COLUMN

第293回 100周年に向けて 〜アルプスの少女ハイジ メモリアル音楽集〜

 腹巻猫です。11月27日にSOUNDTRACK PUBレーベル第37弾として「アルプスの少女ハイジ メモリアル音楽集」を発売します。TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』の放映50周年を記念したCDアルバムです。2008年に2枚組の限定版CDが発売されていますが、今回は3枚組。初商品化音源を大幅に補完した決定版です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DM1RD7HZ
 発売を記念して、11月30日に神保町・ブックカフェ二十世紀でトークイベントを開催します。CDの特価販売もしますので、ぜひご来場ください!
 詳細は下記URLから。
https://www.soundtrackpub.com/event/2024/11/20241130.html


 TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』の音楽については、当コラムでも一度取り上げたことがある。そのときは、主に音楽的な魅力について書いた。
 今回は、CDの制作過程で判明した『アルプスの少女ハイジ』の音楽の全体像について、また、新しいCDが過去の商品とどう違うのかについて、語ってみたい。
 『アルプスの少女ハイジ』の物語について詳しく説明する必要はないだろう。
 両親を亡くし、5歳のときアルムの山に住むおじいさん(アルムおんじ)に預けられたハイジは、大自然の中で天真爛漫に育ち、その素直な心で出会った人々の心を解きほぐしていく。
 物語は、アルムの山を舞台におじいさんやヤギ飼いの少年ペーターとの交流を描く第1部、大都市フランクフルトを舞台に足の不自由な少女クララとハイジの友情を描く第2部、そして、再びアルムの山を舞台にクララが歩けるようになるまでを描く第3部に大きく分けられる。本稿では、便宜上それぞれを「アルムの山編」「フランクフルト編」「再会のアルム編」と呼ぶことにする。

 『アルプスの少女ハイジ』の音楽(BGM)はこれまで何度か、レコードやCDの形で商品化されている。しかし、著名な作品でありながら、BGMが全部で何曲あるのか、録音が何回行われたのかなど、基本的な情報すらはっきりしていなかった。
 『アルプスの少女ハイジ』のBGM(劇伴)は、大きく分けると次の3つに区分できる。

(1)オリジナルBGM
(2)現地録音音源
(3)エキストラ音楽

 (1)のオリジナルBGMとは、渡辺岳夫が本作のために作曲した音楽のことである。過去の音楽集アルバムに収録されていたのは、すべてオリジナルBGMだ。
 (2)の現地録音音源は、渡辺岳夫らがスイスで収録した民族楽器などの演奏のこと。劇中で流れるヨーデルの曲もこれに含まれる。
 (3)のエキストラ音楽とは、特定の場面や特定のエピソードでの使用を想定して、レギュラーで使用される音楽とは別に用意された楽曲のこと。その多くは既成曲である。たとえば、フランクフルトの街を描写する音楽として使用されたモーツァルトの楽曲などがこれに該当する。
 まず(1)のオリジナルBGMについて。2008年に発売された2枚組CD「アルプスの少女ハイジ オリジナル・サウンドトラック(限定盤)」の解説書にはBGMの録音回数は5回と書かれている。その録音回数を頭につけたMナンバーも表記されている。しかし、筆者はこれについて疑問を感じていた。
 そもそも、1981年に日本コロムビアから発売されたLPアルバム「テレビオリジナルBGMコレクション アルプスの少女ハイジ」の構成からして、不思議なところがあった。全体的には物語の流れに沿って曲を並べているのだが、番組の後半で初めて使用される曲が頭のほうに収録されていたりする。また、ハイジがフランクフルトからアルムに帰ってきた場面をイメージして「ただいまおじいさん」と名づけられた曲が収録されているのだが、その曲は実際にはそういう場面には使用されていない。曲順や曲名が本編の使用場面を反映しておらず、イメージアルバム的な構成になっているのである。
 ただ、それはこの時期のアニメサントラではよくあることだった。まだ家庭用ビデオも普及していない時代。映像ソフトも動画配信もない。本編を見直すには再放映を待つしかない時代だ。だから、音楽集を構成するときは記憶やTVから録音した音声が頼りだった。そのため、構成ミスや解説の誤りは珍しくなかった。それでも音楽が商品化されるだけでありがたかったのである。
 2008年発売の「アルプスの少女ハイジ オリジナル・サウンドトラック(限定盤)」は、基本的に「テレビオリジナルBGMコレクション」の構成をそのまま生かし、未収録曲を追加する形で構成されている。その結果、曲順や曲名の不自然さは、そのまま残されてしまった。全5回という録音回数も、「テレビオリジナルBGMコレクション」の構成が録音順を反映していると仮定しての仮説だろう。
 では、『アルプスの少女ハイジ』のBGMは本当は何回録音されたのか?
 今回のCD制作にあたり、渡辺岳夫の音楽事務所である三協新社に保管されていた資料を参照して詳細な調査を行った。渡辺岳夫が書いた音楽リストとスコアがほとんど残っていたのだ。判明したBGMの録音状況は以下のとおり。

