COLUMN

第39回 あらためて「β運動の岸辺で」

 ここ、WEBアニメスタイルで前に連載させてもらってたコラムのタイトルが「β運動の岸辺で」とかいう、なんだかなー、な感じのするものだったのだが、あれはもともとは、大学の教壇に立ったりする機会も増えてきたので、そこで喋らなくちゃならないリクツみたいなものを前もって自分なりに整理できればと思って、そんなことを書く場所にしようと思ったのだが、全然それがダメで話が逸れにそれっぱなしのまま全く違う方向に展開しちゃっていたのだった。
 ここのところでまた色々と考えなくちゃならないことが出てきて、もう一回そこに立ち戻ってしまっている。
 たとえば、自分が主に相手にしてるのは「映画学科」の学生なのだけれど、美術系の大学でアニメーションを学んできた学生たちに対しても「映像について基本的な知識」みたいなことを喋ってくれないか、というようなことが増えてきた。
 「映像について基本的な知識ってどの辺から?」
 「『イマジナリーライン』とかそのあたりからたぶん必要あるだろうと思います」
 だとしたら、作品表現の場である映像のフレームが「16:9」とかになってて、いわば学生はその限定的な場に閉じ込められてしまうわけだから、なぜ「16:9」とかなのか知ってた方がよいだろうし、じゃあ、なぜ2コマ打ちとか3コマ打ちで作画するのだろうかということでは、一度きちんと仮現運動のところにまでさかのぼってみた方がよいだろうし。
 とはいえ、自分自身学生のときにそんなことを授業で聞いたことがある、という実にうっすらした頭があるっきりなので、ちゃんとおさらいしなくっちゃならない。
 そこで参考書にできるものって何? ということで、自分だけではどうにもならないところがあるので、心理学関係の出版事情に詳しい方にお願いして、仮現運動を知ることができる書物を何か紹介してもらおうと思った。ところが、かなり驚いたことに、それっぽいものが引っかかってこないのだった。
 たとえば、あげつらって申し訳ないのだけれど、Wikipediaで「ファイ現象」というのを引いてみるとしようか。するとそこには次のようなことが書かれている(以下引用)。

ヴェルトハイマーの光点明滅の実験

ヴェルトハイマーは2つの光点が交互に点滅する実験装置を用意し、その点滅する間隔を変えてどのように感じ方が変わっていくかを調べた。 結果、次のような知覚の変化が見られた。なお、それぞれの間の数値ではまた複雑な運動知覚が存在する。

  • 約30ミリ秒以下の間隔(約33フレーム毎秒)−二つの光点は同時に点灯しているように感じる(同時時相)
  • 約60ミリ秒間隔(約16フレーム毎秒)−二つの光点はなめらかに移動しているように感じる(最適時相)- この時ファイ現象が生じている
  • 約200ミリ秒以上の間隔(約5フレーム毎秒)−二つの光点はそれぞれ別の光点として認識され、運動は知覚されない(継時時相)

 はい。これはアニメーションの動きを語るにはかなり重要な項目です。けれど、これ書いた方はご自身ではわかっておられるのかどうなのか知らないが、読んでみてもちっとも頭に入ってこない。まず「約30ミリ秒」とか「約200ミリ秒」とかがいったい何の数値なのか全然書かれてないのだ。
 実は、ここで述べられている「約30ミリ秒」「60ミリ秒」「約200ミリ秒」というのは、「『刺激1の呈示時間』+『休止時間』+『刺激2の呈示時間』」のはずなのだ、本来。
 つまり喩えていうなら「フィルムのとあるコマが映写されている時間」と「いったん画面が暗くなりその間にフィルムを掻いている時間」と「フィルムの次のコマが映写されている時間」の和、というようなこと。
 ということは、この「約30ミリ秒」「60ミリ秒」「約200ミリ秒」にはフィルム2コマ分が含まれていることになる。だから「約33フレーム毎秒」「約16フレーム毎秒」「約5フレーム毎秒」じゃなくて、それぞれ2コマ分なのだから、「約66フレーム毎秒」「約32フレーム毎秒」「約10フレーム毎秒」より休止時間分だけ割引きしたレートでなくちゃならないはずなのだ。
 そうすると、「30フレーム毎秒」で映されているTVがほぼ「最適時相」ぴったりはまるわけで、腑に落ちる話にもなってくる。
 Wikipediaをあげつらってしまったのは、かくのごとく、仮現運動の基本は「一般の前から失われつつある知識」になってきてしまっている、ということが述べたかったからなのだけれど、仮にそこにかかれている「約5フレーム毎秒」より上回っていたら「動き」が知覚されるのだとしたら、われわれがあいかわらずやっている1秒=24コマの作画では、

  • 1コマ作画=1秒24枚
  • 2コマ作画=1秒12枚
  • 3コマ作画=1秒8枚
  • 4コマ作画=1秒6枚
  • 5コマ作画=1秒約5枚

ということなのだから、「約5フレーム毎秒」を少し上回る4コマ作画でも「動いて見える」ことになってしまう。うっかりすると5コマ作画でもぎりぎりセーフに入ってくる。
 けれど、現実には4コマ作画なんかカクカクしていて「動いてなんか見えやしない」。ましてや5コマ作画なんか全然駄目なのは、仕事の経験上よく知っている。
 ということで、それ以下だと動いて見えない仮現運動の下限(駄洒落です)は、「約10フレーム毎秒」、いいかえると「1秒約10枚」の方が正解なのである。

 ここはひじょうに重要なポイントで、これにあてはめると「1秒8枚の3コマ作画はダメ」ということになる。
 実際、ダメなのである。世界一般にアニメーションの作画が1コマ打ち、2コマ打ちで行われているのは、それ以下だと「ダメ」「動いて見えない」「カクカクする」からで、3コマ作画だとすでにそうなっちゃうと思われているからだ。日々アニメーションに携わる自分自身の目から見ても、「3コマ作画」だとカクカクして見えてしまうことが頻繁にある。
 一般の人が3コマ作画のアニメ作品を普通に観られてしまうのは、ひとつには「ストーリーに乗っかって観ていることで、それが当然動いているはずという心理が働いて動いているように感じてしまうから」というふうに説明されている。
 なるほど。だから、台詞も音楽も入った完成映像で観るよりも、まだ組立前のラッシュで1カットずつ見るときの方が「カタカタ感」が気になってしまうわけだ。これは心当たりある。
 だけれども、ここが重要だと思うのだが、実は「3コマでもカクカクして見えない作画」というのもある程度確かに存在する。
 ものすごく言葉を選ばずにいうなら、
 「下手くそな中割り入れたらカクカクする」
 「ちゃんと動画入れたらスムーズに動く」
 その差がある。
 「2コマ打ちだとあいだの動画がどんなのでもそれなりに動くけど、3コマだとシビアだからね。変な絵が間に入ると目に引っかかっちゃう」
 と、われわれの方ではいう。
 つまり、3コマ打ちのアニメーションは「現場の技術の力」でカクカクしないように動かそうとしており、そのぎりぎりのところで頑張っているのである。
 ならば、「3コマでもカクカクする」「3コマなのにそれなりにスムーズに動く」の違いを明示できるようにした方がいいのじゃないだろうか。もちろん、われわれには心当たりがあるのであって、だから動画リテークとかも一定の根拠をもった上で行えている。割り方自体もそうだし、運動曲線のことだとか、つめ方の問題だとか、有効なことは色々あるように思う。
 その技術的根拠を仮現運動なりなんなり原理に照らし合わせて裏打ちできたとき、そうやって一般化できたときはじめて、それは「大学で教える内容」になるのじゃないだろうか。原理にまで回帰できないうちは、師匠が経験則だけで指導する徒弟制の域を出ないような気がしてしまう。

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