COLUMN

第23回 猛々しいものども背後に営む日々のくらし

 2012年12月、こうの史代さんと話しながら『花は咲く』のコンセプトを固めつつあらためて思ったのは、「何気ない平凡な日常生活」に対する愛おしさ、そのかけがえのなさのようなものを表現したい、という気持ちがこうのさんと僕などでやはり強く共通しているのだなあ、ということだったりした。
 2013年に入ってからは、なるべく合間を見て映画を観ることにした。まあ、映画館に足を運ぶ時間もないので、ほとんどDVDやBlu-rayでではあったのだが。その前の1年間は、『この世界の片隅に』の世界に没頭しようとしていたので、それ以外の創作物をなるべく自分の中から追い出してしまいたいと思ったのか、ほとんど映画を見ない年になっていた。年があらたまってからは、自分が若い頃に観ていた映画をあれこれ眺めなおしては、どんなふうに今に至る道を自分が敷いていたのかを思い出し直していた。元々抱いていた漫画映画のアクション的な指向性から、平凡な生活の中にある機微みたいなものに興味が移っていったのは、ああ、こういうことからだったっけ、と色々思い出したり、確かめたりすることができた。

 ごく普通の平凡な日々こそ愛おしく、かけがえがない。
 こうのさんの「この世界の片隅に」は、あえて「戦時中」という状況の中にある「ごく普通の平凡な日々」を描こうとしている。それゆえ「日常」とか「平凡」とか「普通」とかが際立つのかもしれない。
 しかも、「この世界の片隅に」の中で「ごく普通の平凡な日々」は、単に漠然とした「戦時中」という状況があるだけでなく、日本最大の軍港のすぐ隣で営まれている。
 主人公・すずさんが過ごす平凡な毎日を浮かび上がらせるために、彼女の小さな空間の向こうに常にものものしく横たわっている「軍港」なるものを真剣に描かなければならなくなった。
 手前で行われているのが、平凡ではありつつも毎日少しずつ違った色合いの毎日なのだとしたら、背景に見える軍港の毎日の違いも描かなくちゃならない。こうのさんは「愛宕」「摩耶」「雪風」「大和」「利根」「日向」などという軍艦の名前を登場させているのだが、これらの軍艦がどの日に呉港に在泊してたのか、ざっとでもあたりをつけなくてはならなくなった。もちろんこれだけではすまない。戦艦、航空母艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、海防艦などという有名どころの艦艇に留まらず、特務艦、病院船(これは白色に塗られているので港にいればよく目立つ)、民間船舶を徴用した特設艦、油槽船の類まで、できるだけの呉港への入出港記録を確かめたかった。もちろん膨大すぎてちょっと無理な話なのだが。
 話はそれだけではまだまだすまなくって、じゃあ入港して在泊する艦船はそれぞれいったいどこに停泊するのだろう、なんてことまで考えなくてはならなくなってしまった。
 写真1は、こんな史料を見てました、というほんのさわりのもの。軍艦の停泊位置にはおおよそのルールがある、ということくらいはわかる。
 写真2は、呉港内の係泊用の浮標(ブイ)の位置を記した図面と、米軍の航空偵察写真を重ねているところ。この写真の撮影日には戦艦大和は22番浮標に係留されていたのだとわかるし、ほかの艦船もどの浮標に泊まっているかわかる。こういうことでおおよそどんな感じなのか頭の中に刻んでゆく。
 写真3、自分たちで撮ったロケハン写真の中に、同じ縮尺にした大和を置いてみている。
 写真4、大和は連合艦隊旗艦としては東京への直通電話回線が敷いてある26番浮標が定位置なので、大和がそこへ向かっているとして、画面の視角を定めている。その手前に置いた当時の呉の町並みを写した航空写真から、ロケハン写真の位置に戦時中には何が建っていたのか割り出そうとしている。辰川の尾根と二河公演横の石風呂山をなめて、画面右端は両城中学になるはず、と出た。
 写真5は、という感じでとりあえず作ったcut382の構図のあたり。これに加えてさらに小さなフネを位置を定めていかなくちゃならないし、現在の呉の町を当時のものに描き変えていかなくちゃならない。
 さらにそのずっと手前には、すずさんのささやかな菜園があり、ときどきご飯の菜にも使う野の草が花を咲かせ、メジロや虫たちが飛んでいるはずなのだった。

 当時の呉を体験した人が書いたものを読むと、明け方には呉港の方から蒸気の吹き出す大きな音が聞こえてきた、と書いてあった。その手前で営まれる市井の人のくらしは、軍港から届いてくるこんな物音で時を刻まれている。ところで、この蒸気の音ってなんなのだろう?
 明け方にフネが機関の罐から蒸気を吹き出したりするのだろうか。さあ?
 ずーっとこのことがわだかまっていて、戦時中子どもだった年頃の呉の方々に聞いてみたのだが、首を傾げられた。聞いたことなかったなあ。
 全然別の資料に当たっているときに、偶然、音の正体が判明した。軍港に隣接する海軍工廠が、明け方頃に蒸気サイレンを鳴らしていた、というのだった。町中に住む工員たちの目覚ましのためのサイレンだった。このサイレンは、そののち電気サイレンに変わり、さらに日中戦争頃から鳴らなくなった。防空のために灯火管制が行われたことはよく知られているが、音響管制というのも敷かれていたのだった。つまり、戦時には空襲警報と紛らわしい音は鳴らしちゃいけないのだった。
 軍港から響いてくる蒸気サイレンの音を毎朝聞いていたという人の「当時」は、われわれが描こうとしている「当時」よりもはるかに前の時代のことだったのだ。こういうあたりが調べものの難しいところだが、「当時」という言葉でひとくくりにしてはやはり駄目で、やはり毎日毎日はひと色でなかったということがよくわかった。
 もっとも、サイレンは聞こえてくれていたほうが、演出上ありがたかったのだけれど。

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