一本の映画を作り始めている。
そのそもそも発端から完成目標までをおおよそ1300日、と個人的に見積もってみた。制作部による現実的なスケジュールの線引きは、まだ行われていない。なので、これはこの先で変わっていくかもしれない。
●2010年8月6日金曜日(1日目)
はじまりの日。
今になってあらためて思えば運命的な日付でもあってしまうこの日、丸山正雄プロデューサーと話をした。
この頃、2009年夏に完成した『マイマイ新子と千年の魔法』の次回作になる企画を模索している。丸山さんには、片渕には次はTVシリーズを作らせたい、というかなりはっきりした思いがあったらしかった。
とある企画の話をしたあとで、丸山さんはつけ加えてこういった。
「じゃあ、なんか別の企画なあい? 『マイマイ』的なのがあるといいんだろうけど」
『マイマイ新子』的な企画など、おいそれと存在し得るものではない。あれは日本の商業的なアニメーションの状況の中ではかなり異質な存在なのだ。少なくともこの時点ではそうだった。『マイマイ新子』完成後に、「次はこれをやらないか?」と様々な人から持ちかけられた企画はおおよそ『マイマイ新子』的な向きではなかったし、この日までいじりつづけてきていたTVシリーズの企画も『マイマイ新子』とは全然違った方向性のものだった。
丸山さんはここへきて、「『マイマイ』的な企画なあい?」と問いかけてきた。
2009年11月に劇場公開された『マイマイ新子と千年の魔法』には、12月半ば頃には客席が埋まるようになってきていて、「春休みになってもまだ上映されているといいね」といっていたものが、ゴールデンウィークになってもまだ上映されており、夏休みにさしかかってまだ上映されていた。
そうした流れを眺めていた丸山さんは、こいつ本来の持ち味はこの辺なんだろうな、と思ったのだろうか。どうあろうと、そう問われたこの瞬間は逃すべきでない。
「それだったら、ちょうどいいのがあります」
と、いくらか瀬踏みするよな気持ちで、おそるおそる答えた。
片渕「ただ、でも、その本、まだ読んでる途中なんです」
丸山「平行して僕にも読ませて」
片渕「じゃあ、週明けにもってきます」
家に帰ってから、続きを読みふける。
読みつつ、朝までに何度か感情が高ぶった。
この手元にある本を丸山さんに手渡したあとのことを考えて、上中下3巻揃いをもう1セット手に入れる算段をする。
●2012年8月17日金曜日(743日目)
最初の日から丸2年と少し経った。形になった画面は、まだ1カットも存在しない。
僕も丸山さんも、自分たち自身の口から公言することこそ控えてはいたが、作ろうとしている映画のことを特段内緒にしておく必要はないと感じていた。一番早くは、2年前の2010年11月10日、すでに企画書の表紙が、それを持ち込まれた方のブログに載せられていた。
準備を2年も続けていると、お世話になった方の数もかなり多くなっていたし、かなり広いあいだで「公然の秘密」のようなことになっていた。別に秘密でなければならない深い理由があるわけではない。いっそ、自分たちは今こういうことをしている、と明らかにした方が、失礼も減らせるだろうし、得られる支援もあるのかもしれない。
「ならばいっそ夏にはポスターを作って貼り出そう」
と決めたのは、今年5月のことだった。これからこういう映画を作ります、というポスターなのだから、映画宣伝の常識的にはちょっと異例なものだ。
広島在住の作家くぼひできさんとは、2010年7月に、広島のサロンシネマで『マイマイ新子と千年の魔法』が上映されたとき、観客として来られたところをお知り合いになった。
5月24日朝、たまたま東京へ出かけられるくぼさんと、広島に到着したばかりの自分たちは、広島駅新幹線口のカフェを兼ねたパン屋さんで落ち合った。お目にかかったくぼさんに、ポスターを作ろうと思ってるんですけど、と話してみた。
「それなら、自分自身が運営に携わるアニメーションの催しが8月にあるので、そこでまず貼りましょう」
くぼさんにそういってもらって、あてができた。
ポスターの図案は、これまでの準備作業の中で描いてきたスケッチや絵コンテだけで構成することにした。いわば、映画の設計図だけで作るポスターだ。デザインを、『マイマイ新子と千年の魔法』のロングランでお世話になった杉並の映画館ラピュタ阿佐ヶ谷の専属デザイナー須川理瑛さんにお願いすることを思いついた。
ラピュタ阿佐ヶ谷は名画座なので、上映されるのは宣伝材料も使えない古い映画が多いのだが、この映画館では上映プログラムごとのポスターを自身の手で次々と作って町に貼り出していた。仕事場が同じ阿佐ヶ谷にある僕たちは、通りを歩くたび、須川さんのセンスのよいポスターに目を惹かれていた。
8月17日、くぼさんがいっておられたイベント「広島あにこむ2012」の会場への搬入日。その夜、ポスターを貼り終えたくぼさんが、貼り出したポスターの画像をTwitterに上げた。
こうして、われわれが手がけつつある仕事の存在は、周知のものとなった。