COLUMN

第38回 洗わなくちゃならない

 うちではだいぶじいさんになったネコと犬を飼ってるのだが、大学に行って外で下宿している上の娘が、友達の家で子ネコが生まれたから2匹くらいもらってやって、といってきて、結局、家の中をウロウロするネコが3匹になってしまった。
 子ネコが来ると元からいたオスネコがやたら縄張りを主張したい心理になったらしく、家の中のあちこちにオシッコをぶっかけてマーキングをするようになってしまった。何ヶ月も経つと子ネコももう子ネコとはいえないような体格になってきて、するとこちらの1匹も家の中でマーキングをし始めた。犬のオシッコは犬の鋭敏な嗅覚に合わせてあるのかそれほど臭わないのだけれど、ネコのはものすごく臭い。
 領土権の主張はどうも人間様の布団の上において展開されるようで、なんだかたびたび自分の布団が濡れていたり異臭を放っていたりする事態に直面させられている。今時の布団は中の綿も化繊でできたまがいものなので、薄い掛け布団は洗濯機に突っ込んで洗ってしまう。敷布団もペラペラとはいえ、さすがに嵩があるので洗濯機に押し込むわけにもいかず、こちらは風呂桶の中で踏み洗いすることにした。自分の布団だから自分で踏んで洗う。
 布団を踏んで洗っていると、「この世界の片隅に」の中で家事労働の担い手ですずさんが庭のタライで洗濯してた場面が思い出されてきてしまう。洗濯板を使っていたし、1回は踏み洗いもしていたはずだ。さらに思えば、その昔こうの史代さんに見初めてもらった『名犬ラッシー』なんかでも、料理の場面も作ったけど、洗濯のシーンもちゃんと設けたんだったよなあ、とかいうことも浮かんできてしまう。「衣食住」というのが生活の基本だとすると、「食」はまあ雑草を料理することだったりして、「衣」は単に衣類を調達するだけじゃなくて、それを毎日毎日洗濯するのが大事なんだよなあ、などと考える。

 こうのさんは、戦時中の生活について伝え残されてるものの多くが、比較的日記を残しやすかったり婦人雑誌の購買対象になっていた中流家庭の場合で、ほんとうの庶民の生活っぷりを描き残したくって『この世界の片隅に』にチャレンジした、というのだけれど、この場合の中流家庭って「女中さん」を雇ってるくらいの階層のことだ。戦前の婦人雑誌の正月号に付録で入ってた家事の小百科みたいなものを開くと、「七月の家事」として、薮入りで休みを取る雇い人にはちょっとしたお小遣いを、みたいなことが書かれていて面食らう。戦時中の日記が本になって残っているのも、ほとんどが文学者の先生とか俳優とか、さもなくば学生が書いたくらいなのばっかりで、なかなか庶民的な生活の姿にはたどりつけない。そんな中でもごくごくまれに、ごく普通の若い主婦の日記とかに出会うことがあって、これはほんとうにありがたい。
 昭和19年に数えで22歳という、すずさんとほんの2歳ばかりしか違わない若い主婦の日記があって、これを読むと、布団はしょっちゅうバラしたりまた組み立て直したりするものだったんだなあと、なるほどと思う。中身が化繊なんかじゃない本当の綿だと踏んで洗うわけにもいかないから、側(ガワ)をほどいて側だけ洗い、干して、また縫い合わせる。思えば昭和30年代頃の自分の家もそうだったのだけれど、それを季節の変わり目のたびに、夏布団を出しては行い、冬布団をしまうとなればまた行って、その頻繁さがハンパない。

