●「この人に話を聞きたい」は「アニメージュ」(徳間書店)に連載されているインタビュー企画です。
このページで再録したのは、2008年6月号「この人に話を聞きたい」掲載の第百九回 原恵一のテキストです。
2月に彼の監督作品をまとめて上映したオールナイトがあり、そのトークショーで聞き手を務めた僕は、『河童のクゥと夏休み』について疑問に思っている事をうかがった。疑問だったのは原監督が、あの映画でわざと格好いい演出をしていない事であり、それについての彼の回答は「誠実に作りたかったから」というものだった。そのトークショーでの話は興味深いもので、それを含めた彼のアニメ観を記事として残したいと考えて、原監督に登場していただこうと思った。
PROFILE
原恵一(Hirata Toshio)
演出家。1959年(昭和34年)7月24日生まれ。群馬県出身。血液型B型。東京デザイナー学院アニメーション科卒業。CM制作会社を経て、シンエイ動画に入社。『ドラえもん』で演出デビューをし、『エスパー魔美』でチーフディレクターを務める。劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズでは、第5作『暗黒タマタマ第追跡』から第10作『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』まで監督を務めた。最新作は、昨年公開された『河童のクゥと夏休み』。これは彼が20年前からアニメ化したいと思っていた企画だった。『戦国大合戦』『河童』は高く評価され、多くの映画賞を受賞。現在はフリーとなり、次回作の準備中。
取材日/2008年4月16日 | 取材場所/東京・新宿 | 取材・構成/小黒祐一郎
―― この前のオールナイトでの話が興味深い内容だったので(注1)、同じテーマで改めてお聞きしたいと思います。僕は、原さんを格好いい演出をする人だと思っていたんですよ。『ドラえもん』や『エスパー魔美』でも、格好いいカット割りや、カメラアングルをやっていた。映画の『クレヨンしんちゃん』でもそういったところがあった。『河童のクゥと夏休み』もそういう映画かと思ったら違っていた。
原 そういう格好いい演出は、ある程度やってきたという気持ちもあったんです。特に『クゥ』に関しては「この作品には、格好いいと思わせるような部分はいらない」と考えていた。なるべく無造作に見えるような演出を心がけた気がします。
―― オールナイトでは「誠実に作ろうと思ったら、ああなった」という言い方をされてましたよ。
原 そういう事なんですよ。「必要以上に楽しませる映画にはしないぞ」という気持ちは、持っていたと思うんですよ。リアリティだったり、悲しさとか、切なさみたいなものを、誤摩化さずに観てる人に伝えるには、そういった楽しませる部分を犠牲にする必要がある。それでも観てもらえるものができるような気がしていました。
―― 「楽しませる部分を犠牲にする」というのは、演出の幅の問題ですね。原さんの中に演出の幅があって、今回はその幅の中で、そういった部分で楽しませる方向にはいかなかった。藤子アニメや『しんちゃん』でやった事を否定したわけではないんですね。
原 否定したわけじゃないです。ただ、芸風という言い方は変だけど、自分のそういったものが変化してると思うんですよね。カメラアングルに関しても、昔はちょっとケレン味を感じさせるような事をやっていたけど、劇場版『しんちゃん』でも自分の後期のものは、ほとんどカメラワークを使ってないですからね。
―― カメラポジションも普通ですよね。
原 そうそう。どんどん普通になってきているでしょうね(笑)。
―― 話をさかのぼって、劇場版『しんちゃん』についてうかがいますね。監督になってからの最初の3本は普通に作っていたんですよね。
原 最初はね、多分『しんちゃん』的なものを作ろうと思ってたんですよ。本郷(みつる)さんとやってた時もそうだったんだけど(注2)、普段の『しんちゃん』は日常がベースで、狭い世界の話だけど、劇場版になると、びっくりするぐらい大きな仕掛けがあって、演出も映画的になる。僕はそういうところに楽しさを見出していて、自分が監督をやるようになってからも、同じ流れで「次はどんな映画のパロディをやろうか」なんて考えていた。
―― ネタの方向性は、本郷監督時代と違うけれど、色んな事を盛り込むのは同じだったんですね。
原 そうだったと思います。笑いがあったり、アクションがあったり、感動する場面があったり。『しんちゃん』の劇場版は、欲張りな映画にしなければいけないという意識はあったんです。
―― 最初の3本が『暗黒タマタマ大追跡』『ブタのヒヅメ大作戦』『温泉わくわく大決戦』。思い返すと、この3本は同じトーンですね。
原 そうですね。どんどん悪ノリをしていった感じです(苦笑)。でも、『暗黒タマタマ』は本当につらかったんですよ。これは別の取材でも喋った事だけど、自分が監督になったら、どんどんアイデアが出てくると思っていた。だけど、自分の中から出てくるものがあまりにも無くてね。それは驚いたし、焦りました。最初に粗筋を書いたんですけど、それを自分でも面白いとは思わなかったしね。手伝うのと監督をやるのは、全然違うんだと思った。僕の後に、水島(努)とムトウ(ユージ)ちゃんが監督をやっているけど、みんな同じ経験をしたと思うんですよ。水島も「自分でやってみて、原さんが言ってた事が本当だと思った」と言ってた。
―― 絵コンテとして劇場版『しんちゃん』に参加していた時の方がのびのびとできた?
