SPECIAL

芝山努さんの仕事の話
第一回 大武正枝(アニメーター)

◇口上◇

 本郷みつるです。もう40年以上アニメーションの仕事をしています。そのキャリアの最初は亜細亜堂という会社からスタートしました。私はその会社でアニメーションの演出の仕事を始め、社長の芝山努さんと出会いました。私のいた頃、芝山さんは『ドラえもん』『ちびまる子ちゃん』『忍たま乱太郎』の監督を同時にこなしていました。『ドラえもん』に関しては毎年劇場の監督をやり、絵コンテも1人でやっていました。とにかく圧倒的な仕事の質と量です。現場から引退されてしばらく経ちましたが、後世に残した影響は計り知れません。でもご本人は前に出る事を好むタイプではなく、業界に関わった人間が「芝山さんは凄かった」と言うのを伝え聞く機会があるくらいです。そこで今回、私の知っているアニメーターや演出の方にインタビューをして芝山さんの凄さを後世に伝えたいと考えこの企画をスタートしました。何回続くか分かりませんが、よろしくお願いします。
 第一回としてお話をうかがったのは、大武正枝さん。アニメーター歴45年以上のベテランの方ですが、アニメーターとしての最初期のキャリアで、1978年に公開された劇場版『ルパン三世』に動画チェックとして関わっていた事を知り、インタビューをお願いしました。

アニメーション演出者 本郷みつる


本郷 それでは、よろしくお願いします。

大武 はい。

本郷 大武さんはスタジオ古留美で仕上げのアルバイトの仕事から、アニメーション業界に入ったという事でよろしいんでしょうか。

大武 そうです。

本郷 芝山さんとの仕事は劇場版『ルパン三世』(以下『マモー』と表記)が初めてだったんでしょうか。

大武 はい、その時が初めてです。

本郷 その時って、大武さんは業界に入られて何年目くらいだったんでしょうか。

大武 私自身は18歳で仕上げのバイトを始めて稼げないので一回辞めて一般職に入ったんですね、イトーヨーカドーに勤めて1年半。それを辞めてアニメーターになったんです。

本郷 最初がスタジオ古留美ですか。

大武 そうです。そしてアニメーターになったのが5月末なんですが、7月の頭から動画チェックをやってくれと言われて。

本郷 え、動画を始めて2ヶ月後に動画チェックの仕事を?

大武 ええ、劇場をやってくれって。

本郷 『マモー』の作画監督の椛島義夫さんに言われたのですか。椛島さんとはいつから一緒に仕事をされていたのですか。

大武 私のアニメの先生が椛島さんなんです。椛島さんはシンエイ動画を辞めて古留美に移籍して、作画部を作ったんです。私がアニメーターをやりたいと思ってスタジオを探していた時に、古留美が作画部を作るという事を知って試験を受けたんです。

本郷 へえ~、それで試験に受かって2ヶ月後には劇場の動画チェックを?

大武 仕上げを1年半やっていたから、シートを読むとかの最低限の知識があったので。

本郷 それで動画チェックを始められたのはおいくつからだったんですか。

大武 21歳でした。

本郷 そうでしたか。それで今回は当時の芝山努さんについてお聞きしたいのですが、『マモー』の時はスタッフルームがあったんでしょうか。

大武 『マモー』を作る為に阿佐ヶ谷に劇場専用の棟がありました。隣がテレコムだったかな。

本郷 そこには、芝山さん以外に監督の吉川惣司さん、作画監督の椛島さんがいらした?

大武 作画監督の青木悠三さんもいました。

本郷 大塚康生さんも?

大武 大塚さんはいませんでした。椛島さんが途中で体調を崩して休んだ時期があって、それでどうしよう、劇場は進めなきゃいけないしという事になった時に大塚さんが手伝ってくれて。

本郷 大武さんは芝山さんとは初対面だったんですね。芝山さんの事はご存じだったんですか。

大武 仕上げで『ガンバの冒険』をやっていたので、多少知っているくらいでした。

本郷 因みにスタッフルームは広い場所だったんですか。

大武 広かったですね。

本郷 スタッフルームに行ったら、芝山さんがレイアウトをやっていた?