第1回録音:1973年12月7日録音 約25曲
 第1話用の音楽。
第2回録音:1973年12月18日録音 約40曲
 「アルムの山編」の音楽。第2話から使用。
第3回録音:1974年5月2日録音 約40曲
 「フランクフルト編」の音楽。第19話から使用。
第4回録音:1974年9月11日録音 約20曲
 「再会のアルム編」の音楽。第38話から使用。

 これ以外に小規模な録音が数回行われているが、核となるセッションは4回である。物語の舞台が切り替わるタイミングに合わせて追加録音が行われていることがわかる。
 過去の商品ではBGMのMナンバーの表記誤りもあった。サウンドトラック研究において、「Mナンバーが正しくない」というのは、研究の基盤をゆるがす一大事である。サントラの世界では「曲名は変わってもMナンバーは変わらない」というのが暗黙の決まりだからだ。今回は渡辺岳夫が遺した音楽リスト及びスコアと音源を照合し、すべての楽曲の正しい録音時期とMナンバーを特定することができた。これだけでも、今回のCD制作は意義があったと思っている。
 次に(2)の現地録音音源について。渡辺岳夫はスイスに数回にわたって音楽取材に訪れている。そのとき、現地でさまざまな民族楽器の音や歌を録音している。たとえば、ヨーロッパの民族楽器ハックブレット(金属弦を叩いて音を出す楽器)やアルペンホルン、カウベルなどの演奏である。この録音の一部は劇中にBGMとして使用されているが、もともとは作曲の参考にする意図もあったのではないかと思う。当時のスイスの息吹を感じられる貴重な録音である。
 (3)のエキストラ音楽としては、フランクフルト編で流れるモーツァルトの「ディベルティメント ニ長調」や同じくフランクフルト編でオルガン弾きの少年が演奏する手回しオルガンの曲などがある。エキストラ音楽はその性質上、1回〜数回しか使われないことが多い。それをわざわざ時間と費用をかけて録音するのはもったいないので、TVアニメやTVドラマでは、既存の音源(レコードやCD)を流用することがよく行われている。しかし、『アルプスの少女ハイジ』では、こうした曲もすべて新録音している。音楽テープに録音セッションが残っており、NGテイクも記録されているのである。既存のレコードの流用だったら権利上の都合で収録できないケースが多いが、本作のエキストラ音楽はオリジナル録音なので、支障なく収録することができた。

 あらためて、11月27日発売のCD「アルプスの少女ハイジ メモリアル音楽集」の全体の構成を紹介したい。
 CD3枚組のディスク1には、主題歌・挿入歌と現地録音音源、エキストラ音楽を収録した。主題歌・挿入歌は、レコードサイズのほかにTVサイズやカラオケなどのバリエーションも可能な限り収録している。
 現地録音音源やエキストラ音楽の存在はこれまでも知られていたが、過去の音楽集アルバムにはいっさい収録されていない。歌ものやオリジナルBGMの収録を優先すると、どうしても特殊な録音は後回しになってしまうのである。が、今回は3枚組である利点を生かし、初めての商品化が実現した。『アルプスの少女ハイジ』の音楽世界の全貌を明らかにする快挙である。
 ディスク2とディスク3は「BGMコレクション」として、オリジナルBGMを新構成で収録した。過去の商品に未収録だった曲も含め、音源が残っている楽曲はすべて収録している。構成は、一部の短い曲を除いて1曲1トラック形式とし、物語の流れに沿った曲順でまとめた。名場面と音楽をセットで記憶している熱心な『アルプスの少女ハイジ』ファンにも違和感なく聴いてもらえるアルバムになったと自負している。
 細かい収録曲は下記を参照。
https://www.soundtrack-lab.co.jp/products/cd/STLC060.html

 YouTubeで試聴用動画も公開中。
https://youtu.be/nN1u20l8J-Q

 最後に、こうした過去の作品の音楽を商品化するねらいと意義について書いておきたい。
 筆者は2024年10月5日に国立映画アーカイブで開催された「マグネティック・テープ・アラート」というイベントに参加した。「マグネティック・テープ・アラート」とは、磁気テープの経年劣化と再生機器の生産および保守の終了などにより、2025年頃にはテープのデータを移す(バックアップする)ことができなくなる可能性が高いという国際的な警鐘のことである。「いや、80年代に録画したうちのビデオテープはまだ再生できる」という方もいると思うが、ここで言っているのは、「記録当時の状態に近い良好な品質で保全する」という意味だ。イベントでは、磁気テープ等に記録されたデータの保全活動を研究機関がどのように行っているのか、事例が紹介された(下記参照)。
https://www.nfaj.go.jp/onlineservice/mtap/
 では、サウンドトラックの現状は?
 昭和の劇場作品やTV番組の音楽のほとんどが磁気テープで記録されている。そして、それらは劣化が進み、すでに再生困難になったものや、廃棄されたものが多い。音楽テープの保存は制作会社や制作スタッフにゆだねられており、国立映画アーカイブのような公的なアーカイブ機関が存在しないのである。
 実は『アルプスの少女ハイジ』の音楽テープの中にも劣化により再生困難なものがあった。CDには多少のノイズは目をつぶって収録した。なぜなら、今アーカイブしておかないと、次のチャンスはないかもしれないからだ。アーカイブしたデータはもちろん大切に保存するが、商品にして多くの複製を作っておけば、後世まで残る可能性は高くなる。
 旧作のサウンドトラック・アルバムの制作・発売は、作品を観ていたファンに向けてという面が大きい。よろこんでくれる人、聴いてくれる人のためである。しかし、それだけでなく、貴重な音楽遺産を保全するという意義も大きいと筆者は考えている。録音回数やMナンバーなどの正確な情報を残すことも同様で、それが将来『アルプスの少女ハイジ』の音楽を研究しようとする人の役に立つはずだ。
 「アルプスの少女ハイジ メモリアル音楽集」は『アルプスの少女ハイジ』の音楽を50年後、100年後まで残すことを考えて作った。商品を多くの人が買ってくれれば、50年後にもいくつかは残っているだろう。CDの物理的劣化は避けられないとしても、国会図書館ではCDと紙資料のデジタルアーカイブを進めているので、データは残るはずだ。50年後の『アルプスの少女ハイジ』放映100周年の年、筆者はこの世界にはいない。が、そのあいだに誰かが『アルプスの少女ハイジ』の音楽研究を一歩進めてくれる。そうなることを願っている。


 11月30日のイベントでは、CDの解説書や当コラムに書ききれなかったことも含めて、資料を参照しながらお話したいと思います。興味のある方はぜひどうぞ。
https://www.soundtrackpub.com/event/2024/11/20241130.html

アルプスの少女ハイジ メモリアル音楽集
Amazon