原 ずっとのびのびとやっていたと思う。監督としても同じようにできると思っていたけど、そうじゃなかった。『暗黒タマタマ』はほろ苦かったっすよ。
―― 仕上がりじゃなくて、自分の作ってる気持ちが?
原 作ってる気持ちが。終わっても、まだほろ苦くて(苦笑)。でき上がったのを観ても「これでよかったのかな?」と思ってた。でも、映画って観た人の反応が分かるじゃないですか。それで面白いと思っている人が結構いると分かったのが救いでしたね。本郷さんが監督だった時は、自分としてはかなりの分量の絵コンテをやっていたわけだし、「自分で全部をできたら、さぞかし面白かろう」と思ってたんです。だけど、絵コンテとして参加していた時は、本郷さんのカラーの中で遊ばせてもらっていたんですね。それで、本郷さんのカラーからちょっとはみ出した部分が、多分、面白かったんだろうなと自分でも思う。
だけど、自分が監督する時に同じ事はしたくないんですよね。本郷さんとは違うものを作ろうと考えたときに、そのための練習をしてなかった。そういう事だったんだろうと思うんです。―― 次の『ブタのヒヅメ』は気持ちよく作れたんですか。
原 そうですね。1本つくってちょっと気が楽になったというか。『ブタのヒヅメ』は割とリラックスしてできたと思いますよ。
―― ネタ的にもそんなに困らず?
原 『暗黒タマタマ』ほどは困らなかった気がします。ちょっと話が戻るけど『暗黒タマタマ』は、今は愛着がありますけどね。何年かたって観直した事があって、その時に「結構面白いな」と思った(笑)。
―― いや、面白いですよ。僕は、原さんが監督の『しんちゃん』では一番好きかもしれない。『暗黒タマタマ』は変わった仕掛けがなくて、普通に面白いんですよ。
原 とにかく、バカバカしいよね。
―― 次が『温泉わくわく大決戦』ですね。前にこの連載に登場してもらった時にも話題にしましたけれど(注3)、かなり趣味性が出ていて、邦画だったり、ドリフといったネタが入っていたり。
原 あれが『しんちゃん』の映画の中で、自分が一番悪ふざけした映画だったんでしょうね。
―― 次に手のひらを返したように、子供向けの『嵐を呼ぶジャングル』が来る。
原 『温泉』が、歴代の『しんちゃん』の中で興行成績が最低だったんですよ。それまでも僕が作っている間、『しんちゃん』の映画は毎年興行成績が下がっているんですよね。毎回「また下がった。どうしたらいい?」と言われてたんですけど、周りの人達の意見をあんまり聞いてなかったんです。僕はとにかく1本、自分で作れればいいと思っていたんですよ。作れば成績が悪くても、目的は達成できると。毎年「これで次の年が無くてもいいや」という気持ちではあったんですよね。だけど、『温泉』の後でもう1回だけ作ろうという話が出たんです。
成績が落ちた理由のひとつとして、僕が悪ふざけをしたというのが考えられるわけです。子どもを楽しませるよりも、大人を喜ばせるような事をやってたわけですから、それは自分でも自覚はあるんです(苦笑)。それから『しんちゃん』の映画って、大きな敵が現れて野原一家が巻き込まれて、最後には一家としんちゃんが悪を倒して、世界の危機を救うという作りが一貫していたんですよ。だから、それを変えたらいいんじゃないかという話になって、みんなの意見を取り入れて、野原一家の漂流記みたいな話を書いたんですよ。その線で稿を重ねたりしたんだけど、結局みんな、ピンと来なくて「やっぱり悪は必要なんだね」という事になったんです。それでパラダイスキングという悪役が生まれたんですよ。ただ、悪はいるけど今までとは違う。外界とは隔離された場所での物語としてお話を作ったんです。僕も今までの罪滅ぼしじゃないけど、なるべく子どもを楽しませようと思ったんですよね。 「これで最後だ」というつもりだった。最後に子ども達を今までよりは喜ばせて、『しんちゃん』の映画は幕を閉じる事になるだろうと思ってたんです。でも、そうしたら前の年より興行成績が上がったんですね。やめる理由も無くなっちゃって「また来年もあるよ」という話になったんですけど、その時は、本当に「次は何をやればいいんだろう?」という気持ちでしたね。本当に困った。―― それで苦肉の策的に始めたのが、万博テーマだったわけですね。(注4)
