COLUMN

第15回 8年12月

 アニメーションは未知の場所へ、あたかもその場所があるがごとく、連れて行ってくれるもの、という自分の中のイメージはずっと揺るがずある。
 そういうつもりで、原作「この世界の片隅に」の最初のエピソード「冬の記憶」に描かれた広島・中島本町を眺めている。
 前回、「原作4ページ目下の絵は、昭和15年に撮られた写真がもとになっている」とあっさり書いたのだけど、実はこの写真こそ、今回の映画に携わって最初にそれと知って出くわした中島本町の写真だったのであり、けれど、はじめてそれを見たとき、いったいどこからどっちを向いて写しているのかよくわからなかった。
 さすがにしばらく経って眺めるものが多くなってくると、それくらいはわかるようになってくる。これは中島本町の中を横切る中島本通りを、その西の端である本川橋の東詰めから、東方向を向いて見た風景だ。通りの一番奥で突き当たりになって終わっているように見えるのだが、実際には、左に折れるクランクになって、この道はさらにもう少しだけ東に続き、元安橋のところまで続いている。
 同じコマの左の方、リヤカーを牽く男性の頭上の看板に「刃」という文字を裏返しにしたような文様があるのがよくわからなかった。こうのさんはこの看板を、当時の写真そのままに描いている。ずっと眺めていてもわからないものはわからないのだが、わりと最近になって、この景色を映画の画面用にレイアウトにしようと思った浦谷さんが気づいた。これは看板の文字が裏返しになっている。この看板は本来通りの奥側から見るべきもので、写真には裏側が写っていたのだったのだ。原作のマンガを持っておられる方は、ためしに鏡に移して見られるとよいのだけれど、裏返してみると、そう、これは「紙」という字だった。その下の小さい2文字は写真の方ではさらによくわかって、「佐野」と書いてあるのだとわかる。あれこれ集めてしまった資料と照らし合わせてみると、中島本町8番地には株式会社佐野商店という紙問屋があり、紙・諸帳類を扱い、それに活版印刷も営んでいた。
 その少し奥、通り左手のほかよりひときわ高い3階建ては、住友銀行広島支店だったのだが、銀行は昭和3年に移転していて、昭和9年頃には藤井商事という会社が入っている。ここの社長さんは町内会長だった。この建物は被爆時に通りに面した壁一面だけが残り、その様子が現地の説明版に写真となって残っているのだけれど、そんな姿よりも、昭和15年に社員たちが2階のバルコニーにもたれて並んで撮った笑顔のほうを記憶したい。
 さらにマンガのこの絵を見つめると、リヤカー左手前の鈴蘭灯だけ、柱が細い円柱ではなく、太い六角形になっている。これが中島本通りの鈴蘭灯の西端の1本で、これだけは道の左右の鈴蘭灯が道の上で結合されて、商店街への入口のゲートなっているのだった。
 反対側、中島本通りが元安橋へ抜けるところに立つ1本も、同じようにゲート状になっている。
 その元安橋のたもと。
 そこに当時の建物がひと棟だけ、今も健在している。爆心からわずか170メートルの近さではあるのだけれど、この建物は今も元気で、平和記念公園のレストハウスとして使われている。夏の暑いロケハンでは、ここの1階の売店でアイスモナカを買った。2階には広島フィルム・コミッションが入っている。フィルム・コミッションというのは、映画の撮影ローケーションの斡旋、誘致や撮影支援をしてくれる団体だ。
 はじめの頃、あまり知った人もいない「広島」という存在にどうアプローチしていったものかと迷っていた時期に、たまたま友人の父上が広島の企業で役員をしておられるというので、伝手を求めてみたことがある。そこから広島のマスコミを紹介され、さらにそこから「この人に相談するのがよいのでは」と紹介されたのが、広島フィルム・コミッションの西崎智子さんという方だった。
 もう1人、広島にも呉にも近い江田島在住の奥本剛船長という友人がある。この人は江田島—宇品航路のフェリーの船長さんで、かつ海軍関係の研究家でもあり、呉にあるほとんどの公的アーカイブを紹介してもらったり、最初のロケハンでは車の運転までしてもらった。この奥本船長が、広島のことならこの方に、といって紹介してくれたのが、やはり広島フィルム・コミッションの西崎智子さんだった。
 以来、西崎さんにはあまりにもいろいろに渡ってお世話になってしまっている。中島本町レストハウスの会議テーブルも頻繁に使わせていただいてしまっている。「この世界の片隅に」冒頭で、すずが向かおうとしていた中島本町は、今ではわれわれのベースキャンプでもあるのだ。

●2011年7月15日金曜日(344日目)