大武 そうです。

本郷 当時、レイアウトだけをやっているポジションはそれまでの日本の劇場作品にはなかった?

大武 なかったですね。色んなスタジオに原画を出していたけど、公開が12月で時間もないし、上手いレイアウトが必要だという事で芝山さんが全部担当したんだと思います。

本郷 大武さんは椛島さんと一緒にスタッフルームに入ったんですか。

大武 私は古留美で動画をやっていて、7月から入りました。椛島さんは6月頭にスタッフルームに入っていましたね。

本郷 なるほど。

大武 私もどうなるのか想像が付かなかったんですが、とりあえずやってみようと。

本郷 では、最初に芝山さんとお会いになった時の印象とか覚えていますか。

大武 あの、とにかく机にずっと座って、まるで事務職のようにひたすら、朝10時にはもう机に向かって、ずうっと仕事をしていて、私は最初のうちはチェックする物が無かったので「動画チェックなんだから動画をやっていなさい」と言われて『マモー』の動画をやっていたんです。その間ずっとスタッフルームにいたのが、芝山さん、椛島さん、青木さん、私だったんですね。淡々と仕事をする芝山さんを見ていました。

本郷 芝山さんは椛島さんと話したりはしなかったんですか。

大武 していましたよ。椛島さんは来てもすぐには仕事をしなくてタバコを吸って、芝山さんを見て「芝さんは凄いなって」と言って。

本郷 芝山さんはずっと机に向かっていたんですね。何時間くらいやっていたんですか。

大武 最初の頃はそんなに遅くまでやっていなかった筈です。公開が迫った10月頃には朝までやって、朝ちょっと帰って、仮眠を取ってまた来て働くみたいな生活が1ヶ月ほど。

本郷 芝山さんは全カットのレイアウトを上げた後はお役御免だったのでしょうか。

大武 えっとね、あ、立ち会っていましたね。

本郷 原画をやったりとか?

大武 原画はやっていないですね。

本郷 でも1人で全カットのレイアウトをやったんですよね(編注:青木悠三が作監をしたパートのみ、青木自身がレイアウトを描いているとも言われている)。

大武 1000カット以上あって、6月から入って4ヶ月くらいで上げた筈ですよ。

本郷 4ヶ月!? 現存するレイアウトを見ると、清書すると原画で通用するレベルの、克明なレイアウトだったようですが。

大武 監督の吉川さんの絵コンテが出来たところから、どんどんレイアウトにしていました。

本郷 ああ、絵コンテは完成していたわけではなかったんですね。

大武 そうです。

本郷 仕事に入られて、芝山さんとお話して何か覚えている事はありますか。

大武 どうして、こんなに凄いレイアウトを描けるんですかって聞いたら「いやいやいや、映画を観なよ、黒澤(明)とか」。

本郷 やはり黒澤ですか!

大武 「あの黒澤の画面の収まり、手前になめて、山があって……」「観るといいよ、勉強になるよ」って。結構その後は黒澤作品を観ましたね。

本郷 芝山さんはずっと働いていたという話でしたが、雑談をする事もあったんですよね。雑談をしていたのはお昼の時間とかですか。

大武 お昼の時間はありましたね。あと夜の10時、11時になると制作が夜食用に吉野家の牛丼を買ってきて、それを食べていました。1ヶ月半くらい。

本郷 その時は芝山さんもいて。

大武 みんなで夜食を食べていました。

本郷 4人でいつも夜食を。

大武 他に背景さんが2人いたと思います。門野真理子さんとか。

本郷 アニメーターになって2ヶ月の時期に、大武さんが見た芝山さんのレイアウトってどうでしたか。

大武 もうね、鳥肌ものっていうか、プロはこういうものなのか! こうやれないとプロにはなれないのか……と思いました。

本郷 芝山さんは「巧い」というのもあるのですが、驚異的に「早い」んですよね。

大武 巧い、早い、またキャラがいいんですよね。

本郷 「いい画」ですよね。

大武 レイアウトのこの画があれば決まるという感じでしたね。芝山さんが自分で「1日何カット」と決めてやっていました。

本郷 『マモー』をやっていた時に思い出す印象的なエピソード等はありましたか。芝山さんはイタズラ好きな一面もあったりすると聞きますが。

大武 それはありましたね。『マモー』では制作の子がこの作品の為に雇われた人達だったのですが、芝山さんが、その子達に教えながらやっていましたね。みんな、仲よかったですね。「芝山さん、芝山さん」と言って、慕っていました。

