COLUMN

第48回 自宅発掘調査報告

 元々学校の先生みたいなことをするようになったのは、『アリーテ姫』の完成公開頃にプロデューサーの田中栄子さんが、
 「監督は人前で喋れるように日頃からなんかしといた方がいいから、先生やれば?」
 といって専門学校を紹介してくれたことから始まっている。
 それから、卒業生であるという縁から日大芸術学部映画学科で年に1回きりの特別講義の時間をもらうようになり、気がついたらそこの非常勤講師になってしまっており、ほかの学校でもときどき特別講義だとか非常勤講師をすることになってしまっていたのだった。
 ここへ来て、こうの史代さんが客員教授をしておられる広島の比治山大学短期大学部美術科でも、オープンキャンパスのときに壇上に上がらせてもらう話が降って湧いたのだが、ついでにスペースをもらって展示もさせてもらえることになってしまった。そういうことを、この9月1日に行うのである。
 だいたいにおいて、先生としては一般化した何かを喋るべきなのだろうけれど、今回は自分自身の方法論を話せ、ということらしく、だとすると1時間ぽっちかもう少し喋っても説明しにくいだろうから、これまで携わってきた個々の仕事について喋らなくちゃならない部分はパネル展示に回してしまった方が、それはいいのかもしれない。
 問題は展示物だ。
 『BLACK LAGOON』だとか『マイマイ新子と千年の魔法』とかの最近の仕事で、自分の手元に取り置いてあったものは、今の仕事で段ボールに入れてスチール棚に押し込んである。
 『アリーテ姫』に関しては全カットの原画だとか、その他資料一切合切を、「捨てられてしまうよりは」と自分の手元に引き取ってあったのだが、段ボール箱の山が廊下を占領して、おまけにその上で猫がオシッコする癖をつけてしまったりして、保管場所を考えなくてはならなくなり、なみきたかしさんがアニメーション・ミュージアムを作りたいといっておられたので、そこへまとめて送りこんでしまった。ついでに、そこいらにあった自分が切った絵コンテなども一緒に送りつけてしまった。
 まだそれ以外のものがあって、自分がこの仕事に就いて以来のちょっと記念品的なあれこれが、自宅の屋根裏部屋にいくらかあるはずだ。
 この屋根裏部屋は、屋根が斜めに落ちているその下の空間で、斜めになっている天井はその下で立てないくらいに低い。ここを以前は自宅で仕事をするときの仕事部屋に使っていた。『ちびまる子ちゃん』だとかは、ほかの仕事を終えて家に帰ったあとだとか、休みの日に、この三角の穴倉みたいなスペースで仕事していた。
 やがて、娘たちが大きくなってくると、遊ばなくなったおもちゃだとか、着なくなった衣類が屋根裏部屋に押し込められることになる。今はそれですっかり埋まってしまっている。
 いつかここも大掃除しなくては、と思っていた。
 けれど、2008年の丸1年間を『マイマイ新子』の作業のために休みもなく過ごす日々として送ってしまうと、もはや「ちょっとできてしまった休日」だとかの時間を、「掃除」「片づけ」なんかに使う気になれなくなってしまうのだった。いつか、いつか、と思いつつ、屋根裏部屋の戸は、もう5年以上開けることもない開かずの扉になっていた。
 比治山大学の久保直子先生が、9月1日の展示会用のスペースこれくらいです、という場所の写真を送って来てくださったのだが、これはいかん。広すぎる。埋めなくちゃならない。ここは気力を振り絞って、屋根裏部屋の発掘作業を試みるしかないではないか。
 ところで、発掘作業を行うとしたらここしかタイミングはないだろう、という8月第3週の週末には、自分も所属している日本アニメーション協会の数年に一度の会員作品上映会「イントゥアニメーション6」が催されている。会員たちの自主運営なのだから、自分もできるだけ働かなくちゃならないのだが、その真ん中の18日日曜日になんとか懸案の自宅発掘をやっつけてしまうしかなくなってしまった。JAAの皆さん、ごめんなさい。

 屋根裏部屋は猫が入らないように、戸をつっかえで押さえてある。それを外す。開ける。途端に猫どもがやってきて、中を探検し始めてしまった。
 電灯がない。そもそも3SLDKという間取りの「S」の部屋なので、採光が考えられていない。わずかにある明り取りの窓は、その手前に積み上げられたガラクタで塞がれてしまっている。
 暗くても関係のない扉近くのものをまずどけて、向かいの部屋に放り込む。
 そこで発見したのは——なんということだろう、この場所がこんな感じにガラクタに埋もれ、閉ざされてしまう前の時期、大掃除や片づけなどということが体からも心からも抜け落ちてしまう前の頃、自分はどうも古い仕事の資料をある程度整理していたらしい。少なくとも、一切合財段ボールに押し込んである状態ではなく、ある程度作品別にカット袋に分けてあったのだった。
 まずは、全部を他所に送ってしまったと思い込んでいた『アリーテ姫』のノートが出てきた。ワープロで打ってプリントアウトした脚本も何バージョンか出てきた。それから、原作の原文の内容が知りたくて、「The Clever Princess」を自分で日本語訳したものが出てきた。この頃のテキストデータは、何せパソコン以前のワープロ打ちのものなので、フロッピーディスクの中身を探るか、さもなければ紙にプリントアウトしたものしかないのだけれど、その紙の方がでてきたのだった。『アリーテ姫』は絵コンテも一式出てきた。キャラ表も、全部揃っていそうなものが出てきた。これは何セット分かあるのかもしれない。
 『アリーテ姫』で最後の最後に難航したのは、キービジュアル作りだったのだが、その時の案もいくつか出てきた。スタッフ解散後も残っていた尾崎和孝、浦谷千恵両作画監督にいろいろ取り組んでもらったのだが、何かコンセプト的な部分で決め手に欠いてしまい、結局僕のラフをそのままポスターに使うという苦肉の策に出てしまったのだった。
 入り口右の方には、ポスターがまとめてあるはずだ。と思っただいたいそのあたりに長い筒の類があった。『アリーテ姫』のB全サイズのポスターがあったのには驚いたが、自分の「演出」としての初仕事である『おねがい! サミアどん』のポスターがあったのにはもっと驚いた。学生時代に上映を手伝った『セロ弾きのゴーシュ』のポスターが2枚ほどあった。来場観客用にもぎりの裏で椋尾篁さんたちが巻いておられたのが懐かしい。それより少し古い時期の『カリオストロの城』のポスターもなぜか2枚あった。
 携わった仕事では実は『ちびまる子ちゃん』はいちばん量として多くやったことになるのかもしれず、その絵コンテや、さくらももこさんの脚本もかなり出てきた。さくらさんのシナリオは、いつも400字詰原稿用紙に手書きのもののコピーがこちらに回されてきて、ときどき説明のための絵なども添えられていて楽しかったので、できるだけ取っておいたのだった。
 そもそも今の仕事を始めるきっかけになった『名探偵ホームズ』の関係も出てきた。21歳の自分が手書きしたストーリー・トリートメントの400字詰原稿用紙のコピーではなく生のもの。これを書いている途中に高校時代の友人の葬式などがあってしまって、色々感慨がある。
 『アリーテ姫』のひとつ前の時期のもの、アニドウ・フィルムの『この星の上に』は翁妙子さんの脚本が出てきたのだが、それを絵コンテに起こすときに浦谷千恵さんに絵の部分を描いてもらった第1稿が出てきた。完成版は南家こうじさんがご自分流にアレンジしているので、だいぶ様子が違っていて、しかし『アリーテ姫』以降に作ることになるいくつかの作品への予兆みたいなものが含まれていて、われながら興味深かった。まさに浦谷さんと一緒に作ることになる「エースコンバット04」みたいなものの気分は、この頃すでに始まっていたようだ。
 なぜか1冊だけあった『あずきちゃん』のアフレコ台本の裏表紙には、宮崎一成くんと野上ゆかなさんがマイク前で演技する姿を、後ろの調整室から自分がスケッチしていたのが残っていた。これがあるので手元に残してあったのかもしれない。
 しばしば最近の学生から「セルというものを見たことがないので見せてほしい」と言われてきていたのだが、『ホームズ』のもの、『名犬ラッシー』のものなどが出てきた。この条件でよく絵の具もマシン線も残っていたものだと思う。
 それから『NEMO』の関係のもの。
 まだまだ出てきた。キリがなくなる。
 だが、まだ「あるはず」と思ったもので今回見つけられなかったものがいくつかある。今はガラクタ類を再び押し込めてしまった屋根裏部屋なのだが、ここまできたのならもう一度掘ってみろ、ということなのかもしれない。いつのことになるだろうか。正直、腰が痛くなってしまっているのだった。

 ということで、発掘物のうちのそれなりのものを、教材として、2013年9月1日に1日限りで比治山大学で展示します。

http://blog.hijiyama-u.ac.jp/bj/2013/08/post_199.html

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