SPECIAL

芝山努さんの仕事の話
第四回 本郷みつる(演出者)

―― よろしくお願いします。

本郷 はい、よろしくお願いします。

―― 芝山努さんの事はいつからご存じでしたか。

本郷 子供の頃にTVアニメの『元祖天才バカボン』『ど根性ガエル』『ガンバの冒険』等が好きで、それらの作品のオープニングに芝山さんの名前が出ていて、なんとなく記憶していたと思います。

―― それで芝山さんが主催していたスタジオ、亜細亜堂に入ったのでしょうか。

本郷 そうですね。アニメ雑誌に亜細亜堂の動画募集があったんです。芝山努さん、小林治さんの名前だけは知っていましたので。

―― そこで芝山さんとお会いになったのですか。

本郷 そうだと思いますが、21歳から始めた動画の時は接する機会がほとんどなくて、記憶に残るエピソードはありませんね。

―― それでは亜細亜堂で演出を始めてから?

本郷 はい、そうです。機会があって23歳で演出助手として『まんが日本昔ばなし』で作画打ち合わせに立ち合い、上がった原画を見て、撮出しを担当しました。私が初めてTVシリーズで演出を担当した『伊賀野カバ丸』も、前の話数は芝山さんが担当していて、それを引き継ぐかたちで仕事を始めました。最初の何本かの絵コンテもチェックしてもらいました。

―― 間近で見た芝山さんの仕事ぶりはいかがでしたか。

本郷 時期的には芝山さんが『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』(編注:芝山努が最初に監督を務めた映画『ドラえもん』。1983年公開)の監督を務められてから10年弱、間近で見ていました。私は完全な素人から亜細亜堂に入ったのですが、入社してからしばらくの間、亜細亜堂では芝山さん、小林治さん、河内日出夫さん、山田みちしろさん、須田裕美子さんの5人だけが経験豊富な人達で、それ以外のスタッフは先輩も含めて私と歳の近い人達だったんですよ。5人は全員アニメーターで絵コンテ、演出もやり、キャラクターデザインもやる人達だったので、アニメーターとはそういう人達だと思っていたのです(笑)。

―― それは凄い勘違いですね(笑)。

本郷 その後、演出として沢山のアニメーターと会い、全員がそうではない事を知りました。

―― なるほど(笑)。

本郷 私は10年弱、亜細亜堂に在籍した後フリーになったのですが、芝山さんの凄さを理解したのは会社を辞めてしばらく経ってからでしたね。

―― それはどういう事ですか。

本郷 私が亜細亜堂にいた頃、芝山さんは毎年、映画『ドラえもん』を監督し、TVシリーズの『ドラえもん』の監督をやりつつ、それと並行して『ちびまる子ちゃん』の監督や『忍たま乱太郎』の総監督等を務めていたんです。あまりに身近だったので「沢山監督をやっているなぁ~」ぐらいの感覚でいました。
 『伊賀野カバ丸』の後は、各話の絵コンテで『ドラえもん』を手伝うぐらいで、『まる子』や『乱太郎』と関わる事はなく、その当時は芝山さんの仕事量を具体的にイメージできていなかったんです。

―― なるほど。

本郷 フリーになって『クレヨンしんちゃん』のシリーズを4年半やって、その間に4本の映画を作って改めて芝山さんの仕事量が超人的なものだった事を思い知りました。

―― 芝山さんは日本のTVアニメの歴史の中でも特異な存在かもしれませんね。

本郷 さっき挙げた『ドラえもん』『まる子』『乱太郎』は、今現在も新作が放送されていますし、私が亜細亜堂に在籍していた頃は他に『らんま1/2』の監督、『おねがい!サミアどん』のキャラクターデザイン、『まんが日本昔ばなし』の絵コンテ、演出等もやっていたんですよ。

―― 本当に凄い仕事量ですね。

本郷 私くらいしか知らない芝山さんの仕事もあります。1985年から3年間で、ディズニーとの合作で東京ムービーが作った『The Wuzzles』『わんぱくダック夢冒険』『新くまのプーさん』で、日本側のチーフディレクターを芝山さんがやっていたんです。多分記録は残っていませんが、私は亜細亜堂班の演出として3年間参加しました。

―― 本郷さんがいた10年だけでも信じられないくらいの量ですね。

本郷 『サミアどん』の亜細亜堂回は新人アニメーターばかりだったので、芝山さん、小林さん、山田さんがローテーションで全カットのレイアウトを切っていました。だから、今見ても画面の完成度が高いですよ。

―― 亜細亜堂の社長として裏方の仕事もやっていたんですね。

本郷 はい。私が各話演出をやっていた『エスパー魔美』でも新人アニメーターが参加する最初の回は、芝山さんがレイアウトを切ってくれました。西村博之君、藤森雅也君、玉川真人君は芝山さんの恩恵を受けた筈です。

―― そこまでやっていたのですか!?