原 そう。これもあちこちで言ってるんだけど『オトナ帝国』を作り始めた時に、ああいったかたちは全くイメージしてなかったです。やっぱりバカバカしいものとして作ろうと思ってた。
―― 作っているうちに、その懐かしい世界の描写に入れ込んだ?
原 僕自身がモチーフにとらわれていったんだと思うんですよ。万博の記憶が蘇ったのが一番大きかったかな。僕自身も小学校5年生のときに、万博に行ってるんだけど、全然、満喫できなかったのね。期待は凄かったんだけど。ツアーだったから1日しか無くて、全然見れなかった。
―― いろんなパビリオンを回る事ができなかったんですね。
原 そうなんです。『オトナ帝国』を始める前に、会社で同じような年頃の演出の人達と話していて、何かのきっかけで万博の話題になったら、皆がものすごい勢いで喋りだした(笑)。「実は俺も行ったんだけど。アメリカ館もソ連館も見れなかったんだよ」とかね。本当に5時間くらい立ち話してたんですよ。熱く語り始めて、俺も次から次へと思い出が蘇ってきてね。その日はほとんど仕事にならないわけですよ(苦笑)。だけど、その時はまだ、映画の話としては考えていなかった。「この気持ちは何なんだ?」と思って、それで懐かしいものが蘇る話を作れないかと思って、脚本家の人に話して、TVシリーズでお話を作ってもらったんです(注5)。でも、それでも気持ちが収まらなかったんですね。まだまだ、そこに鉱脈が埋まってるんじゃないかという気分だった。多分、それで映画のほうに持っていったんだと思う。
当時の資料を集めて読んでいるうちに、気持ちがどんどんシリアスになっていった。それで、バカな話にはできないという気持ちにはなっていったんですよ。最初は、いつものように高い場所で、しんちゃんがケンとチャコと、ハラハラドキドキするようなバカな戦いをして、しんちゃんが勝利するみたいな事を考えてたんだけど。悪役の造形が自分の中で変わってきた。―― ケンとチャコが悪者ではなくて、普通の男女になっていったんですね。
原 うん。僕が小学生だった時にいた、格好いいお兄さん、お姉さんみたいな奴になっていったんですよ。だから、倒せなくなっちゃったんです。自分でも最後はどうなるんだろうって、心配していましたよ。こいつらは、バカな負け方はさせられないぞ。かと言って、しんちゃんが負けるわけにはいかない。かなり悩んだけど、そのへんの葛藤が映画によく作用したんだと思います。
―― 描いている原さんが「過去にとらわれてしまっていいのか」と悩んでいる葛藤も、映画に入ってるんでしょうね。
原 「過去にとらわれていいわけないじゃん」という気持ちもあるんだけど、なんだろう、このノスタルジーの心地よさは、みたいな(笑)。
―― 僕は公開時、『オトナ帝国』に不満を感じていたんですよ。過去の描写とか、敵の描写がこってりしているのに、しんちゃん達の活躍に関してネタが薄いじゃないですか。東京タワーを登る途中で、戦闘員に追い詰められた時も迫力だけで切り抜けたり。だけど、何年かしてDVDで観返して「これはこれでいいんだ」と思いました。ノスタルジー部分は丁寧に描写されているのに、しんちゃん側の描写があっさりしているのは、いいコントラストになってるんだと感じたんです。
