1979年は、『機動戦士 ガンダム』が放映開始された年である。
製作を日本サンライズ、総監督を富野喜幸(現・由悠季)が手がけた本作は、巨大ロボットアニメの流れを変えた意味で重要な作品である。それは、主役や敵のロボットを“モビルスーツ”と呼ばれる軍用兵器のひとつにとらえ直し、近未来における戦争歴史ものとして物語を描こうとする世界観の工夫に大きく現れていた。内向的で神経質な少年アムロ・レイを主人公におき、その心の揺れを掘り下げた点も、思春期のアニメファンに等身大の親近感を与えた。俯瞰的な視点で敵味方両陣営の人間模様を切り取り、戦争における正義と悪の相対性を強調した各エピソードは、富野が追求し続けてきたテーマの完成形でもあった。玩具メーカーのCM的な役割を越え、巨大ロボットものに本格的なドラマを導入することに成功した本作だが、視聴率面では苦闘した。ブレイクまでは1年あまりのタイムラグを必要とし、そのプロセスは『宇宙戦艦 ヤマト』とも共通したものがあった。
4月には『ドラえもん』の放映がスタート。日本テレビ動画製作による1度目のアニメ(73年)が不発に終わった後、小学館の「コロコロコミック」創刊(77年)による原作掲載の場の広がりなどが追い風となり、再アニメ化が企画された。月曜から土曜までは毎日10分の帯番組、日曜日には再放映を構成した30分番組、という強力な編成は効果的だった。本作は大ヒットとなり、製作のシンエイ動画にとっては一大転機となった。
スタジオぴえろの設立も本年である。竜の子プロの演出家だった布川ゆうじが、78年に結成したグループが母体であり、鳥海永行、案納正美、押井守などの人材を呼び寄せながら、本年には第1作『ニルスの ふしぎな旅』を学研の下請けとして制作した。その背景には、74年の労働争議から77年の吉田竜夫の死を経て、竜の子プロから数多くのスタッフが流出していった状況がある。中村光毅と大河原邦男は76年、鳥海尽三は77年、笹川ひろしは79年にそれぞれ同社を離れている。前述の『ガンダム』で、中村光毅が美術監督を、大河原邦男がメカデザインを手がけることができたのも、会社の垣根がとり払われていたからである。竜の子プロにとっては痛手ともなったこの才能の拡散は、業界全体に対する技術の伝播、継承という点では大きな意味があったのだ。
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