COLUMN

第8回 逆転をもたらすもの

●2010年10月1日金曜日(57日目)

 『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台となった山口県防府市へ向かう。日中は東京で仕事していたもので、到着は夜になる。
 新山口駅に着いて、迎えにきた現地の方の車に乗せていただき、その足で、国衙の史跡公園へ赴く。この映画の中に何度か登場する、そこに国庁があったことを示す石碑のある場所だ。
 石碑の背後には、かつて奈良時代にそこに国庁が建っていたかもしれない広大な土地が広がっており、今はその全体が市に買い上げられて史跡公園になり、発掘が行われる日を待っている。
 明日10月2日には、この広い広い史跡公園で『マイマイ新子と千年の魔法』の野外上映が行われる。スクリーンはすでに貼られている。東京から来た僕らに、防府市文化財在郷土資料館館長の吉瀬勝康さんたち地元の方々が、そのスクリーンを見せてくださろうとしている。
 史跡公園は真っ暗だったが、暗い中でもすぐにわかる。工事用の足場を組んでそびえる正面に貼られた夜目にも白いスクリーンはとてつもなく大きく、横幅は20メートルもある。
 この野外上映会場の下見中、東京のスタッフからメールが届いた。
 これに先立つ8月25日、原作出版社の担当者の方にアニメーション化の企画を提案に行ったとき、プロデューサーの丸山正雄さんは別の所用があって来られなかった。そこで、言いだしっぺである自分1人でいろいろと話してきたのだが、その際、「『この世界の片隅に』を劇場用長編として制作したい」という話をメインに据えた話の仕方をしてきている。一方で、丸山さんの当初の意図は、片渕にTVシリーズを作らせることにあった。なんとなれば、全体として枠組みの決まっているTVの放映枠の中に新しい企画を加えることはまだしも可能性のあることなのだが、映画を1本作ろうなどというまったくゼロから立地を開拓していかなければならない作業では、困難の度合いはさらに高くなる。『マイマイ新子と千年の魔法』が公開当初から快調な滑り出しで推移していたのだったら、次回作を映画として作ることになど何も心配することもなかったのだろうが、現実には『マイマイ新子』製作費回収のためにかなりの苦労を踏んでしまっている。
 東京からのメールは、丸山さんがその意図するTVシリーズとしてよりも映画の企画として僕が原作出版社に対して強調されていることにようやく気づき、ちょっと片渕に釘を刺ささなければならないようだ、といっている、という内容のものだった。
 その丸山さんも翌日の野外上映本番にはこの会場に来ることになっている。
 アニメーションでものづくりするのにはいろんなやり方があるだろうが、毎週毎週スケジュールに追われまくることになるTVシリーズでは、「表現」の部分がおろそかになっていきかねない、と自分の場合ではそう思っている。作業のなにがしかを各話演出の人に任せなければならないことも、「自分が目指したい『表現』」ということを考えたとき、遠隔操作でききれない困難がどうしてもつきまとってしまう。映画ならば、演出は自分1人で行えばよい。感覚的に行う「表現」に徹底的に注力することもできる。そして何より、こうの史代作『この世界の片隅に』は、「表現」が大きくものをいっているマンガだった。

●2010年10月2日土曜日(58日目)

 防府における今回の『マイマイ新子と千年の魔法』野外上映とさらにその翌日の「マイマイ新子探検隊」(ファンの方々を案内してロケ地巡り)は、上映公開の前から何度となく行ってきたこの映画に関するイベントとしては華々しくも掉尾を飾るものになるだろうと思われていた(ありがたいことに、この予測はくつがえり、その後もいろいろな出来事が起こっている)。であるので、この映画の製作委員会各社のプロデューサーたちも現地入りすることになっていたし、上映に先んじて、映画BGMのスキャットを唄ったMinako“mooki”Obataさんが同じ会場でライブ・コンサートを催すことにもなっていた。
 この日は小雨が降ったりやんだりを繰り返す天気だったが、野外上映なので、当然のように雨が降ればできない。本部テントにてるてる坊主が吊るされたり、気象庁レーダーのデーターをiPadで受けて眺めたり、やきもきする時間が続いた。
 最後のギリギリで雲が去り、夕日がのぞいて、穏やかなよい夜になった。防府市の方々にとっても、この映画のファンとして全国各地から集ってくださった皆さんにとっても。丸山さんも上映途中に到着して、席を並べて腰掛け、一緒に上映を見た。
 上映後は、防府のホテルの広間を借りて、せっかく集まってくださったファンの皆さん、防府市で支援してくださる皆さん、われわれスタッフ渾然となっての懇親会となった。
 「アニメにも映画にも全く興味ないのだけれど、昭和30年頃の色鉛筆が画面に出る、と聞いて観に行ってはまり、知人にもこの映画を勧めるようになった。挙句に防府まできてしまいました」
 という色鉛筆収集家の方をはじめとして、あまりにも多彩なファンの方々の自己紹介に、丸山さんも大笑いしていた。