原 『オトナ帝国』に限らず毎回そうなんだけど、あんまり分析的にものを作れないんですよね。本当に行き当たりばったりに作っているので。だから、今言われたような事も、後で考えればそういう言葉になると思うんだけど、作りながらそういう事は考えられないんですよ。作っている時は、地図も無いのに見えない山の頂上に登らないといけない気持ちなんですよね。ただ、不思議な事に、選んだルートがそんなに間違っている事はない気がしてるんですよ。ちょっと大袈裟な言い方になるんですが、『しんちゃん』の時は、毎年なんとか頂上にたどり着いて「ああ、また今回も生き延びられたな」という気持ちになってたんですよね。その喜びが大きかったのは、やっぱり『オトナ帝国』の時ですね。「こんな場所に来れるとは思っていなかった」という。
―― 『オトナ帝国』は、それだけ苦労されたんですね。
原 もの凄く大変でした。あんなに大変だった事はないですね。でも、そのお陰で、自分の意識が変わったんですよ。
―― 『オトナ帝国』は、それまでの『しんちゃん』と地続きだったけど、『戦国大合戦』は発想も、映画の作りも違いますよね。
原 『戦国』では腹が据わってた気がします。『オトナ帝国』と同じように「今まで行けなかったところに行くんだ」という気持ちだった。『しんちゃん』で、戦国時代をきちんと描く事や、恋愛を中心にするなんて、普通なら考えられないけど「もう、そういうものでいいんだ」という気持ちがあったんです。
―― 吹っ切れている感じですよね。『戦国大合戦』悩んで作っている感じがないですよ。
原 『戦国』は、最初にあらすじを作った時に、大体あの形ができていて、自分でもこれでいいと思えたんですよ。絵コンテでも、そんなに変わってないですね。
―― 最初から、青空侍が死んで終わる構成だったんですね。
原 そうです。でも、それが問題になるだろうとは思っていたし、やっぱり色々と言われましたよ。「これは『しんちゃん』の映画でどうなんだ」って。僕やプロデューサーは、それでいいと思っていたんだけど、他の人達が心配をしてね。臼井(儀人)さんに判断してもらう事になって、臼井さんから「これでやってください」という言葉を頂いたんです。反対してた人達も心配しつつ、「臼井さんがいいなら、いいか」となって。
―― 何が凄いって、あの映画ではタイムスリップに関する設定が無いんですよね。
原 うん(笑)。あれは確信犯ですけどね。そこをどんなに巧妙にやったとしても、絶対納得できないだろうと思うんです。一度『雲黒斎の野望』でタイムスリップをやっているんですけれど(注6)、その時にタイムスリップの矛盾を痛感したんです。戦国時代を舞台にするためには、なんらかのかたちで時間を超えなければいけないんだけれど、どう描いても、みんなが納得してくれるかたちにはならないだろう。だから、目を閉じて開いたら、時代が変わってるというギャグ方向にしたんです。タイムスリップする段取りを描くよりも、戦国時代をしっかり描きたいと思っていた。
―― 完成した後、どうしてタイムスリップしたんだ? と聞かれたりしませんでしたか。
原 それを突っ込まれる事はありませんでした。それでまた思ったんですよ。『オトナ帝国』の時も思ったんですけれど、我々は作品を作るプロだけど「プロが陥る病」というのが間違いなくあるんですよ。つまり自分達が、観てる人が気にしないところにこだわっているんじゃないかという事に、『オトナ帝国』で気づいたんですよね。そんな事で脳みそをすり減らすより、別にやる事があるだろう。勿論、僕が言ってる「病」というのが、作品作りをスムーズに作るために必要なものでもあるのは分かっているんです。物語を作り上げていくためには、やっぱり「どんなお話にしようか」「どんな面白さにしようか」と考える。あるいは、僕は嫌いなんだけど「ターゲットはどこだ」と考えて、選択肢を絞り込んでいくわけですよ。そう考えていくから、話を作っていけるんです。だけど、それをやり過ぎて、病気になっているんじゃないかと気がついたんですよ。僕は『オトナ帝国』が受け入れてもらえるとは全然思ってなくて、多分、みんなが怒るだろうと思っていたけど、公開後の反応では、そうでもなかった。
―― 『オトナ帝国』が受け入れられないと思ったのは、ターゲットを絞って作っていないから?
原 いや、全ての事で。ターゲットを絞り込んだり、面白くするにはどうしたらいいか考えたり、そうやって作る事だけが、みんなが面白がる方向ではないと気がついたんですよ。『オトナ帝国』はそういう形ではなかったじゃないですか。クライマックスに派手なアクションもないし。
―― しんのすけが、東京タワーを駆け上るだけですものね。
原 それでも、お客さんから「なんだこのクライマックスは、ひどいな」という声は聞こえてこなかったんですよ。むしろ、今までとは違う人達からの共感の声が多かったし、子どももそんなに怒っていないようだった。その時に、これから、なるべくそういう発想でものを作るのは止めようと思ったんですよね。
―― 面白い作品を作るためのフォーマットを気にして作るのを、止めようという事ですね。
原 そうそう。そういった事の全てを否定するわけではないですけど。つかみに派手なシーンがあって、中盤に山があって、ラストに大きな山がある。それだけが観てる人を喜ばせる方法じゃない。みんながそうやって作っているから、どれも同じようなものになっちゃうんだと思ったんですよね。
―― その発見が、直接『河童』に影響を与えてますね。
原 勿論。
―― オールナイトでも『オトナ帝国』と『戦国』があったから、『河童』をああいったかたちで作れたとおっしゃっていましたが、具体的に言えばそういう事なんですね。
原 『河童』の企画自体は、映画の『クレヨンしんちゃん』を始めた時に、既に個人的な企画としてあったんです(注7)。『しんちゃん』を作りながらいろんな経験をして、自分の中で『河童』も少しずつ形を変えていったんでしょうね。
―― 例えば『しんちゃん』の映画に参加せず、いきなり10年前に『河童』を作ったら、随分と違ったものになっていた?
原 多分、違っていたと思います。10年前にエニックスというゲーム会社がアニメの企画を募集して、向こうから誘いがあって、それに参加したんですよ。結局、佳作かなんかだったんだけど、その時に初めて『河童』の物語をまとめたんです。10年前に作ったものの方が、ちょっと派手な部分があるんですよね。
―― 最初の話に戻りますが、だから、『河童のクゥと夏休み』を誠実な作りにしたわけですね。『河童』は大筋も、画作りも、カットの積み重ね方も、全て誠実に作ろうとした。
原 そうです。さっき言った、プロの物語作りのフォーマットだと、多分『河童』の作りは、NGなんですよ。「えっ? どこがクライマックスなの?」とか「もっと派手な仕掛けないの?」とか。
―― クゥを段ボール箱に入れてコンビニに持っていくところは、泣かせようと思ったら、もっと泣かせられますよね。
原 うん(笑)。
―― もっと格好いい演出もできる。
原 うん、できる。だけど、そうじゃなくても、人を面白がらせたり、感動させたりするものができるという気持ちがあったんですね。だから、『河童』の企画は中々決まらなくて、賛同してくれる人を探す過程で苦労しました。企画を見て「おお、これは面白いね」と言ってくれた人は、そんなにいないんですよね。「もっと他にないの?」というような反応が多かったんですよ(苦笑)。
―― 「プロが陥る病」がなくても、つまり、あざとい事をやらなくても感動させられるというのは、当たり前の描写をちゃんとやれば、観ている人に伝えられるという事ですか。
原 だから、誠実さが必要だと思うんですよね。普段はどういう生活をしててもいいんだけど、作品に向かう時は誠実でなくてはいけないという気がしたんですよ。どこかからの借りものじゃなくて、自分自身をさらけ出して、誠実に作品に向かって、自分の中から出てくるものをかたちにしないとダメじゃないかという気持ちが『オトナ帝国』を経験して生まれたんですよね。
―― なるほど。
原 そういう作り方は、しんどいですけどね。当たり前の方法論みたいなものを否定しないといけないじゃないですか。
―― 分かりやすく言えば、劇場版『しんちゃん』で太ったオカマが出てきて面白い事をしたら、そこで笑いが取れるけど、それをやらないという事ですね。
原 そうそう。僕も何本もそれをやってきた経験があるわけです。「ここで子供が退屈するから、ちょっと笑いを持ってくる事にしよう」というやり方をしてたわけですよ。子供相手だから、お尻出したりすればすぐ喜ぶわけで。
―― 『ジャングル』なんかは、お尻の集大成ですもんね(笑)。
原 うんうん(笑)。そういう作り方を全否定はしないけど、それだけではないものを作ろうという気持ちかなあ。やっぱり『しんちゃん』の映画では、いい経験ができたと思いますよ。本当に。
―― 『しんちゃん』の映画を6本やったのは大きいですよね。
原 うん!もの凄く大きい。
―― 最初っから『オトナ帝国』は作れないし。『ジャングル』を作った事も無駄じゃないし。
原 そうなんですよ。僕は『ジャングル』を、サービス精神を第一に作ったつもりなんだけど、あそこでまた自分の趣味性を出したものを作った可能性もあったわけじゃないですか。それで興行収益がまた落ちたら、そこで『しんちゃん』の映画は終わってたはずなんですよ。自分のやりたい事を犠牲にして、子供を楽しませるやり方をしたお陰で、その後の自分に影響を与える事になった『オトナ帝国』を作れた。自分を抑える事で、もっと大きく表現できるチャンスを手に入れるという経験ができた。頑なに自分のやりたい事にこだわっていると、作品の幅も狭まるし、そういうエンターテインメントを全部否定したら、面白さがどんどん失われていくんです。そういうバランスって、もの凄く大事な事じゃないかなという気はしますね。
―― 『河童』以降の原さんの考え方についてうかがいます。やっぱり、日常的な描写をちゃんとやっていくのはお好きなんですね。
原 好きですね。
―― それが最大の目的と言っても過言ではない?
原 うーん、どうなんだろう。ある程度やったら、それも飽きたりするかもしれないですけどね。今のところは、アニメなのに「嫌がらせか」というぐらい日常描写を入れたい(笑)。こういう作品に誰がついてきてくれるんだろうかと思っていたんだけど、『河童』では「こういうのをやってみたかった」と言ってくれるアニメーターがいました。それは助かりましたよ。
―― いわゆるアニメっぽいキャラクター、あるいは、アニメっぽい作品は嫌いなんですね。
原 うん(笑)。
―― ずっと前から嫌いなんですか?
原 嫌いですねえ(笑)。
―― アニメージュの誌上で、こんな話をするのもなんですが(笑)。
原 (笑)。アニメージュの表紙になるようなアニメは、まず観ないですね。
―― まあ、『人狼』とかは表紙にならないですからね(注8)
原 ジレンマはありますけどね。そうは言っても、自分はずっとアニメを作り続けてきているわけで。例えば「アニメは好きですか?」と訊かれたら、「嫌いです」と言っちゃいけないと思うんです。ただ、「好きです」とは言えないというか。
―― 享楽的なものがダメなんですか?
原 ……うーん、なんだろう。
―― 「そっちに行くまい」という意識が作品から出ていますよね。『河童』はその意識が色濃いし、『しんちゃん』もそっちの方に行かないようにしていますよね。
原 『しんちゃん』の時もそういう気持ちでしたね。「そうじゃなくても面白いアニメは作れるよ」という気持ちは持っていたなあ。「お前ら、なんでこういうキャラじゃないとダメなんだ!?」みたいな。その「お前ら」と言っている人達が、はっきりと見えるわけじゃないんだけど(笑)。
―― だって、原さんは、実際にそういう人達に会った経験ってあまりないでしょ。でも、アニメージュの表紙になるようなアニメが好きな人達がいて、業界的にはそういう人達を相手にしている場合が多いと思っている。
原 それも嫌なんだよね。
―― 『人狼』についてのコメントで「この映画にはアニメの気持ち悪さがない。気持ち悪いキャラや、気持ち悪い声優や、勘違いした演出家が放つナルシズムが無い」と、お書きになってたじゃないですか。『人狼』の事を書きながら、他のアニメが嫌いだと言っているわけですが、あれは本当の気持ちなんですね。
原 (爆笑)アッハッハ! 随分前に書いたコメントだから、「よくそんな毒吐いたなあ」と思うんだけど。
―― でも、あれを読んでから『河童』を観ると「なるほど!」と思いますよ。言っている事とやっている事が矛盾してない(笑)。
原 今も、あの発言をなかった事にしようとは思わないですよ。
―― 例えば『河童』を、もっと目が大きい、可愛らしいキャラクターで作っちゃうと、違うわけですよね。何が違うのかはよく分からないですけど。
原 うん。何が違うんだろう? 多分、そういうものになれば、アニメが大好きな人達も観てくれたとは思うんだけど、そうはしたくなかった。
―― これもオールナイトでおっしゃっていましたけど、今まで、そういった「アニメっぽい」ものを避けてきたんですね。
原 そうですね。ずっとシンエイの社員でいたので、そういうものをやる機会は無かったし、特に飛び込みたい現場はなかったんですよ。今は、フリーにはなったんだけど、外の世界でこういうものが作りたいという気持ちが強いわけではないんですよ。
―― 作るものの方向性としては、今後も、シンエイでやってきた事と同じで構わないんですね。
原 今までのやり方に、飽きていませんからね。僕は、作りたいものを作れてきたわけではないんです。「これをやれ」と言われて、与えられた仕事の中に楽しみを見つけてやってきた。『河童』については本当に作りたいものを、作りたいかたちでやりたいという気持ちが強くて、実際にそれができたわけなんだけど、まあ、初めての経験した事が沢山ありました。『河童』の時に、社員でいる事の不自由さを感じたんです。今までは、上から下りてきた仕事をやってきただけだけど、初めて逆の動きをしたわけですよね。
―― 自分から企画を出して作ろうとしたわけですよね。
原 ええ。茂木(仁史)という長く付き合ってるプロデューサーが賛同してくれて、いろいろ動いてくれたんだけど、お互いに社員だから、どうしても動ける範囲が限られてきちゃうわけですよ。
―― 会社の枠を飛び越えて、どこかのメーカーさんと直接話し合ったりとかが……。
原 できない。会社として付き合っていい相手と、付き合えない相手がある。付き合っていい相手でも、あんまり勝手な事をやると「あまり先走るな」と言われるわけですよね。勿論、会社に助けられたところもあるんだけど、自分が狭い場所でしかものが作れないという事を知ったんですよ。作っている間、もの凄くビクビクしていた覚えがあるな。いつダメになっちゃうんだろうかって思っていた。
―― プロジェクト自体が無くなってしまうかもしれないという事ですね。
原 うん。もの凄く足場が悪い感じで、この足場がなくなっちゃうかもしれないという不安が常にあった。それもあって、もうちょっと自由な場所に行こうかなあと思ったんです。いや、フリーが楽ではない事は分かってるんですよ。
―― 普通は、生活のためにやりたくない仕事をやったりとか、掛け持ちをやったりしますよね。
原 俺も、もう50年近い年齢になっちゃったわけで、フリーになるにはちょっと歳をとりすぎてるんじゃないかという心配もあったけど、むしろ、この年齢だからフリーになってもいいかなと思ったんですよ。多分、若い時にフリーになったら「自分が得意じゃないものでもやらなくちゃ」と考えただろうと思う。だけど、こういう年齢だから「やりたいものしかやらない」で、やっていけるんじゃないか。今は自分が持ってないものを無理に出すような仕事はやりたくないと思ってます。
―― そして、自分が活かせるものをやっていきたいわけですね。
原 うん。労働意欲も、元々あまり強くないので(笑)。
―― 「映画」に対するこだわりはありますか。「映画らしい映画」と言うときの「映画」に。
原 そうですね。アニメ映画なんだけど、その「アニメ」という文字が取れても通用するものを作りたいですよね。『河童』ではそれを凄く意識してましたよね。「アニメである事のよさ」っていうのも、間違いなく分かっているつもりなんですけどね。
―― 原さんにとっての「アニメである事のよさ」とは?