 洗濯に欠かせない石鹸はどうだったのだろう。戦時中の日本というのは、あらゆる軽工業に至るまで生産統制を行わなきゃならないような状況で、石鹸もあまりまともなものがあったとは思えない。
 これについてはずっと前に調べていた。
 石鹸には「化粧石鹸」と「洗濯石鹸」があって、化粧石鹸は風呂に入ったり顔や手を洗ったりするのに使い、洗濯石鹸は主に洗濯板を使って洗濯するのに使った。なんていうのはごくごく常識的な話で、なんてことはない。自分だって子どもの頃はシャボン玉なんか洗濯石鹸で作っていた。「化粧石鹸」と「洗濯石鹸」の違いは、香料を入れるかとか、泡の手触りの細やかさとかなのだろうと思うのだけど、こういうところは戦前の時期において「とっくにそうなっていた」。
 そこへ昭和16年に戦争が始まると、オシャレだとか浮ついた気分をまず一掃ということになって、「化粧石鹸」が「浴用石鹸」という呼び方に変わる。一般家庭への配給関係の資料を見ていると、配給統制物資として、「浴用石鹸」という種類分けがされている。
 昭和18年くらいになると、「浴用石鹸」も洗濯石鹸並みの品質に落とせということになって、事実上区別がなくなってしまう。石鹸というのはそもそも油脂をアルカリで固めたものであるわけで(昔、自分でも実験で作ったことがある)、油脂を減らしたくって「混和物」を入れる量がてきめん増やされるようになる。混和物には何を入れるか。ベンナイトである。これは鉱物質の粘土だ。混和物の量は70%にもなり、やがて80%に達する。これが戦時石鹸である「三号石鹸」だ。
 8割粘土って、ほぼ粘土なのであって、つなぎにちょっとだけ油脂から作った石鹸成分が混ぜ込んである。徴用とか動員とかで工場労働者となったひとたちも、こんなもので油汚れを取らなければならなかったわけで。もちろん「一号」「二号」の洗濯石鹸もなくなっているので、布も肌も同じようにこの泥みたいなもので洗う。
 などというのは、かなり最初の方に調べていたことで、こうのさんに始めてお目にかかったとき、うちの浦谷さんは、
 「やっぱりぬか袋ですかねえ?」
 と、相談を持ちかけるまでになっていた。

 石鹸のことが頭の中に渦巻いていると、歯磨き粉はどうしてたのかな? ということがついでに引っかかってきたりする。
 戦前の段階ですでにチューブ入りの練歯磨きはあった。だけど、アルミニウムチューブ(今みたいにラミネートではない)が作れなくなって、これは18年には販売打ち切りになっている。アルミは飛行機に使いたい。ということは、粉歯磨きなんだろうけど、粉歯磨きの戦時用のパッケージってどんなのかねえ、といってたら、
 「戦時ものじゃないですけど、戦前の粉歯磨きの缶や箱、沢山手に入れました」
 と、前野秀俊さんが教えてくれた。『マイマイ新子と千年の魔法』では昭和30年当時の色鉛筆だとかを色々集めてくれた人だ。今回は歯磨き粉の缶カンだけでなく、戦前の水彩絵の具だとかクレヨンだとか、いろんなものの実物資料を用意してもらっている。
 上野あたりの飲み屋さんでお目にかかることにした。「これこれ、これはまだ中身が入ってます!」
 と、前野さんは、古物商から手に入れてきた歯磨き粉の箱を指差すので、匂いを嗅いでみたりする。
 「これ、ちょっと借りていい?」
 「これはちょっともう少し自分の手元に。こっちはもっていってくれていいです」
 と、別の色々なものを預けてくれた。
 なかなか楽しい飲み会だったのだけど、すっかり気分がよくなった前野さんは、帰り道、大量の歯磨き粉の箱や缶一式を入れたカバンをどこかでなくしてしまったらしい。
 ああ、カントクに預けておけばよかったです、といってもらってもあとの祭り。これらはいまだに出てこない。2010年の寒い時期のことだ。

親と子の「花は咲く」 (SINGLE+DVD)

価格/1500円(税込)
レーベル/avex trax
Amazon

この世界の片隅に 上

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 中

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 下

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon