COLUMN

第2回 それ以前のこと/長子さんのこと

 この前に作った映画『マイマイ新子と千年の魔法』は高樹のぶ子さんの自伝的小説を原作にしているが、そのほかに高樹さんがあちこちに書いてこられた自伝的エッセイにも取材している。なので、登場人物たちは、原作『マイマイ新子』で描かれた昭和30年春から翌年春までの時間の中だけに留まらない、時の流れをもっている、と自分では思い込んでいる。
 長子さんは、『マイマイ新子と千年の魔法』の主人公・新子の母だ。『マイマイ新子と千年の魔法』の昭和30年当時には29歳の若い母親。そんな長子さんが、お嫁に行ったのは、満19歳の昭和20年3月。花婿の東介さんは、海軍予備士官の特攻隊員で、長子さんの実家に入り婿した。
 東介さんは海軍航空基地の近くに間借りした下宿に花嫁を住まわせ、元々大地主の1人娘だった長子さんは、その小さな2人の部屋にちんまりと座っていたという。この人物を形作るとき、「女子中学生みたいに見える母親」にしようと思って、人形作家・石井美知千子さんの作品「読書」の三つ編みセーラー服の女学生の人形を造形上のヒントにした。高樹のぶ子さんの現実のお母様とは別に、そんな様子のままのお嫁さんだった長子さんを、頭の中で思い描いている。
 昭和30年という時代を描くのはたやすかったと思う。自分が生まれた昭和35年以降ともあまり大きな隔たりがなかったし、たとえば、新子の同級生でお医者の娘である貴伊子のイメージを作るときには、文学や映画などからイメージを得られることの多い戦前の中流階級の娘を想像すればよかった。戦前と昭和30年頃とはいろいろなものが直結しているのだった。戦時中と戦後の困窮期だけがその道のりから一時的に、そして大きく外れてしまった異端の世界であるように思われた。
 『マイマイ新子と千年の魔法』で、多くの観客たちがこの映画の「昭和30年」にノスタルジーを感じないといってもらい、自分たちの生きる時代に直結するものとして感じ取ってもらえたのだとしたら、だとしたら、もう10年描く時代をさかのぼらせたらどうなるのだろう? 観客は同じように感じてくれるのだろうか。そんなことを、いつしか考えるようになっていた。
 それは全く相いれないものなのだろうか。それとも、それすらも自分たちの世界とつながるものとして感じさせることができるものなのだろうか。

 吉瀬勝康さんは、考古学者であり、防府市教育委員会の文化財課長。ロケハンで出会って以来、公私にわたって『マイマイ新子と千年の魔法』への支援をいただいてしまっている。「ご当地映画の舞台となった市の職員として」などという次元でではない。
 映画が公開された2009年11月には、吉瀬さんが館長を務める文化財郷土資料館で、「防府にかかる千年の魔法〜『マイマイ新子』のふるさとを訪ねて〜」と題した企画展を催していただいた。その開催期間中の12月12日には、防府市を訪れたこの映画の監督である僕が、吉瀬館長と並んで、講座室でトークをする機会を作っていただいた。このときの吉瀬さんの熱弁は忘れられない。
 「『マイマイ新子と千年の魔法』には特別な事件が描かれていない、ただ淡々としているという人もいるけれど、とんでもない。子どもの目から見ればあそこに描かれているすべてが大事件です」
 そのときの吉瀬さんは、メモやなにかの類をマンガの柄のクリアファイルに挟んで持っておられた。靴を脱いだはだしの女の人が空を見上げながらあるいている図柄だった。
 あとで、聞いてみた
 「あ、これ? 下関の高校で先輩後輩の関係にあるのが、これを原作にした映画を作って、その講演に広島へ行ったときもらってきたんです」
 それが『夕凪の街 桜の国』で、吉瀬さんは佐々部清監督と同郷だったのだった。
 「マンガです。いいですよ、これ」
 吉瀬さんは、昼間『マイマイ新子と千年の魔法』を聴衆の前で語った時と同じ目をされた。
 その次に翌年3月6日に防府を訪れた時だったか、『マイマイ新子と千年の魔法』の私的かつ内的なスピンオフとしての「昭和20年の長子さんの話」を吉瀬さんにしてしまったらしい。同席していたマイマイファンの宮坂浩司さんが、たしかそんな会話だったと覚えているという。
 そういわれれば、
 「だったらこれですよ」
 と、吉瀬さんが再び『夕凪の街 桜の国』のクリアファイルを持ち出されたような、うっすらとした記憶がある。
 「いえ、これそのものではなく、この同じ作者の別な漫画があって」

 だいぶ経った夏になって、そのとき題名を教えられた漫画を読み始めていた。
 そうして、8月6日に至る。