原 実写との比較で言うと、アニメは「待った」が効くんですよ。問題があった時に、ある程度は「あっ、待った!」と言える。実写の映画だと、現場でアクシデントがあっても、その場で瞬間的に判断しないといけないわけじゃないですか。僕には、保留が効く作り方が合っている気がするんですよね。判断力が弱いという自覚があるんで(笑)。それから『河童』に限らず『しんちゃん』でも、もっと前の『エスパー魔美』とかをやってる頃も、絵コンテを描いている時は、頭の中では実写なんですよね。
―― 現実の人間が芝居しているのをカメラで撮っているものを、アニメで作っているんだ、という事ですね。
原 うん、そんな感覚ですよ。
―― 演出を始めた頃からそうなんですか。
原 そうですね。だから余計、異世界が舞台になるものに興味がないのかもしれない。異世界ものと言われると「俺、それ見た事ないし」とか思うんですよ(笑)。「そんな世界知らないし、行った事ねえなあ」みたいなね。
―― 『河童』で龍が出てくるあたりが、原さんとしてギリギリ許せるファンタジーなんですね。
原 でも、そういうものが必要だという事は分かってるんですよ。日常の描写だけで面白いかといったら、そうじゃないだろうという気持ちもあるし。日常をきちんと描いた先に、日常をちょっと飛び越えるような描写が必要だと思うんですよね。それが感動に繋がったりするわけだし。
―― 次回作は準備中だそうですが、方向性としては『クゥ』と同じ作り方でいくんですね。
原 いきたいとは思ってますけどね。
―― 一言で言えば、誠実に作っていくんですね。
原 恥ずかしいなあ。まあ、そうです。僕の現場での仕事ぶりを知っている人に、そんな事を言うと笑われるかもしれないけど(苦笑)。
―― 具体的な作業の仕方は、必ずしも誠実ではないんですね。
原 ハハハハ。「どの口から、誠実なんて言葉が!」とか言われるかもしれないですけどね。「もっと真面目に働けよ!」って。
―― 「年に1本、新作を作れよ!」とか。
原 うん。「ちゃんと、毎日早い時間に仕事場に入れよ!」とか(笑)。
(注1)
2008年2月2日に、東京・池袋の新文芸坐で開催された「新文芸坐アニメスペシャル(2) 原恵一」のトークショーの事。上映作品は劇場版『クレヨンしんちゃん』の『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』、『河童のクゥと夏休み』の3本。トークショーの聞き手を小黒が務めた。トークショーでは、絵コンテを描いている時に「格好よくなりそうになると、わざとそうならないようにした」とも、彼は発言している。
(注2)
劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズの第1作から4作は、本郷みつるが監督が務めた。なお、現在公開中の第16作『ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者』では、久しぶりに本郷みつるが監督として登板。
(注3)
原恵一がこの連載に登場するのは、第9階以来、2度目。その時に最新作の『温泉わくわく大決戦』が話題になった。詳しくは単行本「この人に話を聞きたい」をどうぞ。
(注4)
劇場版『クレヨンしんちゃん』の第9作『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、1970年の日本万国博覧会をはじめとする、昭和への想いがテーマの作品で、大人の観客に支持された。
(注5)
TV『クレヨンしんちゃん』の「母ちゃんと父ちゃんの過去だゾ」1999年9月10日放映。
(注6)
『雲黒斎の野望』は劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズの第3作
(注7)
『河童のクゥと夏休み』の原作は木暮正夫の児童文学。彼は20年前から、この企画を温めていた。
(注8)
『人狼』は原恵一が認めている数少ないアニメ作品。後の部分で話題になる『人狼』についてのコメントは「世界と日本のアニメーション ベスト150」(ふゅーじょんぷろだくと)に掲載されたもの。単行本「アニメーション監督 原恵一」(晶文社)にも再録されている。