前回話題にしたように『タイガーマスク』のいくつかの話数では、子供達にとっても人生は過酷なものであり、毎日を精一杯生きて、明日を切り開いていかなくてはいけないということが語られた。どうして、そのような厳しい価値感で物語が紡がれたのだろうか。
ここで『タイガーマスク』の物語の序盤に戻る。話題にしたいのは第6話「恐怖のデス・マッチ」(脚本/三芳加也、美術/秦秀信、作画監督/小松原一男、演出/田宮武)、第7話「血まみれの虎」(脚本/安藤豊弘、美術/浦田又治、作画監督/木村圭市郎、演出/田中亮三)である。この前後編ではタイガーマスクと強敵ブラック・バイソンとのデスマッチが描かれた。第6話の時点でタイガーはすでに虎の穴を裏切っているが、まだ1話で初登場した時と同様に、反則を得意とするダーティーなレスラーのままだった。
そんなタイガーの試合中に、ちびっ子ハウスを飛び出してきた健太がリングサイドに姿を見せた。さらに彼を追ってルリ子もその場にやってくる。健太は、反則を使う悪役であるタイガーマスクが大好きだとルリ子に言う。そして、俺も世の中の悪役になって、反則で人生を渡ってやる、どうせ(自分は)みなしごだもんな、と続ける。それを聞いたルリ子は驚き、そして、リングの上のタイガーに懇願する。その時のセリフが次のものだ。
「今この通り、この子は間違った道に迷い込もうとしています。それをこの子の憧れのあなたから教えて。世の中ってそんなものじゃない。苦しくても真面目に、正しく生き抜くべきだと……」
ルリ子がタイガーにこの言葉を伝えたのが第6話の最後であり、続く第7話ではその言葉を聞き入れたタイガーが生まれて初めて反則抜きのフェアプレイで戦い、ブラック・バイソンを倒す。この第6話、第7話の内容は原作に沿ったものであり、ルリ子が口にした願いの言葉も、ほぼ原作のままだ。
ブラック・バイソンとの試合をきっかけにして、タイガーは反則を使わない正統派のレスラーに転向。反則を得意とする虎の穴のレスラーを相手にフェアプレイで戦うことになる。つまり、自ら望んで不利な戦いを続ける道を選んだのである。タイガーが反則を捨てたことについては、原作とアニメ版でまるで違ったかたちで決着が付くことになるのだが、それについては、今後のこのコラムで触れていくつもりだ。
伊達直人=タイガーマスクはちびっこハウスを救うためにファイトマネーを使ってしまい、虎の穴を裏切ることになってしまった。そして、ルリ子の願いを聞き入れて自身の反則を封印してしまったため、虎の穴の刺客である悪役レスラーと反則を使わずに彼等と戦わなくてはいけなくなった。タイガーがブラック・バイソンとの試合の後も反則を使わなかったのは、健太を始めとする子供達に正しい生き方を示すためだろう。ちびっこハウスを救ったことと、ルリ子の願いを聞き入れたことで、彼は過酷な道を歩むことになったのである。
ルリ子は「苦しくても真面目に、正しく生き抜くべき」と言った。幼い頃から貧しい孤児院で園長の子として育ち、多くのみなしご達と接してきたルリ子は、それを疑う必要のないこの世の真理だと思ってるのだろう。彼女の口ぶりから、タイガーもそれを分かっているはずだから健太に教えてやってほしいと思っていることが窺える。ルリ子はそれを健太のために言ったはずだが、その言葉は伊達直人=タイガーマスクにも大きな影響を与えることになった。ルリ子の言葉はタイガーが反則を封印し、試合を通じて子供達に正しい行き方を見せていく契機となっただけでなく、直人の試合以外についての考え方にも、あるいは『タイガーマスク』という作品のカラーにも影響を与えたのではないだろうか。それほどにルリ子の願いの言葉は重要なものなのだ。それを踏まえて個々のエピソードを見てみることにしよう。