 4回目の呉・広島ロケハンの最終日にここに立ち寄った。西崎さんに「田邊雅章さんにお目にかかってお話をうかがいたい」とリクエストしておいたところ、叶えていただいたのだった。
 自分の出身大学の遠い大先輩に当たるはずの田邊さんは、広島で映像会社を設立され、被爆前の爆心地周辺の町並みをCGで再現する仕事に取り組んでおられた。何よりいったいどういった資料を元に作業をされているのか気になるところだったが、具体的には、原作「冬の記憶」5ページ目右上のコマに描かれた、子どもたちがその前でヨーヨーで遊ぶ店を、中島本町44番地(のはず)のヒコーキ堂菓子店にしようと思い、そのたたずまいが見当つかなかったので、ご存知だったらうかがいたい、と思っていたのだった。
 この店はどうも模型飛行機を売るので「ヒコーキ堂」という命名になったらしい、ということと、磯合さんという苗字だったことと、町の地割の平面図くらいしか、手元にはない。
 はじめてお目にかかった田邊さんに自己紹介すると、
 「映画学科はAコースか、Bコースか?」
という質問から入って来られた。
 僕らの頃には学科内のコース分けが変わっていて、「監督コース・撮録コース・映像コース……」となってしまっている。
 「映画館でパンかじりながら」
 なんて話をしたら、
 「映画はなんか食ったりせずに食い入るように見るものだ」
と叱られた。いかにも映画学科の大先輩だった。
 ヒコーキ堂の外観の話をしてみた。そのCG復元はすでにできている、という。ただ、田邊さんたちが作った広島の町並みのCG復元映像は、すでにアメリカの配給会社との契約ができてしまっているので、ほんとうに悪いのだが君らに利用してもらうわけにいかないんだよ、という意味のことをいわれた。人様の復元作業を流用しようなどという気はもとよりない。ただ、どんな資料を使っているのか、そのへんを知りたかっただけだった。
 「いいか、見せるわけにいかないんだけど。ほら」
 田邊さんは、プリントアウトしてきたヒコーキ堂の完成CG画像が挟まったファイルを、ほんのごく一瞬、零点数秒だけ開いてくれた。網膜にはほとんど残像しか残らない。けれどそれで十分だった。こちらでも、ヒコーキ堂そのものはわからないが、一般的な当時の菓子店のあれこれは調べていた。それがそのまま「使える」ということが、そのわずかな露光時間で網膜に焼きついた残像でわかった。
 田邊さんにはほかにも「そのシチュエーションなら、使うべきは大正屋呉服店のショーウインドウだろう」というヒントをもらった。たしかに、たしかに。
 「大正屋呉服店」というのは、今、田邊さんと会議テーブルを囲むこの建物、平和記念公園レストハウスのかつての名前だった。ここは昭和4年開業、鉄筋コンクリート3階建ての呉服屋さんだったのだ。
 田邊さんにはあまり詳しい説明はしなかったので、ストーリーにもキャラクターにも踏み込まないあくまでロケーション上のサジェッションだったのだが、それがこちらの中にある何かを射抜いて的確な感じがしてしまった。そこを起点に演出プランを考え直し始める。田邊さんは季節を「夏」と思われたらしかったのだが、これは「冬の記憶」というエピソードだ。
 このあたりからいろいろと転がって、われわれの映画の冒頭の場面は「9年1月」から「8年12月」に、ほんの数週間だけさかのぼることになる。
 というような経緯(さすがに少しボカした経緯ではあるのだが)から、冒頭のシーンを「8年12月23日」と設定し直していたのだが、最近とあることに気がついてしまった。この日は、明け方に皇太子が生まれて、サイレンが鳴って、国じゅう大騒ぎになっていた日ではないか。うかつだった。
 広島でも福屋デパートそのほか、飾ったり踊ったりしている映像がある。たぶん年が明けても浮かれたムードは続いていただろうから、やっぱり冒頭のシーンは昭和8年12月23日よりさらに前の日付にするべきなのだろう。

●2012年12月8日土曜日(856日目)

 大塚康生さんに久しぶりにお目にかかった。研究者の叶精二さんが前もって『マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを渡してくださっていたらしい。顔を合わすなり大塚さんは、なんの前置きもなく、
 「三田尻は」
と、『マイマイ新子』の舞台の話を始めた。
 大塚さんは生まれこそ島根県の津和野だが、育ち、最初に就職するまで過ごしたのは、三田尻(防府)のとなりの山口だった。
 「いやあ、三田尻はほんとうにあのとおりだったねえ」
というのが大塚さんの『マイマイ新子』評だった。
 「この次はどんなのやってるの?」
といわれ、ごくごくかいつまんだ話をしたら、
 「友だちになったニュージーランドの兵隊がいてねえ。帰国するっていうんで、呉まで見送っていったことがある」
 また少し、当時の呉との距離が縮まったような気がする。

この世界の片隅に 上

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 中

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 下

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon