COLUMN

『タイガーマスク』を語る
第6回 第54話「新しい仲間」

 前回、前々回で取り上げた第50話「此の子等へも愛を」と同じく、第54話「新しい仲間」も柴田夏余が脚本を書いている。第54話も柴田の力が大きいのだろう。第50話はあまりにも難しいところを狙っていたが、第54話では脚本家としてのよさが、分かりやすいかたちで発揮されている。
 第54話「新しい仲間」(脚本/柴田夏余、美術/浦田又治、作画監督/村田四郎、演出/設楽博)のモチーフは「過保護」である。過保護は今となっては普通に使われている言葉だが、多用されるようになったのは1970年前後であるらしい。そして、このエピソードが放映されたのが1970年10月8日。第54話は放映当時においては最新の話題を取り入れたエピソードであるわけだ。

 ちびっこハウスに新しい仲間がやってきた。母子家庭で育った少女であり、母親が亡くなったのでハウスで暮らすことになったのだ。健太によって、小柄な彼女にミクロというニックネームがつけられる(現在の感覚だと、つけられた側が可哀想に思えるニックネームである)。ミクロはハウスの子供達と馴染むことができず、学校にも行こうとしない。
 この話で物語を進めるのは直人ではなく、ルリ子である。ルリ子は兄である若月先生の許可を得て、ミクロについて調べ始める。まずはミクロが仲間と馴染むことができない様子が、幼い頃の直人に似ていると感じたルリ子は電話で彼に相談する。ただ、ルリ子は直人の連絡先を知らないようで、日本プロレス協会を通じてタイガーが泊まっているホテルを教えてもらい、以前、健太が家出した際(第6話、第7話)に言葉を交わしたタイガーに相談するという体で電話を入れる。ルリ子はタイガーの正体が直人であることに気づいているのだ。直人にアドバイスをしてもらったルリ子はミクロが母親と暮らしていたアパートを訪れて、管理人と住人に、かつての母子の生活についての話を聞く、次に以前に通っていた小学校に行って、当時の担任の先生に学校でのミクロの様子を話してもらう。このあたりの展開はまるで刑事ドラマのようだ。ルリ子はミクロが人付き合いが苦手なのは母親譲りであり、学校を休みがちなのは過保護に育てられたからであることを突き止め、さらにミクロの様子から、ハウスの子供達の仲間に入れない理由に気づき、そのことで涙を流す。
 ミクロが立ち直るきっかけになったのはタイガーのファイトだった。テレビで中継されていたタイガーの試合を健太達と一緒に観戦し、彼の勇姿に感動したのだ。ルリ子がタイガーと親しいことを知っているミクロは、彼女にタイガーについて話をしてほしいとせがむ。ルリ子は彼女の想像も交えて、タイガーのことをミクロに語る。タイガーはミクロと同じ孤児であり、以前は人に嫌われる反則レスラーだった。だが、自分の意志で自分を変えたのだと。それをきっかけにしてミクロは考えを改め、学校へ通うようになった。
 ミクロが学校へ行くことになったことを知って直人は喜ぶ。彼はそれまで、自分は金を使うことでしか子供達に何かをしてやることができないと思っていたが、今回のことで、それ以外の何かができるのかもしれない、そう考えることができるようなった。直人のドラマとしては、この気づきこそが重要であり、それが第64話「幸せの鐘が鳴るまで」で結実することになる。

 このエピソードの序盤で、ハウスに来たばかりのミクロに対して、ルリ子が自分の荷物を押し入れに入れるように言うが、ミクロはそう言われたことが意外だった。「お姉さん(ルリ子)が荷物を押し入れに入れてくれないのは忙しいから?」という意味の質問をする。今までそういったことは母親がやってくれたのだ。ここでのミクロを世間知らずで手がかかる子供として描くこともできたはずだが、そうはしていない。あどけない女の子として描写しているのだ。このあたりの匙加減が巧い。
 少し後の場面でルリ子はミクロの荷物を確認する。彼女の服はどれも綺麗に洗濯され、アイロンがかけられていた。ルリ子はそのことから、亡くなった母親が愛情を込めてミクロを育てていたことを感じ取り、さぞやミクロのことが心残りだっただろうと、ミクロの亡母に想いを馳せる。
 ルリ子がアパートや学校に赴いて、かつての母親とミクロについて話してもらう部分も、少ないセリフで二人の生活をくっきりと描き出している。そして、ここでも母親がミクロを大事にし過ぎていたことを提示しつつ、それだけ娘のことを愛していたという描写にしている。
 第54話で感心するのは問題となっている過保護について、必ずしも否定的に扱っていないことだ。過保護をネガティブに描写し、親が悪いのだとするエピソードにしたほうが、センセーショナルであり、話題になっただろう。だが、この話の脚本はそうはしなかった。過保護であったことは問題であるが、そうなったのは亡母の愛ゆえであり、可愛がられて育ったからミクロは無垢で愛らしい少女に育った。そういったバランスで物語を紡いでいる。そのバランスが好ましい。

 第54話「新しい仲間」について、別の角度からもう少し語りたい。このエピソードは過保護に育てられた少女が立ち直るまでの物語だが、それと同時にルリ子という一人の女性を、ひとつの切り口で描ききったものである。むしろ、このエピソードの価値はそこにある。ルリ子はミクロの問題について、どうしてそうなったのかを調べ、現在のミクロを否定せずに受け止めて、その上でミクロが前に進んでいくことを応援する。その子供に対する誠実さは、フィクションの中の登場人物ではあるが、尊敬に値すると思えるほどだ。そして、この話のエピローグ部分で、ルリ子の価値感や人生観が浮き彫りになる。
 ミクロは立ち直り、学校に通うようになった。ルリ子はそのことを巡業中のタイガーに電報で伝える。学校に行くミクロを見送った際のルリ子のモノローグの一部を引用しよう(なお、ルリ子はミクロのことを、そのニックネームで呼ばず、本名に近い「ミッちゃん」で呼んでいる)。

「………ミッちゃんは軌道に乗って歩き始めた。まだまだ失敗はするでしょうけど、前向きに歩き出した子には、失敗さえも前進する力になるわ」

 歩き出した途端に「まだまだ失敗するだろう」と決めつけているのも凄いが、それだけ、ルリ子は人生を厳しいものだと考えているということだ。注目したいのは「前向きに歩き出した子には、失敗さえも前進する力になる」の部分である。とんでもないセリフだ。彼女は前向きに生きていくことの価値を、前向きに生きる者の力を信じているのだ。
 さらにモノローグは続く。ミクロはハウスに来る前からタオルケットを大事にしていた。どうやら彼女が赤ん坊の頃から使っているもののようで、母親の存命中にも、ミクロはそのタオルケットを洗うことを許さなかった。彼女はそのタオルケットに包まれると安心できるらしい。いわゆる「ライナスの毛布」だ。ミクロを見送った後、ルリ子はタオルケットを洗ってしまう。以下がそれについてのモノローグだ。

「ミッちゃんが洗うなって言うから、亡くなったお母さんは洗ったことのないこのタオルケット。でも、もう洗っても泣かないって、あたし、信じるわ。過保護の垢を洗い落とすのよ」

 「過保護の垢を洗い落とす」というセリフが抜群にいい。タオルケットを洗うということは、ミクロの甘えを断ち切ることを意味しているということだ。この一連のモノローグは本当に素晴らしい。
 ルリ子はミクロに対して、学校に行くことを強要をせず、無理をさせず、自分の力で立ち上がるのを見守ってきた。しかし、ミクロが前に進み出したところで、タオルケットを洗うことで背中を一押ししたのだ。今の目で観るとその一押しは乱暴に思える。しかし、ルリ子にとっても、その一押しをするには勇気が必要だったはずだ。それがモノローグの「あたし、信じるわ」の部分に込められている。彼女が真摯にミクロに向き合っているからこそ、その一押しができたのだと、視聴者の一人として受け止めたい。繊細でありつつも大胆。練りに錬った脚本だ。

●『タイガーマスク』を語る 第7回 第55話「煤煙の中の太陽」 に続く

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