本郷 吉川監督ではなく、芝山さんが。

大武 芝山さんはずうっとスタッフルームにいたので。青木さんはマイペースでふらっと現れて、さあっと帰っていきました。青木さんはパート作監だったので、大量にやっていたわけではないんです。それから、椛島さんは来ない時期があって、私はそもそも椛島さんに呼ばれて来た古留美からの派遣だったので、どうなるのかなと。

本郷 じゃあ、机が2つ空いていて、芝山さんと大武さんだけの時が。

大武 結構ありましたね。芝山さんが「椛島さんは結構ナイーブだから、今回プレッシャーかな?」と言って、一生懸命に場を和ませようとしていましたね。

本郷 凄い仕事量を飄々とこなしてなおかつ、余裕があるという。

大武 そう。「見てていいですか」って聞くと、「どうぞどうぞ」と言って、ふんふんふんって描いていました。

本郷 その時期の芝山さんは『ガンバの冒険』でシリーズを通じて画面設定、レイアウトをやった後で、アニメーターとして乗っている時期ですよね。大武さんが見ていた時にどう描くか迷っていたりとか。

大武 なかったですね。座ったら描き始めて、ずっと描いてる。

本郷 お休みとかあったんですか。

大武 最初のうちは日曜が休みで、途中からなくなりました。

本郷 昔のアニメ業界のお約束ですね。

大武 途中からやってきた大塚さんも飄々としていて、椛島さんがいなくて積まれたカットの中からシュッと修正前の原画を抜いて中を見て「はい! オッケー」って。

本郷 本当ですか!?

大武 「大丈夫、大丈夫」と言って。

本郷 以前もお聞きしましたが、椛島さんが全カットに修正を入れているわけではないんですね。

大武 青木さんもいたので、押さえるところは押さえていた筈です。

本郷 最終的に大武さんの動画チェックの仕事が終わったのはいつ頃だったんでしょうか。

大武 11月末だったと思います。

本郷 ギリギリですね。

大武 ギリギリです。

本郷 その頃、芝山さんは?

大武 いましたね。リテーク出しなんかもあったし。全部終わって解散するまでは。

本郷 私が芝山さんの仕事振りを見るのはそこから数年後からなんですが、アニメーターってこんなに巧くて早いんだって驚きました。しばらくして全員がそうではないと気付きましたが。大武さんと働いた頃の芝山さんはアニメーターとして最高の時期だったかもしれませんね。

大武 30代後半だったと思うけど、座ったら描いてる。悩んでる暇もないって様子でしたね。亜細亜堂の時も10時に来ていたのかしら。

本郷 9時に来ていました。誰よりも早く(笑)。他に当時の芝山さんに言われて覚えている事がありましたら聞かせてください。

大武 「君は椛島さんに付いていけば、間違いなく描いていけるよ」って。

本郷 間違いなかったわけですね。

大武 大塚さんにも言われましたよ。「とりあえず、この人って決めた人の画を盗めばいい」って。

本郷 アニメーターになったばかりの大武さんに、芝山さんの存在は大きな影響を与えたんですね。

大武 大きかったですね。量を描かないと上手くならないと言われましたね。言われた事を心に刻んでやってきました。

本郷 大武さんの「師」ですね。今日はどうもありがとうございました。

大武 ありがとうございました。



取材日時/2024年 取材・構成/本郷みつる

●プロフィール
大武 正枝(おおたけ まさえ)。アニメーター。キャラクターデザインを務めた『あたしンち』シリーズ、『黒魔女さんが通る!!』、『となりの関くん』をはじめ、様々な作品に参加。