本郷 1人の人間の仕業とは思えませんね(笑)。

―― 所謂「手が早い」とは違う異次元の仕事ぶりですね。

本郷 そうなんです。ひとつひとつのレイアウトや絵コンテや演出のクオリティが高いのは勿論ですが、並行して様々な仕事をマルチタスクで平然とこなしていたんです。さっきも言った事と重複しますが、後に監督をいくつか経験してみてその凄さを実感しました。

―― 本郷さんから見た芝山さんの演出、監督としての凄いところってどんなところなんでしょうか。

本郷 『ドラえもん』『ちびまる子ちゃん』『忍たま乱太郎』に関して言うと、原作をかみ砕いて誰にでも愛される分かりやすいアニメ作品に仕上げる手腕ですね。『ずっと続く作品』は狙って作れるものではないのですが、芝山さんはその本質を掴んでいたのだと思います。

―― 一見すると、誰でもできそうな作品ですが。

本郷 作家性を前面に出すのではなく、その作品を芝山さん以外の人も作れるような方法論が、あらかじめ用意してある感じでしょうか。もし野心的な各話演出がいれば、そこで遊べるような余地も用意してある……。

―― そういったタイプのアニメ演出は他にもいますか。

本郷 芝山さん以外見た事ありませんね。元々、アニメーターとして大活躍した後に監督業を長くやって絵コンテ、演出も手掛けていて感心するのは、画にこだわらないところなんです。

―― と言うと?

本郷 上手いアニメーターが絵コンテや演出をやると、大抵の場合、自分より上手くない原画は耐えられないんですよ。

―― その場合はどうするんですか。

本郷 原画やタイミングを徹底して直すわけです。

―― 自然な流れですね。

本郷 芝山さんはそれを一切やらないんです。映画『ドラえもん』だと絵コンテ、作画打ち合わせまでやって演出処理は任せるやり方でした。

―― 上手いアニメーター出身では珍しいわけですね。

本郷 実はそれについて芝山さんに聞いた事があるんです。

―― 大胆ですね(笑)。

本郷 当時はなんでもずけずけ聞いていました。おかげで今でも演出をやれています。

―― それでどんな答えだったんですか。

本郷 単純なんですが、「監督になってから、画に口出しするのはやめた」という返答でした。

―― え、監督が画に口出ししない?

本郷 当時はその意味がよく分からなかったのですが、それから10年以上経って、ボンヤリ分かったんです。

―― と言うと?

本郷 例えば私が画の事をとやかく言っても、そんなに優れた絵描きではないのでアニメーターも「分かってない奴の戯言」で済みますが、芝山さんが画やタイミングをいじったら大抵のアニメーターはその人の仕事が意味を失ったり、あるいは自信を喪失すると思うのです。それに芝山さんがやった仕事全てにそれをやるのはいかに驚異的な仕事のスピードでも難しい筈です。

―― 大局的な判断で自分の関わり方を決めたという事ですね。

本郷 私はそう考えています。自分が作品と関わって、どういうかたちがベターかを考えて実践していたのだと考えています。「沢山仕事をする」事は評論家やマニアには評価されにくいですが、芝山さんが手掛けた作品達が無かったら、今より少し寂しいアニメ界になっていましたね。

―― 最後にうかがいますが、芝山さんは、本郷さんの「師匠」なんですね?

本郷 そうですね。望月智充、荒川真嗣、もりたけし、湯浅政明、浜名孝行、藤森雅也、佐藤竜雄(敬称略)、本郷みつる、他にも沢山の芝山チルドレンを生み出したと思います。

―― 人材育成ですね。

本郷 芝山さんがそれを意識していたのではなく、芝山さんの仕事の方法論が人材育成に適していたのだと思います。私が長くこの仕事ができたのも、演出になって最初に出会った監督が芝山さんだった事が大きいです。



2024年 取材・構成/本郷みつる(一人二役)

●プロフィール
本郷 みつる(ほんごう みつる)。アニメーション演出者。監督として『チンプイ』『クレヨンしんちゃん』『星方武侠アウトロースター』『本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません』『柚木さんちの四兄弟。』等、数多くの作品を手掛ける。