第98話「捨て身の虎」(脚本/辻真先、美術/秦秀信、作画監督/白土武、演出/山口康男)では、第6話のタイガー、健太、ルリ子のやりとりが別のかたちで反芻されている。健太は夏休みの宿題の昆虫採取でカブト虫を捕りにいくが、他の男子達に力尽くでカブト虫を奪われ、怪我までしてしまう。仕返しをしようとした健太はルリ子に止められ、さらにハウスを訪れた直人に説得される。ここで、健太と直人は力尽くでカブト虫を奪うような行為をプロレスになぞらえて「反則」と呼ぶ。第6話でも健太は世の中に出ていってあくどいことをするのを「反則」と呼んでいた。直人は語った。世の中には反則を使って憚らない奴らが大勢いる。彼等に打ち勝つにはどうすればいいのか。反則に対して反則で立ち向かっても泥仕合になるだけだ。時間はかかるかもしれないが、正々堂々とやることが本当に勝つということではないのか。直人はそう言って、健太を諭した。第6話の健太はタイガーに対する憧れから、彼が反則を使わないなら、それにならって自分もいい子になろうと思ったわけだが、第98話の健太は直人が言ったことを理解し、自分がやるべきことを考えて拳を下ろしている。そして、納得した健太は「分かったよ」と言って笑顔を見せた。第6話から第98話までの物語で健太がしっかりと成長したことが描かれている。話数の積み重ねが感じられる展開であり、成長した健太の頼もしさが嬉しい。
ルリ子の願いの言葉を踏まえて、これまでに取り上げた話数について触れていこう。第54話「新しい仲間」では、第6話で「苦しくても真面目に、正しく生き抜くべき」と言ったルリ子が、それを実践したと考えることができる。過保護に育てられ、登校拒否となってしまったミクロに対して、ルリ子は寄り添い、理解し、背中を押した。その背中の押し方は「苦しくても真面目に、正しく生き抜くべき」と言ったルリ子らしいものだった。第54話の彼女の名セリフ「前向きに歩き出した子には、失敗さえも前進する力になるわ」は、第6話の「苦しくても真面目に、正しく生き抜くべき」からヒントを得て書かれたセリフ、あるいは発展させたセリフではないだろうか。第54話では第6話のルリ子がタイガーに懇願するシーンが回想として織り込まれている(尺の関係か「苦しくても真面目に、正しく生き抜くべき」のセリフがカットされているのが残念だ)。作り手も第6話を意識して第54話を作ったのだろう。
第83話「幸せはいつ訪れる」、第100話「明日を切り開け」等では子供達でも生きていくために、新しい環境に飛び込む勇気が必要であるし、そのために自分を変えていく必要があるかもしれないということが描かれた。それもルリ子の「苦しくても真面目に、正しく生き抜くべき」という言葉の延長線上にあるエピソードなのではないか。
第100話の最後で直人が言った――子供達を含めた全ての人間にとって明日がどうなるか分からない、だから、毎日毎日を真剣に精一杯戦って明日を切り開いていかなくてはいけない――とは、第6話のルリ子の言葉を、直人が咀嚼して自分の言葉にしたものではなかったのか。第100話の最後のセリフが『タイガーマスク』のテーマであるとしたら、その始まりは第6話のルリ子の言葉であり、それから100話近いエピソードの積み重ねの中で、厚みを持ったものなのではないか。
言うまでもないことだが、ここまでの文章は僕の解釈が入ったものだ。そして、以下に書くことも僕の想像である。アニメ『タイガーマスク』の作り手はシリーズ終盤の物語を構成するにあたって、原作序盤にあったルリ子の言葉に注目し、それを深掘りするかたちで物語を紡いだのではないか。アニメ『タイガーマスク』は原作とは違った物語を描き、違ったラストシーンに到達するのだが、その一方で物語の完結が見えてきたところで原作を振り返り、原作で描かれたことを尊重してテーマを構築したのだろう。その点も興味深い。
●第17回 直人の告白とハードボイルドドラマの頂点 に続く
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