー」とか「バカンス」とかの香りがふんだんに漂ってくる。これにも転落防止の手すりが映っているはずなのだが、不鮮明でよくわからない。ただ、終戦後比較的早い時期に撮られた写真に写っているのとは、どうもなんとなく雰囲気が違っている感じがするので、ひょっとしたら以前は鉄製だったものが、戦時中に木製のものと取り換えられてしまっていたのかもしれない。
 戦争前に広島や呉の川に架けられた装飾豊かな橋々も、せっかくの金属製の装飾部分を金属供出で奪われてしまって、あっさりとした姿になってしまっていた。広島駅のホームにはベンチがあったのだが、これも終戦後にはなくなっている。鋳物の骨組みに木の板を貼ったベンチだったからだ。広島駅のプラットホームでも宇品行の0番線だけは、ホームの屋根が原爆に耐えてその後も残っていたが、ここの屋根の骨組みは(今でもよくあるのだが)鉄道のレールを曲げて作ったものだった。ちなみに、0番線は軍用線だった。柱が木でできたホーム屋根は、駅舎本屋の陰に入ったところ以外は爆風で倒壊するか、その後の火事で燃えてしまった。地下道の縁の手すりもまた同様。

 戦争中期以降の市街地を描くときには、えらく仕事が楽になる。看板の類が軒並み撤去されて、実にあっさりした景観になってしまっているからだ。中島本町や呉の本通や中通の夜景を彩る鈴蘭灯も、金属でできているから全部撤去された。こんなすっからかんな町を絵にしたら手抜きと思われてしまう。「近代化」をオジャンにしたのは、空襲による破壊よりも、「戦時体制」のせいだった。せっかく芽生え、地に足がついていた「おしゃれ」も「装飾」も「便利」も軒並み拭い去られてしまっていた。

 いや、こんなくどくどした話を書き連ねているのは、地下道からの階段も含めて広島駅のホームを画面にしようと思っているからなのだが。
 こうのさんの考証努力には大いなる敬意を払った上でのことなのだが、まことに申し訳ないことながら、原作「19年3月」の回に描かれている広島駅駅舎本屋は、昭和ひと桁頃の姿だ。1927年(昭和2年)に構内営業が許可になって駅前にタクシーが並ぶようになり、翌年くらいに広島駅前郵便局の手前に広島物産館陳列販売所ができ(これはマンガの絵では観切れている)、さらに駅の隣に派出所ができ(こっちは描かれている)、その頃の姿。
 こうのさんが描く駅舎の2階右端には駅電話室の電話線碍子が3列に並んでいるが、これはのちに4列になって、さらに1937年(昭和12年)頃には5列にまで増えていた。それから昭和10年代には、駅入り口の大きな庇の下に丸い電灯が吊るされるようになっていた。こんなふうに、全く同じように見える景色は、時の移ろいとともに確かにちょっとずつ変化する。
 その後、1943年(昭和18年)3月には、出札と待合室を増やすために駅舎本屋正面に木造の大きな部屋を増設して、駅舎の形がまるで変っているはずなのだが、その木造部部だけ原爆で壊れて焼けてなくなってしまった。これは前にも書いたかもしれないが、それまでとは大きく形が変わっているこの時期の写真はいまだに1枚も見つからず、形がわからない。増設部分は「平屋」という話もあり、「2階建て」という説もあって、想像すらおぼつかない。
 ということで、駅舎外観は描けないので、ホームを描いているところなのである。

 ちなみに、まだ手は着けてないのだが、もう一度出てくる「21年1月」の駅舎もちょっと厄介で、こうのさんは1945年(昭和20年)10月の写真を基に描いておられる。1945年(昭和20年)12月と1946年(昭和21年)2月の写真はあるのだが、この間に原爆後の火災で落ちた駅舎本屋の屋根を葺き直したり、1943年(昭和18年)に木造増築部分をはめ込むためにコンクリを切り欠いていた部分を塗り直して整えたりして、また形が変わっている。1946年(昭和21年)1月となると、たぶんその工事中だったりするのかもしれないのだが、またしてもちょうど写真がない時期にあたってしまっているのだった。屋根が落ちかけて内側にぶら下がっている駅舎は危なくって使えないから、改札口は外にしつらえられていたが、屋根を葺き直すのは当然駅舎を使えるようにするためで、改札は駅舎内に戻る。駅に入って汽車に乗るまでの動きからして変わってしまうのだ。
 こっちの方はとりあえず脇へ置いておいて、もうちょっと先で悩むことにしたい。
 1945年(昭和20年)10月の屋外改札口の写真には、貼り紙にしたり、黒板に書かれたりした時刻表が映っていて、9月17日の枕崎台風のために呉線が須波で折り返しになっていたのがわかる。逆にいうと、この写真の撮影時期が10月24日の呉線全面復旧以前のものだという根拠になるので、なかなか得難い。上り東京行が4番線、下り門司行が1番線からの発車だとかもわかって——。
 あ、それで思い出したが、もうあとひとつだけ。広島駅から出る呉線は、戦争中の頃は東京行や大阪行の山陽本線の一部が呉線経由になっていた。時刻表と照らし合わせて、1944年(昭和19年)2月のすずさんはそれに乗せることにした。その場合は3番線から出る……はず。本当は何番線からだったのか、ここは資料的にちょっとグラグラ揺れている部分ではあるのだけれど、もうレイアウトの絵に描いてもらってしまった。もうあとに引けなくなってしまっている。

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