●2010年10月3日日曜日(59日目)

 朝、ファンの何人かの人がそこで食事しているとツィッターで喋っていたマクドナルドに行ってみる。その1人の方は、昨夜の懇親会前に丸山さんと話をしたらしく、「片渕君とは明日夜ひざ突き合わせて話をしなくちゃならない」といっていた由を聞く。
 この日は、いわゆるところの「マイマイ新子探検隊」が行われる。防府市内に点在する映画の中で使ったロケーションの場所を、僕と吉瀬勝康さんとで案内しながら巡り歩く。案内しながらしゃべるのは映画の中のことだけでなくなく、本来考古学者である吉瀬さんの解説は歴史的なパースぺクティブに基づいて広がっていって、ひとつの土地の上に重層的に重なって存在する時間の流れを、いっそう感じることができる。
 雨が降っていたが、みんな雨カッパを着て歩いた。直前にコンビニで手に入れた自分の雨具は、歩くうちに暑苦しくなってきて蒸れてきた。襟元を開けておいたらなかに水が侵入し、服がびしょ濡れになってしまった。昼食時にエイベックスの岩瀬プロデューサーがユニクロに走ってくれたりした。
 8キロの道のりを歩いて終点にたどりつき、「お疲れさまでした」と探検隊の解散式を行った。名残惜しく分かれてゆく、ファンの方々を見送っていると、
 「さあ、行こうか」
 と、丸山さんにいわれた。これから長門市の温泉まで行こうというのだった。連行される気分で車に乗る。
 宿へ着き、風呂へ入る。風呂の中で丸山さんは、ひとり黙然と眉根にしわを寄せては考えごとをしているようだった。
 宿屋に趣味のある丸山さんの選択らしく、センスよく美味しい夕食をいただいた。夕食の終わりに『この世界』の話になった。
 「原作の内容を全うさせるためには、尺としてはTVシリーズ分あるとうれしいのだけど」
 と、本心とは裏腹な反対の方角からおそるおそる切り出してみた。いや、実をいえば、TVシリーズの尺があれば、膨大な内容を持つ『この世界の片隅に』をひととおりはくまなく再現できるだろうことは間違いなく、自分の中にそうしたジレンマも確かにあったのだった。
 だが、丸山さんは、
 「いや。内容的には工夫すれば劇場の中でもできるんじゃないのかな」
 といった。
 ここが悩みどころだけど、昨日今日集まってくれたあの人たちに応えるためにも、次も劇場で行くべきなんじゃないか。あの人たちのために作る映画を考えよう、と、丸山さんは続けた。
 まず劇場用として企画営業を始めてみよう。
 これはかなり決意のいるお話なのだということは理解していただけるとよい。
 この先『この世界』が映画として完成することになったなら、それは防府に集った方々、東京や大阪、京都、その他各地の映画館にわざわざ足を運んでくださった方々のあと押しあって、ひとつの決意が定まったからなのだ。

●2011年9月23日金曜日・祝日(414日目)

 驚いたことに、翌年にも防府国衙の史跡公園には20メートルのスクリーンが貼られ、『マイマイ新子と千年の魔法』の野外上映が行われた。
 この防府では2回目の野外上映には、こうの史代さんも来てくださった。
 こうのさんも、「みんな」と時間と空間を共有しながら、夜の野外のスクリーンを眺める楽しさを理解されたようだった。
 「『この世界の片隅に』の映画もこんなふうに野外上映されるといいですね!」
 もちろん、この映画の制作はまだ公になっていない時期のことで、その後の懇親会での自己紹介で、こうのさんは、
 「ファンのこうの史代です! 東京から来ました。マンガ家やってます!」
 と名乗ってはしゃいでおられた。

●2011年10月13日土曜日(800日目)

 上映公開からすでに3年経つ今年になってなお、「マイマイ新子探検隊」は行われている。
 今回は広島から『この世界の片隅に』関係者の方々の参加もあった。
 丸山さんは、ファンの人々の前で、
 「ここに集ってくれた人たちに応えようと、われわれは次の映画を作るんです」
 と、あらためて語った。同じ気持ちは、すっかりわれわれの中に定着している。

この世界の片隅に 上

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 中

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 下

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon